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収穫祭の魔女  作者: れいてんし
卒業
300/305

第一話 「城崎にて」

 クリスマスになった。


 世間では別にキリスト教徒でもないのにメリークリスマスと言いながら、赤い服を着たジジイ、サタンクロスと一緒にニンジャへトライアングルドリーマーを仕掛けるなどのバカ騒ぎをしている。


 平年ならば、リア充実爆発すればいいのにとボヤキながら、年末の仕事をこなしているのだが、今年は違う。


 早めの年末休みが取れたこと。


 色々な事件が片付いてようやく肩の荷が下りたこと。


 高校生の友人たちも受験勉強があるので自宅で大人しくしているということ。


 今年こそは平和な年末を迎えられそうなので、友人の春日優紀(かすがゆき)と一緒に、一年ご苦労様という慰安の意味も込めた、楽しい二泊三日、楽しい温泉旅行に来ているのである。


 姫路から播但(ばんたん)連絡道路、北近畿豊岡自動車道経由で豊岡までマイカーで移動。


 もちろんタイヤチェーンは忘れない。


 豊岡出石ICで降りて、円山川を右手に、山陰線の線路を左手に見ながら兵庫県道を北上する。


 道路脇に巨大な蟹のハサミのオブジェクトが見えてきたら、近いという目印だ。


 少し進むと、降りしきる雪でモノクロの世界となった、ひなびた温泉街が見えてくる。


 清水の舞台からダイブして覚悟を決めた後に宿を取った、有名な温泉地、城崎(きのさき)である。


 昨年年末には散々温泉をせびられたものの、結局スケジュールの関係で行くことは出来なかった。


 そこで、去年の分もまとめて温泉旅行の予定を計画したのである。


「ここが彼の文豪、志賀直哉(しがなおや)も泊まった城崎温泉か」

「島崎藤村とか、与謝野夫妻とか、司馬遼太郎とか、日本全国どこにでも碑を残している、いつものメンツも来ているぞ」

「いつメンは、日本全国どこに旅行をしても碑を残してるよな。空海や松尾芭蕉やクマもんレベルでどこに行っても見かける」

「今日は、その志賀直哉が泊まった宿に泊まるぞ。この経験を教師の仕事にも生かすと良いだろう」

「有名なところだな。いくらしたんだ? 去年に話をしていたニンゲンよりも高いのか?」

「フフフ」


 それはもう含み笑いが漏れるほどすごい。


 いくら夕食が松葉蟹&但馬牛の一泊二食プランとはいえ、ものすごい。


 鞄の中に入れている茶封筒には、冬ボーナスの中から捻出したコンビニのATMが一度に吐き出せる限界である現金30万円が入っている。


 それが、俺と優紀、2人の宿泊で、その8割以上が消し飛ぶ破壊力だ。コワイ。


 翌日の宿は別の場所に取っているが、残り2割でも余裕で泊まれるし、かつ土産物を買ってもお釣りが来る金額だ。


 庶民の理解の範囲を超えている。


 思わずンゥハァー!と号泣会見をしたくなるほどの衝撃である。


 それが城崎温泉と松葉蟹の恐ろしさだ。


「多分一生に一度。二度とない体験だ。文豪が見た景色をしっかり堪能していこう。値段は非日常の体験という、お金で買えない価値で回収する」

「それで、志賀直哉の城崎の小説ってどんな内容なんだ?」

「教師のくせに知らないのかよ」

「志賀直哉が武者小路実篤むしゃのこうじさねあつと雑誌白樺(しらかば)を発刊して、白樺派と呼ばれた作家たちを輩出したことは知っている」


 優紀がまるで呪文のような、固有名詞の意味を一切理解していない文章をスラスラと読み上げる。


 さすが高校時代は東大卒の官僚唯野(ただの)よりも成績が上だった現役教師の女だ。

 

「そこまで知っているのに、肝心の作品を読んでいないあたり、さすが受験勉強の申し子だな」

「仕方ないだろう。受験で必要なのは作家と代表作の名前の組み合わせだけなんだから」

「大学で文学の講義を取っていなかったっけ?」

「ヨーロッパ文学な。なのでシェイクスピアなんかは一通り読んだ」

「俺が読んで要点をまとめたんだよ、お前のために。クリストファー・マーロウとかベン・ジョンソンとか覚えてるだろ」

「もちろんだ。ベン・ジョンソンは昔の陸上選手だし、マーロウはハードボイルド小説作家だ。『撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけだ』で有名な」


 そうかな?

