17.適切な処置を施すまでは
「いかがですか?」
辺境伯様に様子を伺うと、彼は左腕を確認しながら調子が良さそうに頷く。
「ありがとう。問題ない」
「それはよかったです」
五日前、初めてお会いした辺境伯の左腕は氷のようにひどく冷たいものだった。
高級魔物、氷龍につけられた傷のせいで徐々に体温を奪われていた彼に対して『もしかしたら……』と私が唯一使える熱魔法を使ったところ効果があることが判明。
ーーこれで少しは一安心。
そう思ったのも束の間、その熱は一日しか持たないことがすぐに分かった。次の日の朝に冷たくなることを確認してからというものの、毎朝決まった時間に彼の執務室に尋ねては魔法をかけていた。
一度だけ熱魔法をかけた時に辺境伯様がほっとした表情を見せてくれたことがあった。そのことに気づいた私は、身が引き締まる思いだった。
彼は何も言わないし、あまり表情にも出ないから分かりづらいが、怖くないはずがない。寒い日に熱を奪われる感覚とは違う、身の内にある体温が少しずつ消えていく感覚はまさに肝が冷える思いではないだろうか。
それなのにこの状況を使って彼は王族を動かした。
強い人なんだなと思うのと同時に、分かりづらい彼の抱えたその恐怖を少しでも和らげられたらいい。そしてこの処置で少しは進行が遅くなっているといい。
先ほど魔法かけた左腕を観察しながら、適切な処置を施すまでは油断できないなと思っていた。
手紙を送った治療魔法士の彼、オリヴィエに届くのは恐らく一ヶ月後。
少しばかりゆっくりだが、それでもあの魔道具は私からの手紙を確実に届けてくれるものだ。途中で妨害を受けることも偽者に届くこともない。確実に本人宛。
そして届いた後は、彼のことだから鬼のような速さでここに駆けつけてくれるだろう。
「西の森に入る日が決まった。一週間後にここから出発する予定でいる。準備をしておいてくれ」
魔法をかけた左腕から視線を上げる。辺境伯様と目を合わせながら一度こくりと頷く。
「分かりました」
「まず君には高級魔物が出た場所を見てもらいたい」
「実際の現場検証ですね。必要な魔道具をいくつか見繕っておきます。他にも何か必要なものがあれば前日までに言っていただけると助かります」
「前日までに? あーー……そういえば今日、だったな」
腕まくりを解きながら辺境伯様は私の今日の予定を思い出したようだ。
「はい。先日お話しした通り、今日から新居に移ります。明日以降は指定された時間に邸へお伺い致しますので」
そう、私は今日この邸を出る予定となっている。
出て行けと言われたわけではない。自らの意思でここを出ていくことを決めていた。
「私は別にこの邸に居ても構わなかったのだが」
「いいえ。そういうわけにはいきません」
この邸を出て町で生活をすると話した際、ありがたいことに辺境伯様は西の森の魔物増加の件が解決するまでこの邸に居てもいいと言ってくれた。
けどそれでも私は出て行く意思を頑なに曲げなかった。
解決するのは一年や二年の話じゃない。数年、下手したら数十年かかるだろうし、生きている間に解決するとは限らない。
つまりは、その間ずっと居座ることになる。
私はこの家の者じゃない。家族や兄弟、ましてや特別な関係でもない。
私がいることで未来の花嫁さんと辺境伯様の仲が深まらない事態になってしまっては恩を仇で返すこととなる。そのような相手がいるのか定かではないが、今後のことも考えて私は拒んだ。
それに十分よくしてもらった。
これからは任務をこなすことで返していきたいと思っている。
「理由もなくこの邸に居座れませんから」
「まあ無理強いはしないが。つまりちゃんとした理由付けがあればいいということか……」
「え?」
後半、声が小さくなり何を言っていたのか私の耳には届かなかったが、考え事をしている様子の辺境伯様に追求することはしなかった。
その後二、三度会話をし「荷物をまとめてきます」と執務室を出て、与えられている部屋へと戻った。
昨日のうちにある程度の準備を済ませたので、あとは机の上に置いてある荷物をカバンの中に納めれば完了だ。
収納魔道具というものは本当に有能で、荷物が多くて大変、重くてしんどい、ということがない。実に便利な代物だ。
元々持っていた一つを除く、それなりの値打ちの品を二つも手に入れるのは容易ではなかったがかなり満足している。
私は三つの中から黄色の取っ手の収納魔道具を開く。
そこには赤色の収納魔道具のような集めに集めた魔道具ではなく、生活に必要な物が入っている。
「うん、全部収まっている。大丈夫」
この一ヶ月で増えた物を確認する。そんなに多くはないが、五日前に領地へと戻っていったフローラ様からもらった紅茶のティーバックなどがあった。
『草を食べるのではなく、こ、こちらを飲みなさい!』
そう言って別れ際に照れ臭そうにしながら渡してくれたフローラ様の表情を思い出して笑みが溢れる。本当に可愛らしい人だった。
まずは飲み物を入れるマグカップの調達をしないと。
辺境伯邸で紅茶を飲んでも良かったのだが、なんとなく自分で淹れて一人で落ち着いたタイミングで飲みたかったのだ。
町に出たら買い物をして新居へ向かおう。
そんなこと考えながら私は約一ヶ月お世話になった部屋を見渡し、お辞儀をして後にした。
お世話になった人たちに挨拶をしながら再び執務室へ向かって歩いていると、目の前から辺境伯様が歩いてくるのが見えた。
彼も私に気づいた様子ですぐに近寄ってきた。
「もう行くのか?」
「はい。早めに出ようかと思いまして」
「そうか。このあと何か予定があるのか? 行く前に少しだけ時間をもらいたいのだが」
「あ、いえ。予定という予定は特には。ただ少し早めに出て買い物でもしながら新居に向かおうかと思っただけで。あの、何かお手伝いすることが?」
こうして辺境伯様のお手伝いをすることも容易ではなくなるわけだし、ここを出て行く前に何かお役に立てれば、と要件を尋ねると、彼はほんの僅か口角を上げて笑みを見せた。
「これまでの感謝を込めてお昼をご馳走させてくれないか」
「……え?」
「個人的に感謝しているんだ。どうしようもなかった状況を君の魔法のおかげでいい方向へと進んでいる。せめて最後くらい良いだろう?」
「いえいえ、いつも良くしてもらっているのに貰いすぎです!」
ここに置いてもらっただけでも感謝しているのに、いくらなんでも貰いすぎだ。こんなにたくさん貰っては、何か跳ね返りがありそうで怖い。
「君は私の思いを無碍に扱うのか?」
十分良くしてもらったことを全面的にアピールをしてこの場を乗り切ろうと思ったのだが、辺境伯様の一言でむしろ断る方が申し訳なくなった。
「うぐっ……ずるいですよその言い方」
「ははっ。ありがとう」
柔らかな微笑みで感謝を述べる彼に私はもう何も言えなかった。
この五日間を一緒に過ごして、初めてお会いした時から少しだけ印象が変わった。最初こそ警戒心剥き出しの鋭い印象だったが、人思いな一面を見てしまったことですぐにその印象は消え去った。みんなが言っていた通り、厳しいけど思いやりのある優しい人。
時折こうしてずるい言い方もするけど、むしろ仲良くなっている気がした。
結局私は辺境伯様の誘いを断ることができず、町に行くついでにご馳走してもらうこととなった。




