Chapter 4 「会話の途中すまないワイバーンだ」
扉を抜けた先は薄暗い坑道のような場所だった。
通路はすぐに左右に分かれている。
最初の部屋と同じように天井には明かり取りの窓が設置されているので暗くて何も見えないということはない。
だが、それでも陰になっているからか、通路の先は5mほど先までしか見通すことが出来ない。
右か、左か。
そして予測の範疇内ではあるが、モリ君とエリちゃんが閉じ込められてから既に3日経過しているからか扉を開けた場所で待っている者など誰もいない。
扉を開けた直後に敵が襲ってきて戦闘が発生するのではとも考えたがそれすらなく、通路はわずかに吹き抜ける風以外に音を立てる物もなく静まり返っていた。
「ラビさんどうします? どちらの方向に行くべきか?」
「行動学によれば、こういう分岐路では人間は無意識に左を選ぶ傾向が有るらしい。だから逆に右を選びたいところだが……」
漫画理論はどれだけ正しいのかは分からない。
ただ、どの道、どちらかの道は選ばないといけないのだ。
もちろんそれだけではあまりに根拠が薄い。
何か検討材料が欲しい。
一度しゃがみ込んで左右の道を見ると、左の道は微妙に下っており、逆に右の道は微妙に登り坂になっているように感じた。
確認のためにポケットの中に入っていた短い鉛筆を地面に置くと、ゆっくりではあるが左側へと転がっていく。
次に指を舌で舐めて空気の流れを感じると、若干ではあるが、右から左に風が抜けているように感じた。
「右だな。左は微妙だけど下っているのに対して右は逆に登っている。風も感じるし、出口に近いのはこっちだと思う。何か意見は?」
「ありません」
エリちゃんは何も考えず即答したが、モリ君は顎に手を当てて何やら考えているようだった。
こういうのは性格の差が出るな。
モリ君は俺と同じように床面ギリギリへしゃがみこんだり、風の向きを確認したりした後に、結論を出したようだ。
「ラビさんの分析は正しいと思いますので右が良いと思います。地下に潜るよりは高い場所から状況を確認したいので」
「なら決まりだな。右に行こう」
どの道、他に考察材料などないのだ。
最後は勘で進むしかないだろう。
◆ ◆ ◆
それから小一時間ほど歩いたが、景色はほぼ変わらない。
一直線のゆっくりとした登りがずっと続いていて、本当に進んでいるのか不安になってくる。
今のところ、敵が出現する、罠が仕掛けられているなどの障害は発生していない。
それどころか通路には不自然なくらい何も落ちていない。
石ころやゴミクズなどが落ちていてもおかしくはないと思うのだが、まるで誰かが定期的に清掃でもしているかのようだ。
それが不気味に感じる。
不安事項はそれだけではない。
ただ普通に通路を歩いているだけにも拘らず、ちょっとずつ二人との距離が開いていき、その度に小走りで追いつく必要がある。
2人が何事もなく歩いているというのに、俺だけが1人で汗をかいており、息も上がっている。
普段から頻繁に歩いていて体力には自信があったのだが、魔女の身体は運動不足なのだろうか?
男女では骨格や内臓が違うので、慣れていない女子の身体ではうまく歩けないのか?
それとも歩きにくい踵の高いミュールを履いているからなのだろうか?
逆にモリ君もエリちゃんも足取りも軽く、最初から全くペースが落ちていない。
むしろ、若干遅れ気味の俺に合わせて歩くペースを落としてくれているようにも感じる。
何にせよ、現状だと二人の足手まといになっている現実が辛い。
本来なら年長者の俺が高校生の二人を引っ張ってやらないといけないというのに。
「それにしても誰もいませんね」
「誰かいて何かをやった痕跡は有るんだけどな」
俺は壁に何かが当たって擦れたような跡を指差した。
「床もそうだけど、あちこちに何かがぶつかって傷が付いた痕跡は残ってる。傷ついた部分の色が明らかに違うから、これは割と最近付いたものだと思う。もしかしたら戦いの痕なのかも」
「戦いって誰が誰と?」
「それは……」
仮に俺達がデスゲーム的なものに巻き込まれたとすると、先に出ていったメンバー達は、おそらく何かしらの戦闘行為を強いられたと推測される。
それにより、敵対する「何か」もしくは参加者である俺達の仲間が傷つき犠牲になったと仮定する。
その場合、運営側は次のゲームに備えてある程度の清掃くらいは行うのではないだろうか?
妙に通路が綺麗なのは、その清掃が行われたからではないだろうか?
