第64話 「巨象」
最初のエレベーターがある部屋を抜けてからは、驚くほど静かだった。
ザコ敵の姿は影も形もない。
あれだけたくさん倒したのだ。
さすがに援軍はもう出てくることはないだろう。多分。
だが逆に言うと、今は門番のようなボスさえ突破すれば、そのまま最深部に辿り着ける可能性が高いということでもある。多分。
だから、もう道中に危険はないはずだ。そう、ないはずなのだが。
どうにも胸の奥で、直感が「まだ終わっていない」と警鐘を鳴らしていた。
無機質な通路がただ真っ直ぐ伸びているだけの光景を目にしたとき、その違和感はより強くなる。
何もないとわかっているからこそ、逆に何かが潜んでいると感じてしまう——そんな感覚だ。
「根拠はないけど……罠がある気がする」
「俺もそう思いますけど……」
小森くんも勘で何かを察しているようだが、やはり具体的に何があるのかまでは掴めていないようだ。
ここで頼りになりそうなのは、エリちゃんの鋭い五感と麻沼さんの経験だ。
期待を込めて視線を送ると、通路方向を見てインコのように首を捻り続けた後に、
「……何かヒントを」
と返してきた。
あてもなく隠された何かを見つけるのも、国語の問題文から出題者の意図を読み取るのが苦手なのは以前から変わらない。
試験問題は作者の考えていることを読み取ったり感想文を書く場じゃないんだ。
出題者が答えて欲しい模範解答を答えるテストなんだ。
「経験からすると非常シャッター的な通行を遮断する壁が出現するとか、槍衾が飛び出してくるとかですかね」
こちらは麻沼さん。
俺達3人は異世界でそれなりに旅をこなしてきたが、ダンジョン捜索についてはそれほど経験がない。
現代日本であちこち事件を解決してきた(らしい)彼女の方が一日の長があるだろう。
「罠は一度使ったらそれっきりということはなく、メンテンスして再利用していると考えれば必然と見破る方法も分かります」
「つまり、いきなり通路ごと爆発するような豪快な仕掛けはないと」
「後始末は大変ですからね。落とし穴はゴミが詰まって整備が面倒なので意外と使われないようなものです」
もっともな理屈だ。
謎の技術で通路ごと爆破した後に破損部分を自己修復というダイナミックな変な仕掛けも考えられなくもないが、そういうのを考慮に入れるとキリがなくなる。
「落とし穴の掃除は大変なんですよ」
「まるで体験したみたいに言いますね」
「……大変でしたよ。落ち葉や土が溜まった雨水と一緒に腐るんですよ」
妙に具体的な例が出てきた以上はツッコまない方が良さそうだ。
つまり、仕掛けるとなると天井か壁。
ここが宇宙船ということを踏まえて、罠を仕掛けるためだけに横に空間を取れないと考えると壁はないだろう。多分。
「天井を注目して見て欲しい」
「ならあそこの透明になってるところかな」
エリちゃんが目を細めながら、5mほど先の天井を指した。
もちろん俺の目にはただの天井にしか見えず、何が透明なのかわからない。
周囲が深い霧に包まれており、視界があまり利かないことも相まって余計にだ。
「ちょっと角度を変えたら分かると思う。ガラスみたいなのがハマっているみたいで反射するから」
カメラが入っていることを前提に使い魔を死角になる位置から接近させてみると、エリちゃんの言う通りガラスかアクリルかそれに類する透明素材で覆われており、その先に円形のセンサーかカメラらしきものが見えた。
「透明な場所の少し手前には切れ目が入ってるよ。シャッターか何かが降りてくる仕掛けがあるんじゃないかな?」
そちらも使い魔の視点で確認出来た。
目の良さは流石だ。
俺には普通の天井に張られているパネルラインとしか見えなかった。
「センサーで検知して別の罠が発動という仕組みでしょうか」
「SFっぽくレーザーを発射する装置も有ったりしませんか?」
ここで今までずっと無言だった柿原さんが会話に参加してきた。
船内を傷付けることを防ぐために武装の類を使用することはないと考えていたが、シャッターで区切って他に被害が広がらないようにすれば、使っても支障はないのか。
「詳細は不明ですが、全部焼き払っておきましょう」
疑惑のポイントに向けて強化なしのスタンダード版「極光」を放つ。
