第34話 「ミッションインポッシブル」
「やぁ小森くんおっはよーう」
「ラビさん、こんなところで何やってるんです? 会社サボりですか?」
月曜の早朝から元気に挨拶をしたというのに、小森くんは無表情でとんでもない塩対応を返してきた。
「今日の私はラビさんではない。アラスカから神奈川県のアスティカシア高校に転入してきた謎の留学生!」
「うちの学校は来週から学年末テストですけど、今の時期に留学生設定は無理が有りますよ」
「もうそんな時期か。なら、早めにこの事件は決着させないとな」
流石に試験前に高校生のみんなを振り回すわけにはいかない。
出来るだけ大人で事件を解決すべきだろう。
「一応俺は書類上は交通事故で入院していることになっている。例の探偵さんが偽の診断書を用意してくれてだな」
「診断書?」
小森くんがようやく事態について飲み込めたようで、表情を真剣なものに切り替えた。
俺が偽の診断書を作ってまで会社をサボって調査に専念しないといけないくらい深刻な事態になっているということに気付いてくれたようだ。
「俺達は何を手伝えば良いですか?」
「手伝って欲しい内容は後で連絡するよ。それよりも試験前だろう。学生は試験勉強に専念」
「学校のテストくらいなら普段の予習復習でなんとかなりますけどね」
「慢心はダメだぞ。常在戦場の心で」
本音としては手伝って欲しいところだが、流石に学生の本分を投げ捨てろとまでは言えない。
普段の生活を護ることも立派な戦いだ。
「あまり時間はかけられないので手短に話す。ここに潜入したのは木島君の護衛もあるけど、学校内に潜入している工作員からの情報収集。そして旧校舎を見張るためだ」
説明しながらスーツの内ポケットからスマホを取り出して和泉さんから送ってもらったばかりの写真を見せる。
「木島君と司法取引をして得た情報だが、2年2組の大城戸可奈と教師の鳥飼次郎が教団の関係者だと確認が取れた。ただ、学内には他にも関係者がいると思わるので、和泉さんと協力して調査中だ」
「その和泉さんはどこに?」
「学校の近くにマンションが建っているだろう」
窓から外を指そうとして……教室の位置関係の問題で校門は全く見えないことに気付いたので止めた。
「マンションの屋上からならば学校の正門がよく見えるってことで、登校する生徒や教師のチェックをして貰っている。能力持ちが居たらすぐに報せるそうだ」
「それはともかくとして、ずっと気になっていたことがあるんですけど、いいですか?」
「どうぞ」
「ラビさん、どうやってその中学校みたいな服で学校の中に潜入してきたんですか? どう見ても不審者だし、校門で止められそうですけど」
俺が着ているのは中学校の制服に見えるという黒のビジネススーツだ。
ただ、この服がいくら学校の制服のように見えると言っても、この高校の濃紺ブレザーにグレーのスカートの制服とは色もデザインも全く共通がない。
外見年齢だけならば許容範囲内ではあるが、流石にそれだけで生徒に紛れ込めるかと聞くと否と言わざるを得ない。
「ネタバラシすると認識阻害魔法だよ。学校の制服っぽい服を着た見た目ティーンの女子が堂々と廊下を歩いているという要素がギリギリ在りそうな光景のおかげで誰も疑問に思わない」
俺達にかかっている認識阻害魔法は見た人間に対して「そこにいて当然」と認識に誤認を引き起こさせる魔法だ。
見た人間が元の俺を知っている場合などの条件でうまく正常動作しない場合も多いが、こうやって何もせずに立っているだけならば、ただの通りすがりが疑問を持つことはほぼない。
「この学校の中に俺のことを知っている人間がいたりすると、認識阻害魔法のバグで話がややこしいことになるんだけど、遠く離れた異国の地で俺のことを知っている人間なんていないだろう。だから安心だ」
「神奈川は言うほど異国ですか?」
「日本列島は木曽川の西と東でほぼ異国だよ。東京以外の関東地方は縁がなさすぎて、神奈川とかロストグラウンドだ」
実際、こうやって廊下に立っていても誰1人として俺のことに注意を払うことなどない。
生徒達は朝の慌ただしさに追われて、ただ教室に少しでも早く入って授業の準備をすることしか頭の中にない――。
――ないはずだった。