だが、先に出た誰かが負傷、もしくは死亡したなどと口に出して言うと、2人を不安にさせてしまうだけかもしれない。
確実な証拠が手に入るまでは黙っておくべきだろう。
更に小一時間ほど歩くと、視界の先に階段が姿を現した。
階段の向こう側には青空が広がっている。
どうやら出口のようだ。
まるで地下鉄の出入り口のように、通路の奥からひんやりと冷たい風が強く吹きつけてきたのでローブの胸元を閉じると、それを見ていたエリちゃんが声をかけてきた。
「ラビちゃんもやっぱり寒い? 私もなんか冷えるんだけど」
「エリちゃんもそう思う?」
温度計があるわけではないので体感でしかないが、まるで冷房の効きすぎた部屋に入ったような肌感覚がある。
俺とエリちゃんは寒さに耐え切れずにガタガタと震え始めた。
そんな中でモリ君だけは平然としている。
「俺は平気ですけど」
「モリ君はそのポンチョみたいなのを着てるからだろ」
「そうですね。これのおかげで助かっています」
そういえば、俺がこの世界に呼ばれたのはハロウィンなので10月31日である。
最近は冬近くまで猛暑が続くことが多いとはいえ、そろそろ冬物を用意する時期だ。
何か防寒対策を考えた方が良いだろう。
「まずは防御スキルが使える俺が先に出ます。エリスは俺の後ろに。ラビさんは何かあれば後ろから援護お願いします」
モリ君が曲がった槍を掴んで階段から飛び出した。
続いてエリちゃん。最後に俺が階段を登りきって外へと出る。
そこは壮大な景色が広がる山の頂上だった。
眼前には、鋭くそびえる山々が無言の威厳を放ち、遥か彼方まで続いていた。
どれだけ歩けばこの山岳地帯を抜けられるのか見通すことが出来ない。
山頂部はわずかに冠雪して、それが陽の光を受けてキラキラと輝いている。
ここも相当標高が高いのだろう。
あまり高い木は生えておらず、周囲に生えている草や木も高山植物のような背の低い植物ばかりだ。
ローブの隙間から冷気が流れ込んできて、ぞくりと震える。
ローブの下はブラウスとハーフパンツを着ているようなので、直接冷気が当たることはないはずなのだが、下腹のあたりが今まで感じたことがないくらいに冷たくなっているのを感じる。
「腹でも壊したかな。なんか痛みまで出てきた気がする」
ヘソのあたりに手を当てていると、手の熱で少し温まったのか、楽になってきた。
そういえば女性は血管の関係で男性よりも体が冷えやすいと聞いたことがある気がする。
俺とエリちゃんだけが寒さに震えて、モリ君がなんともないのはそういうことだろうか?
胸の先のデリケートな突起部分が寒さのせいで屹立されているのは、多分気にし出すと、とんでもないことになりそうなので、あえて無視する。
二人には気付かれないようポーカーフェイスを貫いてはいるが……いかん死にたくなってきた。
だが、こんな状況でも俺はまだマシなようだ。
薄手のスポーツウェアのような服に薄手のパーカーという完全に夏の様相であるエリちゃんは顔を青くして先程から震えっぱなしである。
服が薄着すぎて、寒さに耐えられないだろう。
身体を動かせば少しは暖まるだろうが、何もせずにじっと立っているのは辛そうだ。
そんな中、モリ君が急に自分が着ていたポンチョを脱ぎ始めた。
綺麗に畳んでエリちゃんに歩み近付こうとしている。
もしや、これは寒がっているエリちゃんを見てポンチョをかけようとしているのだろうか?
そうならば偉いぞ男の子。
とてもぼくにはできない。
だが、モリ君は、エリちゃんの方へ数歩近付いた後で、手に持ったままのポンチョとエリちゃんの顔を交互に何回か見た後に一度畳んだポンチョを広げて再び着なおした。
エリちゃんは相変わらず寒さに震えている。
そこでヘタレるなよ少年君よ。
まあいい。まずは今の状況を確認しよう。
今は少しでも情報が欲しい。
山の頂上に電波塔や送電鉄塔がないか探してみたが、目視出来る範囲内には確認できなかった。
もしここが日本のどこかならば、どんなド田舎でも山の頂上付近にはそれらの人工物が建っているはずである。
それないということは、ここは少なくとも日本ではないことだけは分かる。
「私の親戚の家が四国にあるんだけど、ちょうどこんな感じの景色だよ」
俺が「日本ではない」と心の中で結論付けたのを謎の方法で聞いたのだろうか?
エリちゃんが突然この絶景を四国の山奥に喩え始めた。
「いや、四国の山奥でも送電鉄塔の1つや2つは立ってるだろ」
「四国じゃなくマチュピチュだろ」
モリ君の意見に俺も賛成だ。
眼前に広がる光景は観光ガイドなどで読んだマチュピチュ周辺の山に酷似していると感じた。
「あんた四国も知らないの?」
「四国くらい知ってるよ! 小学校の頃に香川でうどんを食べたことだってある」
「うどんは日常の一部なのに、わざわざ強調するあたり素人感すごいよね」
「いや、俺だってうどんはよく食べるよ。替え玉だって注文する」
「私だって高校の学食だと週3でうどんを食べるんですけど」
エリちゃんがモリ君に四国の話題で突っかかったせいで、どんどんと話題がうどんの方向へと流れていく。
モリ君は年齢の割には大人びていて冷静なキャラだと思っていたが、エリちゃんと夫婦漫才をやっている時は年相応で安心する。
いや、今はうどんの話は別にいい。
「2人とも落ち着け。今は四国とかマチュピチュとか、うどんとかどうでもいいだろ」
「うどんはどうでもいい話じゃない!」
「そうよ、うどんは大事でしょ」
2人にもの凄い剣幕で叱責された。
何なの?そのうどんへのこだわりは何なの?
