第11話『トイレのテケテケ人体模型』
空は青さを消失し、完全に橙色になっている。目の前に見える太陽は、もうすぐ地平の彼方へ沈み、今日の役割を終えるだろう。
学校からの帰り道、僕ら四人はある程度家が近いから、同じ道で帰っていた。
「そういえば美知ちゃん、そもそも人体模型ってこの学校のどこにあったの?」
「化学準備室です。今日確かめてきました」
化学準備室は一階の化学室の隣にある。中に入ったことはないが、廊下から中を覗いた時に意外と物が少なかったのを覚えている。
「化学準備室って鍵が閉まってないのか? もし閉まってるなら、鍵を職員室に借りにきた奴がトイレに人体模型の上半身を持ち込んだ犯人になると思うが」
僕の言葉に最神は首を横に振る。
「今日、時間を空けて何度か確認しましたが、鍵は閉まっていませんでしたよ。関係者以外立ち入り禁止のテープがありましたけど。というか、そんなに簡単に解ける問題なら、この天才がとっくに解いてますよ」
「……そりゃあそうか」
というか、関係者以外立ち入り禁止の化学準備室から人体模型が一度持ち出されたというのに鍵を閉めないとは、普通に考えて、ありえない。この高校は杜撰としか言いようがないな。
「みんなは人間が人体模型を持ち出したって考えてるけど、勝手に動き出したって線はねぇのか?」
雑駄があまりに真面目な表情でそんなことを言うので、継印は「あはははっ!」と吹き出した。
「あるわけないでしょ。人の形をしていても模型なのよ? 動くわけがないわ。そもそも今回の場合は下半身がないの、歩けるわけがないわ」
継印はバッカみたい、と言いつつも、ツボに入ったのか未だ笑い続けている。継印は妙に饒舌だった。まるで、怖さを誤魔化しているような。雑駄は「いやぁ、そうかぁ?」と真剣な眼差しで継印を見る。
「それ、いいですね」
最神が口を開くと、継印はなんとか笑いを収め、「どういうこと?」と出来るだけ真剣な表情をした。
「噂の方向性ですよ、私は人脈を駆使して例の話を広める予定ですからね。動き出した人体模型、とか話としてはすごく良さそうです。霊の話、になるかもしれませんが」
なるほど。動き出した人体模型、常に新しい刺激を求める高校生にはうってつけかもしれない。
「なら、学校の七不思議になぞらえて噂の詳細なタイトルをつけたらどうだ?動く人体模型、とかは聞いたことがあるが、それだけだと王道過ぎるだろ?」
「ナチュラルに私のギャグをスルーしないでください。あれ、横文字が多いですね、意図するところではないのですが。閑話休題、噂の詳細なタイトル、ですか……」
最神は下を向いて黙り込んでしまった。どうやら真面目に考えているらしい。
「……トイレのテケテケ人体模型、というのはどうでしょうか?」
詳細過ぎる。しかも学校の七不思議の定番を詰め込んだかのようなタイトルじゃないか。だが噂を広めるには良いタイトルのような気もする。トイレの花子さん然り、学校の七不思議が日本では有名なのは、語呂が良かったりするからだ。それを詰め込めば噂も広まりやすい……はずだ。
「めっちゃいい! 美知ちゃんセンスあるわね!」
「かっこよくて、俺も良いと思うぜ!」
継印と雑駄が最神の案を興奮しながら絶賛した。センスがあるかは僕には判断できないが、少なくともかっこよくはないと思うぞ。
すると案の定、最神は誇らしげな顔をして、
「私は天才ですからね、これくらい当たり前ですよ」
天才は自分を天才と呼ばない、とは世間でよく言われるが、最神美知は本当に本物の天才だ。だから質が悪い。最神は僕の肩に自分の肩をぶつけて微笑んだ。
「民野くんはどう思いますか?」
「……別に、僕はいいと思うぞ」
「よかった」
最神は何故かふふっ、と笑う。もしかすると、僕は五秒で相手を笑顔にできる天才なのかもしれない。
「明日が楽しみですね」
調査をするのは僕だけだがな。
※※※
翌日、登校してから学校内にはとある噂が流れていた。その噂の内容はこうだ。
この学校では、毎年この時期に恐ろしい怪物、トイレのテケテケ人体模型が顕現する。トイレのテケテケ人体模型は文字通りの風貌で、一階のバリアフリートイレに、上半身だけ、人体模型の姿で顕現する。それを見たものは不治の呪いにかかってしまい、無事に生きて学校から帰れなくなってしまう。
「……随分と話を盛ったな」
「仕方ありませんよ、噂を広めるためには中途半端なお話ではいけませんから」
僕は部室で椅子に座って小説を読んでいる最神とそんなことを話した。
無事に生きて帰れない、というのはあまりに物騒すぎる。そして毎年顕現する、というのは余計だ。この話を解決しお手伝い部が解決した、と噂を広めるときに毎年トイレのテケテケ人体模型が現れる理由を説明しなければならない。それを最神に言うと、最神は弾けるような笑顔でこう返した。
「民野くんならよゆーです。頑張って」
