Chapter 19 「ヒュドラなどいなかった。いいね?」
大理石の城門を越えてサルナスの町へ鳥の使い魔を潜入させた。
鳥の視点から眼下に広がる町を見下ろす。
町は古代ギリシャ風の神殿とモスクらしき建物とが入り交じって建てられている。
民家は石造りで赤い瓦屋根。
こちらはトルコ風か?
町には湖から引いたであろう水路が蟻の巣のように張り巡らされている。
水路が上水道と下水道を兼ねているようだ。
その水路から次々と槍を持ったぶよぶよした生物が飛び出してきて、人々を襲っている。
粘膜に覆われた柔らかそうな皮膚が全身を覆っている。
手足には吸盤がついた二足歩行するトカゲ……
いや、特徴が爬虫類よりも若干両生類寄りだ。トカゲとは言い難い。良くてヤモリ。
両生類ならばカエル……いや、イモリ人間と言った方が正しいのか?
観光客や住民達は避難のため無秩序に動き回っており、その結果として城門やそこに至る通りで大渋滞を起こして、結果として誰も動けなくなっている。
そこをイモリ人間に狙われて次々に負傷者を増やしているというのが今の状況だ。
イモリ人間と関係ないところで押し合いをして転倒や喧嘩などを起こして、そちらでも負傷者を増やしている。
空からだと詳細は不明だが、この分だと重傷者や死者も出ているだろう。
まるで中世の騎士や戦士のような金属鎧を着て剣で武装した連中がイモリ人間に応戦しているようだが、多すぎる観光客によって分断されて連携を取れず各個撃破されている。
イモリ人間の絶対数は少なく、戦闘能力もそれほど高くはなさそうだというのに、観光客による分断により、兵士達はその力を半分も発揮できていないだろう。
情勢は人間側がかなり不利に見える。
「なんか元気の良いのが屋根の上を走り回っているな」
「誰かいたんですか?」
「この現地の冒険者かな? 人通りが少なくなった場所で屋根から飛び降りたので、そこからは追ってないけど」
一応は味方になってくれそうな人がいるということが分かった。
もしも合流出来たのならば、一緒に敵を倒すのに協力しても良いだろう。
しばらく町の上を旋回させていると、勾配の激しい屋根の上で俺の使い魔に向けて手を振っている人影を見つけた。
カーターだ。
どうやってあの入場待ちの行列を突破して町中に入ったのか?
金を持っていなかったはずなのに何故酒瓶を片手に持っているのか?
何故こちらに手を振りつつ、たまに酒瓶から直接酒をガブ飲みしているのか?
疑問は次々と湧いてくる。
カーターが何をやりたいのかよく分からない。
無視しようと思ったが、カーターの横には他に数名の住人が屋根に避難しているようだった。
カーターが保護したのならば、よくやったと褒めざるを得ない。
町への出入り口が城門以外にないかを探すと、湖から町の水路へ水を流しているだろう水門を見つけた。
どうやら水を引き込むのと貨物船を通す関係でその周辺だけは城壁がなく、町へ用意に出入りできるようだ。
そこまで遠回りしてそこまで行けば町中に侵入出来るだろう。
鳥を一度カーターの近くに移動させた。
肩の上へ乗せた後に嘴で額を突かせる。
痛そうな顔を確認したところで能力を解除。
これで、こちらが今から助けに行くという意図も伝わっただろう。
「以上が現在の状況。見た感じイモリ人間は何かの命令を受けて規則的に動いているんじゃなく、無秩序に人間を襲っているように見えた。なので、ボスを倒せば勝手に全滅ということはなさそうだ」
「そうなると、持久戦になりますね」
これだけ町に観光客が溢れていると、敵もお互いに連絡を取り合うことが出来ず、結果として個人の判断で好き放題に動いているのだろう。
つまりボス的な存在がいたとして、そいつを倒したところで、その情報は敵全体に伝わらないので何も解決はしない。
つまり、かなりの持久戦を強いられることになる。
体力も精神力も使う過酷な戦いとなるに違いない。
「これだけ敵が町中に散っていると俺達だけじゃ手が足りないのでどうしようもない。なので当面の目的は協力者を探すことだ」
俺は指を立てて説明をすることにする。
とりあえず3本だ。
「まずは町にいる兵士達との連絡を取り合うこと。路地の歩き方にしろ観光客の誘導にしろ、通りすがりの俺達よりも兵士達に一日の長がある。連絡を取りたい」
「それは分かります」
1本指を折る。
