Chapter 2 「正義のエージェント」
クッキーは当初2000枚の約束だったが、俺が努力したこともあり、倍の4000枚を用意することが出来た。
そのため、礼としてドライフルーツ詰め合わせもいただくことが出来た。
プラムのようなものから、日本でナッツ詰め合わせを買ったときに入っている謎の赤い実(クコの実?)まで、正体不明の何種類かのドライフルーツが皮の袋の中にそれなりの量が入っている。
貰えたのは割れたり、一部黒ずんで見栄えが悪かったりという店には出せない半端物のB級品らしいが、俺達が食べる分には何の問題もない。
非常食として有難くいただくことにしよう。
俺が箱詰めしたクッキーは、この王国の貴族はもちろん、タウンティンの方にも売り込むという話だったので、もしかしたら知事のところにまで流れる可能性があるかもしれない。
あの偏屈婆さんのところに俺のクッキーが届くと思うとリアクションが楽しみでならない。
それはそれとして、俺達はユカタン半島北部にある都市、マサトランに到着した。
この街は建物こそ中世という年代相応の簡素なものが多いが、人口はそれなりに居る大きな貿易港のようだ。
港の近くにある市場からは賑やかな声が聞こえてくる。
とりあえずクッキーを取り出して祈り、神に感謝して袋に詰める。
「ラビさん、もうクッキーは出さなくて良いんです」
「でも今日のノルマが……」
「ノルマは終わりました」
モリ君に指摘されるまではクッキーを出したことにすら気付けなかった。
どうやら、連日の作業のせいでクッキーを出す動作が体に染み着いているらしく、気を抜くと無意識にクッキーを出してしまう。
ただ、これは不審者以外の何者でもない。
早く正常状態へ戻るために努力はしよう。
クッキーを出して袋に詰める。
「さて、問題はここからだけど」
「一番問題なのは今のお前だよ」
カーターの言うことは無視して、クッキーを取り出して袋へ詰めた後に、パナマで購入した地図を広げて一番左上を指差した。
「現在位置はここ。地図の端っこまでやってきた」
「別の地図が必要だな。そこらの店で売ってないのか?」
「多分ない」
俺は肩を竦めてお手上げとばかりにクッキーを取り出して袋へ詰めた後に両手をあげた。
「地球と同じで、ここから北は砂漠が広がっていて、人が住んでいる場所が極端に減る。だから地図がないんだ。小さい集落みたいなのは点々とは有るみたいだけど」
「さっきまでジャングル地帯だったのに急に水がなくなりすぎだろう」
「原因はあれ。海の向こう側にうっすらと見えるだろう」
港の先にぼんやりと霞んで見える陸を指差した。
「バハ・カリフォルニアという物凄く長い半島が壁になっているせいで、太平洋で産まれた雨雲が全部手前で叩き落とされて、このカリフォルニア湾の内側にはほとんど雨が降らない」
「よくこんな場所の地理を知ってるな」
「バハって車やバイクのラリーレース開催地として有名なんだよ。パリダカ程じゃないけど、砂だらけの道を飛んだり跳ねたりで面白いぞ。動画もあるから日本に帰ったら観てみるといい」
ラリーレースには興味があって色々と調べていたので、それなりには分かっているつもりだ。
ここにいるのが俺一人だけならばBajaに渡り、箒に乗ってラリーレースごっこ&聖地巡礼に行っていたところだ。
「パリダカはアフリカのダカールを走るレースだっけか? そっちは知ってる」
「パリダカもアフリカが政情不安定らしいので何年か前から南米ペルーで開催してるぞ。前にゾス神の祭祀場へ行った時に全然木や草がない地帯を歩いたと思うけど、あの辺りがスタート地点」
「ダカールはどこに消えた? ペルーレースじゃねぇか」
「東京ドイツ村チャイニーズガーデンとか台湾めし名古屋ラーメンアメリカンとかイギリスフレンチトーストピザ風みたいなものだろう。細かいことを気にするな」
ラリーレースについては色々と語りたいが、それは別の話だ。
今は、これからのどう進んでいくのかの方針を決めないといけない。
その時、突如として市場の方から騒がしい声が聞こえてきた。
何事かと視線を向けると、人々が慌ただしく走り回っている。
「何が起こったんだ?」
話を聞こうとするが、走っている人々は誰も立ち止まってはくれない。
当然だ。
この騒然とした状況の中、怪しげな外国人の少女が何か言ったところで、余程のことがなければ足を止めてくれないだろう。
途方に暮れてクッキーを取り出して袋に詰めていると、モリ君が大きく手を広げて進路を塞ぐ形で一人の若者を無理矢理に近い形で止めた。
「市場の方で何が有ったんですか?」
「また化け物鳥が出たんだよ! 子供が掴まって連れていかれた!」
「また?」
「ウィツィロポチトリの祟りだよ!」
「なんて?」
「ウィツィロ……いや、こっちは急いでるんだ!」
若者はそれだけ言うと駆けだしていった。
「化け物鳥」で思い出されたのはホンジュラスの酒場で聞いた「ククルカンの祟り」だ。
場所も違うし、祟りの主もククルカンからウッチャリポチポチとやらに変わっている。
いや、何か違うな。ウッチロチロリト? ウツロイロボトル?
