第59話 「第三海堡」
市ヶ谷議員所有のヨットはヨットハーバーにはなかった。
何者かが出港させたということで間違いなさそうだ。
他に停泊している同型のヨットを見ると乗員は2人から4人。
船体はかなり小さく、外洋に出ることは無理という話も納得出来る。
スマホで型番を検索してメーカーのホームページを表示させてスペックを確認してみる。
どうやら帆の扱いが分からない素人でも速度の遅いモーターボードとして使うことは十分可能なようだ。
エンジンだけで無理な動かすと燃費は相当悪いようだが、流石に東京湾の中を移動するくらいなら十分持ちそうだ。
「ヨットが動かされているのは確定として、ここからどうやって海上へ追跡調査を?」
八頭さんがヨットハーバーに停泊している他のヨットを見ながら俺に尋ねてきた。
「空を飛びます。ただ飛ぶのは良いんですが……」
今度はスマホで地図アプリを表示。
現在地点と第三海堡の位置を再確認する。
距離自体は近いので、いくらヨットの速度が遅くとも東啓一郎氏が船に乗ったのは推定3時間前だ。
とっくに現地に到着して何かしらの活動を始めていてもおかしくはない。
この3時間のタイムロスはあまりに大きい。
箒に乗って最高速で飛べば15分ほどで到着出来るので、少しはその差を埋められるかもしれない。
だが、問題は途中にある2つの施設……海上自衛隊と米軍の横須賀基地だ。
横浜から南東方向へ移動となると、この2つの施設を掠めるように通る必要が出てくる。
「横須賀の自衛隊と米軍基地の横は通りたくないですね。その2つの組織は民間と持っている装備の質が違います」
どちらも民間用とはレベルの違うレーダーセンサーや暗視装置を持っており、人間サイズの飛翔体でも充分補足可能だろう。
俺が箒で飛行しているところをあまり見られたくない。
色々と話がややこしくなってくる。
「自衛隊ならばともかく、米軍相手では私達もどうしようもない。それどころか米軍から空飛ぶ人間の情報が流れたら今度は米国政府が情報を寄越せと出てくるかもしれない。そうなると隠蔽は不可能だ」
「ですので、陸路で迂回してリスク回避しようと思います。具体的には三浦半島の付け根の浦賀……観音崎あたりから出ようと思います」
地図を指した地点は明治時代にペリーの黒船がやってきたことで有名な浦賀である。
第三海堡までの直線距離は最短。
自衛隊や米軍基地とも少し距離がある。
飛行していたところで気づかれる可能性は低い。
「懸念事項はこの周辺が釣りの穴場ということですね」
八頭さんもスマホを操作して第三海堡の地図を表示させた。
「要塞の残骸が漁礁となったおかげでここには多くの魚が住み着いており、地元漁師や釣り人には穴場として有名な場所なんです。実際、海から飛び出た第三海堡の残骸はほぼ撤去されましたが、地元漁師の嘆願により、コンクリ塊の一部は再度海中に戻されたんです」
「つまり近くに漁船がいる可能性も?」
「地元漁師が漁を行う時間についての情報がありません。果たして漁船がいるかいないのか」
現在時間は午前2時。
実際に現地に到着する時刻は午前3時になるだろう。
目撃される確率を減らすには、こちらも目立たないように動く必要がある。
難しいミッションだがやるしかない。
「もう少し早い時間からならば、釣り漁船チャーター出来たのですが」
「連中が海底遺跡を調べているというのは私の推測でしかありません。実際には広範囲を捜索が必要ですので、移動速度の遅い船では結局ダメです」
「飛ぶしかないとなると、なるべく目立たない服装が必要ということですな」
「はい。ですが、この時間だと開いている店でコートなどを調達することは難しいです。今の服のまま行くしかありません」
「ならば、有り物で行くしかないでしょう」
蘆名さんはそう言うと指をパチンと鳴らした。
それが何かの符丁だったのか須磨さんが無言で頷いた後に車のトランクの奥の方からデパートの紙袋を引っ張り出した。
