第33話 「探偵事務所にて」
俺達を乗せた車は首都高を降りて新青梅街道に入ってしばらく走った場所にある古臭い雑居ビルの前で停まった。
ビルに取り付けられた看板には「幸徳井探偵事務所」とある。
名前のみのシンプルな看板だ。
電話番号もなければ、この手の探偵事務所にありがちな「〇〇探します。浮気調査などの」のキャッチコピーもない。
民間の一般人からの仕事依頼は受けないし、ここが事務所ですと分かればそれで良いという割り切りを感じる。
よく見るとこのビル一棟全部が探偵事務所のものだ。
いくら中心街から少し離れた場所にあるとはいえ、東京都23区内にビル一棟を構えた探偵事務所とか笑わせてくれる。
近くの電線からは事業規模からすればそこまでは不要だとしか思えない何本もの光ファイバーケーブルがヤケクソ気味にビルの中へと延びている。
この中にはただのインターネットサービスではなく業務用の専用線も混じっているのだろう。
おそらくOBの経歴からして何本もある線のうちどれかは警視庁へのイントラネット専用線だと思う。
ビル横のゴミ捨て場……登記情報上は従業員5人のはずだが、明らかにそれ以上の人数用の巨大なゴミスペースが用意されている。
果たしてこの建物内には最大何人が働くことになるのやら。
運転手である須磨さんがリモコンのようなものを建物に向けると1階の電動シャッターが開き始めた。
どうやら1階全部がガレージ兼倉庫になっているようで、中には整備工具や予備タイヤなどの他に今回使用したような縄梯子などの道具が所狭しと積み上げてあった。
シャッターが完全に開いたタイミングで車は停車。
俺とカーター、木島君と弥寺さんが車から降りたタイミングで麻沼さんのバイクがガレージ内に入って来て車の横に停車した。
「事務所は上です。案内いたしますので付いてきてください」
「荷物は?」
「車に置いておいても大丈夫です。後で返却いたします」
「上着に財布を入れてるんだ。それだけは持っていくから」
カーターが上着を車の中から取り出して「どこに入れたっけなぁ」と言いながら大きく広げた。
頭こそ動かしていないが、視線はガレージの四隅に取り付けられているドーム型の防犯カメラに向いている。
流石にカーターとも付き合いは長いのでこの行動の意図は理解出来る。
カーターの上着の影で使い魔を喚び出して4羽を事務所の外に待機。
1羽は車の底に潜り込ませた。
魔力なしの俺のスキルで生み出されたこいつらは矢上君達が喚び出す使い魔と違って魔力探知では探知出来ない。
もちろん電波に反応しないし、赤外線探知もすり抜ける。
淡い光を放っていることを除けばほぼ完璧なステルスを実現出来る。
ここの探偵さん達に発見はほぼ不可能だろう。
俺が使い魔を放ったのを確認したカーターは、上着からド派手な刺繍の入った長財布を取り出してスーツの内ポケットに入れた。
「……その中二病みたいな財布ってどこに売ってんの? ドンキ?」
「横須賀だよ。アメカジの良さは若い奴には分からんか」
「もしかして、スカジャンとか売ってる店に並んでるやつか? 観光に行った時に売ってるのは見たことあったけど……」
そう言えばカーターが乗っている車もアメリカのクソデカSUVだった。
ログハウスを建てたい、ハーレーが欲しい、アウトドアに興味がある(体力があるとは言っていない)等の発言を踏まえると、アメリカンスタイルがこいつの趣味なのか。
それなりに長い付き合いだと思ったが、こうしてみるとまだまだ知らないことが多い。
「そういうお前は何かこだわっていたりするのか?」
「こだわりはないよ。今使ってる革財布は親が高校の進学祝いに買ってくれた物を手入れしながら使ってる」
「それは物を大切にするってこだわりじゃないか?」
そうかな? そうかも。
ガレージから一度外に出て、ギシギシと油切れのような音の鳴るドアを開けると古いエレベーターがあった。
それだけだとよくある雑居ビルの構造ではあるが、問題はそのエレベーターにある非常階段だ。
上りだけではなく地下へと下っていく階段がある。
「地下があるんですね」
「そうですね。まあ土地のない東京ですから」
そう言えば真桑とかいう男をこの事務所の何処かで拘束しているはずだ。
地上ではないとしたら、それはおそらく地下だろう。
「小さいエレベーターなので3人ずつしか乗れません。ですのでまずは私と上戸さん、片倉さんの3人で上がります。須磨と木島、弥寺両名はその後で」
「すみません、全員で行けないのでしたら横にある非常階段でお願いします」
「ですが」
「お願いします」
油断も隙もないとはこのことだ。
このまま木島君達を地下へ連れて行って誤魔化すつもりだったのだろうが、そうはいかない。
安全のために事件が解決するまで待機してもらうにしても、それがどのような場所か確認してからだ。
