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第16話「増えすぎた隣人たちと、管理の限界」

 朝、目を覚ますと──枕元に花が供えられていた。

 しかも三束。丁寧に編まれた花冠つきだ。

 ……俺はいつ死んだ?


 寝ぼけた頭のまま上体を起こすと、番屋の入口から朝日が差し込んでいる。毛布を剥いで外に出た途端、整列した二十人以上の人影が一斉にこちらを向いた。


「おはようございます、大賢者様!」


 声が揃いすぎている。練習でもしたのか。

 昨日までこんなことはなかった。カイの開拓団が合流するまでは、朝はせいぜいマーレンの「いつまで寝てんのよ」で始まっていたのに。


「……おはよう。それと、大賢者って呼ぶな」

「大賢者様がご謙遜を! さあ、朝のお食事の準備ができております!」


 かまどの前には、すでに木の器が並んでいた。湯気を立てる根菜の煮物と、薄く切った燻製肉。悪くない匂いだ。だが問題はそこじゃない。

 器を手に取ろうとした瞬間、横から別の手が伸びてきた。


「お待ちください! 毒見がまだでございます!」

「……毒見?」


 若い男が真剣な顔で器を受け取り、ひと口すすった。十秒ほど無言で立ち尽くした後、深々と頭を下げる。


「安全でございます。どうぞお召し上がりを」


 いや、この食材を見つけたのは俺だし、調理法を考えたのも俺なんだが。

 毒があるなら俺が一番よく知ってる。


 だが男の目は真摯そのものだった。善意だ。混じりけのない、純粋な善意。

 断る言葉が、喉の奥で詰まった。


「……どうも」


 仕方なく受け取って食べ始めると、今度は背後に気配がした。振り返ると、木の棒を握った男が三人、俺を囲むように立っている。


「護衛班、第一組、配置につきました!」

「いらん」

「大賢者様のお命は集落の宝です! お食事中もお守りいたします!」


 飯を食う手が止まった。

 煮物の味が、急にしなくなった。


 昼前、水路まで水を汲みに行こうとしたら、五人がかりで止められた。


「大賢者様にそのようなことはさせられません!」

「水汲みくらい自分でやらせてくれ」

「いけません! 大賢者様のお手を煩わせるなど!」


 桶を取り上げられた。俺の桶だぞ、それ。

 仕方なく番屋に戻ろうとすると、入口に花冠がさらに二つ追加されていた。朝の三束に加えて、もう五つ。

 番屋が祭壇になりつつある。


 午後、広場の隅でぼんやりしていると、住民たちが集まってきた。何事かと思えば、両手を組んで目を閉じている。


「……何やってんだ」

「お祈りの時間です。大賢者様に今日の感謝を捧げております」

「感謝はいいから、俺を放っておいてくれ」

「大賢者様のご謙遜は、もはや聖者の域──」

「違う」


 違うんだ。俺はただ、楽がしたいだけなんだ。

 崇拝されるより放置してくれた方が、百倍ありがたい。


「あら、人気者じゃない」


 横からマーレンの声がした。腕を組んで、にやにや笑っている。


「笑ってる場合じゃないんだが」

「旧大陸じゃ、優れた者は神の代理人として崇められたからねえ。あの子たちにとっちゃ、あんたがこの土地に水路を引いて、堀を掘って、魔物を追い払ったんだから──立派な神の代理人よ」

「やめろ。鳥肌が立つ」


 花冠の文化も旧大陸のものだとマーレンは言った。恩人の枕元に花を供えるのは、向こうじゃ当たり前の礼儀なのだと。

 つまり、悪気は欠片もない。むしろ最大限の敬意を込めてやっている。

 だからこそ、断れない。


 善意って、悪意より厄介だ。

 悪意なら無視すればいい。嫌がらせなら怒ればいい。でも善意には善意で返さなきゃいけない空気がある。返しても返しても、次が来る。際限がない。

 前世の会社で「感謝の気持ちを形に」とか言って残業を押しつけてきた上司を思い出した。あれも善意のつもりだったんだろう。たぶん。


 夜になった。

 一人になりたかった。ただそれだけの望みを叶えるために、集落の外れの丘まで歩いた。

 草の匂いと、冷たい夜風。頭上には見たこともないほどの星が広がっている。ようやく息がつける。


 背後で、枯れ枝を踏む音がした。


「お一人は危険です、大賢者様」


 振り返ると、申し訳なさそうな顔をした護衛が二人、松明を持って立っていた。

 心配そうな目をしている。本気で俺の身を案じている。


「……帰れ。俺は一人で大丈夫だから」

「しかし──」

「帰れって」

「はい……ですが、万が一のことがあれば──」


 堂々巡りだ。この護衛も善意で動いている。命じられたからじゃない、本気で心配しているから離れられないんだ。

 怒鳴れない。怒れない。だって悪いのは俺じゃないし、こいつらでもない。

 善意の檻には鍵がかかっていない。だから余計に逃げ場がない。


「あんたら、今日はもう休みなさい。あたしが見とくから」


 丘の下から、マーレンの声が上がった。護衛たちが顔を見合わせ、渋々と去っていく。

 マーレンは草の上にどかっと腰を下ろした。


「あんた、顔色悪いわよ」

「……そうか」

「一日中、あの調子でしょ。そりゃ疲れるわ」


 否定しなかった。否定する気力もなかった。

 星が綺麗だ。こんなに星が近い夜空は、前の世じゃ見たことがない。


「なあ、マーレン」

「なに」

「一人の時の方が、楽だったな」


 マーレンは少し黙ってから、口を開いた。


「そうかもね。でも一人じゃ、あの魔物の群れは乗り越えられなかったでしょ」

「……それは、まあ」

「面倒なのよ、人ってのは。あたしも旧大陸で嫌ってほど思い知った」


 マーレンの声が、静かに夜風に溶けた。


「でもまあ、面倒な分だけ……悪くないこともあるわよ。そのうちね」


 俺は返事をしなかった。空を見上げたまま、ただ黙っていた。

 面倒だ。本当に面倒だ。一人で始めた拠点が、いつの間にかこんなことになった。


 しばらく沈黙が続いた後、マーレンが声の色を変えた。


「それと、もうひとつ。食料の配分、もう揉め始めてるわよ。『俺たちの方が働いてるのに取り分が同じなのはおかしい』って」


 マーレンの声が、妙に静かに響いた。

 ……人の善意だけじゃない。人の不満まで、俺に向かって流れてくるのか。

お読みいただきありがとうございました!


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