あちらのダニばら撒きクソバードについては仕留めたが、ここにも同じものがいるのだろうか?
ただ、子供が連れていかれたというのは気になる。
俺達は状況の確認と、もし子供が狙われているのならば助けになれるかもと、全員で市場の方へと足を向けた。
叫び惑う人々の中を掻き分けて通りを進む。
市場の露店がひっくり返され、果物や野菜が散乱していた。
子供たちが泣き叫び、大人たちがそんな子供たちを抱きかかえて必死に守ろうとしている光景が広がっていた。
「一体何があったんだ……」
市場の中心であろう広場に辿り着いた時、それらの惨状を引き起こした怪鳥の姿が露わになった。
そこに居たのはタウンティンの地母神の遺跡でも出会った因縁の相手……翼が生えた巨大なイグアナ、ワイバーンだった。
数は2体。
今は怯え惑う人々を無視して、元は店先に並んでいたはず……地面に落ちている魚をついばんでいる。
どちらのワイバーンも魚に夢中のようだが、子供が連れていかれたという話はどこから出たものだろう?
「こんな町中にシャンタクかよ。どうなってんだここは?」
カーターがよく分からない呼称でワイバーンを呼び始めた。
「シャンタク? ワイバーンだろ」
「いやこれはシャンタク……いや、もうワイバーンでいいや」
カーターは何かこだわりがあるようだが、名前などなんでも良いだろう。
ワイバーンはワイバーンだ。
「子供を連れ去ったというやつはどこに?」
物陰に隠れていた中年の女性に聞くと、無言で空の彼方を指差した。
俺の目には何も見えないので、視力サポートのために鳥を呼び出した。
そのうち1羽を使い魔モードに切り替えて視界を中継させると、はるか彼方に飛翔する1体のワイバーンの姿を目視で確認出来た。
子供が鳥にさらわれたというのは嘘やデマではないようだ。
「ここの広場の奴の相手はみんなに任せる。俺は子供を連れ去った奴を追ってみる」
「ラビちゃん一人で大丈夫?」
エリちゃんが心配してくれたのは嬉しいが、流石にこの中で飛んでいる敵に追いつけるのは俺だけだ。
「飛べるのは俺だけだろ。子供の安否が気になるし、今すぐ行ってくる。その間にみんなはここにいる奴の撃退を」
背負っていた荷物を下ろして道の脇に置き、箒に跨がって浮上すると、周囲からどよめきの声が上がった。
流石に目立つが、子供の安全の方が大切だ。
箒の穂先から虹色の光を噴き出しながら、最大加速で一気に飛び出した。
おそらくワイバーンも子供を運びながらでは、全速力で飛行できないのだろう。
原付ほどの速度しか出ていなかったので、こちらは5分ほど全速力で飛ぶと追い付くことが出来た。
鋭い爪が付いたその足の指にはぐったりとした5歳くらいの男の子が抱えられている。
微妙に動いているので今は生きているようだが、この先どうなるかは分からない。
速攻で決める必要が有るだろう。
ワイバーンを追い抜きつつ、鼻っ面の前に鳥3羽で盾を形成。
案の定、ワイバーンは急に出現した盾を避けられず、鼻っ面をもろに盾へぶつける衝突事故を起こした。
甲高い叫び声を上げながら、その巨体を震わせて悶えている。
痛みに耐えかねたのか、足で掴んでいた子供が宙へと投げ出された。
「今は子供が優先っと……」
ここまでは予想通りの動きだ。
盾を一度解除して、子供の真下に再形成。
箒を飛行させて子供を空中でキャッチした。
子供の体には捕まえられる時に爪で引っかかれたのか、服が少し破けて傷が入っていた。
致命傷ではないようだが、決して無視して良い傷ではない。
呼吸はしているので死んではいないようだが、呼びかけても返事はない。
早く町へ戻って治療する必要が有るだろう。
だが、残念なことに、今の俺の腕力だと長時間子供を抱え続けることは出来ない。
仕方ないので一度地面に着陸。
周囲に他のワイバーンがいないことを確認して、子供を木の陰に寝かせた。
「浮遊」