和泉さんの確認を待たずに非常階段へ歩みを進める。
「3階ですか?」
「……応接室があるのは2階です。案内しますよ」
◆ ◆ ◆
和泉さんに案内された先はソファーとテーブルが置かれた小さい部屋だった。
まずはカーターを一番奥に。
木島君達にはその横に座ってもらい、俺は最後。出口に一番近い場所へ腰掛ける。
和泉さんが退室したのを確認して一息つく。
木島君と弥寺さんを見るとかなり緊張しているようだったので声を掛けることにする。
「おそらく教団のことについて色々と聞かれると思いますが、正直に話してください。困った時には私に話を振っていただいたらフォローします」
「ずっと気になってたんだけど……あんた達って何者?」
木島君に尋ねられてようやく気付いた。
そう言えばお互いに自己紹介をしていなかった気がする。
確かに正体不明の人物2人が反社会的な団体の事務所のような場所に連れて来て横に座っても不安しかないだろう。
「私は上戸佑。平たく言うと小森くんの友人です」
「オレは片倉。2人とも小森の仲間だ」
「ああ、小森の」
簡単な自己紹介で小森くんの名前を出したことで2人の不安そうな表情が和らいだ。
ようやく安心してもらえたようだ。
「もしかして去年に小森が学校をサボって旅行に行った相手って?」
「それは私です。協力して敵と戦っていただけで浮いた話とかはないですね。今回みたいなことをやっていたと思ってください」
事実のみを報告すると呆れたのか木島君の顎がカクンと開いた。
「学校をサボって彼女と泊まりデート旅とか勇気あるなと思ってアリバイ作り手伝ったんだけど……本当に戦ってただけ? 一切何もなく?」
「本当に戦っただけで終わりです」
それを聞いた木島君が「アチャー」と言いながら手で顔を覆った。
「新聞部の子を紹介しといて正解だな。あの感じだと付き合い始めたみたいだし」
「付き合ってないですよ。断ったらしいです」
「うっそだろ、断ってるのにあの距離感にはならないだろ!」
「普通はもうちょっとぎこちない関係になるような」
木島君と弥寺さんから同時にツッコミが入った。
小森くんと柿原さんのパーソナルスペースがぶっ壊れてる問題のせいで傍から見るとおかしなことになっているが、本人達は普通の友人関係の距離を保っているつもりだ。
「幼馴染だということが分かったので、これからは旧友として親交するらしいです」
「何なのあいつ?」
俺にも分からん。
◆ ◆ ◆
「初めまして。上戸佑と申します。本日はお招きいただきありがとうございます」
「ようこそ。八頭黎人と申します。話は和泉や麻沼から聞いております」
頭髪は白髪と黒が半々、メッシュ頭の中年男が俺とカーターの2人に名刺を渡してきた。
精悍な顔つきや贅肉のない身体付きで若く見えるが、手の皺は流石に年齢を隠せない。
50代前半というところか。
肩書きは元警視庁の部長ということだったが、現役時代は単なる書類整理係ではなく、それなりに現場に出て動き回るタイプだったのだろう。
なかなかの傑物のようだが、俺はこの人相手に不利な契約を持ち込まれないように話をまとめる必要がある。
ゴングを鳴らせっ! 戦闘開始だっ。
「和泉君、そちらの2人の方を近くの喫茶店へ案内して。費用は交際費として経費申請してくれたらいい」
八頭さんは近くに立っていた和泉さんにそう呼びかけた。
そちらの2人とは木島君と弥寺さんのことだろう。
「彼らは大変緊張しているようですので、まずはリラックスして貰えたらと考えております。その間に私達の方の会議を進められたと」
嘘はなさそうだ。
俺達が「探偵」よりも木島君達の方を信頼しているということは理解しているだろうから、会議前に俺達の心証を悪くするような行為はしないだろう。多分。知らんけど。
それに、外には使い魔を待機させているので、どこに移動しても動きを追うことは出来る。
特に異議を挟むつもりはない。
「木島君、弥寺さん、お願いします」
「俺が言うのも何だけど、捕虜的なポジションなのにこんなに自由でいいのか?」
「大丈夫です。私達の会議が終わるまでは自由時間ですので、それまでゆっくりしてください」
2人は和泉さんに連れられて退出していった。
さて、これからは楽しい楽しい情報交換会だ。
勝利条件は木島君と弥寺さんの解放。
そしてなるべく多くの情報を引き出すこと。
敗北は木島君達が拘束されること。
その上で無駄な仕事を押し付けられることだ。
八頭さんは俺達に見えない角度で事務用の分厚いファイルを開きながら話し始めた。
中には何枚もの印刷された書類がファイリングされている。
出来れば後方に使い魔を回り込ませて覗き込みたいところだが、流石にそれをやるのはダメだろう。
