第41話 「河岸を変えよう」
地下実験施設の第3の部屋はいかにも実験施設という雰囲気の場所だった。
隣の部屋から延びて来たパイプから水滴がしたたり落ちており、その垂れて来た液体が溜まったガラス容器の一番底に中に赤い宝石が設置されている。
液体は容器から溢れ出すとすぐに蒸発してしまうらしくて、机や床の上が濡れているということはない。
ただ、液体の水分が蒸発して残ったであろう黒い煤のようなものだけが積み重なっていた。
宝石からは常に紫色の不気味な光が放たれており、それが容器のガラスで偏光して室内に不気味な虹色の光を拡散させている。
決して体に良くなさそうなので、なるべく光には当たらないようにしたい。
そして問題は部屋の入り口すぐの場所に張り巡らされている侵入防止のために張られたであろう光の壁……結界だ。
手前にあったカニカマ発生のためであろう召喚魔法陣の方はさっさと破壊したが、奥への侵入を防ぐための結界は破って良いのか少し悩む。
おそらくその結界が解除されると赤い宝石から放出される謎エネルギーが外に漏れだすことは確定だからだ。
「結界破壊前に先にやることは多そうですね」
「まずは、あのパイプから出ている謎の液体を止めたいところだが」
赤い宝石を収納するための格納容器を持って来た須磨さんが液体を垂らしているパイプを指差しながら言った。
光のことは後で考えるとしても、まずはあの液体だ。
ただ、このままドモホルンリンクルが出来るのを待っている人のようにただ見守っていても仕方がない。
解決のために動き出すとしよう。
「止めるとなると、まずは隣の部屋の片付けからでしょうね……」
いくつもの遺体が納められたカプセルが置かれた場所。
謎の液体を垂らしているタイプは、そのカプセルから抽出された「何か」を濃縮、加工したものであることは明らかだ。
つまり、それらを停止させなければこの液体の供給は止まらない。
「特殊能力を持たないただの警察にそこまでの仕事をさせるわけにはいかない。俺達でやるしかない」
「上戸さん、矢上君、ここはプロの私達がやります。貴方達はあくまで一般人の協力者なのですが」
麻沼さんと須磨さんが自分達でやると言い出したので、流石に意見表明する。
ここまで来て何もしないというのはないだろう。
「私もやります。以前に似たような場所を見たことがあり、ある程度構造は把握出来ていますので」
「僕は?」
「流石に矢上君はここで待機して、この部屋で本当に液体が止まったかどうかの確認をお願いします」
「でも」
「お願いします」
強く言うと矢上君も分かってくれたようだ。
「ないとは思いますが、神父が瞬間移動で現れたとか、謎の敵がまた出て来たという状況の変化があれば大きな声をあげてください。隣の部屋ですのですぐに分かります」
「上戸さんも助けが必要な場合は大声をあげてください」
「ありがとうございます。その場合はお願いしますよ」
3番目の部屋に矢上君を残して2番目の部屋に3人で入る。
室内には、十数個の透明なカプセルが等間隔に並べられていた。
カプセルの中は、淡い青緑色の粘性を帯びた液体で満たされており、その中心には人間の脳と思しき器官が静かに浮かんでいた。
その状態で生命を保っているとは考えにくく、意識が宿っているとも、回復が可能とも思えなかった。
だが、完全に「死んでいる」とも言い切れない。
カプセルの基部にはそれぞれ太さの異なる数本のパイプが接続されており、それらは床を這うようにして部屋の隅に設置された大型の装置へと繋がっていた。
装置の表面には温度計や圧力計のような計器が並び、低く唸るような機械音を立てて稼働している。
装置の背後にはさらに別の配管が取り付けられており、そのパイプは壁に空けられた開口部から隣の部屋へと伸びているようだった。
麻沼さんは目を伏せ、須磨さんは露骨に舌打ちをした。
常人の考えることとは思えない。
「神父」の異常さが改めて浮き彫りになってくる。
ただ、相手がいくら悪魔的な思考の持ち主だからといって、こちらは冷静さを失ってはいけない。
感情的に行動するのではなく、奴の思考を読んで先回りしなくては、陰で暗躍する神父を手の届く場所に引きずり出して叩くことは出来ないからだ。
大きく深呼吸をした後に鞄からペットボトルのお茶を取り出して飲む。
冬の寒さで冷え切った液体が喉に入ってきたことで少しクールダウン出来た……気がする。
