第68話 「今はおやすみなさい」
再び、立ち入り禁止となった旧校舎に足を踏み入れることになった。
もっとも、今回は不法侵入ではない。
正式に使用許可を取り、堂々と中へ入っている。
空き教室に残っていた机や椅子を廊下へ運び出し、箒で床を掃き、埃やゴミを払って準備完了。
まずは床に墨を使って円を描く。
次に円の上の四点、東西南北の位置にホームセンターで買ってきた塩ビパイプを立てていく。
パイプの中には水を張り、仏花コーナーで調達した榊を差し込んだ。
4つの榊を結ぶように直線を引くと、円の中に正方形が浮かび上がる。
その頂点に、買い揃えてきた供物を丁寧に並べていく。
カップ酒
紙の上に盛った塩
コンビニおにぎり
コーン型のアロマ香(ラベンダーの香り)
「おにぎりは塩おにぎりでお願いします。具が入っていると何かが混じるので。特に生物はダメです。シャケとか」
「パッケージに和風だしが利いてますって書いてありますけど」
「だしなら多分セーフです。多分。どうせ昆布でしょう」
大切なことなので麻沼さんの「多分」という言葉は2度繰り返された。
2回目の多分は若干小声だった。
カツオと昆布の和風だしと書いてあるが、まあ大丈夫だろう。
正方形の内側に内接する円を描く。
接点は4点。
さらに、その円に接する正方形を描き、また円を描く。
何度か繰り返すと、ネクロノミコンに載っていた増幅魔方陣と似た幾何学的図形……もとい陣が浮かび上がった。
中央に柿原さんを配置。
「私は何をすればいいですか?」
「指示があるまで待機を」
「りょうかーい」
続いて麻沼さんが、榊やカップ酒の前に立ち、白い紙を垂らした棒、御幣を手に取る。
軽く息を整えると、静かに腕を振り上げリズムを刻むように左右へ御幣を揺らしながら、ナムナムナムと呪を唱え始めた。
カーターもその後ろに続き、聞き慣れない発音で呪文を唱え始めた。
声の調子は一定で、外国語の祈祷のようだ。
「出来れば上戸さんも協力ください。効果が増すはずです」
そう言われても、こんな儀式の作法など知る由もない。
どう動けばよいのか分からず固まっていると、麻沼さんが軽く笑いながら言った。
「ふざけなければそこまで形式は重要ではありません」
なるほど、パッケージ入りのコンビニおにぎりが供物に混じっている時点で、そのあたりは納得できる。
「上戸さんの持っている力で儀式の効果を上乗せするんです。多分うまく行きますよ、多分」
また「多分」だ。
二度目はやはり声が小さい。
仕方なく御幣の代わりに箒を振り回してそれっぽく参加する。
本当にこれで良いのかどうかは分からないが、止められないので良いのだろう。
「何か暴れているだけに見えるんですけど、本当に効果があるんですか?」
「俺に聞いてはいけない」
「上戸さんは刀を扱えるようなので、演舞のつもりでやった方が良いかもしれません」
「そこまで正式な剣術を学んだわけではないですけどね」
そもそもランクアップの時にくっついてきたオマケの能力であり、敵を倒すための心を伴わない戦闘術だ。
奉納演舞を知っているわけではないが、それでも振りと止め。技を終えた後の残心……次の技を意識した動きで箒を振り回してみる。
ダメ出しは来なくなったので、どうやらそれで良いらしい。
描いた図形の上を一通り歩いたところで麻沼さんから完了の合図が来た。
「では今からヤマンソ送還の段取りを説明するぞ」
教室の黒板にカーターがチョークで手順を書いて説明を始めた。
「まず柿原から直接能力を消すことはNG。ヤマンソは抵抗するために柿原の身体を突き破って直接この世界に異次元間を繋ぐゲートを開く可能性が出てくる」
「その場合、私は?」
「死ぬ。身体と魂に大穴を開けられて死ぬ。死体は燃やされ灰になる」
シンプルだが具体的すぎる話に柿原さんがブルっと身体を震わせた。
カーターが黒板のプラン1と書いた項目に罰を付ける。
「そこでプラン2。ヤマンソを呼び出している状態で柿原から能力を消してヤマンソをこの世界に完全に解放する」