俺を指差して目を見開き、ガクガクと震えている女生徒が1人そこにいた。
「し……品田さん……死んだはずじゃ……」
女生徒はそれだけ言うと一目散に逃げだしていった。
「どういうこと?」
「もしかして、認識阻害魔法がバグってラビさんが結依に見えているんじゃ……」
「そっちに引っかかるのかよ! なんなんだよこの魔法!」
慌てて床に置いていた鞄を掴み、スカートを翻してその場から走り去る。
こんなあっさりと看破されるとは思わなかった。
やっぱり不安定な能力に全面の信頼を置くのはダメだ。
俺が結依さんに見えるということは、結依さんのことを知る人間が次々と現れたらその度に同じ反応が起こることになる。
もっと深く静かに潜航するつもりではあったが仕方がない。
「ラビさん、どこに行くんですか?」
「どの道、教室に座って真面目に授業を受けるつもりなんてなかったし、人が来ない場所に身を隠して調査を継続するよ」
「屋上……結依のことがあってから施錠されて誰も入れない状況なので、そこなら誰も来ないと思います。ラビさんなら空から向かえるかと」
「サンキュー小森くん!」
「放課後に新聞部の部室で!」
通りがかりざま、廊下に置いてあった掃除用具入れから箒を一本拝借。
近くの窓から外へ身を踊らせ、箒に乗って屋上まで飛び立った。
「……柿原じゃないけどこれって結依の幽霊が出たってしばらく騒ぎになるんじゃないかな」
◆ ◆ ◆
鳥飼教諭や大城戸さんについても気にはなるが、その2人よりもより優先事項が高い人物がいる。
旧校舎で行われている教団の活動を見てみぬふりをしているこの学校のトップ……校長だ。
校長室へと入っていく校長のすぐ後ろに付いて共連れで室内へと潜入。
校長の死角からソファー、本棚と伝って校長の席の真上に陣取る。
あとは校長が自分のPCにログインするパスワードを入力するのを確認するのを待つだけの簡単な仕事だ。
「大文字Y・大文字H……」
使い魔の視覚から得られた情報を手元の手帳にメモしていく。
「小文字m・小文字i・5・7……で最後はシャープ」
校長がPCに14桁のログインパスワードを入力してログインしたのを確認したので使い魔は見つからないように部屋の隅へと潜伏させる。
「ログインはADで管理。ログインした直後に一瞬何らかのセキュリティソフトの起動あり。デスクトップ上にアイコン及びファイルなし」
『横浜の教育委員会が公立高校に採用してるセキュリティシステムで間違いないと思います。USBメモリなどの外部ストレージは使えませんし、キーボードの操作やネットワーク接続先は全て記録されます。データをコピーなどすれば全てログに残るので、ファイルやメールなどを持ち出すのは相当苦労するかと』
「M365のE5ってところか。面倒くさいな」
PCの画面について報告すると、探偵事務所に貸していただいた無線レシーバーから和泉さんの声が聞こえて来た。
ワイヤレスイヤホンサイズでコンパクトなレシーバーだ。
若干ノイズを拾いがちだが、遮蔽物がなければ1Kmくらいならば携帯電話網を使用せず通話出来る優れものだ。
陸上特殊無線の免許を取ればある程度は使いたい放題で状況によっては携帯電話よりも便利だとか。
確かに便利そうではある。
筆記試験だけで取れるようなので勉強して取ろうか、取ってもそれほど使い道があるかどうかで少し悩む。
無線を使う場合はほぼ表に出せない異世界や超常現象絡みだと思うので、合法的に免許を持つ意味が怪しいというのがある。
校舎の屋上からあちこち向きを変えると、マンションの屋上にいる和泉さんの姿が少しだけ見えた。
『どうやってデータを取得されるつもりですか?』
「考えはあります。まあ絶対に表には出せない方法ですけどね」
校長が会議のために退室したタイミングで使い魔の鳥に命じて窓ガラスの施錠を開けさせた。
開いた窓から追加の鳥達……パスワード入力係、カメラ撮影係、PC捜査係などを次々と室内に侵入させる。
画面ロック中のPCのキーボードを触るとパスワード入力画面が表示されたので、パスワード入力係の鳥にパスワードを入力させてPCにログイン。
メーラーを起動させて……さて、ここからが知恵の絞りどころだ。
ビデオカメラを持たせた鳥を空中に待機させて受信メールと送信済みメールを次々と表示させては録画していく。