 そうだったかも。


「日本文学は取ってないので、知識豊富な上戸さん、解説をお願いします」


 そう振られたからには説明せざるを得ない。


「志賀直哉の『城崎にて』は短編小説だ。代表作の暗夜行路(あんやこうろ)でも、後半に城崎の話は出てくるけど、そっちはあくまで鳥取の大山に行くまでの道中のオマケでしかないので除外する」

「有名なのに短編なんだな」

「短編の方がメジャーとかよくある話だ。内容は、山手線にはねられて負傷した主人公が、温泉療養のために、城崎温泉を訪れるというものだ」

「山手線に轢かれてよく生きてたな」

「今のJR山手線じゃなくて大正の話だからな」

「それで?」

「温泉旅館の玄関の屋根の上で蜂が死んでいた。前日まで働いていたのに気の毒だなと自分の境遇と重ねる」

「うん」

「外で景色を見るかと川沿いを歩いていると、首に串が刺さって死にかけのネズミがいて、それに車夫や子供が石を投げているのを見たが、ネズミは殺されず必死で逃げていった。運さえあればあの状態でも死なないんだなと感心する」

「うん?」


 優紀が少し首をかしげた。

 思っていたような話とのギャップに違和感があるようだ。


「主人公が川沿いを歩いていると、イモリがいた。トカゲは好きだけどヤモリは嫌いでイモリはどっちでもないと、意味不明なことを思いながら石を投げたら、直撃したイモリは死んだ」

「志賀直哉に人の心とかないんか?」

「その点、文豪やね。ちゃんとわきまえとる。自分は幸運で助かっただけで、もしかしたら小動物と同じように交通事故で死んでいたかもしれん。これから怪我が悪化して死ぬのもあり得る。ちょっとした幸運で生死を分ける小動物に、自分の境遇を重ねることで心境小説として完成させているんや」

「結局、投石されて死んだイモリが報われないんだけど」

「ロボットアニメの主人公みたいに殺したくなかったのに! と後悔してるから悪人感はあらへん」

「なんで関西弁やねん」


 車を宿の駐車場に停めて宿に入る。


 チェックイン手続きを済ませて、料金を前払い。

 さすがに消費税プラス温泉税26万を払う時には手が震えた。コワイ。


 そして、旅館の仲居さんに部屋へ案内していただいた。


 落ち着いた格式ある雰囲気の和室と窓から見える風景との調和。


 どこからどう見ても良さしかない。

 

 雪を被った枝垂れ桜に挟まれた細い水路、大谿川(おおたにがわ)の雰囲気も良い。

 観光客多すぎ問題は夜には解消するだろう。


 文豪はこれを京都の高瀬川に例えたが、川幅の狭さからして、少し東側の白川筋沿い仁王分水沿い――祇園の裏から鴨川に抜ける、明智光秀の首塚がある通り――にも似ていると思う。