「そんなことをすれば大暴れされるんじゃ」
「そこでここの遺跡を利用する。本当は遺跡内に入れたら良かったんだが、中は崩落が始まっていて危険なので、上に建っている旧校舎を有効活用させてもらう」
旧校舎地下の遺跡は現在進行形で崩壊が始まっているようだ。
こうやって何もせずに立っているだけでも、微振動が足元から伝わってくる。
建物ごと突然崩壊する可能性もあるので、実はこの場にいること自体がかなりのリスクがある。
「遺跡の力と麻沼さんの結界でこの場に縛り付ける。ヤマンソの能力弱体化も期待出来る。あとは全員で攻撃して、このゲートから地球に出てきたらよく分からん連中にボコられるので使えないと理解させた上でラビ助と銀の鍵の力で元いた世界に送り返す」
「完全に倒すのはなしか?」
「人間の力で邪神を完全消滅なんて無理だろ。すぐに復活するだろうし、報復のためにこの世界に戻ってくる可能性もあるので、このゲートから出てきたら損しかないと刻み込ませてお帰りいただく方がいい」
シンプルだが分かりやすい作戦だ。
ヤマンソが何かをやる前に先制攻撃で仕留めればリスクも少ない。
「ではポジションを発表。ヤマンソの炎から全員を護るディフェンダーは小森、友瀬」
「任せてください。俺の得意分野ですよ」
「私は何をすれば?」
友瀬さんが不安そうに言った。
実際防御能力など持っていないのでその疑問は当然だ。
「レーザーで炎弾の迎撃を。敵の飛び道具を防ぐにはこっちも飛び道具を使うのが一番だ」
「なるほど……やってみます」
「アタッカーは矢上、木島、赤土」
「頑張ります」
「私もやるよ」
「俺もやるけどよぉ、相手は空を飛んで近付くと燃やしてくるんだろ。俺の能力じゃ大したことは出来ないぜ」
「そこでこれを」
俺は奈良の遺跡で見つけた古代の剣をまず小森くんに渡す。
「オーラウエポン!」
その剣を小森くんが能力で強化。木島君に手渡す。
「一応伝説の剣です。直接殴りつけるよりはマシだと思います。最悪、敵に投げつけてください」
「伝説の剣……俺が勇者ポジションか」
「そこまでじゃないよ」
続いて麻沼さん……というか探偵事務所に用意していただいた消防服をアタッカーの3人に配る。
「消防服です。それなりの温度に耐えられます。ないよりはマシだと思いますので着てください。服が燃えるのも防げます」
銀色のゴワゴワした服を3人が着ているのを見て、前に巨人に立ち向かう時に似たような服を着たことを思い出した。 それも、もう半年以上前の話だ。
本当に月日が流れるのは早い。
「最後に計画の要。オレは柿原から能力を消す。麻沼さんは結界の維持に全力。そしてラビ助は」
「弱ったところで銀の鍵とうちの神さんの力で異世界への門を開くと」
代えの利かない重要なポジションだ。
だからこそ失敗は出来ない。
強く拳を握りしめる。
「準備と覚悟が済んだら手を挙げてくれ。全員手を挙げたら作戦をスタートする」
アタッカーとディフェンダーの5人がまず手を挙げた。
麻沼さんと俺が続いて。
ややあって柿原さんが手を挙げた。
「よし、作戦開始だ」
「ちょっと待って欲しい。攻撃を始める前にヤマンソと少し話がしたい」
柿原さんが手を挙げたまま言った。
「相手はただお前を利用しているだけの邪神だぞ」
「それでも」
「俺が壁で全員を護ります。だから柿原に時間をあげてください」
小森くんが頭を下げた。
そう言われては反論する理由もない。
「危険があればすぐに攻撃を開始すること。いいな」
最後の作戦が始まる。
◆ ◆ ◆
柿原さんがライターを点火。
「ヤマンソ」という静かな呼びかけと共に柿原さんの頭上の空間に黒いヒビが入った。
そのヒビを広げて出来た裂け目から花弁のような炎の塊……ヤマンソが姿を現した。
今のところ何の命令も与えられていない「それ」は何もせずに空中に浮かんでいる。
「あまり時間はないみたいだから簡単に言うよ。最初にあんたが出てきた時はいきなり燃やしに掛かってくるし、辛いし苦しいし、なんで私がこんな目にと思った」
