第20話 「カーチェイス」
伊賀への山道を走り始めてから30分ほど経った頃、異変に気付いた。
どうも俺達の車を尾行しているバイクが一台いるようだ。
俺達以外誰もいない静まり返った深夜の山道を環境性能など知らんとばかりの単気筒バイク特有の爆音を鳴らしながら一定の距離を保ちながら追跡してきている。
真冬の山道など降雪や凍結の可能性が高いというのに、あまつさえ国道ではなくガードレールも街灯もない山道をバイクで走るとかマゾ気質な奴がいたものだ。
温度計に目をやると外気温はマイナス2度。
これは可能性の問題ではなく、間違いなく路面凍結している。
もちろん路面凍結のスリップのリスクを考えると速度を出せないのはこちらも同じだ。
いくら冬場のスリップに強いスタッドレスタイヤを履いているとは言え、限度と言うものがある。
「なんか仮面ライダーみたいなバイクが追跡してきてるんだけど」
後部座席に座っている優紀も流石に気付いたようで運転席のシートに手をかけて揺さぶってきた。
使い魔を喚び出し、少し窓を開けて外へと飛ばした。
その一瞬の窓の開閉だけでも一気に社内の温度が下がるのを感じて身震いした。
バイクの後方に回った使い魔の視点で確認すると、ナンバープレートを見ると「練馬」となっていた。
このクソ寒い中、東京からわざわざこんな奈良の山奥まで駆けつけるとか本当にご苦労様だ。
キャリアには小さめのバイク用シートバッグが1つだけ。
キャンプ用品などは積んでいないようなので、真冬のキャンプを好むマゾライダーではないことくらいは分かる。
ライダーはフルヘルメットを被った上で分厚い防寒着を着こんでいるので判別しにくいが若い女性のように見える。
「暗くて正確な車種は分からないけど、KTMのモタードかな?」
「モタード? KTMってどこのメーカー? アメリカ?」
「KTMはオーストリアのバイクメーカー。モタードってのは元はオフロードバイクをベースにオンロード用のタイヤを履かせたものだったけど、軽い車体と高い運動性能を兼ね備えたのが気に入られて最近はモタードを専用設計で作ってる」
「自転車のクロスバイクみたいなもんか。それで速いのか?」
うちのクラシックカーはぶっちゃけると軽自動車以下の性能しかない。
200万近くするスポーツバイクの性能がそれ以下だと流石にぼったくりだろう。
「速い。ただ、それは日中の整備された道での話だ」
アドベンチャーモデルではないそのバイクのヘッドライトは照射範囲も狭く、取り付け位置も高い場所にあるせいで、足元を一切照らせていない。
街灯もなければ月明かりも木々に覆われて届かない足元の悪い山道では不安を倍増させるだろう。
先行する俺の車が高照度LEDとフォグランプで路面を明るく照らしているから安定して走れているだけで、このライトを消せば後続のバイクがどうなるのかは気になる。
「このタイトなカーブが続く山道、しかも路面は落ち葉やら泥やらで荒れ放題の上に路面凍結のおまけ付き。この環境じゃまともに走れないんじゃないかな」
何故バイクで冬の山道に付いてきた。
使い魔の視点で見るとよく分かるが、 実際にライダーが必死なのは見て取れる。
全身を使って必死でバランスを取りながらクラッチとアクセルコントロールを小まめに繰り返して、なんとかスリップによる転倒を避けているという感じだ。
たまに両足のつま先をトントンと着いては凍結によるスリップ転倒に備えている動きが、初めて補助輪を外した自転車に乗る子供そのもので哀れだ。
「性能では速いのにそれを活かせていないと」
「タイヤが凍結路面に食いつかないのは操縦技術でどうにかなる問題じゃないからな。二輪、しかもオンロードバイクなんて無理だよ。高性能バイクの長所全てが殺された挙句、ライダーのマゾプレイに付き合わされてる」
「それでどうするんだ?」
正直、相手が何者なのかが分からない。
遺跡で見つけた赤い宝石を追ってきた野良の魔法使いである可能性もあるだろう。
同時に道に迷った哀れなツーリングライダーがようやく通りすがりの車を見付けて「こいつに付いていけば町に出られる」と必死で追いかけてきている可能性も否定出来ない。
人間ならば敵対する意味などなく、話し合いで解決したいところではあるが、全身が淡く虹色の光を放っている今の俺の姿をあまり見られたくはない。
紋様が消えるまではやり過ごしたいところだ。
「あのバイクを振り切るぞ」
「ここからカーチェイスでもするのか?」
「性能は向こうが上と言っただろ。だから、ちょっとした裏技であいつの視界から消える」
「裏技って前に高千穂で言っていたあれか」
「それだよ。こんな感じの山の中でくらいしか使えないけどな。もしかしたらこれが最初で最後かもしれないから見てくれ」
俺はそう言うと車のヘッドライトを消灯した。
常時点灯が基本の現代の車と違い、クラッシックカーは全てのライトを手元のスイッチ1つで消すことが出来る。
後続のバイクはうちの爆光ヘッドライトとフォグが道を照らした上でバックライトを頼りに追跡しているようだった。
その光が突然消えたらどうなるか?
