第9話 沈黙の行商人と、等価交換の代償(サーヤ・アイザックの場合)
「こんにちはー!」
元気な声とともに店に入ってきたのは、いつも溌剌とした笑顔が印象的な行商人――サーヤ・アイザックだ。
長年、俺が卸している品を各地で売りさばき、時には貴重な情報まで持ち帰ってくる、実に優秀な商人である。
「おう! 出来てるぞー」
彼女が先日注文していった商品を、カウンターの上に並べる。
「ありがとうございます、イオリさん! これでまた一儲けできますよ!」
にっこりと笑うサーヤ。その表情からは、商売への確かな手応えと自信が滲み出ていた。
「……あ、そういえば聞きましたよ、イオリさん」
検品をしながら、ふと彼女が口を開く。
「また“やらかした”みたいですね?」
「人を犯罪者みたいに言うな。俺は普通に、お客に合わせた装備を作っただけだって」
「ふーん? 王城で鉄球を振り回すメイドさんが爆誕したって噂、商人の耳にはすぐ入るんですよ?」
さすがはガチ商人。
世間話を装いながら、最新情報を自然に差し込んでくるあたり抜け目がない。
こういう話術こそが、彼女たちの命綱なのだろう。
サーヤは前髪を軽く払うと、少し猫背気味になって商品を覗き込んだ。
何かに没頭している時の、あの独特の姿勢。
――その瞬間だった。
薄茶色の髪と瞳。
地味で素朴な顔立ちだが、笑顔は柔らかく人懐っこい。
少し癖のある髪は三つ編みのハーフアップにまとめられ、ぴょこんと跳ねたアホ毛が一房。
(……あ)
脳裏に、雷のような衝撃が走った。
いや、違う。
これは雷ではない。
静寂という名の轟音だった。
――黒を基調とした「七賢人」のローブ。
――魔術学園の制服。
――世界を書き換える、沈黙の詠唱。
「サーヤ……明日、時間あるか?」
「え? まあ、しばらくは王都で荷をまとめるつもりですけど……どうしたんですか、改まって」
「明日、もう一度ここへ来てくれ。……頼む」
これは天啓だ。
俺の職人魂が、これまでにない“奇妙な制約”を求めて震えていた。
ーーー
夜。工房の静寂の中で、俺は一枚の布切れと向き合っていた。
今回のテーマは――沈黙。
言霊を介さずとも天地を震わせる絶大な力。その代償として支払うのは、他者との接点を断つ孤独――ソリテュード。
まずは、ローブ。伝説に謳われる「七賢人」の系譜を継ぐ者の証。
俺は、闇を凝縮したかのような深い黒の生地を選び抜き、その裏地に魔力伝導を極限まで高める魔法陣と幾何学紋様を精密に刺繍していく。
次に、魔法学園の制服。
一見すれば、王都にある名門校のどこにでもある、品の良い学生服だ。
だが、俺が仕立てるそれは、単なる学び舎の制服ではない。
「……まずは、この襟元のカッティングだ」
指先で生地をなぞり、ミリ単位で調整を加える。
知的で禁欲的な印象を与える詰襟のライン。
そこには、着用者の喉をわずかに圧迫し、不必要な発声を封じる制約の術式を編み込んだ。
声を出すという“余計な儀式”を削ぎ落とし、魔力を純粋な思考だけで練り上げるための構造だ。
上着には、詠唱短縮の魔法回路を多重に折り重ねて縫い込んでいく。一針ごとに、俺は「沈黙」という概念そのものを縫い止めていった。
縫い進めるほどに、布地は意志を持つかのように重みを増していく。
清楚な学生の姿をしていながら、その実体は世界を容易く書き換える魔法使い。
そのギャップを具現化するかのように、俺は最後の一針を突き通した。
気づけば、工房の窓の外は白み始めていた。
机の上に置かれたその制服は、朝日に照らされながらも、周囲の音を吸い込むような――異様な静寂を纏っていた。
ーーー
翌日。
サーヤは約束通り、律儀に店を訪れてくれた。
「イオリさん、来ましたよー……って、その目のクマ! もしかして、噂のS級装備を作ったんですか!?」
「S級かは知らんが……サーヤ、これは君のための専用装備だ。着てみてくれ」
俺が一式を差し出すと、彼女は目を輝かせ、ウキウキした様子で試着室へ消えていった。
――しかし。
数分経っても、彼女はなかなか出てこない。
「どうした、サーヤ。出てこいよ」
「あ……うぅ……あぅ……」
おずおずとカーテンから顔を覗かせた彼女は――
完璧に「沈黙の魔女」そのものだった。
華奢な身体にぴたりと合う、上質な素材で仕立てられた魔法学園の制服。
薄茶色の髪は、地味ながらも整った可愛らしさを際立たせている。
いつも快活な彼女は影を潜め、今はただオドオドと視線を泳がせていた。
「完璧だ! 思い描いた通りだ!!」
「あぅ……ひぃっ……!」
