第四話 「蛇足」
扉を開けた先は切り出した巨石を積み上げた厳かな空気の玄室だった。
ただその大きさが尋常ではない。
目測だが縦横高さ、全てが最低50mはあるだろう。
ちょっとした体育館クラスだ。
こんな巨大な遺跡の発見例はないはずだ。
まともな遺跡ではなく、先程まで歩いていた歪められた異空間だと考えた方が良さそうだ。
その玄室の中心には巨大な蛇がとぐろを巻いていた。
鱗はスマホのライト機能の光に反射して鈍く光り、薄明りの中でも異様な存在感を放っている。
胴の太さは人間の胴体の2倍以上は大きい。
とぐろを巻いているので全長は分からないが、体長は優に20メートルを超えているだろう。
視線を上に向けると、開きっぱなしの大蛇の口からは常時紫色の煙が垂れ流され続けていた。
目は虚ろで濁っており、どこにも焦点があっていないように見える。
舌をチロチロと出し入れしながら頭部を小刻みに動かして俺達との距離を測っているが、すぐに襲いかかってくる様子はない。
トナカイのように話が通じる相手ならば良いのだが。
「ひっ……」
「あれ、大丈夫なの?」
俺達はある程度場馴れしているので「なんか巨大な敵がいるな」で済ませられるが、この玄室に入ってきた新聞部の2人にはこの巨大な蛇は衝撃的だったようだ。
見るからに足がすくんで動きを止めている。
蛇に睨まれた蛙という言葉が頭をよぎる。
とりあえず問題は小森くんが落ち着かせようとしたのか、柿原さんの肩に手を回そうとしていたところだ。
そういうところだぞ。
「大丈夫。私達が護るから」
流石に慣れたものだ。
小森くんより先にエリちゃんが柿原さんの手を握った。
「た、頼りにしてます」
必然的に小森くんの手は矢上君の方へ向く。
「離れるとまたさっきの埴輪が出てくるかもしれない。なるべく俺達から離れないで」
「これからどうするの? あいつを倒せば終わり?」
「一応は交渉するつもりです。話が通じなければ撃破で」
「交渉!?」
柿原さんから理解できないとばかりの言葉が飛んできた。
確かに意思疎通も難しそうな大蛇相手にはそう考えるほうが自然かもしれない。
実際問題として、大蛇が口から垂れ流している健康に悪そうな煙のことを考えると対処するなら早い方が良いというのも分かる。
「もしかしたら、私達にこいつを倒させること自体が何かの罠という可能性もあります。話が通じる相手ならば、なるべく対話で済ませたいところです」
「情報収集もですよね」
「もちろん。ただの異空間だとしても、何の脈略もなくこの空間が形成されたとは思えない」
周囲の景色、そして蛇の後側にある壁へと視線を向ける。
暗いのと距離があるのと距離があるのではっきりとは分からないが、四方の壁には何やら色鮮やかな壁画が描かれている。
俺達が入ってきた入口側は描かれているのは馬に乗った人か?
黒赤白青……おそらく四神である玄武朱雀白虎蒼龍に対応しているのだと思う。
左右の壁にはバッタと鳥。
蝗害による被害と、バッタを捕食する鳥を神として崇めているのかもしれない。
真正面には多頭の龍のようなものが描かれている。
頭の数は……7。
ヤマタノオロチ、もしくはその原型になった神話の怪物だろうか?
