12.氷のように冷たい
「そろそろお兄様がいらっしゃると思うわ」
「はいっ」
「ふふっ、緊張しているのかしら?」
「そ、それはもう!」
辺境伯様が帰還すると連絡があって、さらに二日後。
この邸に来て最初に通された応接室へ再び訪れていた。
すでに辺境伯様は帰ってきており、諸々の準備をしたのち、この部屋へ足を運ぶとのことだった。
私は先にフローラ様と応接室で待機し、辺境伯様がくるのを今か今かと待ち侘びている。
名前と爵位くらいしか知らないフレデリック・ハイド辺境伯様という人物。
西の森の管理人である彼の容姿を想像してみるが、フローラ様の容姿につられて思うように形作られない。まあでもフローラ様があまりにも素敵だったため、血筋的にきっと美人なんだろうなと勝手に想像する。
そしてフローラ様やアミィ伯爵様、その他実際に彼と会ったことある人から話を聞く限り、内面的な部分は結構厳しい印象を持った。だがその厳しさも相手のためを思っての発言や行動らしく、信頼に厚い人であるらしい。
仲良く、とはいかなくてもそれなりに信頼関係が気づけたらいいなと思っている。
「あ、来たみたい」
廊下から響く堂々とした足取りは、この邸の主である辺境伯様のものだろう。
ふうとフローラ様に気づかれない小さな深呼吸をして背筋を伸ばし、扉から入ってくるであろう主を待った。
「失礼致します」
トーマス様の声と共に開かれた扉から入ってきた辺境伯様に、自分が息を飲むのが分かる。
実際に会うまでは、どんな空気をまとった方なんだろうと想像を膨らませていた。
フローラ様があんなにも素敵なのだから同じかそれ以上かもしれないと。
そうして実際に目にした彼は想像以上だった。
非の打ちどころのがない整った顔に、透き通ったサラサラの金の髪。服の上からでも分かるほどよく引き締まった体が、変に筋肉の鎧担っておらず、なんだか妙に色っぽく感じてしまう。それから目を惹くペリドットの瞳は厳しくも見え、その実温かさも感じられるような綺麗な色をしていた。
なるほど、この方が西の森を統べるお貴族様か。
そんな彼の姿勢よく優雅に歩く姿に思わず見惚れていた、のだが。
「……?」
よくよく辺境伯様を見ていると、妙な違和感を感じた。
何かがまとわりついているような、パッと見は何も無いように見えるが、目を細めて辺境伯様をよく見ると靄のような黒い砂塵の何かが左肩に見えるような気がした。
ドクンと嫌な予感に思わず自分の心臓に手を当てる。
気のせいとするには見えすぎるそれを確かめるべく声を出した。
「少し、失礼致します」
初対面で失礼かと思ったが、一言声をかけ、ずいっと彼との距離を詰める。彼が訝しげな表情をするのは分かっていたが、今はそれよりも確かめなければいけない。
そして近くに行けば左肩から黒い砂塵が放出されているのがハッキリと見えた。
これは魔物に負わされた傷、魔傷の残滓だ。
しかも中級以下では付かない高級魔物の残りカスだろう。
高級魔物となると、早急に何かしらの処置をする必要があるため私は彼に向かってこう言った。
「左肩の傷を見せてください」
左肩を見せるように言うと、その場にいる全員の息を飲む声が聞こえた。
見せろと言われた本人は、なぜ左肩に傷があるのを知っているのかといいたげな表情だ。
「いいから早くしてください」
「……分かった」
少し躊躇いを見せた辺境伯様はその後すぐに了承してくれた。
ベストを脱ぎ、ワイシャツのボタンも丁寧に開けていくが。
「……っ」
その途中、ほんの一瞬顔を顰めたように見えた。注意深く観察をしていないと気づかないもので、左肩の傷を見た後に問いただそうと頭の中でメモを取る。
そして最後のボタンを開け、ばっと勢いよくシャツを脱ぐと引き締まった体があらわになる。普段であればドキッと顔を覆って恥ずかしくなる光景なのだが、今そんな頭は私にはなかった。