「続いて仲間探し。さっき屋根を飛び回っている元気な奴が見えたけど、他にも現地人冒険者みたいなのが動いてるはずだ。今は猫の手でも借りたいので協力関係を取りたい」
「協力出来るのかな?」
「同じ目的の仲間だから協力出来るだろ。助け合いは大事だぞ」
そして最後の1つ。
「あとは拠点……安全地帯を確保する。長期戦になるから、疲れたら休めるところ兼、迷った時に一度集まることが出来る拠点を用意したい」
「ラビちゃんの攻撃で一気にまとめて倒すとかは出来ないの?」
「俺の攻撃だと町ごと吹き飛ばして終わるから大惨事だよ。敵だけをピンポイントで攻撃出来る器用なスキル持ちなんて俺達の仲間には――」
俺達は顔を見合わせた後に、レルム君を見た。
自由に曲げられる誘導ビームならば、町の住民達を避けて敵だけを倒すことが出来るだろう。
特訓の成果が生きる時だ。
だが、さすがに無謀だ。
いくらなんでも戦闘経験が少なすぎる。
レルム君の体力もそれほど高いわけではないので、負荷が大きすぎる。
「僕なら出来るんですか?」
レルム君が俺達の考えていることを察したのかそう言った。
「出来るのは出来る。ただ、途中で倒れられたり、やっぱり無理でしたと言われたら、全員でフォローをしなくちゃいけないから今度はそれがみんなの負荷になる」
「ラビちゃんは過保護すぎるんや」
「そういう話じゃない。ドロシーちゃんだってスキルを1回使うだけならともかく、敵がいなくなるまで何時間も使い続けるなんて出来ないだろう」
茶々を入れてきたドロシーを諭しておく。
「敵が全滅するか、諦めて引き上げるまではずっと戦闘が続く。理屈の上では簡単だろうけど、実際にやるとなると体力も精神力も使う大変な作戦になる。だから嫌なら嫌と言って欲しい」
「でも、僕なら何とか出来るんですよね」
「本当に良いのかどうかを考えるんだ。他人に強要されるんじゃなく、自分の意思で考えて決めるんだ」
急に難しいことを要求しているのはこちらも分かっている。
悩むのは仕方がない。
むしろ、これで何も考えずに「やります」と即答されてしまったら、逆にこちらが身構えてしまう。
レルム君は目を閉じて何やら考えてる様子だったが、決意は固まったようで目を開いた。
「やります。僕にやらせてください」
「本当に良いんだな。こちらもサポートするけど、大変な仕事になるぞ」
「分かっています」
レルム君が考えた上での結論ならば、こちらも反対する理由はない。
「決まったな。では早速行こうか」
「行くってどこに? 水門から回り込むんですよね」
「いや、俺と君とで先行して空から強襲を仕掛ける。町の人達を助けるなら少しでも早いほうがいい」
俺はレルム君の手を引いて箒にまたがった。
「みんなは水門のところへ回り込んで町の中へ入ってくれ。俺達は先にカーターを助け出して、ある程度安全な拠点を作っておく」
「待っててね、すぐに追いつくから」
「持久戦になるだろうから決して無理はしないように。判断はリーダーのモリ君に任せる」
「任されました」
「町の中に怪我人は大勢いるだろうけど、生命の危機に瀕してる重傷者以外へはヒールをかけないように。体力が持たないぞ」
注意事項をモリ君へ伝えておく。
モリ君は困ってる人を見ると自分の限界を無視して無理をしがちなので念を押しておく。
もし怪我人続出のこの状況下でモリ君が回復能力が使い放題だと気付かれたら、次々と怪我人が押し寄せてくるだろう。
そうなれば身動きを取れないどころか過労で倒れるまで酷使される。
下手をすると「すぐに治療しなかったので死人が出たのは俺達のせい」というヘビークレーマーまで出てくるかもしれない。
「それはわかっています。ラビさんもレルムも無理はしないでください」
ならば安心だ。
水門組はモリ君が仕切るならば大丈夫だろう。
今のモリ君は以前と違ってちゃんと周りが見えているし経験も積んでいる。
無謀なことはしないはずだ。
「ちゃんとせなあかんよ。ラビちゃんの足を引っ張らんように」
「そのくらい僕だって分かってる」
「……ちゃんと頑張ったら、うちも褒めたるから」
ドロシーはレルム君にそれだけ言うとプイと顔を背けた。
普段はひねくれ者で何を考えているのか分からない部分も多いが、素直に言葉を伝えられないというわけではないようだ。
「じゃあ、レルム君は俺にしっかりしがみ付いて。空を飛ぶのは5分くらいだけど、それでも途中で落ちたら死ぬから」