箒を再浮上させて、まだ空中で悶えて続けているワイバーンの近くに移動した。
「あの遺跡では3人がかりでやっと倒せた相手だったけど……スキルの熟練とランクアップでどれくらい楽に戦えるようになったか試させてもらう」
鳥を5羽召還。
2羽ずつを翼に向かって突撃させて、両翼の皮膜を突き破る。
遺跡の時点では片側の皮膜を突き破るのに4羽の鳥の同時攻撃が必要だった。
現在は同じ4羽ではあるが、両翼を同時に破壊出来ている。
確実にランクアップによる攻撃力強化の恩恵を受けていることが分かる。
翼を失ったことで滞空状態を維持できなくなったワイバーンは頭を下に真っ逆様に落下していく。
概ね勝負は決まったが、念には念をだ。
落下するワイバーンの脳天目掛けてトドメとばかりに、残る鳥1羽を突撃させて頭蓋骨を粉砕する。
ワイバーンはそのまま地面に激しい音を立てて激突し、ピクリとも動かなくなった。
メダルは……出現しない。
「メダルが出たり出なかったり、そういうことはハッキリしてくれよ」
愚痴ってみるが、やはりメダルが「ごめん忘れていました」とばかりに遅れて現れることなどない。
そういえば遺跡内でも蜘蛛などはいくら倒してもメダルが出現することはなかった。
野生動物……ゲームマスターが関与していない敵は、いくら倒してもメダルは出ないということなのだろうか?
「まあいい。子供を街まで連れて帰ろう。モリ君のヒールで治れば良いけど」
◆ ◆ ◆
俺と子供が街に戻ると、町で暴れていたワイバーンは既に駆除されて、住民の有志達により死体の撤去作業が始まっていた。
どうやらワイバーンに止めを刺したのはモリ君のようだ。
まるで英雄が現れたように人々から賞賛の声を受けていた。
ちょうど良かったとばかりに、その場に着陸。
子供を抱きかかえて降ろすとモリ君が慌てて駆け寄ってきた。
「ラビさん、大丈夫でしたか?」
「俺は無傷だけど、この子は怪我をしている。すぐに看てやってくれ」
「わかりました」
モリ君が子供をゆっくりと地面に寝かせて患部を確認。
回復能力をかけると、みるみるうちに傷は癒え、子供は目を覚ました。
そると、群衆の中から一人の女性が飛び出してきて子供を抱きかかえた。
この女性が母親なのだろう。
「俺のヒールだけだと、全快したかどうかの保証はないので、念のため後で医者には看てもらってください」
モリ君が母親らしき女性に声をかけると、更に群衆から大歓声が上がった。
傷の治癒という分かりやすい能力が奇跡に見えたのか
「救世主だ」「神の化身だ!」などの声が飛び交っている。
こうやって英雄譚は生まれるんだなと思い、一息つこうとした時、何故か俺に向かって石が飛んできた。
速度が速いわけではなかったので、箒を振って叩き落とす。
「魔女め!」
一人の男が俺に向かって叫んだ。
どうやらその男が俺に向かって石を投げつけてきた張本人のようだ。
意味が分からない。
確かに俺は魔女だが、何故石を投げつけられないといけないのか?
「不気味な白い髪に赤い目! 空を飛び回る奴が怪鳥を操っていたに違いない!」
とんだ言いがかりである。
何故俺がそんなことをしないといけないのか?
今度はまた別の方向から石が飛んできたので、盾を形成して防いだ。
「見たか! 光る鳥を喚びだしたぞ!」
「光る壁もだ! 俺達を怪しげな魔術で呪うつもりか!」
それを皮切りに、群衆の中から次々と石が飛んできたが、今度はエリちゃんが飛び出してきて全て空中で掴み取ってくれたおかげで一発も当たらなかった。
「ラビちゃん大丈夫?」
「俺は大丈夫だよ。それにしてもこれは一体……」
やはりこの国は中世なのだと確信できた。
中世の魔女狩りが今まさに行われようとしているわけか。
だが、石を投げるという行為は本当に意味が分からない。
もし俺が本当に悪い魔女なら石を投げて刺激するのはマイナスではないだろうか?
