File.02「甘口・辛口」
◆御角 陽彩 (みかど ひいろ) 15歳
運動神経抜群だが能天気。
本作の主人公。中学三年生。
◆御角 すず (みかど すず) 12歳
陽彩の妹。小学六年生。
◆御角 照 (みかど ひかる) 42歳
陽彩の父。
昨晩から一変、今日の俺は超ご機嫌だった。それでも睡魔には抗えなかったので授業中はほとんど寝ていたわけだが。
部活動にも所属していない俺は、帰りのホームルームを終えると真っ先に学校を飛び出した。家まではそう遠くないので、鼻歌を歌っているとあっという間に自宅の玄関前まで辿り着いた。
親父は仕事で残業することが多いため、帰ってくるまでの時間はボーナスタイムだ。
俺は玄関の扉を勢いよく開く。
「たっだいま〜〜〜〜!!お兄ちゃんが帰って来たぞ〜〜〜〜ッ!!」
「にぃにおかえり、テンション高いね」
超ハイになっている兄を出迎えてくれたのは、小学六年生の妹"すず"だ。
「あったりめーだろぉ!?俺、ついに進路決めたんだぜ!」
腰に手を当て高らかに宣言する俺に対し、すずは一切表情を変えない。
「そうなの、良かったね。ほら夜ご飯作ってあるから。一緒に食べよ」
「お、おう……」
綺麗に受け流された。お兄ちゃんは悲しいぜ……
食卓にはすでに二人分のカレーライスが用意されていた。俺はそそくさと自分の椅子に腰掛けパチンと両手を合わせる。
「いただきま〜す!!!」
「いただきます」
晩飯は基本俺とすずが交代で担当し、すずが当番の時はカレーライスかオムライスのどちらかである。
今日のカレーライスはいつもよりも少し甘さが際立つ。だが美味い。さすが我が自慢の妹様だ。
「それで、にぃにはどこに進学するの?」
興味無さそうだっただけにその質問が飛んできたのは意外だったが、折角なので答えてやろう。
「聞いて驚け妹よ。お兄ちゃんはな、ヒュドール学園に入学することに決めたんだッ!!」
「あれ、にぃにもなんだ。私もヒュドール学園の中等部に行くの」
「おぉそうか妹よ!お前もヒュドール学園にいくのか――んえええええええっっ!?!?!?」
あまりにも予想外すぎる返答に思わずドデカい声を上げてしまった。親父が居ないことを再確認するために部屋中を見渡し、今度はすずに耳打ちする。
「おっ、親父にはもう話してるのか?」
「うん、もちろん言ってるよ。にぃにはまだなの?」
「あはは、なんせ今朝決めた事だからなぁ……」
つい浮かれていたが、親父に報告するという悪のイベントが待ち構えていることを思い出し、俺のテンションは急降下する。
そんな俺にすずは追い討ちをかけてきた。
「でもにぃにの学力だとヒュドールの高等部は難しいんじゃない?にぃに、運動しかできない”バカ”だし」
「グサッ!!」
やたらと”バカ”の部分を強調したすずの会心の一撃は俺の脆くなった心にダイレクトヒットした。我が妹様容赦無さすぎるだろ……
さらにすずは何かを察したのか口元に手を当て、やや上目遣いで俺を見つめる。
「にぃにもしかして、昨日助けてもらったクロッカスのお姉さんに惚れたからヒュドールに行くことにしたの?」
「そっ、そんなわけねーだろ!?俺はな、この日本という素晴らしい国を――」
「にぃに、目が泳いでる」
「ぐっ……」
これ程までに実妹に叩きのめされると返す言葉も思いつかない。俺は額を卓上に打ちつけ項垂れるしかなかった。
夕食を終えた俺は直ぐに皿洗いを済ませ、帰ってきてほしくない親父とのバトルに備え、湯船に浸かることにした。
「うひぃ〜〜〜〜……」
三日ぶりの湯船はやはり格別だった。やや高めの湯が全身に染み渡る。ぼーっと天を仰いでいると、どうしても親父のことを考えてしまう。普通こういう時に思い浮かべるのは好きな女の子とかだろ。親父大好き人間みたいですごい嫌なんだけど。
それよりも”対親父専用言い訳構築作戦”を練る必要があるな。とりあえず一通りシミュレーションしてみることにしよう。
『おい陽彩、進路はどうするんだ』
『親父っ、俺はヒュドール学園を受ける!』
『ヒュドールだとっ?何故だ』
『…すずを一人で行かせるのは親父も心配だろ?だから俺もついて行くんだ』
――即興にしては悪くないぞ。実際のところ、すず一人を学園都市に住まわせるのは心配だし、親父と二人きりになった俺の生活はさらに心配だ。そんな地獄の生活は絶対に避けなければならない。他には……
『人工知能研究に興味が湧いてさ!それで……』
いやダメだ。嘘をつくのが下手すぎてそこから何も膨らまない。そもそも俺はAIに関して1ミリも興味が無い。
『……どうしても救いたい人がいるんだ』