「この壁画ってあれじゃないの? 確か前にネットで見たことある」
移動中、エリちゃんが背後の壁に描かれている壁画に目線を向けた。
ネット情報というのが気になるが、一応確認してみたい。
「何か気付いたことがあれば言って欲しい。あの蛇やこの遺跡を考察する助けになるかもしれない」
「タカトラバッタ」
「アッハイ」
どうでも良かった。
「小森くんは部屋の隅へ2人を誘導。そこならば少なくとも背後からの奇襲は防ぐことが出来る」
「わかりました。前面からの攻撃はプロテクションで防ぎます」
「じゃあお願いね。しっかりガードしてよ」
「危ないと思ったら逃げるから小森くんも気をつけて」
「勿論わかっているさ」
先程話したのが効いたのか、柿原さんからやや棘が取れたように感じる。
これならば小森くんと組ませても変な言い争いをすることもないだろう。
「エリちゃんは俺と一緒にあの蛇の前に。交渉するつもりだけど、もし失敗したら俺の首根っこを掴んででも奴の射程距離外へ退避させて欲しい。多分俺の脚じゃあいつの攻撃を避けきれない」
「任せて!」
こう頼むとエリちゃんは文字通り俺の首根っこを掴んで引っ張りそうではあるが、それは仕方ない。
俺の鈍足で走って逃げるよりはマシだろう。
大蛇の動きを見ながら歩みを進めると、向こうも興味を持ったのか、巨大な頭を動かして俺達の方へ頭を寄せてきた。
3メートルほどの距離に近付いたところで呼びかけてみる。
「私達に敵対の意思はありません。話を聞いてください」
返答はなし。
ただ、こちらに襲ってくる様子はない。
「会話可能でしょうか? お願いですので少し話をさせてください」
更に呼びかけを続けると大蛇は俺達の方へ向けていた頭を引いて、鎌首を高くもたげた。
攻撃のために力を溜めるかのように。
最初から会話なんて出来ない野生動物に過ぎなかったのか?
それとも会話なんて最初からする気などないのか。
どちらにしても、このまま交渉で解決するのは難しそうだ。
戦闘になるならば、一度距離を取る必要がある。
そう考えたタイミングで大蛇の方が先に動いた。
とぐろを巻いた状態のまま――体の中心よりやや後ろに生えている人間のような「二本の脚」でスッと立ちあがった。
蛇が長い体を折り曲げながら、雑に取って付けたような違和感しかない細長い足で立ち上がっている光景は何かのギャグのように見えた。
あまりにシュールすぎる光景のために脳が理解を拒む。
「えっと、この……何?」
「エジプトの壁画に描かれているやつかな? ネットで似たような画像を見たことあるけど」
「それよりも、丸っこいウサギが変に長い足で立ち上がる動画を見た覚えあるけど、そっちに似てる」
「なんか見覚えがあると思ったらそれか。流れ変わったな」
あまりのシュールな光景に俺とエリちゃんは思わず可能性の獣……大蛇がガニ股のまま巨体に似合わない俊足でバタバタと走り始めても、ただそのシュールな光景を見守っていた。
「何やってんだ! 恵理子! ラビさん!」
背後から飛んできた小森くんの叫びで覚醒した。
迂闊だった。
あまりにシュールな光景に見とれて、つい反応が遅れてしまった。
エリちゃんは右側、俺は左側へと飛び退く。
脚力に優れたエリちゃんは余裕で大蛇の体当たりが当たらない距離まで移動したが、俺の脚力ではそうはいかない。
鳥達を喚び出して盾を形成。
もちろん盾でこの巨体の突進を止められるなど思っていない。
この盾は俺の移動用だ。
盾の向きを空中で180度回転……正面を俺の方へ向けさせる。
「跳ね返せ!」
両腕を交差させて頭を、膝を曲げて腹をガードした上の盾から発生させた斥力を自ら受けた。
流石に衝撃による痛みはあるが、贅沢は言っていられない。
軽量級の俺の体は空高く跳ね飛ばされ、大蛇の射程距離外へ逃げることが出来た。
流石にもう交渉など何もあったものではない。
当初の予定通りにヤツの撃破に切り替える。
「交渉決裂だ。倒すけどいいよな!」
「ラビさんの判断を信じます!」
「任せた!」
小森くんとエリちゃんからノータイムで返事があった。
ピッタリと息の合ったやり取りが出来る辺り、俺達の信頼の強さを感じる。
嘘だ!