俺と目が合った瞬間、彼女はビクッと肩を震わせ、慌てて視線を床に落とす。
「そうだ! 魔法を使ってみてくれ。大丈夫だ、頭の中で唱えるだけでいい。無詠唱でいけるはずだ!」
俺が力説すると、サーヤはおずおずと手を前に突き出した。
次の瞬間――彼女の周囲に目に見えないほど高密度の魔力が渦巻き、工房を揺るがす猛烈な突風が巻き起こった。
「おお! 完璧だ! 天才魔道師の再来だな!」
「す……すご……い……でも……っ」
「そうだ、これも渡しておこう!」
俺がさらに漆黒のローブを差し出すと、彼女はそれをひったくるように受け取り、深く被った。
顔を隠すと多少は落ち着いたようだが、それでも小刻みに震えている。
「す、凄すぎるんですけど……な、何か、喋ろうとすると……喉が、詰まって……っ」
「ああ! 『コミュ障』という呪いに近いリスクを背負うことで、人知を超えた無詠唱を実現したんだ」
「こ……コミュ障……?」
「人との会話や交流に極度の苦手意識を持ち、他人の視線が怖くてたまらなくなる状態のことだ!」
その説明を聞いた瞬間――
サーヤは脱兎のごとく試着室へ駆け込み、猛スピードで着替えて飛び出してきた。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思いましたよ!!」
「なんだ、着替えちゃったのか」
「当たり前です!! 商人がコミュ障になってどうするんですか!! 笑顔とトークが売りなんですよ私は!」
「……不味いか?」
「不味いどころか死活問題です! 商人にとって情報交換は命! 人に会うのが怖くなったら、仕入れも交渉も一歩も進みません!」
鬼気迫る剣幕に、思わず後ずさる。
「お、おう……それは……そうだよな……」
「はぁ……それでイオリさん、これって私専用なんですよね?」
「んむ! サーヤ・アイザック専用、世界に一点ものだ!」
「じゃあ、他の方に売ることもできませんね……」
売る気だったんかい! と思ったが、そこはさすが商人だ。
「仕方ありません。せっかく作っていただきましたが、お返しします。さすがに使いこなせません」
「えっ、貰ってよ! サーヤのために作ったんだ」
「いえ、こんな凄いもの、対価も払えませんし」
「いいって。タダでプレゼントするよ」
「えぇぇ!? そんなこと言われたら逆に怖いですよ!!S級装備なんて相場でいくらすると思ってるんですか!?」
サーヤは眉間に皺を寄せ、本気で困った顔をしている。だが、その困惑顔さえ、何だか面白いと思ってしまう自分もいた。
「いやいや、S級装備だとしても専用装備なんだ。ミーアが貰ってくれなきゃ、ただの服でしかないんだよ。俺にとっては『着てくれた』それだけで十分だ。いつかサーヤがピンチの時に役に立てば、それでいい」
「……そういうことなら、わかりました。じゃあありがたくいただきます。その……いずれ必ず何かで『お返し』しますので。商人の信条として!」
苦笑しながらも、最終的には受け取ってくれた彼女は、制服とローブを丁寧に畳み始めた。
「しかし、使い方は考えなければいけませんね……これ、喋らなくていいなら、かなりの強装備ですし」
「旅の途中で使えばいいだろ。モンスターや山賊が出た時、サクッと『無言』で対処できる」
「なるほど……旅での出会いや情報交換も大事ですが、命には代えられませんね」
そう言って笑う横顔には、いつもの抜け目ない商人の表情が戻っていた。
ーーー
後日。
王都へ向かう街道で、凶悪なモンスターの強襲を受けた行商人団がいた。
全滅を覚悟したその時、最後尾にいた一人の少女が、漆黒のローブを深く被り――
一切の呪文を唱えることなく、指先一つで森を切り裂くような暴風を呼び起こし、モンスターを瞬殺したという。
目撃者は語る。
「助けてくれたあと話しかけたら……小刻みに震えながら、光の速さで逃げていったんだ。あれは一体、何だったんだ……?」
真相は、サーヤとイオリだけが知る。
ーーー
【アイテムデータ】
【S級】沈黙の叡智・魔道衣(サーヤ・アイザック専用)
素材: 魔法銀糸 × 沈黙草の繊維 × 賢者の羊毛
特徴
・完全無詠唱: あらゆる魔法を、言葉を介さずに発動可能。
・魔力演算補正: 思考速度が飛躍的に上昇する。
・呪い:【極度のコミュ障】
着用中、対人コミュニケーション能力が著しく低下。
視線を合わせるだけでHPが削られるような錯覚に陥る。
特殊装備:【七賢人のローブ】魔力強化。軽度の緊張緩和。
備考:商談には絶対に向かない。