根拠のない応援は、かえって心配になる。というか、僕が調査をするときには他の部員全員は家に帰っているのだ。僕は一人で調査しなければいけない。ちょっと腹が立つな。最神は何も心配していない、というような笑顔を僕に見せるがそもそも、本当にトイレのテケテケ人体模型が現れるのかも分からない。
「わざわざトイレに人体模型が現れるまで待つ必要はあるのか?」
さっきから継印に数学を教わっている雑駄が横から口を出してきた。
「ええ、ありますよ。私たちは人体模型を持ち出した犯人を特定するのではなく、何故、持ち出したかを特定するだけでいいのです。犯人を捕える必要はありません。噂は現実味を帯び過ぎるとかえって白けてしまいますからね」
雑駄がなるほど、と言うと継印が「いいからあんたは勉強しなさい」と言って雑駄の頭をポン、と叩いた。雑駄は辛そうな顔で再びシャーペンを握る。
「デレちゃん、雑駄くん、そろそろ時間ですよ」
最神がそう言ったので、部室の時計を見てみると時刻は十七時二十分だった。継印は「いけないっ!」と言って急いで席から立ち上がる。
「私、生徒会の別の部署の子と帰る約束あるからもう行くわねっ! 皆んなまた月曜日!」
継印はそう言うと部室を飛び出した。勉強を教えられていた雑駄も机の上の筆箱をリュックにしまい、ゆっくりと立ち上がった。
「俺も今日発売の漫画を買わなきゃいけねぇから帰るぜ。三郎、最神さん、じゃあな」
「ああ、ちゃんと金払えよ」
「きちんとお金を払ってくださいね」
「いつも払ってる!」
雑駄はまだ何か言い足りないようだったが、何も言わずに部室を出て行った。
「私は今日提出の保険のプリントを提出してから帰りますね。元々完成してはいたのですが、提出するタイミングを逃したのです」
最神は鞄から完成しているプリントをひらひら僕に見せて、立ち上がった。
「あー、あれか、先週の。僕は確か……提出してたわ。気をつけて帰れよ」
僕の言葉に、最神は驚いたような顔をし、しばらく黙り、その後口角を上げた。
「人のことを心配する余裕があるのなら、やはり民野くんには今回の事件は余裕です」
最神は続けて「お疲れ様でした、月曜日、今回の真相を教えてくださいね」と言って部室を出て行った。
僕は部室に一人になり、もう一度時計を確認した。時刻は十七時二十三分といったところ。
よし! そろそろ予鈴のチャイムも鳴るし、教師に腹痛を訴えるか。
僕は部室の鍵を職員室に届ける際、近くにいる教師に腹痛を訴えることにした。衝動殺人より計画殺人の方が罪は重い、だがそのどちらもバレなければ罪はない。今回の計画腹痛も、バレなければいいのだ。
部室の鍵を持って職員室に向かっている最中、予鈴が鳴った。つまり現在の時刻は最終下校時刻の五分前、十七時二十五分ということだ。
もう既に、上半身しかない人体模型は一階のバリアフリートイレにいるのだろうか。そう考えると僕は緊張してきた。今まではお手伝い部の活動をするとき、僕は一人じゃなかった。いつも隣には天才が居た。僕が役に立たなかったとしても、結局は天才が全て解決してくれると思っていた。
だが今回は違う。今回は僕一人の力で解決しなければならないのだ。本当に、僕に出来るだろうか。
そんなことを考えていると、職員室の前に着いた。僕は職員室の扉を開き、所定の位置に鍵を戻す。そしてちょうど近くに男性教師が通りかかったため、あの、と呼んだ。
「すみません、急にお腹が痛くなっちゃって。治ったらすぐにトイレから出て帰るので、一階のトイレを使ってもいいですか」
教師は「うん、全然大丈夫だよ。急がなくていいからね」と言った。僕は感謝し、職員室から出た。
僕は廊下を歩き、一歩一歩ゆっくりと歩みを進める。お腹が痛い生徒なのだ、あんまり早く歩いていたら不自然だろう。そんな言い訳を頭の中で繰り返した。
不安と不安と不安が入り乱れる頭の中で、僕は不安を感じていた。ここまでの不安は、人生で初めてかもしれない。
一歩歩くごとに不安はより増していく。高校に入学する前は、こんな不安を感じたことはなかった。なのに、今は何故こんな気持ちになってしまっているのか、それは隣に天才が、神が、美少女が、居ないから、そして居たからだろう。
彼女が居れば、最後には何とかしてくれる、そんな甘い考えを消すように僕は頭を振った。今は彼女は居ないのだ、自分で何とかするしかない。そう心を固める。
気づけばバリアフリートイレの目の前に着いていた。まず、バリアフリートイレを慎重に観察してみると、電気がついていないことに気がついた。
前回は、電気がついていたそうだが、今回はついていないのか。
もう既に前回とは違う。本当にトイレの中には上半身だけの人体模型があるのか心配になったが、油断はしない。
トイレに独特な雰囲気はなかった。中に何かが入っているような気はしないし、怪奇の怪気が溢れているわけでもない。
鍵は閉まっていない、トイレの中に入れる。僕は一度、二度、三度、深呼吸をする。もう時間はない、僕は覚悟を決めて扉を開いた。
中は暗くて、見づらかった。だけどトイレの便座には、
体が上半身しかない人体模型が座っていた。