「しぬ?」
「うん、落ちたら死ぬ」
レルム君が俺の腰のあたりに力を入れて身体を密着させてしがみついてきた。
別に振り落とすような飛び方をするつもりはないが、これならば落ちることはないだろう。
「じゃあ行ってくる」
箒を急上昇、急加速して町へ飛び出す。
城門を越えて、まずはカーター達が避難している建物の屋根へと向かう。
俺達が屋根の上に降りると、カーターと他の住民達が一斉に駆け寄ってきた。
「すまん、遅くなった」
「いや、意外と早く来てくれて助かる」
鞄の中に購入したホットドッグが入ったままになっていたのを思い出したので、カーターに渡して他の避難者達に配ってもらう。
避難者達も色々と限界だったのか、まだほんのり温かいホットドッグを一気に頬張った。
「今の状況は?」
「かなり悪い。この屋根の上へ避難させた連中は無傷だが町中負傷者だらけだ。衛兵は何とかしようと動いているみたいだが、観光客に道を分断されてうまく動けていない」
カーターはそう言うとライフル銃を構えて、屋根によじ登ってこようとしていたイモリ人間の頭を吹き飛ばした。
頭を射抜かれたイモリ人間はそのまま地面へと落下していき、べチャリと音を出して潰れて動かなくなった。
「こんな感じで、ここも完全に安全地帯じゃない。単体だと弱くても数が増えてきてオレの処理能力を超えるとどうなるかは分からん」
「OK。ただ、ここの屋根の上はさすがにバランスが悪すぎるだろう。隣の建物は屋上が平たくて広いスペースになっているから、立て籠もるならそっちに移動したい」
俺は隣の建物の屋上を指差した。
そちらの屋根は平らになっており、植木鉢に入った観葉植物や荷物が置かれている。
どうせならそこを借りる方が安全だろう。
「それはオレも考えたが、敵が下にウロウロしているからな」
俺は鳥を1羽を空に飛ばして、上空から敵の位置を確認した。
「前の通りに3匹、裏の路地に2匹。とりあえず近くにいる奴さえ潰せば隣の建物に避難出来そうだ。レルム君、やれるか?」
「はい師匠。やってみます。5匹ですね……僕は直接場所を見ることは出来ないので、曲げる位置は教えてください」
「ああ、任せろ」
レルム君は大きく深呼吸をした後に、両手を揃えてその先から青白く光る光線を放出した。
光線は通りに立っていた1匹のイモリ人間の全身を貫き、更に突き進む。
「そのままだと地面に当たって消える。左横方向に角度変更!」
指示通りに光線は回折して2匹目のイモリ人間を貫く。
「若干左に補正。3匹目を潰したら更に直進! すぐに90度左に曲げて直進! 更に路地を抜けたらまた90度左。更に30度左に曲げたらあとはまっすぐ!」
俺の指示通り……いや、俺のナビを聞いたレルム君の指示通りに光線は何度も回折して5匹のイモリ人間を貫いた。
光線の直撃を食らったイモリ人間は全身が焼け焦げて絶命していた。
たまに手足がぴくぴくと痙攣しているが、これは強い電気ショックを受けたことで筋肉が強制的に伸縮している解剖された蛙と同じ状態だ。
もう起き上がることはないだろう。
「……やった……やりましたよ師匠!」
「よくやった! それでこそ自慢の弟子だ」
弟子と師匠と言うほど特に何も教えてはいないが、まあ良い。
こういうのは雰囲気だ。
見事なお手前にカーターもヒューと口笛を吹いた。
「俺とレルム君はもうしばらくこの屋根の上から攻撃を続けるから、カーターは全員を隣の建物の屋上へ移動するよう誘導を頼む」
「いや、その前に一仕事有りそうだぞ」
カーターが酒瓶で湖の方を指差すと、湖の真ん中あたりが泡立って、何か巨大なものが出現しようとしているのが見えた。
イモリ軍団の援軍か、それともボス的な巨大な敵か。
現状のイモリ人間だけでも苦戦しているというのに、そんなデカブツまで追加で暴れられたらもうこの町は終わりだろう。
「大物が出てきて町に侵入されると勝ち目はなくなるだろう。あのデカブツが何かやる前に何とかしてくれ」
「ああ……何が出てくるのか分からないけど、先制して仕留めておくか」
俺は再度箒に跨り、レルム君に呼びかけた。
「あのデカブツを仕留めてすぐに戻ってくる。その間はちゃんとカーターの指示を聞くんだぞ。すぐに戻ってくるからな。いいな」
「えっ!? こいつの指示ですか?」
レルム君が露骨に嫌な顔をした。
なんでそんなに嫌われているんだ?