ヤマンソは全く動かない。
ただ黙って彼女の言葉を聞いている。
「それでも楽しかった。何の取りえもない私がまるでマンガの登場人物みたいに戦えた。活躍出来た。こんな体験は後にも一生ないと思う」
やはり無反応。
ただ、何が起こるか分からないので警戒は怠らない。
「だからこれだけは伝えたい。今までありがとう。ずっと忘れない」
麻沼さんの合図を受けてカーターがアタッシュケースを開けて紫色の宝石を取り出して、そろそろと近付いた。
短い呪文と共に麻沼さんの胸元に手を当てて短く言葉を唱えると白い光が一瞬だけ光った。
それで……終わり。
リンクが途絶えたことを察したのか、宙を漂っていたヤマンソが突然動き始めた。
周囲に光る玉が浮かび上がり、衛星のように高速回転を始める。
花弁のような部分が開いて花粉のような火の粉が吹きあがり始めた。
「作戦開始! ここからはスピード勝負だ!」
「プロテクション!」
「増幅!」
小森くんがプロテクションの壁を展開した。
この場にいる全員をカバー出来るように面積は可能な限り広く。
ただそのせいで壁自体はとても薄い。
それを俺の増幅魔方陣で効果を倍増させて壁としての強度を補う。
「更に増幅!」
2個目の魔方陣で二重強化。
ヤマンソが炎を放ったが、壁に阻まれてこちらには全く届かない。
壁の範囲外に飛んだ火の粉は打ち合わせ通り、友瀬さんのアルゴスが放ったレーザーにより全て撃ち落される。
「死神の鎌!」
矢上君の喚び出したカボチャ頭が炎の鎌を作り出すと速攻でヤマンソに向かって投げつけた。
鎌は深々と突き刺さり、大きく体を揺るがす。
悲鳴の代わりにヤマンソは炎を吹き上げた。
続いてバグベア達が黄金剣を携えて飛び出した。
1体、また1体と炎に迎撃されて倒されていくが、倒される直前に黄金剣を健在な個体へパスして繋いでいく。
バスケットボールの攻撃そのものの動きだ。
「ダーンク!」
最後に残った1体が黄金剣を深々と花弁の中心へ突き刺した。
だが浅い。
剣の先端が少し刺さっただけだ。
「ごめんだけど、美味しいとこもらうよ!」
「ああ、任せた」
教室の壁を走り、天井に張り付いたエリちゃんが突き刺さった黄金剣の柄へと勢いよく跳んだ。
足元からスキルの青白い光を放ちながら黄金剣の柄へと到達して、そのまま足で剣を押し込むようにしてヤマンソの胴体を引き裂いていく。
「こっちも!」
行きがけの駄賃とばかりに突き刺さったままの死神の鎌を掴んで力任せに抜き取り、また差し直した。
それがトドメだった。
ヤマンソの周囲を護っていた光の玉は四散し、本体部分が大きく裂かれて力なく床へと落下した。
ただ巨体の割には重量はかなり軽いようだ。
振動などもほとんどない。
ヤマンソは破れた風船のように萎み、床の上へ広がっている。
元の世界に送り返すならば今がチャンスだ。
銀の鍵を片手に近寄った。
こいつについてはウムルさんのところを経由する必要はない。
むしろこんなのを連れて行ったら迷惑なだけだろう。
元の世界に直接お帰りいただく。
銀の鍵をヤマンソに突き刺すと、出現した時と同じように空間に黒いヒビが現れた。
手首の動きで鍵を逆時計回りに半回転させるとそのヒビが広がり、真っ黒な空間……異次元への出入り口が姿を現す。
「ありがとう、さようなら」
柿原さんの別れの言葉と共にヤマンソの身体が異次元の彼方へ消えていく。
「天神は天の磐門を押披、天八重雲を伊頭千別に千別て、聞きこし食む……」
柿原さんの言った通り、こいつがいたことで助かったことは多い。
せめてもの餞別として祈りの言葉でも送っておくことにする。
宗派は違うだろうが、そこに転がっているコンビニおにぎりと同じで重要なのは形ではないと思っている。
「どこで知ったんだよ、そんな呪文」
カーターが成果を見届けるためか近寄ってきた。
「神社で神主が唱えてる大祓の祝詞だよ。山の神を讃えてお帰りいただくやつ」
「ヤマンソのヤマは山って意味じゃないことは分かっているよな」