内容のチェックは後回しだ。
とにかくメールを開いては内容を確認して次へ。
直近3カ月のメールを全て確認したら次は共有ストレージだ。
ブラウザのショートカットを見ると「Sharepoint」という名のフォルダがあり、更にフォルダ内に「議員」というストレートなショートカットがあったので、そこに保存されているファイルを開いては録画を繰り返していく。
一通り撮影を終えたら1羽を残して全羽退場。
最後の1羽が窓をロックし直したらそのまま鳥を解放して何も証拠を残さず任務完了だ。
ネットワーク通信はしていないし、操作記録もただ届いたメールを眺めただけとしか残されていない。
ビデオカメラの動画をノートPCに取り込んだらそれをクラウドストレージにアップロード。
和泉さんと手分けして内容を確認していくことにする。
やっていることは奈良の古代遺跡と同じだ。
違いは潜らせる場所と手順にひと手間加わったことだけ。
「紙の証拠を集めろと言われたら困りましたけど、今時は書類も全てデジタルなのでこんな感じでやりようはあります」
『ただこれは違法な手段で入手した情報です。立件は出来ませんよ』
和泉さんはチャラいホストみたいな外見なのに根が真面目だから困る。
そこが悪人の魔女である俺と相性がイマイチ悪いところだ。
「現在必要なのは調査を進めるための情報です。六法全書で殴るための方法は後で別途考えれば良いかと」
『なるほど一理あります』
流石に2人で手分けすると動画チェックはすぐに完了した。
一通り読んで分かったのは、校長は消極的な協力者だ。
旧校舎で行われる工事や校内での教団関係者の活動を見て見ぬふりをするだけ。
自分から積極的に工作などは行わない。
何か不測の事態が発生しても無関係で何も知らん存ぜぬで逃げ切れるポジション。
同様の立場の教師が校内に2人いるが、教団からの指示を直接受けて積極的に動く鳥飼とは対照的に校長のグループはほぼ何もしない。
その分だけ見返りも少ないが、それでも何もしないで恩恵を受けられるのならばお得という考えもあるのかもしれない。
『この資料を読む限りは、校長職に就けたのも議員の口添えがあったからかもしれませんね』
「議員側は学校に傀儡の人材を送り込みたい。校長は出来れば何もやりたくないが、貰えるものはもらっておくかということでしょうか」
怪しげな事件が起こりまくっている学校の校長という役職の割には驚くほど小物だ。
わざわざ俺達が必死になって追い込むほどの人物ではなさそうだ。
東議員という後ろ盾が消えれば、一緒になって自然消滅する程度の人物でしかない。
「校長よりも重要なのは連絡を取っている議員の秘書か」
東議員の秘書は大城戸となっている。
状況からして、大城戸可奈の父親だと考えて良いだろう。
昨日に発生した旧校舎のボヤ騒ぎについても、校長はメールで文句を垂れているだけだが、秘書はそれをなだめつつマスコミへのコメントの草案などを用意している。
そのことからかなり頭が切れる上に行動が早くて正確ということが分かる。
厄介そうな敵だ。
『それと重要項目が1つ……動画5分14秒のところを確認していただいてよろしいでしょうか?』
和泉さんから連絡を受けた通りの場所を再生すると、そこにはエクセルのファイルが表示されていた。
ファイル名は対象者名簿。
ファイル名だけだと意味不明なのだが、中身は生徒名とその居住地の住所がリストになっている。
動画はリストの下の方が切れてしまっており、上の一部しか表示されていないが、それでも何のリストかはすぐに分かった。
『1年の新坂隼人が1番。これは友瀬さんに聞いた、先々週から不登校になっている生徒です。後で彼の自宅には行ってみようと思います』
「2番が友瀬映子。これは彼女自身の証言から『神父』が2人目と言った発言と一致する」
3から6番については初めて見る名前だ。
これは新聞部の2人に聞けばある程度は把握出来るだろう。
動画の一番下に表示されている7番が矢上恵太。
フレームの外であるが、そのすぐ下には柿原さんの名前も入っているはずだ。
もちろん、柿原さんの下にもまだ数名の名前がリストアップされている可能性もある。