「いかがですか? 落ち着きますよ」
「私はもう大丈夫です」
「ああ、俺も十分冷静だ」
流石プロの探偵2人はもう平常心を取り戻したようだ。
「神父が学校地下にあった遺跡をあっさり諦めたのはこの施設……赤い宝石へ充電するための技術の確立が近いからだと考えられます」
「なるほど、不安定な次元の壁とやらに頼らなくとも、これならばどこだってエネルギー補充が出来る」
「あまりどこでも出来ないはずですけどね、それなりの数の人間が犠牲にならないと出来ないわけですから」
なるべく意識はしないようにはしていたが、流石に胸糞が悪い。
既に意識のないただのパーツだと理解しているが、それでも早く楽にしてあげたいとは思う。
「でも、廃墟の下にこんな施設が有っただなんて。どうやって作ったんでしょう」
「ここは横須賀に近い。もしかしたら元々軍事施設だったのを再利用したのかもしれない」
須磨さんが壁のコンクリを触りながら呟いた。
補強工事は行われているが、コンクリ自体は相当古そうだ。
以前に調べた情報に東議員が軍事施設の建造に関係したという内容もあったので、上に建っている廃アパートよりも古いとなると、この施設のルーツはそこかもしれない。
須磨さんがしゃがみ込んで配管の流れを辿り始めた。
「バルブハンドルがあったぞ。ここを閉めれば液体の供給は断てそうだ」
そして、早くも液体の流れを制御しているであろうバルブハンドルを見付けた。
躊躇することなくハンドルを回して締め始める。
その後に隣の部屋の壁に向かって大きな声を上げた。
「矢上君、バルブを締めたが、そちらはどういう状況だ!」
ややあって返事が有った。
「止まりました!」
液体が止まったということは一応対処としてはOKだ。
「後はエネルギーの抽出を止める方法だが」
「この装置を止めてしまいましょう。おそらく電気で動いているようなので、電源カットで大丈夫かと」
「そうですね。装置を止めます」
装置に直接手を触れて、内部へ第3のスキル「極光」のエネルギーを流し込んだ。
極光の物理攻撃力は大したことはないが、それでも機械のパーツや電子部品を焼き払うには十分な火力がある。
装置の隙間から虹色の光が噴出して、手前に取り付けられていた計器類の保護プラスチックや針が景気良く吹き飛んだ後に、カプセルと装置に灯っていた光が全て消灯した。
装置は白い煙を上げて完全に沈黙。
たまにバチバチと内部から電気系統がショートしているであろう音が聞こえるが、周囲に引火物などはないので火災になることはないだろう。
第2の部屋でやることは一通り完了だ。
◆ ◆ ◆
「これを使ってみよう」
須磨さんが小型のドローンを収納ケースから取り出した。
ドローンの下には小型のビニール製のネット……おそらくキッチンの流しや三角コーナーなどに仕込むものが仕込まれている。
「あの光も液体も人体には有害そうなので、このドローンを突入させる。万が一光に当たって破壊されても諦めはつく」
そう言うと須磨さんは格納容器を床に置いて蓋を開いた。
一辺30cmほどのアルミ製と思われる外装の中には鉛板と緩衝材がビッシリと詰まっていた。
その容器ならば赤い宝石の力を漏らさず閉じ込めて底へ運べるだろう。
「これでクレーンゲームの要領で回収するつもりだが」
「結界を破れば良いんですね」
これは俺の仕事だ。
結界自体はバルザイの偃月刀で切り裂けばあっという間に消滅させることが出来るだろう。
ただ、問題は1つ。
結界が破壊されたことをトリガーに何かを仕込んでいる可能性についてだ。
「おそらく結界が解除されると何らかの防犯装置が動くと予想されます。アラート音は鳴ると思いますけど、他にどのような防犯装置が考えられると思います?」
「神父へ何かしらの信号を送ることは考えられるな」
「それで神父を誘き出す目的ならば、それはそれでOKですが……」
「その通りだ。本人に連絡が入るだけならば何も問題ない。問題は、あの赤い宝石がどこかへ移動されること」
一見すると、宝石が入った容器は無造作に金属製のテーブルの上に固定されているように見える。
だが、魔法的な罠が仕掛けられており、テーブルごとどこかへ転移する、魔法的でなくとも機械的な仕掛けでダストシュート的な穴にシューッ!されると俺達には追うことが出来なくなる。