「イオマグヌッソの読み方違いだろ。知ってるよ。それでも別の世界からやってきた神は山の神みたいなもなんだから送っておきたい。素人がスマホで調べたのを読み上げてるだけのうろ覚えだがな」
そうしている間にもヤマンソの身体は異次元の向こうへほとんど消えていった。
「……罪と云ふ罪は在らじと、祓へ給ひ清め給ふ事ことを、天つ神、國つ神、八百萬?の神等共に、聞きこし食?と白す」
最後に銀の鍵を右に半回転してヒビを閉じる。
「ありがとうございました」
◆ ◆ ◆
「全員整列!」
バグベア達が横一列に並び、右手を掲げる。
その手を木島君が叩いていく。
「本チームは今日で解散だ。短い間だったが楽しかった。お前達と共に夏の大会を戦えなかったのは残念に思う。どの道、獣が出られる大会などないんだが」
何の大会に出るつもりだよ。
「だが、部活の後輩たちは順調に育っている。お前達との経験は決して無駄にしない。必ず結果を出してみせる。だから——お前たちは草葉の陰で見守っていてくれ」
返事はない。
バグベア達に喋る能力はないからだ。
ただ、その代わりに高らかな雄叫びがあった。
それは敬礼の代わりであり、別れの挨拶でもあった。
木島君は静かに目を閉じる。
その表情は穏やかで、どこか満ち足りていた。
カーターが近付いていき、胸元に手を当てると一瞬光がほとばしる。
バグベア達は音もなく静かに消えていた。
「あいつら死んだのか?」
普段は陽気な木島君の顔もどこか元気がない。
能力で出てくる兵士というよりもどこか仲間だという意識の方が強かったのだろう。
「死んではいない」
カーターは首を横に振り、木島君の胸を指さした。
「お前のそこに眠っている」
「心の中に想い出としているってことか」
「そうじゃなくオレがやっているのは能力の消滅じゃなく停止だ。だから待機状態に切り替わっただけでずっとそこにいる」
「それは本当ですか?」
「別に消えたりしないと?」
能力消去の順番待ちをしていた友瀬さんと矢上君がカーターに詰め寄った。
「嘘をついても仕方ないだろ。肉体や精神が変化してるのを治すのは難易度が高いし危険が伴うから今の方式にしたと前に説明した通りだ」
「ということはアル君と別れなくて済む?」
「まあそういうことだ」
それを聞いた友瀬さんと矢上君は手を取り合って飛び上がって喜んだ。
「じゃあそういうことだから、順番に消していくぞ」
「なら私からお願いします」
友瀬さんが前に出た。
その胸元の布がもぞりと動き、赤い羽根が覗く。
服の隙間から赤い孔雀——アルゴスがぬっと顔を出した。
「大丈夫、今はちょっと眠るだけだから」
友瀬さんがそっと声をかける。
その声に安心したのか、アルゴスは短く鳴いて再び胸元に潜り込んだ。
カーターが紫色の宝石を片手に友瀬さんの胸元に……。
「卑猥なことは禁止だぞ」
「誰がするかよ! そんなことを考えるのはお前の心が汚れているからだ」
カーターに警告するが、何故かブーメランが返ってきた。
場の空気が一瞬だけ緩む。
手続きは淡々と進み、一瞬の閃光の後、布地がわずかに沈むように凹んだ。
アルゴスが消えたのだ。
「おやすみ、アル君」
友瀬さんが名残惜しそうに微笑んだ。
最後は矢上君だ。
カボチャ頭の怪人に手を差し出して握手を促す。
カボチャ頭も無言でそれを受けた。
「初めて会ってから今まで色々な戦いをしてきたけど、その度に助けられてきた。平和なのが一番だけど、またピンチがやってきたらその時は力を貸してほしい」
ジャック・オー・ランタンは小さくうなずき、矢上君から数歩離れる。
そして右手を胸に当て、執事のように礼儀正しく、道化師のように仰々しく見栄を切ったポーズで深く頭を下げた。
次の瞬間、光が煌めき——その姿は、音も立てずに消えた。
「ありがとう。ジャック・オー・ランタン」
これで全て元通りだ。
矢上君達は日常に帰る。
そして俺達もこの横浜から自宅へ……日常へ帰る時が近付いてきた。