小森くんの名前がこのリストに載っていないことを和泉さんは不審に思うかもしれないと考えたが、改めてリストに目を通すと、木島君や弥寺さん。真桑や逃げ出した襲撃者の名前がない。
全ての能力者の一覧というわけではなく、あくまでも「神父」が直接会って能力を与えた生徒の名前が記載されているだけなのだろう。
『もう一度校長室に潜入して、このファイルのリスト全てが映っている動画の撮影……可能ならばこのファイルの原盤を入手出来ないでしょうか?』
「キーボード操作やネットワーク接続の記録が残り、USBメモリも刺せないPCからデータを抜き出せと?」
『お願いします』
微妙に人使いが荒い。
ただ、和泉さんがこのファイルを確認したいというのは分かる。
能力を与えられた人間の情報が分かれば、捜査の範囲を一気に広げることが出来る。
それぞれから証言を集めれば何か新しい事実が見えてくるかもしれない。
「出来るだけやってみます。ただ、取れなくても怒らないでくださいね」
◆ ◆ ◆
校長が昼食のために退室したのが潜入のチャンスだ。
先程と同じ手口で鳥の使い魔を潜り込ませる。
使い魔に窓のロックを解除させて、開いた窓から箒に乗った俺が「スタっと」と言いながら華麗に室内へと侵入する。
気分はトム・クルーズだ。
脳内でミッションインポッシブルのBGMが鳴っていることは言うまでもないだろう。
指紋が残らないようにゴム手袋を付けてロック画面にパスワードを入力して解除。
ここまでは良い。
PCに外部ワイヤレスキーボード接続用のBluetoothのドングルを突き刺す。
USB使用不可PCでもマウスやキーボードに関しては利便性を優先させるために除外されていることが多い。
なので、セキュリティに引っかかることなくBluetooth通信がすぐに有効化された。
続いてちょっとゴニョゴニョすることで、俺の持っているノートPCがBluetoothキーボードとして誤認される。
あとは読み込ませたエクセルファイルをゴニョゴニョしてBluetoothで転送させるとあら不思議。
ファイルが何のセキュリティにも引っかからず俺のノートPCに転送された。
ノートPCからもリストが問題なく開くこと、校長のPCで開いたものと差分がないことを確認。
PCから最後にドングルを引き抜き、窓から外に飛び出して窓ガラスをロックする。
うちのノートPCに入れば後はクラウドストレージにアップロードするだけだ。
『うちの事務所に転職して欲しいところですが、そんな技術をどこで?』
「私が勤めている会社のIT担当が教えてくれたんですよ。暗号化された社内の保護データを引っ張り出す方法。教えてもらった範囲だけしか出来ませんが」
『コンプラ違反でクビになる前にセキュリティ担当と一緒にうちに転職した方が良いですよ』
流石にクビになるつもりはないのでそれは遠慮したい。
早速リストを確認すると、1番の新坂君から9番の野島君という生徒まで9人の名前と住所が記載されていた。
リストのセル名は高校の名前になっている。
俺達と同じように50人を揃えて何らかのゲームをやろうとしているのならば、このセルが他に4個あり、教団だか神父だか秘書だかがまとめて管理している可能性が高い。
出来ればその原盤を入手したいところだが。
『このリストに記載がある生徒達の自宅を順に回りたいところですね』
それは俺も同意見だ。
このリストのうち所在が分かっているのは3人だけ。
土地勘がないのでリストに記載されている場所が具体的に市内のどの地域なのかが分からないが、残り6人の家を周るとなるとかなり時間を食われることは間違いない。
こちらは木島君の護衛をしつつ調査を行わないといけないので、あまり時間を掛けていられないというのが正直なところだ。
「これは矢上君達、新聞部の面々に回ってもらいましょう。同じ学生同士なので怪しまれる可能性は少ないと思いますし、問題があっても話し合いで解決出来る可能性も高いと思います」
話し合いで解決の部分は微妙だったが、和泉さんはあっさりOKを出した。
木島君という説得に成功した前例がいるだけに、今度もうまく交渉出来る確率はかなり高いと見たのだろう。
「では事件解決は彼らに任せたいと思う。私達は他に出来ることを」