そして中から何か黒い布のようなものを取り出した蘆名さんに渡した。
蘆名さんはそれを丸めて俺の方へ投げてきたので空中でキャッチして広げる。
それはかなり古いデザインの警官用のコートと帽子だった。
元々は帽子やコートには警察のエムブレムが入っていたようだが、それらは丁寧に外されており、無地になっている。
「私が昔に使っていたコートと帽子だ。捨てようと思っていたが、暗い中で身を隠すにはちょうど良いだろう。タンスの奥で眠らせて終わらせるよりも、使っていただけると有り難い」
「着古しですか?」
「クリーニングはしてある」
「ホコリ臭いですけど」
「とっくに廃盤になった年代物だ。我慢してくれ」
「道理で昔の映画でしか見ないデザインだと思いました」
物としては悪くなさそうなのでコートに袖を通す。
明らかにサイズが合っていないコートは全部のボタンを閉じて長過ぎる袖は適当に調整ベルトで縛った。
俺にはやはり限界超越で生えてきた白のコスプレ衣装よりも、ダボついた全身黒ずくめのスタイルがよく似合う。
最後に帽子の調整バンドをめいいっぱい締めて被り、つばを掴んで調整する。
体格の良い蘆名さんが着ると腰くらいの丈なのだろうが、俺が着ると膝くらいまである。
動きにくくはあるが、身を隠す分にはこれくらい隠れてくれる方が良さそうだ。
「では私からはこちらを」
八頭さんが鞄から取り出したのは手錠が2つと小型の無線機。
それと警察手帳……によく似たデザインのただのメモ帳だ。
「もし市ヶ谷議員のヨットを発見したら『犯人』を拘束。無線機を使って海上保安庁に通報してください。盗まれたヨットを使って米軍基地の近くで何かやっていた怪しい連中がいると」
「その場合はなんと名乗れば?」
「警視庁の加古川刑事で良いんじゃないですか? 上の方は調整しておきますので、現場はその場だけ誤魔化せたらそれで良いと思います」
急に雑になった。
それで大丈夫なのかという懸念は残るが、とりあえずやるしかない。
「我々は魔法やら何やら超能力は持っておらんので、ここから先の手助けは出来ん」
「その代わりと言っては何ですが、ここから須磨に車で浦賀まで送らせます。一度東京まで戻っては、かなりのタイムロスになりますので」
「お心遣いありがとうございます。でも、蘆名さんと八頭さんは?」
「私達はまだここでやるべきことがありますので」
八頭さんがにこやかに微笑んだ。
おそらくまた俺の知らないところでろくでもないことを企んでいそうではあるが、どうせ聞いても教えてくれないだろうし深く考えたところで結論など出ない問題だ。
「上戸さん、それでは行きましょう」
「お願いします」
須磨さんが運転席に乗ったのを見て、蘆名さんと八頭さんに礼をした後に俺も助手席に乗り込む。
「時間との勝負です。出してください」
「浦賀の海岸沿いまでで良いですね?」
「はい。自衛隊と米軍の基地から少し離れた場所に降ろしていただけたら、あとはなんとかします」
◆ ◆ ◆
時間は午前3時より少し前。
夜の東京湾は沿岸の港湾施設の灯りで思っていたよりも暗くない。
2月の日の出は6時30分くらいなので、タイムリミットとしてはそこを設定したい。
日が昇ると不審者として通報されかねない。
俺が車から降りるや否や須磨さんは蘆名さん達を拾って東京の事務所に戻ると引き返していった。
ではこちらもミッションスタートだ。
まずは鳥の使い魔を召喚。
スマホで現在位置と第三海堡がある方角を確認した後に発進する。
箒に飛び乗り、帽子が飛ばないようにあご紐をしっかりと締めて、箒の前方に盾を展開。
盾で空気抵抗を防ぎながら一気に加速して飛び立つ。
1羽の使い魔は上空500mほどの高さまで打ち上げた。
俯瞰で周辺の船などの位置を把握しながら進むことにする。
上空から見ると近くに漁船らしき船影が何隻か確認出来た。
派手な照明を点けて強い光を放っているので位置は分かりやすい。
光に集まる性質を持った魚やイカなどを獲っているのだろうか?