「こうしましょう。私が銃であのテーブルの脚を折って倒します」
麻沼さんが銃弾を装填しながら言った。
「通常弾頭です。魔術的な何かへの攻撃力はなくなりますが、あのテーブルの脚くらいならば破壊して倒すことが出来ます」
「そこをドローンで回収か」
出来るだけ光と液体の影響を受けずに解決という作戦としては悪くなさそうだ。
手早く位置取りを決めて作戦を決行する。
まずは須磨さんがドローンを飛行させる。
室内で余計な風が吹いていないので安定している。
ここからはスピード勝負。
無駄な動きはなしだ。
俺が結界をバルザイの偃月刀で一刀両断にして破壊。
施設内にサイレンのような音が鳴り響き、光が辺り一面に撒き散らされるが既にこの動きは想定済のために動揺することはない。
ロングコートの裾を掴んで光から身を隠しながら後ろへ下がる。
間髪入れずに麻沼さんが銃撃。
テーブルの脚が抉り取られて上に乗った容器ごと床へと倒れ込む。
赤い宝石はテーブルの転倒の衝撃で容器から投げ出されて床へと転がった。
そこへドローンが素早く飛んでネットに赤い宝石を引っ掛けて回収。
手早く回収箱へと投げ込んだ。
箱の中へ入った赤い宝石は箱に仕込まれた鉛板によって光の噴出の向きが上方向だけになっている。
そこへ姿勢を低くした須磨さんが屈んで近寄り、蓋を閉じた後に施錠。
ここでカウントストップ。20秒でした。
これが一番早いと思います。
光が当たったコートを見ると、一部光が当たった個所が焼け焦げたようになっていた。
貫通はしていないようだが、友人からのプレゼントでお気に入りだっただけに少し悲しい。
家に帰ったら補修に出そう。
「今のところ力の漏出は感じませんね。うまく格納出来ています」
恐る恐る格納容器に近付いた麻沼さんが言った。
無骨すぎるデザインの格納容器は洋画を見ているとたまに出て来るプルトニウム保管容器に似ているだけに胡散臭さが凄い。
堅牢さと鉛の板を内部に埋め込んで作った質実剛健なケースということでそうなったのだろうが、警察に見つかると一発で職務質問が始まりそうではある。
「私達も気付かない程度なので、おそらく大丈夫だろうと思うが、これを持ち出して神父は気付かないのだろうか?」
「今のアラートを察知して来るでしょうね。自慢の研究成果を潰された上にこの赤い宝石をお持ち帰りされたのですから」
格納容器の外装を拳で叩いて音を鳴らす。
「これで僕達の能力を消すことが出来るでしょうか?」
「かなりの魔力が籠っているようですけど、議員宅で見たものや、私の知っている赤い宝石と何かが違います。神父の発言通り、まだこれは実験中の試作品なのでしょう」
「そのようだな。議員宅にいた神父が持っていたものは安定していて、ここまで力を垂れ流すようなことはなかった。まだ安定性に問題が有るのだろう」
「爆発はしない……ですよね?」
矢上君が何気なく言った言葉に麻沼さんと須磨さん、どちらも冷や汗交じりにアタッシュケースの方を見つめ始めた。
そう言われると嫌な予感しかしない。
「今の感じで力を垂れ流し続けると、数日で蒸発して消えるかもしれない。この保護ケースがどれくらい持ってくれるか次第だ」
「上戸さんは封印の術などは使用出来ますか?」
「私は破壊専門です。封印を掛ける方は出来ません」
あとの頼みはカーターがだが、あいつもどれだけ知っているかが問題だ。
最悪の場合は伊原さんをメールで召喚して対応するしかないだろう。
「ただ、これの扱いについては後で良いでしょう。あとはこれからやってくるであろう神父をどうやって対処するかです」
「まずは外に出ましょうか。この地下で襲撃されるとまともに身動きが取れない」
それには同意だ。
おそらく戦闘が発生するだろうか、この狭い地下の中だとまともに動きも防御行動もとれない。
それこそ手りゅう弾的なものを投げ込まれたらそれで詰みだ。
それに、周囲は住宅地だ。
一般人が巻き込まれる……それどころか人質に取られる可能性が出て来る。
「移動しましょう。ここだと戦闘が発生した際に一般人が巻き込まれます」
「矢上君はどうする?」
「神父が来るんですよね。もちろん戦います」
流石にこの状況で1人で帰すのも、それはそれで神父に狙われる可能性が高い。
それならば俺達と一緒にここで戦いに参加してもらう方が逆に安全だろう。
「和泉さんは呼んだら間に合いそうですか?」