ここまで来ると大喜利じゃねぇか。誰だよ救いたい人って。やはり親父には正直に話すしか――
「どわっ!!!」
突如浴室の折れ戸が勢いよく開き、俺は情けない声を上げながら反射的に大事な部分を両手で覆い隠す。扉の横には顰めっ面をしたすずが立っていた。
「にぃに、さっきから大きい声で何言ってるの?パパもうすぐ帰ってくるよ?あと、私もお風呂入りたいから早くしてね」
「あっ、はい……」
そう言うとすずは折れ戸をやや強めに閉め、脱衣所を後にした。
「はぁ……」
溜息混じりに深呼吸をして俺は覚悟を決める。
「こうなったら当たって砕けろだ!」
俺は雑念を払おうと両頬を強く叩き、浴室を後にする。
すずと風呂を交代し、俺は食卓の椅子に深く腰掛ける。もうすぐ親父が帰宅してくるはずだが、この待ち時間がやけに長く感じる。耳を澄ましても、聴こえてくるのは掛け時計の秒針が刻む無機質な音と僅かに届くシャワーの水音くらいだ。
間もなくして玄関の扉が開き、親父が帰宅してきた。ちらっと俺の姿を見るや否や、特に声を掛けることもなくカレーの入った鍋を再加熱し、ふぅ……と一息つくと俺の目の前に腰掛けた。「ただいま」や「おかえり」といった普通の家庭では当たり前のコミュニケーションも、俺と親父の間ではもう数年途絶えてしまっている。もはや気まずさすらも消え失せてしまったのだ。
「……いただきます」
俺にギリギリ届く程度の小声で親父が呟くと、黙々とカレーを食べ進める。
ところが親父はものの二、三分でカレーを平らげてしまい、その場を立ち去ろうと腰を上げる。この雰囲気ではとても親父と会話ができそうにない。
親父が空になったカレー皿を持ち上げた瞬間、脱衣所の扉が開き寝巻き姿のすずが出てきた。
「あっ、パパおかえり」
「ようすず、ただいま。カレー美味かったぞ。もう寝るのか?」
「うん、明日も学校だし」
帰宅してから地蔵のように何一つ表情を変えなかった親父から笑みがこぼれるのを横目で見た俺は、兄妹間の扱いの差をひしひしと感じてしまう。近年の俺は親父との接触を避けるために自室に籠もっていることが多いこともあり、親父とすずの絡みを見ることはほとんど無かったが、どうやら相も変わらず良好といったところか。
――よし、今日は諦めよう。
俺は椅子から立ち上がり二人の視界から外れるように忍び足で自室に戻ろうとする。
「おい陽彩、何処行くんだ」
「んえっ?……部屋だけど」
親父に話しかけられるとは思わず、つい上ずった声が出てしまう。振り返ると説教モードの親父が腕を組み俺を見下ろしていた。
「今日お前の担任から電話があった。二日間学校を休んでいたこと……それに進路希望調査票、まだ出してないんだってな。もう締め切りは過ぎていると聞いたぞ。とにかく、そこに座りなさい。それと、すずはもう寝なさい」
「うん、わかった。おやすみパパ、にぃに」
「お、おう……」
明らかにテンションが下がった俺を、何か言いたげな表情でチラ見したすずはリビングを後にする。あとは頑張れとでも言いたかったのだろうか。それはともかく、親父が口火を切ってくるとは思わなかった。これはまたとないチャンスだ。
俺は唇を軽く噛み締め、再び自分の椅子に腰掛ける。一方、親父は座ることなく俺の真横まで歩み寄り、次の瞬間食卓をバンと軽く叩いた。反射的に肩が跳ね上がる。
「陽彩、いい加減遊んでばかりの生活はやめろ!お前以外の同級生は将来のことをしっかり考えているんだぞ。いつまで子供でいるつもりだ」
昨晩の説教と何ら変わりない始まり方だ。しかし今日の俺は昨日の俺とはワケが違う。俺は顔を上げ、親父と目を合わせる。俺の鋭い目つきに違和感を覚えたのか、親父は目を丸くした。
「……親父、そのことで俺からも話があるんだ」
「……そうか、話してみろ」
とりあえず第一関門は突破だ。ここで突っぱねられたらどうしようかと思ったが、その心配は無用だったようだ。そして俺は風呂でのシミュレーション通りに会話を続ける。
「親父っ、俺はヒュドール学園を受ける!」
「ヒュドールだとっ?何故だ」
よし、ここまでは完璧だ。
しかし、何かを察したかのように続けられた親父の一言に俺のペースは完全に崩される。
「陽彩お前、まさかとは思うが昨日助けてもらった姉ちゃんに惚れたからヒュドールに行くことにしたとか言わないだろうな?」
「そっ、そんなわけねーだろ!?俺はな、この日本という素晴らしい国を――」
「陽彩、目が泳いでるぞ」
「ぐっ……」
終わった。はい終わりました。無限ループのごとくすずと全く同じ返答をしてしまった。まさかすずと親父が同じ着眼点で攻めてくるとは思わないだろ。これがデジャヴというやつか。