2人ともうどん県民なの?
「うどんは飲み物」「うどんは人生」「今日は3杯しか食べなかった」とか言っちゃうタイプなの?
いや、うどんの話は本当に置いておこう。
俺がそう考えている間に、2人のうどん論議は付け合わせには、かき揚げか? 天ぷらか?という、どうでもいい話に移行していた。
いや、どうでもいいなどと言えば、また怒られてしまう。
確かに気温が低くて身体も冷え切っているので、暖かいうどんを食べて温まりたいという気持ちもわかるが、今やるべきことはうどんの話ではない。
「うどんは兎も角として、この石畳の先を見てくれないかな」
俺は小屋から延びた石畳を指さすと、二人の視線は石畳が敷かれた道の先を追っていく。
土砂崩れを防ぐためか、石を積み上げて作られた石垣の上に畑か棚田の跡であろう平らに整地された土地があちこちにある。
視界にあるのはその平地だけではない。
天然の岩を削ったり煉瓦を積み上げて作られたであろう、壁と建物が数え切れないほどそびえる巨大な都市の廃墟が広がっていた。
「確かに見た目は確かにマチュピチュみたいな南米の遺跡に近いけど、マチュピチュは山の上の方に建物の一部がちょっと残っているだけだから、規模が全然違う。麓のクスコという遺跡の町も合体させたくらいの規模がある」
「ラビさん詳しいんですね」
「旅行が好きでガイドブックだけは色々読んでいたからね。まあ大学生のバイトの貯金だけじゃ全然海外旅行の資金を貯められなくて、国内の貧乏旅行しかしたことないんだけど」
巨大な遺跡は麓の方まで続いていた。
遺跡は曲がりくねっており、角度の関係で麓には何があるのかまでは分からないが、山の裾野にはかなり大きな森が広がっているようではあるが、ここからではその全貌を見渡すことは出来ない。
「こんな巨大な遺跡があるなんて見たことも聞いたこともない。マチュピチュとも四国とも思えない」
「なら、やっぱりここは異世界」
「結論を出すのは、まずこのクソ寒い殺風景な山から降りてから判断しよう」
おそらくモリ君とエリちゃんが運営から聞いた「ゴール」とはこの空中都市を抜けた先に有るのだろう。
どの道、こんな寒くて食べ物も水もない場所でじっとしていられない。
早く下山してうどんを食べよう。
「山の下まではかなりの距離があるけど、一番下まで降りた方が良いよね」
「そうだな。こんな山頂で愚痴っても仕方ないから先に進もう。隊列は俺が先頭でエリスが中衛。ラビさんが後衛のままで良いですよね」
特に異論はないので頷く。
石畳に沿って遺跡を進もうと歩みを進めたところで、エリちゃんが急に歩みを止めて、遠くの山を指差した。
「あの山から、鳥みたいなのが物凄い勢いでこっちに向かって飛んでくるんですけど」
モリ君と俺はエリちゃんが指さす方向を見るが、「鳥みたいなもの」とやらは何も見えない。
「ごめん、あれ鳥じゃない! トカゲに羽が生えたみたいに見える。恐竜?」
エリちゃんが身構えるが、俺達にはまだ何も視認できない。
「2人とも何やってんの?」
「そうは言っても……」
目を凝らしてエリちゃんが身構えた方向に視線を向けるが何も見えない。
俺は帽子のつばを持ち上げて眉のあたりに手を当てた後に睨みつけるように山の果てをじっと見ていると、はるか彼方に黒い点らしきものがうっすらと見えた。
だが、その黒い点が何なのか形状までは確認できない。
「俺にも見えた。あれはワイバーンだ!」
モリ君が突然叫んだ。
「ワイバーンって何?」
「羽付きトカゲ!」
「それってドラゴンと何が違うの?」
「手が生えていて口から火を吐くのがドラゴン。そうじゃないのがワイバーン。いやゲームによってはワイバーンも口から火を吐くのか」
モリ君、解説ありがとう。
ただ、俺にはまだ近付いてくる「何か」は未だに単なる黒い点としか認識出来ていない。
これは魔法使い職と戦士職の違いなのだろうか。
ラヴィの身体に変えられるまでは、視力はそれほど悪くなかったはずだが。
「ラビさんの魔法で撃墜出来ないですか? 完全にこっちを襲ってくる感じですよ」
「そうは言われても俺にはまだ黒い点にしか見えないんだけど」
そうは言われても俺の使用できるスキルはクッキー以外何が使えるのか?
どれくらいの射程距離があるのかすら分かっていなのだ。
現状把握できているスキルは90秒の間隔でクッキーを1枚を出せるということだけだ。
1番目と3番目のスキルについてはおそらく攻撃魔法であるという以外は全く何もわかっていない。
ただ、スキルの試し撃ちにはちょうど良い機会でもある。
クッキーを出すのと同じ要領で発動を念じれば、何らかのスキルが発動されるはずだ。
「まずやってみる。見ていてくれよ、俺の能力を」