あくまで交渉で八頭さんから自主的に見せてもらわないと信頼関係が破壊されてそこで話が終わってしまう。
「前提条件として、我々はお互いの立場というものがありますので、協力関係は金銭のやり取りなし。また、いかなる書面上の契約も結ばない情報交換を中心とした緩いものでありたいと考えております」
「異論ありません。その他細かい内容については、都度話し合って解決出来たらと考えております」
「ありがとうございます。書類上の契約も結ばないと言ったばかりでどうかと思いますが、協力関係で得られた情報については、今回の事件解決のためだけに使用を限定。外部への開示は決して行わない。オフレコということでお願いします」
「承知しました。こちらとしても、貴所に対して不利益となるような扱いをする意図はありません」
予想していたよりも俺達に有利な緩い協力関係だ。
元警察OBと聞いたので契約でガチガチに固めてくると思ったが、予想以上に温い感じだ。
法的拘束力もない単なる口約束だが、事件解決のために今回は協力したい。ただ、次に出会った時に必ずしも味方とは限らん。
そういう内容なので、断る理由はない。
カーターの方へ視線を向けると特に追加発言などはなかったので、特に問題ないということだろう。
仕事柄、不動産会社やらゼネコンやら地主やらとこの手の交渉をしているカーターの手腕は信頼しているので、困ったら助け舟を出して欲しいとは思っている。
というか、出来ればこの交渉もカーターがやって欲しいところだ。
何故俺がやっているのか?
まずは横浜で星の智慧教団なるカルト団体が活動していること。
『神父』なる怪人物がその中心にいること。
『神父』は県議会議員である東啓太郎と協力関係にあり、現在も活動継続中であること。
シャイニング・トラペゾヘドロンという『いにしえのもの』が太古に異星、もしくは異界から地球に持ち込んだアイテムを所持しており、それで召喚能力を持った能力者を増やしていること。
既存情報の復習からだ。
これは既に八頭さんの方でまとめられたものがプリントアウトされて退所時にシュレッダーで廃棄と前置きされて配布された。
仕事が早い。
チラリと使い魔の方を見ると、和泉さんに連れられた2人は昭和から残っているような昔ながらの味のある喫茶店に入ってコーヒーと軽食を頼んでいた。
注文したのはホットサンドか?
実に美味そうだ。
まあ、約束通りで安心だ。
こちらはこちらの話を続けよう。
八頭さんが「このコインについて、何かご存じではありませんか」と言いながらテーブルの上に銅のメダルを置いた。
俺達もよく知っている物だ。
もちろん隠すことなく全て答えるつもりだ。
おそらくこのメダルについて知ってもらわないことには話が先に進まない。
「このメダルは異世界でのゲームに使用されていました。我々が『運営』と呼ぶ存在が召喚したモノが生命活動を終了した際に出現するようです」
「能力を持つモノが死んだ際に余剰エネルギーが発生するようで、それをゲームの景品として使用するためにこの形で結晶化しているようです」
カーターが情報を補足してくれた。
この説明には流石にこれまで鉄面皮を貫いていた八頭さんの表情が崩れた。
常軌を逸した内容すぎて、悪趣味な冗談かとしか考えられないだろう。
だが、この状況で俺達が嘘や冗談など言うはずがない。
メダル発見時の状況を考えると、理屈は通っているということから困惑しか生まれてこないのだろう。
やや沈黙した上で八頭さんがメダルをつかんでテーブルの上でクルクルと器用に回転をさせた。
「これはまるでカジノのコイ……メダルだ。その『運営』とやらは異世界とやらで人間を使った悪辣なゲームでもしているとでも」
「残念ながらその通りです」
八頭さんは無言になり、それ以降突っ込んでくることはなかった。
今の話でだいたいの事情は通じただろう。
「日本各地で約半年に一度、50人単位での失踪事件が相次いでいるということはご存じでしょうか?」
「突然何の痕跡もなく所持品を残したまま消える……神隠し現象」
「私達は異世界からの帰還者です。だから、そのメダルについての情報を持っています」
「なるほど……貴重な情報ありがとうございます」
またも八頭さんが顎に手を当てて何か考え込むようなポーズで沈黙した。
「状況から考えると同一犯が、この日本で同じようなゲームを行おうとしていると解釈できますが」
「まだ調査中の段階で情報が不足しておりますので断言は出来ません。ただ『神父』なる人物がその中核にいることは間違いありません」
「『神父』……つまり星の智慧教団」
そこは間違いないだろう。
矢上君達も教団の施設に近づいたことで、真桑に襲われた。
木島君達も星の智慧教団に協力しており、そこから命令される形で旧校舎地下にやって来ていた。