呆れたように親父は食卓に肘をつき、両手を組んでそれを額に押し当て深い溜息をついた。
「……陽彩」
「……はい」
「とりあえず、顔を上げなさい」
俺は恐る恐る目線を親父の方に向けると、意外なことに親父の表情は厳かなものとは一変、どこか和らいだものに変わっていた。
「俺はな、お前に自身の判断を決して後悔して欲しくないんだ。ヒュドールに行くってのは生半可な覚悟で決めていいようなものじゃない。入試もそうだが入学してからはもっと過酷だろう。俺は正当な理由があれば否定もしないし別に止めもしない。これは大事な話だ。嘘や建前なんて必要ないからお前の正直な気持ちを俺にぶつけてくれ」
親父は俺の瞳を真っ直ぐ見つめ、俺の返答を静かに待っている。恐らく親父は俺に対して父親としての責任を感じているのだろう。
俺はとんだ勘違いをしていたようだ。親父は俺のことを完全に見捨てているものだと思っていた。『好きの反対は無関心』というように、そもそも俺を嫌っていたら叱ることすらしないだろう。親目線であれば息子に危機感を持って欲しいと考えるのはごく当たり前のことで、親父は言葉遣いが少々荒々しいだけだったのかもしれない。
そうこう色々考えるうちに、非があるのは自分なのだと確信が持てた。家出をしたのも、こうやって進路選択を先延ばしにしているのも。俺は席を立ち、親父に対して深々と頭を下げた。
「親父、今までごめん」
「どうした急に」
「俺が不甲斐ないばっかりに親父には散々迷惑かけちまった。中学入ってからろくに勉強もしないし親父と口も聞かなくなっちまったし。ただ、昨日の夜死にかけてようやく分かったよ。俺はこれ以上他人に迷惑かけちゃいけねぇ。これからは誰かのために生きなきゃいけないんだって……」
親父は特に相槌を打つわけでもなく、ただ俺の言葉に耳を傾けている。
「だから、俺がヒュドールに行きたいのは今までの自分を変えたいからなんだ。確かにあのお姉さんに惚れちまったのは事実だ。俺もあんな風にカッコよくなりてぇと思ったさ」
「――親父、どうしようもない息子に一度だけチャンスをくれないか」
俺は親父に自分の想いを率直に伝えた。一縷の望みにすがるように俺は強く瞼を閉じる。
「――った」
「え?」
「わかった、と言ったんだ」
眼を開くと親父の口角が僅かに上がっていた。こんな親父の表情を目の前で見たのは何年ぶりだろうか。握り潰されていた臓器という臓器が一気に弛緩したような感覚だ。
「いいか陽彩、お前の人生はお前のもんだ。今後の人生でお前は様々な壁に当たることだろう。クロッカスに入るというなら尚更お前の判断力は命を繋ぐ鍵になるだろう。だからこれだけは言っておく」
一呼吸おいて、親父は続ける。
「自分を信じろ、迷ったら進め」
やりきったような親父の表情には曇りが一切無かった。
「わかったよ、親父――ありがとう」
初めて告げた親父への感謝の言葉。今の今まで積もっていた親父への憎悪が嘘のように薄れていったのだ。
しかし、親父の表情は再び険しいものに変化していく。
「だがな、決めたからには絶対に合格しろ。まだ入試まで時間はある。確かヒュドール学園の入試形態は特殊だと聞いたことがあるが――詳しいことは友達か先生にでも聞くことだな。残りの中学生活を有意義に過ごすように」
そう言うと親父は立ち上がり、脱衣所へと向かう。すると何かを思い出したのか再び口を開く。
「そうだ、母ちゃんにも報告くらいはしとけよ?陽彩から最近連絡が来ないって嘆いてたぞ」
「わかった、任せとけって」
「調子に乗るのは受かってからだな」
そんな皮肉も交えながら親父はクスッと笑い脱衣所の方へと姿を消す。とりあえず一件落着といったところか。
ちなみに母ちゃん――俺の母親"かすみ"は海外赴任中であり、トキシーが日本に現れてからは国内外の移動が厳重に制限されたこともあり暫く会っていない。メッセージは定期的に送られてくるが面倒臭くて返信を怠っていた。
仕方がない、明日にでも近況報告くらいはしておくか。
こんばんは、ProjectAI.(プロジェクトアイ)です。
第2話をご覧いただきありがとうございました。
今後の陽彩くんの活躍に期待ですね!
毎週日曜日、20時更新予定です。
2025年3月からはYouTube、他にてボイスドラマを公開予定です。
ボイスドラマに出演していただく声優様も随時募集していますので、そちらも併せてご覧くださいませ。
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