「今は東京にいるはずなので、時間的に無理だ。片倉さんを呼ぶのも無理かね?」
「あいつは山梨在住ですので、猶更無理ですね」
他に呼べそうなのは単体でもそこそこ戦える小森くんくらいだ。
他の能力者はやはり移動中に狙われる可能性がある。
「深夜なので迷惑をかけますが、小森くんだけでも呼びます。戦闘になれば彼の回復能力は役立つはずです」
試験前の小森くんに迷惑はかけたくないと思っていたが、負傷者が出るかもしれないので、呼んでおいた方が良いのは間違いない。
電話をかけるために地下施設から脱出して地上へと出ると、早くも警察が到着していた。
現場に立ち入り禁止のテープを張って近くの家から出て来た野次馬の対応を行っている。
そんな警察の1人が須磨さんに会釈して近寄ってきました。
「サイレンのような音が鳴り響いていましたが」
「それについては解決済みだ。それよりも神父のような男は来ていないか?」
「神父? いえ、近くにはいないようだが」
流石に瞬間移動でやってくるようなことはないか。
「この辺りの地理には疎いが、どこか周囲に人がいなく開けた場所はないか?」
「埠頭の方に流通のトラック駐車場があります。この時間だとガラ空きでかなり広いスペースで、倉庫まではかなりの距離は有ります」
警官が国道の方を指差しながら言った。
鞄からタブレットを取り出して周辺の地図検索をすると須磨さんの言う通りに大きな駐車場があった。
そこならば周囲の被害をあまり気にすることなく戦えそうだ。
「なるほど、助かった。ありがとう」
まだ少し時間がありそうなので、スマホを片手に小森くんにラブコールをかけることにする。
この時間にもかかわらず1コールで出てくれた。
「小森くん、俺だけど。そうそうオレオレ」
『何か進展はありましたか?』
「例の神父が襲ってきそうな状況なんだけど、負傷者が出るかもしれないのでヘルプに来てもらえると助かる。戦闘はいらない。どちらといえば回復要員で。今は麻沼さん、須磨さん、矢上君が一緒にいる」
『すぐに行きます。場所を教えてください』
深夜だというのに小森くんの声ははっきりしていたので眠っていなかったことが分かる。
試験前に面倒をかけて本当に済まないと思う。
ただ、ここで神父を仕留めれば一気に事件解決に向けて動けるので、今だけは協力して欲しい。
「位置情報をメールで送るよ。お金なら出すんで、タクシーを呼んでもいいよ」
『この時間だとタクシーが家に来るのを待つよりも、自分の足で走った方が速そうなので着替えてすぐに走って行きます』
「自分の足で走ってどのくらい?」
『20分くらいじゃないですかね? 不自然じゃないくらいの速度で走っていきます』
「分かった。移動途中に神父とか教団の連中に狙われないように注意はしておいてくれ」
用件は伝えた。
戦闘には間に合わないかもしれないが、小森くんに期待しているのは回復能力での治癒だ。
少し遅れて来るくらいで良いかもしれない。
「自分の足で走るって言ってませんでした? 小森君の家からここまで15kmくらいありますよ」
「小森くんなら時速60kmくらいで走ることが出来るので、10分くらいで来ますよ」
「それって半分くらい人間辞めてません?」
「私達は異世界に喚ばれた時点で体を弄られて、もう純粋な人間とは呼べないからね」
さて、準備は整った。
近くの駐車場までの距離を調べていると、遠巻きに俺達を見ている野次馬の中に神父服を着た黒人の男が混じっていることに気付いた。
お早いお着きだ。
余程この格納容器の中に入った赤い宝石が重要だったらしい。
それとも悪趣味な実験施設の方か?
「河岸を変えよう。ここだと話し辛い」
須磨さんが右手に持った格納容器を高く掲げて歩き出した。
その後ろを俺達がレミングスのように付いて歩く。
やや遅れて神父も俺達の後ろから付いてきた。
あとは移動中に仕掛けてくるようなトチ狂ったことをしてこなければ良いのだが。
「矢上君達は私達と違って能力を捨てて元の生活に戻ることが出来るチャンスがあります。だけど、そのためにはもう少しだけ能力を使って手伝ってもらう必要があります」
「分かっています。僕もあの神父には腹が立っているので、一発殴ってやらないと気が済みません」
「本当に巻き込んでしまって申し訳ありません。ただ、矢上君達は私達が必ず元の世界に戻すようにします」