「私達はこのメダルを現在6枚確保しています。それらの発見場所のすぐ近くには必ず変死体がありました」
八頭さんもおそらく外部公開不可であろう捜査情報を話し始めた。
「発見場所については貴方達に話すつもりはありませんでしたが、情報共有する必要があるでしょう、全て横浜市内です」
「つまり『神父』は横浜市内に能力者を集めて何かをやろうとしている」
「その上で、こちらの資料を読んでいただけますか?」
八頭さんは手に持っていたファイルをテーブルの上に俺とカーターに見えるように置いた。
そこには横浜市の白地図の上にいくつもの赤い丸印と×印が書き込まれていた。
「こちらは町の防犯カメラなどから集めた『神父』の移動の足跡です。例の高校を始めとして、横浜市内を動き回っていることが分かります」
とんでもない捜査資料の共有がやってきた。
これは「探偵」も以前から「神父」なる怪しい人物がいて、何かをやっているということで地道に捜査を続けていたのだろう。
「×印については残念ながら手遅れだった場所です。ここでメダルは発見できておりませんが」
「メダルがなかったのは既に神父が回収したのでしょう」
つまりここで神父が何かを目論見、探偵が駆け付けたが既に時遅しだった場所だ。
「貴方達の話が正しいのであれば『神父』はゲームを開催するためにゲームの駒を集めている段階だと推測されます」
「つまり、駒が集まればゲームが開催される」
「逆に言うと、まだゲームは始まっていない。だから今の段階ならば事前に阻止出来るということでもあります」
八頭さんが地図上の丸印を指さしてなぞり始めた。
「我々だけでは人手不足で全てのポイントを調査出来ません。ですので、これらのポイントを調査するのに協力いただきたいのです」
「もちろん、私達も協力は惜しまないつもりです。ただ一つだけ条件があります」
◆ ◆ ◆
「私だけで良いの?」
「ああ、お前が危ない橋を渡る必要はない」
カーターが持っていた魔力結晶で能力を消せるのは現状は2人だけ。
当初は木島君と弥寺さんの2人から能力を消そうと思っていたが、カーターと八頭さんと当人たち……木島君と弥寺さんと協議した上で「探偵」が地下に拘束していた真桑と弥寺さんの能力を消すことが決まった。
なので、木島君には別の役割が与えられることになる。
「木島君と弥寺さんは、本来は教団の協力者として処分が行われるはずでしたが、それを免除する代わりの司法取引……いや、司法は動いていないのか」
「我々の二重スパイとして活動してもらう」
和泉さんから木島君に指令が下された。
「悪い言い方をすれば囮です」
俺から木島君に補足する。
「旧校舎に生き埋めになったはずなのに、全員が脱出して、何故か弥寺さんから能力は消えている。果たして教団はどういう対応を取ると思います?」
「俺が裏切ったと……そう思うだろうな」
「なので、状況確認のために何らかの形で接触を仕掛けてくるはずです。そこを確保します」
「そんなにうまく行くのか?」
「だからこその司法取引です。その危険な任務を負って協力するからこそ罪が免除される」
本当ならば真桑とかいう奴はどうでもよいので木島君と弥寺さんの2人から能力を消すつもりだった。
ただ、その場合でも教団に協力して襲撃を仕掛けた木島君達は無罪には出来ないということなので、それを回避するための司法取引となった。
「それで俺はどうしたらいい? あの教団の事務所に行けばいいのか?」
「いえ。教団に関わる前の、元の高校生の生活に戻ってください。教団のことなんて全部忘れて……最初から知らなかったような感じで」
「どういう意味だ?」
「こちらの弥寺君からは能力が消えたが、君からは能力を消せずに記憶だけが消えたということにする」
和泉さんが木島君を指差しながら言った。
「もちろん君本人や家族の安全は保障するつもりだ」
「こいつもだろうな?」
「弥寺さんには麻沼さんが護衛につきますので安心してください。ただ長期化はさせません。二週間以内でカタを付けます」
「二週間?」
「二週間で教団を壊滅させて神父を捕縛します」
「本当に出来るのか、そんなことが?」
「出来ます。そのための囮です」
木島君には迷惑をかけるが、ここは頑張ってもらいたい。
もちろん、俺もそれをただ黙って丸投げするつもりはない。
ここからは俺の課題だ。
うちの会社にも迷惑をかけるが、そこの手続きは八頭さんが頑張ってやってくれることになっている。
「ただ、安心してください。私が護衛につきますので、貴方の身の安全は保障します」
木島君は訳が分からないとばかりの顔をした。
まあ当然の話だ。
「私が明日の月曜日から貴方達の学校に謎の転校生として忍び込みます。週末しか動けないという時間制限さえなくなればこちらのものです」