基本的には光である極光は霧の中では拡散して威力も射程も相当低下する。
物理的な破壊力という点では物足りないものがあるが、センサーやカメラの類、機械の基盤などを焼くには十分だ。
むしろ宇宙船を無駄に破壊しない分だけ影響を考えなくて済む。
シャッターの方も本体は破壊出来なくとも、シャッターを動かす動力部などを壊せたら無力化出来る。
直撃を受けた天井の透明な部分からはぶすぶすと煙が噴き出し始めた。
「床もお願いします。何かスイッチの類があるかもしれません」
スキルの持続時間には余裕がある。
麻沼さんの指摘を受けて光線を床面に向けて照射する。
床面の表面が熱で溶けたように波打ったが、特に煙などは上がらず。
罠がないのか、単に威力が出なくて破壊出来ていないだけなのか判断に困るが、まあ大丈夫という方向で進めたい。
「流石に罠潰しは出来ましたが注意して進みましょう」
一応、事前に打てる罠潰しは済んだと言えるだろう。
「プロテクション!」
小森くんが斜め向きに壁を作り出して先頭に立った。
「俺が壁で防御しながら進むので、みんなは後から付いてきてくれ」
「じゃあ私は少し後ろから」
小森くんのやや後方にエリちゃんが立って通路を進み始める。
小森くんのスキルで身を守りつつ、エリちゃんの直感と反応速度で対応。
2人に危険がないとはとても言えないが、全員の安全を考えるならばこれがベストだ。
「柿原さん、私達も続きましょう」
麻沼さんと柿原さんは追って後に続く。
「上戸さんは後方から警戒を」
「もちろんです。背後からの奇襲対策は任せてください」
「そうではなく少し離れた位置からだと気付くこともあると思います。注意喚起をお願いします」
「なるほど、そちらね。了解です」
最近はソロや前線に立つことが多くて忘れがちだったが、魔法使いは一番クールで、常に氷のように冷静で戦局を見ていなければならないってのは昔の偉い人も言っていることだ。
久々に参謀ポジションとして後ろで楽をさせてもらおう。
まずはシャッターが下りてくるかもしれないと予想した天井の切れ目の真下を通る。
直後にガタンと大きな音が天井から鳴り、先頭の小森くんが身構えたが、それ以上は何も起こらず。
「慎重に」
「分かってます。慎重に」
何故か人差し指を口に当てて小声で声を掛け合う。
事前に対策はしているし、プロテクションの壁で防ぐことも出来るが、何が起こるか分からない状態は継続している。
全員神経を集中させた状態で直進通路を通過した。
◆ ◆ ◆
長い通路を抜けて到着したのは何もないただ広いだけの部屋だった。
何のためにこんな部屋が存在するのか。
理由はすぐに分かった。
部屋の中央にひときわ大きな影がうずくまっている。
巨体に長い鼻と広い耳。それに鋭く尖った牙。
要素だけを拾えば象そのものだが、実際の見た目は全く異なっている。
まず、前足が長すぎる。
普通の象の足は前後の脚はほぼ同じ長さだが、目の前の怪物は前脚だけが異様に長く、まるで二足歩行の動物が手を地面につけているような体勢に見える。
顔はさらにおぞましい。
頭部はまるで骨格のように中央に眼が一つだけ。
死んだ魚のような濁った眼球はギョロギョロと動き回り、室内に入った俺達を舐めるように見回している。
長い鼻の下には、あり得ない裂け口。
口腔の奥まで割れ込んだその隙間からは、獣の牙よりも鋭く尖った牙が幾重にも覗いていた。
「こいつ何なの?」
「名前を含めた詳細は友瀬さんの分析がないと分からないが、門番的な存在だということは分かる」
「倒さないと先に進めないってわけか」
小森くんとエリちゃん、前衛の2人が身構える。
今までザコ敵がほぼ出なかったところにこれだ。
ボス的なポジションと考えてもおかしくはないだろう。
それはそれとしてだ。
「……ギリメカラだ。テトラカーンを使うぞ」
「なんなんですか、それ?」
「物理反射よ。ここは私の出番かもしれない」
俺のボケに柿原さんが乗ってきてくれた。
「2人だけで分かったつもりなのは困るんだが、情報共有を頼む」
「何の話? 私は何も言ってないけど」
「そうそう、細かいことを気にする男は嫌われるぞ」
「だからテトラカーンって何?」
ゲームに似た敵が出るってだけの話だよ!
答えに困るから深く突っ込まないでよ!