案の定、後ろを走っていたバイクは慌てて急ブレーキをかけて道の真ん中で停車した。
追跡していた車が突如として消失したようにしか見えなかっただろう。
「その上で裏技だ。浮遊!」
俺の号令と共に車体がほんの僅か……路面から5cmほどの高さに浮き上がり、そのまま道から離れた空中に音もなくスライド移動した。
先行する車のライトが消えただけならば、バイクにもヘッドライトで照らして何とか見ることは出来る。
ただ、それは想定している位置に車がいればの話だ。
まさか車が落ちたらログアウト直行である崖の上に浮かんでいるとは思わないだろう。
こちらとしては狭いヘッドライトの照射範囲内から姿を消すだけで十分だ。
使い魔の視点で確認しても、辺りをキョロキョロと見回したり、ヘルメットのフェイスシールドを開けて困惑しているのがはっきりと見て取れる。
暗い山道でまさか道路の上から消えはしないだろうという思い込みから完全に車を見失ったようだ。
サイドスタンドを立ててバイクを降りたのを見届けたので、こちらも次のアクションを開始する。
「これってそのまま車を飛ばせて移動出来るのか?」
「出来なくはないけど重量オーバーだから徒歩くらいの速度しか出せなくて効率が悪い。そこでこうする」
そのまま空中をスライド移動して、路面に戻り、そのまま何事もなかったかのように走行を再開する。
ただしライトは消灯したままだ。
エンジン音が聞こえたことでライダーは慌てて暗闇に必死に目を凝らしながら車の方「だけ」を見ながらバイクに乗り込もうとしたので、気付かれないように低空飛行させた鳥をバイクのサイドスタンド目掛けて体当たりさせた。
流石に壊れたらお高い修理代を請求される車両を壊すような残酷なことはしない。
やるのはサイドスタンドを払う程度の軽い体当たりだけだ。
鳥もすぐに解放したので、突然サイドスタンドが勝手に畳まれてバイクが転倒するという、バイクに乗っていると誰もが一度は遭遇する「自殺スタンド」事故が起こったとしか思わないだろう。
コケて外装が割れると修理費数万を請求されるお高いバイクが地面へ派手に激突しないようライダーが必死で支えるのを確認した後にライトを再点灯させてその場を走り去った。
「倒れかけたバイクに押し潰されそうになってたけど?」
「冷静になってサイドスタンドを立て直せば人間が必死に支えなくても大丈夫ってことに気付けば問題ないよ。まあサイドスタンドの信頼性がなくなってる今の状況だとしばらく気付かないだろうけど」
「佑は本当に酷い奴だな」
◆ ◆ ◆
田舎のホームセンターの開店時間は早い。
農家や大工など、朝の早い時間から作業する方々がちょっとした部品や用具などを買いに来るというのが日常になっているからだろう。
開店時間は朝7時と書いてある郊外のホームセンターの駐車場に車を停めると、朝の6時30分の時点で店員がシャッターを開け始めた。
同時に田舎のポルシェこと軽トラで乗り付けた地元の農家の方々が店の入り口付近に固めてあった肥料の袋などを手慣れた動きでカートに載せると、さも当然のように店内に入っていった。
俺の全身に浮かんだ紋様も消えていたので、もうコソコソする必要はない。
早くも会計を済ませてカートをガラガラと押してきた農家の方と入れ替わりに入店。
鉛の板と発送用の段ボール、緩衝材などをかごへと投げ込む。
「佑、面白い物が売っているぞ」