「あとで巻き直しますので包帯を取ります」
傷口を確かめたく、そう促す。さすがに一人では難しかったため、近くにいたトーマス様にも協力してもらい包帯を取ると、そこには痛々しい魔物の爪痕がくっきりと残っていた。
「これは……」
やはり高級魔物の爪痕で間違いない。思っていたよりは傷はそう深くは無いが、残滓を残す厄介な魔物に付けられた傷だろう。
頭の中の辞書を引っ張り出し、該当する魔物に検索をかける。思いつく限りでは五種。
先ほど辺境伯様が一瞬顔を顰めたように見えたことを思い出し、二種まで絞る。
そして私はそれを一種に絞るため、彼の両手を握った。
右手は人の平均的な体温を感じたが、左手はまるで氷のように冷たかった。
「……っ!」
辺境伯様は私の行動に驚いて手を払振りおうとするが、力を込めてそれを阻止する。
黒い砂塵……体温低下……高級魔物。やはり間違いない。
「高級魔物、龍に分類される水龍……いや、氷龍に遭いましたね?」
「……っ、わ、分かるのか?」
「傷の具合と体温低下という特徴で大体の予想はつきます」
氷龍。龍に分類される魔物の一種で、大きさは十メートルをゆうに超える。
強靭な爪を持ったその魔物は一振り目にその爪で獲物を捉え、二振り目で獲物に深く傷をつけ、いたぶって殺し、喰らう。
そしてたとえ逃げられたとしても爪で傷をつけられれば、獲物が氷龍の特性で弱るまで必要以上に追いかけ回すのだ。
その特性というのは獲物の体温を奪うこと。
次第に感覚がなくなっていき、気づいた時には氷龍の腹の中というわけだ。
「この傷でよく逃げ切れましたね。倒したんですか?」
「一人ではなかったからな。とはいえだいぶ苦労したが」
「他にも怪我を負った人はいますか?」
「いや、私だけだ」
もう一度冷えた左手を掴み、指先から少しづつ体温の確認を行う。そして肘あたりで明確に温度の差があった。ここが境界線か。
「この傷、何日経過していますか?」
「だいたい三ヶ月ほどだ」
三ヶ月でこの進み。襲った氷龍はまだ子供だったのだろう。大人の氷龍であれば一日として持たないはずだ。これだけの期間を開けておきながら特性の進み具合が肘のところまででなのは、ある意味幸運だったかもしれない。
「放置すれば徐々に体温が低下し、心の臓に達すれば命の危険があります」
「だが医者は」
「人族の医者ではダメです。早急に治療魔法師あるいはそれ以上の専門の治療が必要です」
そう言って私はちょうど持ってきていたカバンの中から、取っ手が赤い収納魔道具を取り出す。
深海の闇の中を少し漁り、便箋と万年筆と小さなナイフを取り出した。
便箋には高級魔物、傷の状態、そして専門的な対応が必要である旨を書く。自分でも思っていたより動揺しているんだなと歪んだ字を見て気づく。まあでも彼ならきっと分かってくれるだろう。
そして素早く要件を書き終えた後、ピッと小さなナイフで右指に傷をつける。ぷくりと血が出てきたところで、書き終えた手紙に血を一滴垂らす。
ポトリと落ちた赤い液体は手紙にじわっと染み込むと、宙に浮いてカサカサと音を立てながら鳥の形へと変わってゆく。完全に鳥のそれになると翼をバタつかせ、近くの窓から王都方面に向かって飛んでいった。
「今のは」
「これは、私からの手紙を確実に相手に届ける魔道具です。知人の治療魔法士に手紙を書きました。彼なら治せるはずなので。とはいえ早くてもここにくるのは三ヶ月後でしょう」
その間、どうにか体温低下の進行を遅らせなければいけない。
何もせずにいれば三ヶ月後には確実に心の臓に達する。それだけは防ぎたい。
私は顎に手を添えながら思案する。
体温低下に適した魔道具があるかどうか。低下を止める、あるいは何か温かくなる魔道具があれば。収納魔道具の中身を思い浮かべようとして、ふと閃く。
……もしかすると効果があるかもしれない。私の魔法が、と。