何かしらの反撃があると考えないのだろうか?
だが、仕方ない。
民衆がそういう態度を取るならば、こちらにも考えというものがある。
俺はエリちゃんを制止してポケットからカードを取り出しながら最初に石を投げてきた男へと近付いていく。
男がたじろいで後退りするが無視だ。
「はいはーい、皆さん。私は南の国タウンティンからやってきた刑事……じゃない、正義のエージェントです」
カードをかざしながら明るい声で高らかに宣言をした。
「お前、何を……」
「タウンティンには凄い機械が有ることは皆さんご存知ですよね。盾とこの空飛ぶ箒。どちらもその機械の1つです」
群衆に嘘の身分を騙り、身分証のようにカードを見せると、どよめきが走った。
カードの文字は文字化けして意味が分からないだろうが、ハッタリにはちょうど良い。
「タウンティン? そう言えばあの国は変な機械が山ほど有るって聞いたことある」
「家くらいの大きさのトカゲも町中を歩き回っているらしいぞ」
狙ったわけではないが、俺の話を聞いた群衆の中から「トカゲ」というワードが出た。
これは話を進めやすい。
「そうトカゲ! 先程も街中で暴れていた、あの空飛ぶトカゲですが、タウンティンの領土内から逃げ出した個体が繁殖しているらしくて、我々が密かに調査を行っておりました。目的は奴らの駆除です」
もちろん全て嘘である。
とにかく言葉をまくし立てて、相手に思考させる時間を与えないことで、あからさまな嘘とハッタリで煙に巻く。
一昔前のアメリカの刑事ドラマではよくやっていた手法だ。
「ということは、あの鳥は祟りじゃなかったのか?」
「もちろんです。祟りなどありません。あれはただの空飛ぶトカゲです」
「トカゲ?」
「そう、トカゲ」
トカゲという単語を強調した後に、ここでクッキーを取り出して男に手渡した。
「あんたの見た目は、伝説にある魔女そのものじゃないのか?」
「いえいえ、タウンティンは私のような服装の人間はいくらでもいます。海外旅行の際にはいちいち突っかからないように注意してくださいね。お巡りさんが来ますよ」
いくらでもいてたまるか。
どこの魔境だよそこは。
「それに、エージェントというには少し若いように見えるが」
「私はこれでも23歳です。全然見えないでしょう」
「嘘だろ! 十代の女にしか見えんぞ」
「えっ? 十代の女にしか見えない相手に石を投げたんですか?」
俺がそう言うと、群衆が一気に静まり返った。
やはり十代の少女に石を投げつけるという行為には多少なりとも罪悪感が有ったのだろう。
その罪悪感を忘れさせて暴走させるとは群衆心理、恐るべしである。
「私達はもうしばらくこの町の周辺で調査を継続予定です。これから北の方へ調査に赴く予定ですので、もし宜しければ情報提供頂けるとありがたいです。私達警察局、交通管制課、野生動物管理局、国家安全保安局、その他ご協力の団体は事態の早期解決を望んでいます。以上。ご清聴感謝致しました」
高らかに呼びかけると、群衆たちは一度顔を見合わせた後に、興味を失ったかのように去っていった。
好奇心や何やらよりも何かややこしそうな組織が絡んできそうな面倒事は嫌いらしい。
一段落付いたところでカーターが近寄ってきた。
「お前って日本に居たときは詐欺師だった?」
「サラリーマンですけど」
正直に答える。嘘は良くない。
「嘘だろ! そんなサラリーマン居ねえよ!」
「ビバリーヒルズコップ観たことない? さっきの調子でハッタリだけで家も車も手に入れるぞ。名作だから観ろよ。下條アトム吹き替え版がいいぞ」
「映画の真似かよ!」
さて、問題はこれからだ。
「ラビさん、無茶苦茶ですよ。タウンティンの名前を出したらリプリィさんに迷惑がかかるでしょ」
「知事なら分かるけど、何故そこで一介の軍人のリプリィさんの名前が出るんだ? モリ君はリプリィさんのこと好きすぎない?」
俺がそういうとモリ君があたふたし始めた。
これはやっぱり全然振り切れていないな。
ユイユイ言っていた頃よりはマシだと思うが、未だ一人前には至らずか。
「出来ればさっきの嘘がバレる前に逃げ出したいところだけど、ワイバーンの件は片付けないと寝覚めが悪いな」
これからは日本への帰郷ルートだけを考えていけると思ったのに相変わらず問題山積みである。
全く正義のエージェントは辛いよ。