優紀が嬉しそうな顔でかごに何かを突っ込んだ。
中身を見ると、かなり長期間棚の守護神をしていたのかパッケージが色褪せたパチモノくさい謎のフックトイだった。
5年くらい前のニチアサヒーローが持っているのは「そんな武器を番組で使っているのなんて見たことない謎の剣」だ。
おあつらえ向きに、どうやら赤い宝石をイメージしているであろうパーツを剣にセットして柄のトリガー部分のボタンを押すと刀身が光って音が鳴るようだ。
形状もサイズも似ているので良い感じだ。
「この武器ってどんな設定から出てきたんだろう?」
「俺が幼稚園の頃から同じ形で売ってるぞ。多分、元からあるおもちゃに毎年違うヒーローの絵を載せているだけで別にカスタマイズはしてないんだろう」
そう言えば子供の頃、親にこの手のおもちゃを買ってもらって遊んでいたら金持ちのクラスメイトが持っていた正規品に蹴散らされた思い出がある。
こちらはキラーン! バリバリバリ!という胡散臭い音しか鳴らないのに、金持ちが持ってるのは番組そのものの音声が鳴って卑怯だと思った。
この手の廉価版トイはなんかデコボコした平成と共に滅んだと思っていたが、まだ健在だったのか。
「片倉さんもこの手のおもちゃで遊んでいた記憶があるんだろうか?」
「あいつの実家ってそれなりの良いところだったらしいから正規品しか触ってないかも」
赤い宝石をパッケージから取り出したおもちゃの剣にセットして鉛板で覆い、更に緩衝材で包んでその上からガムテープでグルグル巻きにして段ボールに詰める。
それを最寄りコンビニから発送手続きを取った。
発送品の名前は少し悩んだ後に「ヒーロー玩具(要電池)」としておいた。
カモフラージュとしても良さそうだ。
「さて、後は帰るだけだが、この後どこか寄って帰る?」
「そうだな。この近くにはあんまり来ることないし、どこか見ていきたい」
優紀のご要望が出たところでスマホを使ってリサーチ開始だ。
すぐのところにある忍者屋敷や伊賀上野城も気になるが、9時オープンなのでそれまでの時間はどうしても暇になる。
少し移動した方が良さそうだ。
「信楽の狸でも観に行くか? 帰りはどの道、名神高速に乗りたいから周辺に行った方が効率は良い」
「たぬきは面白そうだ。あの焼き物って買えるの?」
「卓上の5cmくらいの飾りがあるはず」
俺と優紀は2人でスマホを使って他に何かないかをチェックする。
「ルート上には宇治田原もあるんだな。お茶の里がどうのというのが山ほど出て来るんだけど。永谷園創業者の先祖の家ってのも見てみたい」
「宇治田原や和束町は宇治茶の本場だしな。宇治市内よりも安く美味しいお茶が買えるかもしれないし覗いてみるか」
「ハートの窓の寺ってのもあるな。風鈴がいっぱい飾ってあるとか書いてある」
「じゃあそこも寄ろう」
優紀からも要望が出始めたのでこのルートで良さそうだ。
信楽で狸の焼き物を見た後にお茶の里でお茶巡りだ。
「宇治市内には寄らなくて大丈夫か? 京アニとか?」
「そっちはユーフォの聖地巡りで何回か行ったし、今はインバウンドの外国人観光客だらけで疲れるだけだから大丈夫」
「なるほど」
いざ出発しようとした時に、コンビニに1台のバイクが入ってきた。
KTM690smc。
昨晩に俺達を執拗に追いかけて来た謎のライダーだ。
バイクを降りてヘルメットを脱いだライダーの素顔はショートボブの20代半ばくらいの女性だった。
同年代か、少し年上か?