それと同時に自衛隊や米軍基地や海上保安庁の巡視船の位置にはくれぐれも注意だ。
あまり箒の速度を上げすぎるとレーダー網に引っかかるかもしれない。
少し速いモーターボートくらいで低空ならば、釣り人の漁船だと誤認されるかもしれない。
黒い服のおかげで人間の目視ならば逃れられるだろうから、敵は電波の目だけだ。
ここは慎重に進みたい。
空から東京湾を見ると、深夜だというのに驚くほど多くの船が動き回っている。
沿岸部の方も絶えることなく光が明滅しており、改めて陸や海で昼夜問わず働く人の多さに驚かされる。
みなさんお疲れ様だ。
かくいう俺も深夜にこうやって海の上を移動させられている哀れな働き者の1人ではあるのだが。
見積もりだと小森くんの学校に忍び込んだ後は後方からたまに指示、たまに戦闘するだけの楽な仕事で終わるはずだった。
それが、どうしてこうなったのか?
試験か? 試験時期に被って学生達が動けないのがまずかったのか?
「……もう早く終わらせて帰って寝よう」
ある程度進んだところでポケットからスマホを取り出した。
第三海堡は既に撤去されているために海面に出ている目印はない。
スマホのGPSだけが頼りだ。
少し離れた場所から位置の確認を行い――第三海堡の近くに浮かぶ一艇のヨットがあることを目視で確認出来た。
「見つけたけど……どうやって中を調べるか」
◆ ◆ ◆
まずは使い魔を沈めてそのまま海中からヨットに接近させる。
船体に沿ってゆっくりと甲板に上がらせて状況を確認。
中に乗っているのは1人の男。
どうやらオーディオで何か曲を流しているようで、椅子に踏ん反り返り、指で椅子の肘掛けを叩き、首を振ってリズムを取っている。
狭い船内に老人やミイラの姿は見当たらず、居るのはこの男1人のみ。
留守番をされているようにも見えるが、こんな洋上で何を待つというのか?
「状況が全然分からないが、勝手に港から持ち出されたヨットに乗っているやつがまともなわけはないな。まずは拘束をするか」
奇襲の妨げになるものはない。
先行で送り込んだ使い魔と同じルートで次々と鳥達をキャビン内に送り込ませて男の死角に潜ませる。
それなりの音は鳴っていると思うのだが、よほど大音量で音楽を聴いているからか、男はまるで気付かないようだ。
男が目を瞑って大きく口を開いた……おそらく曲のサビに併せて歌い始めるという完全に油断したタイミングで一気に攻撃を仕掛ける。
四方八方から使い魔による一瞬での6連撃。
直撃を受けた男が指と首ではなく、全身で不定期なビートを刻み始めたところでミッション完了だ。
もはや邪魔するものは何もない。
箒を飛ばして一気にヨットへと近付き、甲板の上へ飛び降りた。
海の上とは思えぬほどの重低音のハードロックによってキャビンどころか船体全てが震えていた。
壁も床もパワフルな16ビートを刻んでおり、まるで洋上のミュージックバーか場末のパチンコ屋だ。
「こんな爆音を聞き続けてたら耳が壊れるぞ」
眉をひそめつつキャビンへ足を踏み入れると更に耐えきれないほどの音圧が身体を震わせる。
コンソール上にオーディオのランプが明滅していたので、まずはオーディオの電源を切った。
次の瞬間、今度は椅子の上で昏倒している男の方からハードロックが流れ出す。
どうやらスマホか何かで流していた音楽をBluetoothを使って船のオーディオスピーカーで鳴らしていたのだろう。
男のポケットからスマホを引きずり出して、白目を剥いた男の指をセンサーに押し付ける。
スマホのロックが外れたので、オーディオアプリを停止させると、ようやく深夜の暗く静かな海が戻ってきた。
男の両腕を手錠で拘束する。
気を取り直し、まずは状況報告のために八頭さんへ電話を掛けようとした時に、船が静かすぎることに気付いた。
ヨットの揺れがいくらなんでも少なすぎる。
風も波もあるというのに、この小さいヨットはほとんど揺れていない。
まるで巨大な錨で固定されているか、どこかに係留しているかのようだ。
錨はこのサイズの船に付いているとは思えない。
ヨットには高性能の電子制御機能があり、船が自動でバランスを取っているという可能性について少しだけ考えたが、おそらく違うだろう。
使い魔達に船の周囲を探らせて、すぐに理由は分かった。
海面を割って、円筒形の金属製の柱がにょっきりと突き出していた。
海面からの高さは3メートルほどか?