「パワー系の敵みたいだから遠距離から仕留めようって話だよ」
「そうそう、接近戦よりも遠くから攻撃すれば良いじゃないってこと」
「なんでそんなに息がピッタリなんだよ」
どうして今回に限って、こんなに細かく突っ込んでくるのか。
何にせよ——敵を叩き伏せれば全部解決する話だ。
「増幅!」
「来い、ヤマンソ!」
俺は即座に増幅魔方陣を展開。
柿原さんは使い魔を喚び出す。
これ以上余計なやり取りが入る前に、2人で息を合わせた速攻で仕留める。
「増幅射矢!」
「火炎放射!」
ドリルのように回転した使い魔の体当たりが胴体を貫き、大穴を開けた。
直後、頭上からは業火の雨が降り注ぎ、厚い皮膚を容赦なく焦がしていく。
並の生物ならその場で絶命するはずだ。
だが、手応えがあまりに薄い。
巨象は致命傷にしか見えない傷を抱え、体表に火を燻ぶらせたまま、何事もなかったかのようにこちらを振り返った。
濁った瞳が俺たちを射抜く。
麻沼さんが追撃で拳銃を数発発砲するが、やはりまるで怯んだ様子はない。
ちなみに物理反射はしなかった。
「それは例の特殊弾ですか?」
「自衛隊でも採用されている9mm弾頭……決して弱くはないはずですが」
ズシンと床を揺らして巨体が腰を落とした。
突撃槍のごとき長い牙を前に突き出し、後脚で地面を蹴る動作を繰り返す。
威嚇の意味もあるであろう予備動作。
次の瞬間には、地響きと共に突進してくるだろう。
迎撃するか、一度避けるか……。
「柿原はこちら!」
「麻沼さんはこっちに!」
俺が判断を下すより先に小森くんとエリちゃんが振り返って柿原さんと麻沼さんの2人に声を掛けた。
「俺は?」
「頑張って避けて!」
小森くんが柿原さんを後で紛糾しそうなお姫様抱っこで。
エリちゃんが麻沼さんをまるで米袋でも担ぐように肩に乗せて勢い良く壁方向へ横っ飛びした。
なんだろうこの扱いの差は。
能力を信頼されているのだろうが、俺もお姫様抱っこで楽々退避したかった。
「浮遊!」
すかさず箒で天井スレスレの位置まで飛び上がると、今まで立っていた場所を豪風が駆け抜けた。
巨象の突進は予想以上に早くパワフルだ。
直撃を受けたらひとたまりもなかっただろう。
だが、悠長に構えている暇はなかった。
巨象は部屋の端まで突っ走ると、壁に激突する直前で急停止。
まるでフィギュアスケート選手のように片足で滑らかにターンを決め、その巨体を器用に反転させる。
慣性の法則を無視したあまりに急な動きで軸足がおかしな方向にねじれているが、やはりダメージを感じているようには見えない。
そして再び、轟音と共に突進を仕掛けてきた。
それだけでは終わらない。
背中の裂け目から、黒い「何か」が無数に伸び出し、鞭のように大きくしなった。
「盾!」
咄嗟に盾を斜めに展開。
飛来した「何か」の先端を逸らして直撃を避けた上で箒を飛ばして射程外へ移動する。
巨象の背から噴き出したのは、漆黒の触腕。
太い蛇のように蠢き、イソギンチャクのように幾十も伸び広がると、高速で振るわれて空気を裂いた。
「なんだこれ、象じゃないのかよ!」
「最初から象じゃなかったでしょ。その……ギリなんとかってやつじゃないんですか?」
小森くんは即座にプロテクションの壁を張り巡らせ、叩きつけられる触手の連撃を受け止める。
一方でエリちゃんは軽やかな動きで踏み込み、鋭い手刀で迎撃していく。
攻撃と防御。柔と剛。
スタイルの違いはあるが、2人は巨象の攻撃を完全に防ぎ切った。
流石に今までの経験の蓄積がある。
初見とはいえ、そう簡単にやられはしない。
ただ、今のところ防げてはいるが、このまま持久戦に持ち込まれるとスキルの使用間隔や体力の差でじわじわ削り取られるだろう。 早めに反撃で仕留める必要がある。
「敵は象ではありません。おそらくこの敵が知っている生物の強い部位を組み合わせているんです」
エリちゃんの後方に身を隠した麻沼さんが叫んだ。
まだ残弾がある拳銃のカートリッジを丁寧に収納する余裕がないと雑に捨て、上着の内ポケットに入れていた予備カートリッジに差し替えた。
おそらく異形の存在に対して効果がある特殊弾に装填し直したのだ。
「象のパーツが多くて騙されますが、前脚は猿系、後ろ脚は牛、背中の触手はタコかイソギンチャクです!」
更に言うと口は肉食獣の何か。
牙はトドかセイウチからコピーしている可能性が高いのか。
よく見ると広い象の耳に見えるものは鳥の翼だ。
ここは天井が低い部屋だから地上戦に徹しているだけで、その気になれば空も飛べるのだろう。