 そういう意味では小京都という言葉も理解出来る。


 旅立った栄一も報われるというものだ。


 ここでトーマス・マコーレーだのを読み始めると完全に文豪なのだが、俺たちはそこまで高尚な人間ではない。


 欲にまみれた俗物だ。


 時計を見るが、昼をわずかに過ぎた時間で、温泉に入ってダラダラするには若干早い。


 年末年始+雪と凍結による渋滞で遅れることを考えて早めに出たが、いくらなんでも早すぎたらしい。


 旅館に迷惑だと思って謝罪したが、他に予約は入っていないので良いという話だった。


 ただ、温泉は清掃中ということなので、しばらく待っていて欲しいとだけ言われた。


 さすが名門旅館は余裕がある。


 荷物だけを部屋に置かせていただいて、明るいうちは遅めの昼食を兼ねて、のんびりと城崎観光をすることにする。


 外湯めぐりという、近場にある複数の日帰り温泉をハシゴするチケットも販売されているが、それには参加しない。


 別の場所で似たような温泉巡りをしたことはあるが、熱い温泉に入って出てを繰り返すと、3つ目くらいでもう動くのが面倒くさくなってくる。


 元を取ろうとすると、機械的にタイムアタックでもしているのかとばかりに温泉に入るだけになりがちだ。


 それぞれの湯の記憶も残らず、本人も疲れるだけでメリットは乏しい。


 温泉は1つで十分だ。


 今回の旅の目的は、1年間頑張った自分へのご褒美の意味もあるのだから、疲れるようなことはしたくない。


「玄武洞ってここから遠いですか?」

「歩くと少し遠いですね。駅まで歩いて観光用のバスに乗るか、電車で玄武洞駅まで戻って歩くかですね」


 宿の方から観光マップをいただいた。

 それを指して案内してくれる。


 県道を頑張って歩けば、行けなくもない距離ではあるが、微妙に遠い。


 夏場ならともかく、冬の寒さに耐えながら、交通量が多い上に歩きにくい半分雪が溶けてドロドロのアスファルトの上を進んでいくのはなかなか厳しい。


 コートの裾も靴もドロドロになる。


 車ならばすぐだが、今度は車に乗るほどの距離ではないという微妙な近さである。


「宿に来る途中に立ち寄るのが正解だったのか」

「道中に道の駅っぽい土産物センターみたいなのがあるから、ついでにそこを覗いてもいいけど?」

「土産物センターってあの大きな蟹のハサミのオブジェクトが有るところだろ。これから宿でゆっくりする時間に土産を買っても仕方ない。帰りだ帰り」


 これは、翌日に回しても特に問題ないだろう。

 どうせ城崎には一泊しかしないのだから。


「とりあえず直哉が書いていた東山公園とかいうところに行ってみるか」

「文豪を直哉呼びはやめろ」


 観光マップを見ながら、とりあえず町を東方向に歩いてみる。


 細い千本格子のはまった、風情ある温泉旅館が並ぶのは当時と同じようだ。


 一の湯のところから、細い脇道へ入っていくと、明治文豪たちの資料を集めた文芸館や、桑木細工、麦藁細工など、興味深いし、見事な細工だと感心するも、家に置くほどでもない地元工芸品が並ぶ。


 そこから先は、駅方面まで、ずっと観光客向けの店が並ぶ。


 駅に近寄るほどに、様々なグルメも観光客の数も増えてくる。


「何のコスプレ?」と尋ねてきた外国人にフリーレンと雑に返したり、観光客向けに作られたパネルで記念撮影して遊ぶなど楽しむなどする。


 飲食店は、但馬牛のなんとかはもちろん、様々なスイーツ店も多い。


 冬の時期には若干寒さが勝るのだが、それでも温泉熱を利用して作られた料理には惹かれるものがある。


「ここで、こんなに時間の余裕があると分かっていたら、途中のPAで早めの昼飯なんて食わなかったのに」

「なあ」

「夕飯に但馬牛が出るんだから、肉料理系統は却下だぞ。少し小腹を空かせたくらいの方が美味しく食える」

出石(いずし)

「この寒い時に冷たい蕎麦を本当に食べたい? あと蕎麦はそれなりに腹持ちがいいぞ。この時間に食べたら、夕飯が入らなくなる」

 