何をしたんだよカーターは?
「師匠は付き合う男をもっと考えた方が良いと思います。こいつは悪い奴ですよ。ヒモになりますよ」
「付き合うって何だ? 確かに悪い奴だし、既にヒモみたいなものだけど、一応仲間だよそいつは」
「なんでオレはこんなにボロクソに言われてんの?」
流石に言われすぎな部分もあるが、原因としては普段の素行不良が原因なので、そこまでフォローは出来ない。
「大丈夫。すぐに仕留めて戻ってくる」
◆ ◆ ◆
一度町の外へ出る途中に鳥を追加で5羽召喚。
そのうちの6羽を解放。
出現しようとしている敵に対して備える。
町に植えられていた街路樹の何本かが消し飛んだが、これはさすがに必要経費と思って諦めて貰いたい。
黒い球体を携えたまま湖の縁まで飛んでくると、湖が再度大きく泡立った後に、巨大な蛇の首が鎌首をもたげて湖上に姿を現した。
首だけでも5mほどのサイズがある。
「巨大蛇、シーサーペント……いや、湖だからレイクサーペントか」
急にクソ映画のタイトルっぽくなったのは気にしないことにした。
だが、巨大蛇が1匹だけにしては、泡の量が多すぎる。
もっと巨大な何かが出現すると構えていると、すぐ横から2匹目の蛇の頭が出現した。
「2匹……いや、もっとか?」
湖の底から鎌首を出してくる蛇はその数をどんどんと増やしていく。
首の本数が5本を増やした時に、ようやくその全貌が明らかになった。
蛇の頭の付け根は全て1つの丸く膨れた巨大な胴体に繋がっていた。
蛇の頭は全部で9本……股が8つあるので、これは正真正銘のやまたのおろち……ではない、ヒュドラだ。
「ヒュドラは伝説だと血液に毒が有って、凄まじい再生能力もあるんだっけか? つまり、中途半端な攻撃で血を流させるとそれだけでも害があるかもしれない」
出現したヒュドラは湖の中心から泳ぎながら、町へと近付きつつある。
その移動途中で何匹ものイモリ人間がヒュドラにスナック感覚で捕食されていた。
ヒュドラはイモリ人間の味方と言うわけではないのだろうか?
もしかして、ヒュドラは実はこの町の守護神であり「町を護るためにイモリ人間を倒しにやってきました」だと、こいつを倒してしまうと、物凄く気まずいことになる。
だからと言って、町へ上陸された後に「実は敵でした」と言われて被害が出てしまえば後の祭りである。
俺はこいつを……どうすれば良い?
◆ ◆ ◆
「ただいま」
「師匠お帰りなさい、本当に早かったですね」
「それであの巨大な影は何だった?」
仮拠点に戻った俺をレルム君とカーターが出迎えてくれた。
「そんなものはいなかった。いいね」
「いなかったってなんだよ」
「いや、あれが町の守護神的なもので、後になって何で倒した? とか言われても困るだろ。だからそんなものはいなかった」
「熱線が2回ほど飛んだのが見えたんだけど」
「目の錯覚だ」
ヒュドラなどいなかったのだ。
初撃で跡形もなく吹き飛ばしはしたが、巨人の超再生を思い出して、念のために燃えカスを全て「収穫」で黒い霧に変えて消滅させた。
一片の肉片も残していないので、完全に証拠隠滅は出来ている。
あの場所にはもう何も残っていない。
ヒュドラなどいない。いなかった。
俺が何度も主張すると、レルム君もカーターも何も言わなくなった。
よろしい。
「それで戦況は?」
「10分程度じゃ何も変わらん。あれから3匹倒しただけだ」
鳥を喚んで再度状況確認をさせるが、相変わらず町の中は観光客が溢れているために収拾がつかなくなっている。
本来なら避難誘導するはずの兵士達が戦闘に手を取られているのと、観光客達に分断されて情報連携が出来ていないので効率が落ちまくっている。
必死で応戦している兵士がいると思えば、少し離れた場所に手持ち無沙汰で何もしていない兵士もいる。
指揮系統が全く機能していない。
これを狙って祭りの日に襲撃してきたということならば、敵もそれなりに頭の良い奴がいる。
どうやれば、観光客だらけの町中を移動してイモリ人間に対抗できるのか?
「まずは隣の建物の屋上へここに居る人達を移動して、安全地帯を作ろう。モリ君達が到着すれば、少しは状況が変わるはずだし、それまではもう少しの辛抱だ」