銀色の光沢を持つその表面は、潮風に晒されているというのに腐食の跡ひとつなく、貝や海藻なども付着していない。
ヨットはその柱に、まるで港の桟橋に繋がれているかのようにロープで固定されている。
「第三海堡の設備がまだ残っていた……というわけじゃないよな。こんなものが残っていたら、誰かしら何か記録に残しているはずだ」
柱は激しい波が打ち寄せても微動だにせず、その堅牢さが分かる。
キャビンを出て甲板から柱に近付くと中腹にまるで金属の扉でもあるかのような四角い輪郭が浮かんでいる。
その脇にはボタンが取り付けられている。
見た目だけだとエレベーターのようにも見えるが……。
半信半疑で指を伸ばしてボタンを押すと、甲高い機械音とともに扉が左右に開いた。
内部はエレベーターのような小部屋になっていた。
実際、エレベーターとしての機能があるのかもしれない。
「ボタンを押してもなかなか来ない、うちの会社ビルのエレベーターよりも優秀みたいだな」
中を少しだけ覗き込んでいると、ゴンドラ部分の隙間から底が見える。
湿気った海の磯の匂いではない。
カビと埃が入り混じったような地下の乾いた匂いだ。
「……あり得ない。ここは海の上だぞ」
信じがたいが、実際にあるのだから認めざるを得ない。
このエレベーターで降りた先にあるのが、海底遺跡で間違いないだろう。
だが、他の地域にあった遺跡はみんな石造りの遺跡だった。
こんなエレベーターのような近代的なメカが出てきたことなどない。
これはまるで「運営」の施設だ。
問題はこんなエレベーターをどうやって生やしたかだ。
能力者の能力ではないだろう。
瞬間移動能力で一度海底遺跡に潜って、内部で何らかの操作をしたのか?
その場合、海底遺跡に空気などがあると事前に知っていたことになる。
そうでなければ、転移した直後に水圧か酸欠のどちらかで死ぬことになるからだ。
「いにしえのもの」のミイラを運んできたら自動的に出入り口が生えてきた?
そんな簡単な話なら今の今までやらなかった理由がない。これも違う。
そうなると、考えられるのは、啓一郎氏が何らかの方法でエレベーターを生やす方法を以前から知っていた。
だが、危険が伴うことを知っていたために実行出来なかった。
もしくは、生やす方法の目処が付いた。
今回用意された瞬間能力者はその海底遺跡に行くための能力者ではなく、瞬時に逃げ出すための脱出装置という可能性だ。
うん、この説が今のところ一番しっくり来る。
何にしろ、異常なことが起こっている。
このエレベーターに乗って海底遺跡へ向かうことには相当な危険があるだろう。
だが、行かないという選択肢はない。
意を決して俺は――
「行ってらっしゃーい」
――使い魔の鳥達5羽にLEDの懐中電灯を持たせてエレベーターの中に入れて送り出した。
ふぅ、危なかった。
生身でこんなあからさまに怪しいところに入りたくはないぞ。
いつ崩壊して生き埋めになるか分からないというのに。
老人達も余程追い込まれているのは分かるが、こんなところに躊躇わず入っているとは相当図太い神経をしている。
何故その精神を他のことに有効活用できなかったのか。
海底遺跡の調査は使い魔達に任せて良いだろう。
こうやっている間もリアルタイムで映像が中継されてくる。
啓一郎氏に危険が有っても遠隔で盾展開は可能なのである程度護ることは可能だ。
最悪の場合、遠隔で……いや、これは止めておこう。
出来ると分かってしまえばもう無茶苦茶になる。
キャビンに戻って椅子に腰掛けて一息ついた後に八頭さんへ状況報告を行う。
「そういうわけで海上保安庁への連絡は後回しにします。海底遺跡の入口なんて怪しいものを見られたら、後でややこしいことになりそうですので」
『承知した。遺跡の件が片付いたら改めて通報を頼む』
簡単な報告だけだが、これで良いだろう。
「後は海底がどうなっているか次第か。このまま啓一郎氏が戻ってくるのを待って捕縛でも良いけど、中の様子も気になる。赤い宝石があるなら確保はしたいし」
使い魔の遠隔操作だけではどうにもならないということであれば、自分が入っていく必要も出てくるだろう。
「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか」




