Chapter 9 「第16チーム」
子供の頃の懐かしい夢を見ていた。
誰かにおぶさって近所の市民の森にある川沿いの道を歩いた記憶。
温かな体温、力強くも優しい腕に包まれた安心感。
(ここはどこだ……)
瞼をゆっくりと開けると、大きな背中が見えた。
どうやら誰かの背中におぶさっているようだ。
目を擦りながら振り返るとエリちゃんの顔が見えた。
すると、僕を今おぶっているのはカズ君?
……カズ君って誰だよ。モリ君か?
寝起きで頭が働かないからか状況がよく把握できない。
「起きましたか」
「これってどういう状況?」
「徹夜明けなんだから無理しないでください。一晩中箒で飛んでいたんでしょう。もう少し寝ていていいですよ」
年下の男子に背負ってもらっている恥ずかしさから顔が赤面してくる。
どうやらタラリオンの町を出てしばらく歩いたところで疲労から眠ってしまったようだ。
「いや、そういうわけにはいかないだろう。余計な負担をかけたくない」
「ラビさんは軽いから大丈夫ですよ」
「いいから降ろして」
寝不足なのか足元がふらつくが、いつまでも他人頼りというわけにはいかないので、何とか自分の足で立つ。
「はい帽子」
「どのくらい寝てた?」
「2、3時間ってところですよ」
「そうか、本当に済まない」
エリちゃんから帽子と箒を受け取り、頭を振った後に歩き出すと、ローブの裾をくいと引っ張られた。
振り返るとドロシーが睨むような眼で俺の方を見ていた。
「ずるい」
最初は何を言われたのかわからなかったが、状況を考えて気付いた。
どうやら俺がモリパパを独占したことで嫉妬されているようだ。
「モリ君、本当に悪いんだけど、次はドロシーが背負って欲しいんだってさ」
「そんなこと言ってない! ラビちゃんはわかってない!」
「というわけです、どうするモリ君?」
モリ君はしばらく思案していたが、背中を向けて座り込んだ。
「いいよ。でも、ケビン君も自分で歩いているけど大丈夫かな?」
ケビンとはアルバートの息子だ。
ドロシーと年齢は同じくらいだろうか。
ケビン君は自分で歩いていると聞いたドロシーは、自分が負けたと思ったのか頬を膨らませて駆けていく。
それをモリ君とエリちゃんが追いかける。
絵だけを見ると完全に育児に振り回されている若い夫妻だ。
ドロシーが懐いてくれたのは良いが、あれはあれで大変そうだ。
「本当に大変だな、子供がいるってのは」
完全に蚊帳の外に追いやられていたカーターが声をかけてきた。
「ああ、部外者で助かったよ。それでお前はお爺ちゃん?」
「親戚のオジサンってところで頼むわドロシーの妹ちゃん」
「俺は姉じゃないのか?」
「ドロシーは完全に自分が上だと思ってるぞ。だから自分より甘やかされてるのが気に入らない。法事の時に見るはとこがこんな感じ」
「……ドロシーはすっかり馴染みつつあるな」
ドロシーが何もないただの子供ならば何も問題なかった。
だが、状況から推測するに、ドロシーは運営から俺達への罠として送り込まれている。
――最悪の場合、俺はモリ君とエリちゃんを護るためにドロシーを背後から後ろから撃たなければならない。
おそらくドロシーを撃てば、その場で激しく罵倒されて、追放されるだろう。
「オレが代わりにやってもいいんだぞ。悪の運営の手先がやれば、あの2人も納得するだろう」
「他の連中に任せられるかよ。殺る時は俺の手でトドメを刺す」
本当に嫌な予想だ。
こればかりは俺の予想が外れて欲しい。
だから、俺は決してドロシーと仲良くすることはない。
もう悲しい別れなんてこりごりだ。
◆ ◆ ◆
かくして俺達は北西に向けて歩き始めた。
最初こそ砂漠地帯が続いていたが、途中から川が現れて気温も安定し、一気に歩きやすくなった。
この辺りは事前に調査したとおりだ。
街道が整備されているというのは歩きやすくて実に良い。
本当にこういう場所だけを歩いていきたい。
ドロシーもどうなるかと思っていたが、思っているよりもしっかり歩いてくれている。
アルバートさんのところのケビン君と張り合っているのもあるだろう。
むしろ、大人のカーターの方が歩けていないくらいだ。
体力がない俺よりも歩けていないのは一体何なんだ?