なんか変なタイムラグがあって3人がバラバラ好きに喋っているだけだったぞ。
「盾解除!」
対空中、頭が下になったままの体勢で右腕を大蛇に向けて手のひらをかざす。
その前面に3羽の鳥たちを集める。
「増幅魔法陣に再構成。増幅――」
俺が着地するまで……大蛇が小森くん達の方へ向かう前に速攻で勝負を決める。
腕の前に形成した魔法陣目掛けてスキルを放つ。
「――極光!」
増幅魔法陣で強化させた極彩色のレーザー光線……閃光の剣で大蛇の体を縦一文字に切り裂く。
旧神の印なしでこんなあっさり攻撃が貫通するということは、こいつは邪神などではなかったようだ。
ただ大きいだけのモンスター。もしくは実体のない埴輪の仲間。
部屋に入った直後にさっさと倒しておくのが正解だったのか。
まあいい。これでトドメだ。
レーザー光線を念入りに動かして大蛇の身体を細かく切り刻んでいく。
大蛇の巨体は粒子のように分解されて、闇の中へ溶けて消えていく。
「キャッチ!」
「キャッチ助かる!」
そのままだと頭から真っ逆さまに地面に落下するところだったが、すかさず飛び込んできたエリちゃんが空中にいる俺を抱き抱えて着地してくれた。
コートの埃を払いながら部屋の隅で固まっていた3人に合流するため近付いていく。
「これで一応解決のはず」
「上戸さん、サポート役って言ってませんでした?」
「サポート役ですよ」
自分ではまだサポート役のつもりだ。
今の火力は増幅したから出せるのであって、同じように増幅で強化してやれば小森くんやエリちゃんの方が瞬間火力は高い。
「さて、ボスも倒したしこれで解除されて欲しいところですが」
様子を伺っていると、まるで今までは切れていた部屋の電灯のスイッチをオンにしたようで突然周囲が明るくなった。
いつの間にか俺達5人は薄汚れた旧校舎の教室に立っていた。
端の方には昔使っていたであろう古びたパイプ机と椅子が積み上げてある。
俺が小学校に入る頃にはもう長椅子になっていたが、21世紀初頭くらいまではまだあちこちの学校で使われていたタイプのものだ。
窓の外には学校のグラウンドが見える。
部活なども休みのようなので人の姿は全くないが、外からでも一目で旧校舎内に誰かが侵入しているということは一目で分かるだろう。
「これ、元の世界に戻ってきたの?」
「はい。ボスを倒したので結界が解除されたようです」
謎は大量に残っているが、とりあえずは解決だ。
念のために窓を開けて旧校舎の外へ使い魔の鳥を飛ばしてみる。
周りは人口の多い住宅地なのであまり目立たせたくはないのだが、今は仕方がない。
上空へ30mほど飛ばしたところで眼下を確認すると、学校を覆っていた黒いドームは消え去っているようだった。
ただし、これは鳥の使い魔の視点だ。
人間の目で視るとどうなっているかは改めて確認する必要がある。
一度使い魔を解除する。
「ドームは消えていた。ただ、学校の敷地外から念のために肉眼で確認しておきたい」
「その前に」
小森くんとエリちゃんがスマホを取り出してカメラアプリを起動。
部屋のあちこちに向け始めた。
「あれ? まだ何か霧状のものが出ています」
「そんなバカな」
ボスらしきものはもう倒したし結界も解除されて元の空間に戻っている。
神父などの謎は多数残っているが、ひとまずの解決だ。
当然、カメラを遮断する霧も消えて然るべきだが。
「この教室の中じゃないですね。別の場所です」
「恵太、カメラ出して。小森がスマホ構えて歩くよりはそっちの方が見やすいでしょ」
「確かにそうだ」
矢上君が鞄からビデオカメラを取り出して液晶画面を覗き込んだ。
俺も横からその画面を覗き込むと、確かにうっすらではあるが黒い霧が床の上、10cmほどの高さに揺蕩っている。