「引きちぎった触手もラビちゃんが開けた穴の断面も黒いよ。骨もないみたい。何かヒントになる?」
エリちゃんからヒントが飛び出した。
肉体の断面が黒いならば、遺伝子組み合わせ的なキメラではないだろう。
「粘土みたいな構造でパーツ単位で擬態してる?」
「スライムとかドッペルゲンガー的なやつ?」
小森くんの推測でだいたい推測はついた。
奈良の地下遺跡でも出会ったあいつだ。
「不定形生命体のショゴス! 高い再生能力と擬態能力。そして少々身体が千切れても死なない生命力を持っている」
「弱点なんてないって聞こえるんですけど」
「だから全員の火力を集中させて再生能力と生命力を超えるダメージを与えてやればいい」
長期戦になると不利だ。
最大火力の短期決戦で勝負を決める。
「でもまずはこの攻撃をどうにかしないと」
「今から一瞬だけど攻撃を止める。その間に全員で反撃するんだ」
盾を解除して増幅魔方陣に作り替え。
「増幅極光!」
強化した極光は切断力はあるが、攻撃範囲を収束させているために瞬時に巨大な敵の全身を切り刻んだりは出来ない。
今回のような再生力が高い相手だと猶更だ。
なので攻撃範囲を絞って、最低限必要な部位だけを切除する。
まずは収束させたレーザー光線をコントロールして巨体を支える後脚を切断する。
突進攻撃だけではなく、移動や回避の要になる脚を失えば何も出来なくなる。
光速の攻撃を回避することは出来ず、脚部は胴体から切り離された。
それなりのダメージがあったはずだが、巨象の表情は変わらずうめき声1つ上げない。
所詮は見た目だけの擬態だということだろう。
それを証明するように、本体部分から切り離されてただのパーツとなった脚部は瞬時に変色。
漆黒の泥のようになって床へと広がった。
更に追撃。
触手一本ずつを狙ってなどいられない。
多数の触手の基部である背中目掛けて大きく薙ぎ払うと、小森くんやエリちゃん、はたまた俺の方へと伸びていた触手は力を失って次々と床へと落ちていった。
脚部と同じように黒い水たまりを作る。
もしかするとこのダメージも再生して元通りになるかもしれない。
だが、それは瞬時ではない。
「今だ、総攻撃のチャンス!」
俺の合図で全員が動いた。
「高いんですから、後で回収させてくださいよ!」
まずは麻沼さんが目立つ眼球に向けて立て続けに3発を発砲。
明らかに拳銃の威力ではない爆音を轟かせた後に巨象の眼球が大きく弾けた。
間髪入れずに小森くんとエリちゃんが飛び出した。
「いつもの斧は出せない?」
「壁を出したばっかりだからしばらく出せない!」
「アヤちゃんを護るためだから仕方ないね」
「俺の能力はアヤちゃんだけじゃなく手の届く人を全員護る壁だよ」
「それは良かった!」
2人は高速で巨象の周りを走り回りながら何度も攻撃を入れていく。
巨象が前脚や長い鼻を使って反撃を試みるも、まるで当たらない。
当然だ。
脚を失って動きが低下している上に、この程度の相手に今更負ける理由などない。
2人の攻撃で前脚や鼻を破壊され、巨象の巨体が横たわった。
巨象の姿が変化していく。
全身が黒く染まり、それまでの攻撃で千切れて床に垂れたタールのような液体を取り込んで小山のように盛り上がった。
斑点のようなものが浮かび上がったかと思うと、それらが眼球の形を成していく。
受けたダメージが大きすぎてショゴスが擬態を維持出来なくなったのだろう。
その巨体が横っぱなから放たれた炎の濁流に包まれた。
柿原さんが喚び出したヤマンソが放ったレイジングインフェルノなる熱線攻撃だ。
「燃えるゴミは月曜と金曜日! |Separating garbage properly《ゴミの分別は適切にね》!」
「うちは火曜と金曜」
エリちゃんの地元情報の説明と共にショゴスは熱線を受けて跡形もなく燃え尽きた。
ちなみにうちは月曜と木曜です。
念のために周囲を調べるが、ショゴスの残骸は残っていないようだ。
やはりよく分からないナマモノは燃やすに限る。
何故か自信満々に右手を掲げている柿原さんに全員でタッチしていく。
「戦闘はこれで最後ですかね?」
「ザコ敵もボス敵も倒したんだ。もう残ってはいないんだろうけど」
流石の「いにしえのもの」もこれだけ短時間で敵が片付けられるとは思ってもいないだろう。
もしかしたら戦力の補充も出来るかもしれないが、その前に最深部にたどり着いてしまえばいい。
「急ごう、もう邪魔者はいないはずだ」