「あれ、先の方に誰か立っているみたいだけど?」
視力の優れたエリちゃんが最初に「それ」に気付いた。
目を凝らすと、遠く先に一人の大男が佇んでいるのが見えた。
無地の麻のシャツとパンツ。腰には巨大な皮のベルト。
黒い短髪を逆立てており、まるでレスリング選手のように見える。
武器こそ所持していないが、腕も足も丸太のような太さであり、おそらく徒手空拳で暴れ回るだけでも相当強いということは分かる。
その横には小さい影。子供だろうか?
こちらは綺麗な白いシャツに綿パン。
シンプルなデザインだが遠目に見ても高級そうな素材で、見たところ貴族のお坊ちゃんという風体だ。
大男と子供は微動だにせず、まるで彫像のように街道……通りの真ん中に立っている。
「いや、あれって……」
「16チームの人……」
16チームというと、モリ君やエリちゃんの前に最初の部屋から出て行ったという3人組でドロシーの仲間か?
ドロシーだけが1人はぐれたと思っていたが、他の仲間はここにいたのか?
だが、どうも様子がおかしい。
ドロシーも仲間を見つけたというのに駆け寄るでもなく、露骨に怯えた表情を見せて、モリ君の後ろに隠れている。
「オマエタチ マッテタ」
大男はたどたどしい喋り方で俺達に話しかけてきた。
大男、そして横にいる10歳くらいの子供の2人は、この世の全てを恨むような眼つきでこちらを睨みつけている。
どちらもこちらが少しでも隙を見せればすぐにでも襲い掛かってくるような殺気に溢れていた。
「念のため確認したいんだけど、元々こういう方?」
「それほど会話をしたわけでもないですが全然違います。大男の方は見た目こそ怖そうでしたが、もっと理知的な感じでいきなり襲ってきそうな雰囲気はありませんでした。子供の方はずっと怯えていたのでもちろん」
モリ君とエリちゃん、どちらも殺気に警戒して戦闘態勢を取っている。
「ドロシーはこっちだ」
俺はドロシーの服の襟を掴んで引き寄せた。
もし記憶喪失というのが自称でただの演技ならば、元仲間の2人を見て何かしらに反応があると思ったのだが、表情を見る限りは怯えているだけだ。
この怯えた表情さえも演技ならば天才子役と言っても過言ではないだろう。
「ドロシーを迎えに来られたんですか?」
「オマエタチ コロス」
モリ君の呼びかけに対して、質問に対する回答どころか「理知的」という言葉とはほど遠い答えが辿々しい声で返ってくる。
大男だけではなく、子供の方からも全く同じセリフ。
表情といいセリフといい、とても正気の人間だとは思えない。
「これは何かに操られているのか?」
「分かりません……」
果たしてどうすれば良いのか?
一時的に洗脳などで正気を失っているにしても、俺達のスキルに精神の回復や、落ち着かせるまでの間、相手を拘束しておけるようなものはない。
せいぜい適度に痛めつけて無力化させた後にロープで縛りつけるくらいだろうか。
取れる方法としては、ホンジュラスで試してそれなりの効果があった「唐辛子を鼻の穴に突っ込む」という気付けである。
それが効いてくれれば良いのだが……。
どうしたものかと様子を窺っていると、突然、大男の身体が痙攣し始めた。
背中が反り返らせた後に、獣の雄叫びのような声を上げる。
次の瞬間、直線ばかりで構成された真四角の板が大男の周りに現れて、装甲板のようにを上半身を覆い尽くしていった。
四角い装甲板が何枚も組み合わさった直線で構成されているその姿は、鎧というより戦車の装甲という印象を受ける。
頭部は狼を模したであろう、鼻先が長い、完全に顔を隠すフルフェイスの兜に包まれている。
そして腕には明らかにオーバーサイズの巨大な手甲が貼り付いている。
手甲の先端には鋭い金属製の爪。
あれで切りつけられたならば、軽傷では済まないだろう。
鎧が装着された後に腕や胸の筋肉が倍以上に膨らみ、ただでさえ巨大な男の体が熊のような巨体になった。
そのまま腕をだらんと下げて、極端な猫背姿勢を取る。
鎧の形状や姿勢は、まるでモグラ型のロボットだ。
この変化が大男だけだったのならば、何かの強化系スキルという解釈も出来たかもしれない。
ただ、横に居た10歳くらいの子供の方も、大男と全く同じ変化を始めた。
大男と同じ鎧兜に巨大手甲。そして体の変形。
元の体格の違いにより大小の大きさの差こそはあるが、基本的にはどちらも全く同じ形状へと変わっている
たまたま2人が同じスキルを所持していたとは流石に考えにくい。