女性は冷え切った身体をガタガタと震わせながら一度俺達の方へと近寄りかけたが、すぐにバイクの方へと戻り、何度もサイドスタンドをかけ直す行為を繰り返した。
余程夜のことがトラウマになったようだ。
その後、何度かサイドスタンドのかかりかたに満足したのか、ようやく近寄ってきた。
「ちょっとそこで待ってなさい! トイレを借りたらすぐに戻ってくるから」
そう言うと余程限界だったのか、コンビニの店内へと駆け出して行った。
その後にやはりかけ方が甘かったのか、じわじわとサイドスタンドが自動的に折りたたまれ……バイクがガシャンと音を立てて横に倒れた。
「今は何もやってないよな?」
「もう何がサイドスタンドの正しい掛け方なのか分からなくなってるのかもしれない。悪いことをした」
運が悪いことに倒れた車体は駐車場の車止めブロックに激しくぶつかり、何かのパーツが欠けて飛んだのが見えた。
……サイドカウル割れっていくらくらいかかるんだっけ。
5分後、レジ前で売られているであろうハッシュポテトをかじりながらホットコーヒーが入った紙パックを持ってニコニコ顔で店から出て来た彼女は……バイクの前でへたり込み「まだ買って1年なのに」と絶望の顔で泣き崩れていた。
車体を起こすくらいは手伝った。
◆ ◆ ◆
バイクの破損個所は確認したところ、ミラーボルト弛み、ハンドガード擦り傷、ステップ歪み、サイドカウル割れだ。
ステップは車に積んでいたバールを使って無理矢理力で曲げて歪みを直した。
カウルは応急だがガムテープで補修と補強をしておいた。
他にボルトの弛みなど、一応気になった部分で手持ちの車載工具で直せるものについては応急メンテをしておく。
ここから東京へ帰る1000Kmくらいの移動は持つだろう。
ついでにタイヤの空気圧もかなり減っていたので入れ直しておいた。
冬場は日中夜間の温度差と気圧の関係なのか空気が抜けやすいから困る。
「ハンドガードのプラパーツ部分は安価で交換出来ますが、このくらいの擦り傷なら紙やすりで均したりヒートガンを当てれば綺麗になりますよ。カウルは……ネットオークションで良品中古を探しましょう」
「佑は色々詳しいな」
「大学時代は格安中古のボロバイクに乗っていたけど、走る度にあちこち壊れてさ。ある程度は応急修理について身に付いたってわけ」
「あの緑のバイクか。最近見ないけどもう売ったの?」
「今のマンションにはバイク置き場がないから実家の庭で塩漬けにしてるよ。車検は通してるけど、売ろうかなって思ってる。庭で置物として朽ちていくより誰かに乗ってもらう方がバイクも幸せだろう」
「大学?」
彼女が訝し気な顔で俺の方を見た。
確かに見た目中学生が大学時代と言ったり、バイク知識があったりするのはおかしいと思うのは普通の反応だ。
適当に笑って誤魔化す。
「大排気量の単気筒バイクは振動が大きいからかあちこちボルトが弛んでましたよ。普通ならば耐えられる衝撃で色々壊れたのはそれも要因ですね。ディーラーで定期メンテは?」
「実は忙しくてあんまり……」
「外車は国内4大メーカーと違って定期メンテはして置いた方が良いですよ。特にこいつはレーサーに近い分だけメンテサイクルが短いので」
「街で一番速いやつを上司に聞いたらこれを奨められたので買ったんですけどね。レーサーに近いということは知らなくて」
バイクに疎いのにKTMを買うとか、その上司は何をそそのかしたのやら。
「実際速いことは速いですよ。アクセルを少し回せば、すぐにお巡りさんが飛んでくるくらいには」
「それは分かってますけど、この加速は仕事で必要なので」
何故俺は寒風吹きすさぶ真冬のコンビニ駐車場で敵かもしれない見知らぬ謎の人物のバイクメンテをしているのだろうか?
謎しかない。
ともかくこれで一件落着だ。
ナンバープレートを見る限りは東京から来ているようだが、何とか自宅までは持ってくれるだろう。
あとはディーラーにメンテを任せたい。
「それでは私達はこれで失礼します」
「はい、ありがとうございました」
かくして俺達は狸を見るため信楽へ向かおうと車に――
「――いや、待って、ちょっと待って!」
出発しようとしたところ突如として彼女が車の前に両手を広げて立ちはだかった。
その姿はまるで威嚇をするコアリクイだ。
「少々お話を聞かせていただいてよろしいでしょうか? 呪物についての事です」
彼女から「呪物」という言葉が出たのは気になる。
普通、こういう場面で「呪物」という言葉は出ない。
昨夜の追跡の事も含めると俺達が知らない何かを彼女が知っていると考えて良いだろう。
カーターが頼りにならないとは言わないが、情報源は多い方が良い。
何しろ俺達はこの世界の「呪物」について何も知らないのだから。
「喫茶店は……まだ空いていないですね。国道沿いのファミレスにでも行きます?」