 先手を打って釘を刺しておくと優紀が黙った。


「なら、せめて冷えた体を温める何かを買おう」

「暖かいコーヒーでも買うか」

「焼きイカと熱燗も捨てがたい」

「まだ酒って時間じゃないだろ」


 立ち並ぶ店を見ていると、小麦粉と卵を混ぜた生地の中に餡子を入れて円形の型に入れて焼いた和風焼き菓子(全地域配慮型呼称)が目に入ってきた。


 小麦粉と卵を混ぜた生地の中に餡子を入れて円形の型に入れて焼いた和風焼き菓子はしばらく食べた記憶がない。


「そこの小麦粉と卵を混ぜた生地の中に餡子を入れて円形の型に入れて焼いた和風焼き菓子(翻訳済)でも買うか」

「なるほど、小麦粉と卵を混ぜた生地の中に餡子を入れて円形の型に入れて焼いた和風焼き菓子(翻訳済)ならいいな。温かいし、立ち歩きしながらでも食べられる」


 決まりだ。


 1人2個ずつ小麦粉と卵を混ぜた生地の中に餡子を入れて円形の型に入れて焼いた和風焼き菓子を購入して、東山公園を目指す。


 その時、スマホに着信があった。


 今はオフ中だぞと思いつつも、発信先を見ると、東京で年末年始も仕事をしている哀れな社畜、和泉さんからだった。


 さすがに重大事件ならば無視は出来ない。

 通話に出る。


「もしもし、何かありましたか?」

『今からでも来られないですか? 少々面倒なことがありまして』

「そうは言っても、今は城崎にいるんです。身動きが取れませんよ?」


 これは事実で説明した通り、東海道新幹線に乗るには、車に乗って延々と引き返して姫路まで出ないといけない。

 今すぐに向かうことは不可能だ。


 豊岡に但馬空港など存在していないのだ。


『城崎ですか……仕事か、それとも新しい事件が起こっているとかですか?』

「いえ、単なるプライベートです。今は温泉街を歩きながら小麦粉と卵を混ぜた生地の中に餡子を入れて円形の型に入れて焼いた和風焼き菓子を食べています」

『えっ? 何なんですかそれは? 今川焼のことですか?』


 ハァ!?


「待ってください。回転焼のことを違う名称で呼んだら、それは戦争ですよ」

『回転? 今川や――』

「――回転焼です」


 ダメだ。文化が違う。


 関西圏では小麦粉と卵を混ぜた生地の中に餡子を入れて円形の型に入れて焼いた和風焼き菓子は回転焼きと呼ぶのが基本だ。


 ちなみに兵庫県内ではメジャーな御座候(ござそうろう)は単に店の名前で、商品自体は「御座候の回転焼き」だ。


「ところで、電話の内容なのですが、それは世界が滅ぶような事件ですか?」

『いえ、そこまでではないのですが……』

「ならば、旅行から戻ったら考えます。どの道、年末年始の東海道新幹線の席を確保できるかというと……」


 電車で16時間とか、高速バス10時間とか、高速(渋滞のため高速で走行出来るとは言っていない)道路で数時間かけて行けなくもないが、さすがに億劫だ。


 俺はもう今年の業務は全て終えて、1年の疲れを落としに来たのだ。


 余程のことでなければ、なんとか東京行きは回避したい。


『伊原さんがこちらにいらしていて、一緒に飯に行こう。上戸を出せ。自宅に行ったが留守だった。どうせここか横浜に来ているんだろうと、事務所に居座っていて』


 和泉さんの口から告げられたのは、限りなくどうでもいい用事だった。


 しかも、あまり通話を続けていると、伊原さんがこちらにやってきて、せっかくの蟹を奪われるかもしれない。


 もちろん、それだけは絶対に避けたい。


 こちとら1人12万+温泉税を払って蟹を食いに来たのだ。


「ああ、ちょっと電波状態が悪いようです。切りますね」

『待ってくださいよ』

「旅行に出ているので対応できない。高校生組も受験前なので邪魔すんなと伝えてください。それでも帰らないのならば、飯と酒を与えてください。満足したら帰ります。古今東西、神は酒を飲ませたら大人しくなると決まっているんです」

『私も忙しいんです。なんとかこちらに来る手段を。サンタがどうの、トナカイがどうのとしつこくて』


 おっと、通話は電波状態が悪くて切れたようだ。

 仕方ないのでスマホの飛行機ボタンを押した。


「なんの電話だった?」

「クリスマスなのでサタンが攻めてきたらしい。まあ、大した用事じゃないし、大丈夫だ」


 この旅行では、ややこしい事件のことは一切忘れてのんびりすると決めたのだ。


「この旅では余計なことはしない。ただのんびりするだけだ」


 細かいことを気にしたら負けだと東山公園への道を進みながらふと気付いた。

 トナカイ?


 サンタも飯も別にいい。

 どうせたいしたことではない。


 問題はトナカイの方だ。

 これは文字通りの意味ではないだろう。


 昨年末に高千穂の奥で出会った邪神の話のことだ。


「とりあえず後で電話するか」


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お? あじ饅か? 自慢焼きか?(燃料投下)
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