「霧が流れてきているのはこっちだよ。付いてきて」
矢上君がビデオカメラを構えながら歩いていくのに付いていくと、旧校舎の一角にある下り階段から霧は上ってきているようだった。
「ここは一階ですよね。この旧校舎は元から地下階なんてあったんですか?」
「学外の人は知らないと思いますけど、うちの学校って山間の傾斜に建ってるんですよ。だから、それを利用した地下部分があるんです」
「ここは今では備品倉庫として使われていました。体育祭や文化祭で使うゲートみたいなかさばるものを保管しているんです」
小森くんと柿原さんが交互に旧校舎の構造について紹介してくれた。
「文化祭の時にここへ暗幕を借りに来たことがあります。でも、階段を1mほど下った場所に倉庫が有って、それで終わりです」
「じゃあその階段は?」
「私は……知らない」
倉庫の手前に、もう一段、闇へと沈む別の階段が穿たれていた。
新しく作られたものには見えない。
むしろ、古びたコンクリートの質感も、張りついたカビの匂いも旧校舎と一体化しているように思えた。
「こんなのなかった!」
柿原さんが恐怖からなのか声高に叫んだ。
「何よこれ……もう解決したんじゃないの?」
暗い階段の奥は、まるで人を呑み込むようにぽっかりと口を開けている。
照明もない。
ただ、何かを誘うように、黒い霧だけが下からじわじわと這い上がってくる。
そして、その下り階段にはオレンジ色の紙のテープが侵入を拒むように何本も張られていた。
「STOP KEEPOUT」
進入禁止テープなど1本張れば十分だろうに、まるで絶対にその先へは行かせないという妄執があるのか、執拗に何本も張り巡らされていた。
「矢上君と柿原さんはここで待機」
鳥の使い魔とスマホのカメラ機能、そして肉眼で下り階段とテープを確認するが、間違いなく本物だ。
つまり、あの大蛇を倒してもこの下り階段や黒い霧が消えないのは、これは現実世界に実際に存在しているものだからだ。
「学術調査」とはこれのことか。
下り階段の先がどうなっているのかは見通せない。
ただ、闇雲に突っ込んでも解決するものではないだろう。
「ラビさん、どうしますか? 午後からでもこの地下に再挑戦をしますか?」
「いや、今日のところは引き上げだ」
口惜しいが俺達が無理にこの地下へ突入したところで根本的な解決には至らなさそうだ。
「念の為に確認したいけど、学校から旧校舎に入るなという通達が出たのはいつ頃の話?」
「去年の年末……期末テストが終わったあたりですね。冬休みから来年3月にかけて工事をやるから旧校舎には近寄るなと」
「じゃあ次は柿原さん。幽霊の噂が出たのは?」
「去年の11月……中くらいだと思います」
「つまり去年の11月中頃からはおそらくこの地下へ降りる階段は存在していた可能性がある。学校関係者はそれを把握した上で、生徒が危険だからという理由でここを封鎖した」
俺の推理に全員が息を飲んだ。
「階段の……学校の地下に何があるって言うんですか?」
「それは分からない。ただ、これはしばらく放置してもすぐに事態が悪化するようなものでもなさそうだ。少なくとも3月までの2ヶ月は」
「じゃあこのまま放置すると?」
「放置はしない。調査するにしても、まずは十分な調査と対策、それに準備を整えてからだ。それに、学校関係者や県議会もこの事態を把握している可能性が高い。慎重に進めないと何かとんでもない落とし穴に引っかかるぞ」
これはただボスを倒せば終わり。全て解決というものではないだろう。
謎の神父。
何かを知っている学校関係者。
学校の地下に眠る「何か」
現状で言えることは1つ。
この横浜の端にある何の変哲もない高校から、何かが大きなことが始まろうとしているということだけだ。