2人を見て最初に連想されたのは、ホンジュラスで出会った寄生体だ。
あれも「何か」に寄生されたことによって、人間はヒトガタの異形へと変化させられていたが、今回もそれと似たような変化が起こっていると考える方が自然だ。
ただ、最初に街道へ立っていた時は挙動こそ不審そのものだったが、その姿は人間そのものだった。
寄生体は不可逆のようだったが、今回は姿に関してはおそらく可逆が可能なのだろう。
つまり、人間の姿へ元に戻す方法が皆無ということはなさそうだ。
「プロテクション!」
「盾を形成!」
大男と子供が突進してきたので、俺とモリ君の防御スキルで食い止める。
それなりの力は有るようだが、壁を突き破ることが出来る程の攻撃力を備えていないようだ。
「アルバートさん達は少し下がってください。戦闘が始まります」
まずは非戦闘員のアルバートさん達には下がって貰うことにする。
万が一があってはいけない。
「どうする? とりあえず叩きのめして戦闘不能にするか?」
俺は2人に方針の確認を取る。
「無理だよ……子供は叩けない」
「俺も……どんな姿になっても元は仲間だった人を倒せるわけがない……」
だが、モリ君とエリちゃんは敵の攻撃を防げてはいるが、多少なりとも知っている顔が異形と化したことで、完全に戦意を喪失していた。
この2人は強がってはいるが、それほど精神が強いわけではない。
つい先日までは日本で平和な暮らしをしていたただの高校生に過ぎないのだ。
かく言う俺もただのサラリーマンでしかなかったので、そこまで覚悟が決まっているわけでもない。
ただ大人の責任感とこの子達を護らないといけないという義務感でここまで来ただけだ。
それでも、ここは俺がやるしかないのか?
モリ君とエリちゃんだけではない。
目の前の2人を救い出すためにも俺が決断するしかない。
この2人を単に倒すだけならば比較的簡単だ。
理性がなくなっているからか、割と直線的な突撃のような単純な攻撃しか仕掛けてこないので、おそらくホンジュラスの遺跡で出会った寄生体と全くように、フェイントで誘い込めば簡単に倒せるはずだ。
だが、まだ元に戻せる……救える可能性が高い人間を倒すつもりはない。
俺の大切な仲間、モリ君とエリちゃんの希望にも沿いたいところだ。
「2人とも聞いてくれ。元に戻すための案はある。ただし無傷は無理だ。適度には痛めつけることになる」
「本当に助かるんだよね」
「根拠はある。簡単に説明すると、この2人は人間状態で俺達を待っていた。2度と元に戻れない、もしくは変異に時間制限がないならずっと変身した状態で待っていたはずだ。なら何故そうしなかったか?」
あえて「俺達の目の前で変異させた方が精神的にダメージを与えられるから」という邪悪な発想は浮かんできたが、この際その可能性については無視した。
「……時間制限がある?」
「もしくは、洗脳などによって鎧をまとって肉体を変化させるアイテムやスキルなどを使用させられているか。どちらの場合にしろ相手を気絶させれば動きは止まるはずだ」
「でもそんなことを誰が?」
「あまり長く話している時間はないので、WHO? WHY? HOW? の考察はしない。あえて無視する」
今はプロテクションと盾のスキルで、単純な体当たりを続ける二人の攻撃を止めているが、それも時間の問題だ。
「……それで私は何をすればいい?」
考えのシンプルなエリちゃんがモリ君よりも先に動いた。
「大男になるべく強力な関節技をかけて無力化を。骨折や脱臼くらいならモリ君の回復能力で治せる」
「わかった!」
「それで俺とラビさんは子供の相手ですか?」
「モリ君も子供を殴ったり蹴ったりするのは無理だろ。モリ君はエリちゃんのサポートとドロシーちゃんのお守り。そして非戦闘員であるアルバートさん達の護衛だ」
「ならラビさんだけで戦うつもりなんですか?」
「いや、そこに女子供を殴っても平気そうな奴がいるだろ」
ドロシーをモリ君に預けるとカーターの手を引いた。
「俺はこいつと一緒に戦う」
「誰が『女子供を殴っても平気そう』なんだよ! 女は抱くものと決めているんだ」
どうもでいい話だった。
現在必要なのは俺に協力するか、しないかだ。
「カーター、お前って1番目のスキルと3番目のスキルを人前で使わないよな。なんで?」
「いや、そんなこと別にいいだろ!」
「というわけで、子供の拘束を頼むわ」
俺は箒だけを構えて無防備に変異した子供へと近付いていく。
この2人を無力化するための戦いが始まった。




