第五話 「八千代」
ネットを元に調べた八千代なる霊能力者の拠点は宮崎方面へ抜ける途中の県道から更に奥の方へ入った場所だった。
左手は崖。
右手は山の急な斜面で道を少しでも外れると崖下へ真っ逆さまのなかなか厳しい道だ。
それを防ぐためのガードレールもカーブミラーもない。
その上でコンクリ舗装の路面は全く整備されておらずデコボコしている。
陥没している場所にタイヤがそこにはまり込むと車体が大きく振れる。
一時期、ログアウト出来ないMMOでデスゲームが行われるという話は一時期流行ったが、今の状況はログアウトが即死につながる状況である。
まさにデスゲーム。
なるべく避けて進みたいのだが、落ち葉が絨毯のように敷き詰められているために穴の位置が分かりにくい。
車体が小さくて軽いビートルなので今のところは走れてはいるが、この先、路面状態が更に悪化すれば車を停めて歩いていくことも考慮に入れる必要があるだろう。
「一応は道に轍が付いてるから車が全く通っていないってことはないとは思う。鹿島さん夫妻も一度はここへ来ているはずなんだし」
「じゃあ、よっぽどこの奥へ行く人の数が少ないのかな?」
「おそらくは。1日1往復とかそんなレベルだろ」
不安に思いながらも速度を落として慎重に車を30分ほど走らせると、広い集落のような場所に出た。
両側には獣除けの柵の向こうに広い畑と稲刈りが終わった後の田んぼと畑が広がっていた。
畑にはネギや白菜、大根などの冬の野菜が植えられているのが見える。
明らかに人の手が入っているので完全な廃村ではないだろう。
道の先の方には何軒もの家が軒を連ねており、集落から道は更に先へと延びていた。
「畑は手入れされているし人はいるみたいだな」
「人が多い割には道が荒れてたけど」
「もしかして、今通った道は旧道か裏道で、別方向からだともっと簡単に来られるのかもな」
別の道がないか調べようとカーナビに目をやると真っ白で何も表示されていない。
後付けの安いナビだけあって地方の詳細地図は省略されることが多いので、まあ良くあることではある。
集落はかなり小規模なようだ。
せいぜい10軒程度。
霊能力者の八千代なる人物を捜すとしても、地道に聞き込みで総当たりしてもそれ程時間はかからなさそうだ。
そう思いながら車を進めるとどうも様子がおかしい。
それぞれの家屋は雪の対策なのか道路から少し高い場所に建っており、そこへ至るために車道からは登り坂が延びているのだが、そのどれも苔むしている。
庭も真冬だというのに枯れた雑草が生え放題になっており、長期間ろくに管理もされず放置されていたことがわかる。
そして――廃屋の庭先には色とりどりの着物が打ち捨てられていた。
長期間風雨に晒されていたからなのか、色褪せている上に、すすけて朽ちかけている。
それでもまだそれなりの鮮やかさは残っており、そのことがより不気味さを加速させていた。
「これ、怪談のマウンテンバイクの話と状況が酷似しすぎているんだが」
「着物が散らばっている以外は田舎の集落ではよくある光景じゃないかな」
エリちゃんが淡々と言った。
「着物が散らばっている時点で普通じゃないんだけど。完全に廃村になっていたところに不審者や野生動物が侵入して荒らしたならギリギリ分かるけど」
流石にこれはおかしい。
故意に都市伝説を再現しているとしか思えない。
「視力が良いエリちゃんなら見通せないか? 既にここは通常の空間じゃないのかもしれない」
「出雲に行った時、変な空間に誘い込まれたけどあれと同じなのかな?」
「その可能性は高い」
状況確認のため、適当な空き地に車を停車させ、サイドブレーキを引いて車から降りようとした時にそれは起こった。
周囲にはたちまち濃い霧がたちこめ、視界が一気に利かなくなった。
まだ外は昼過ぎだというのに、空は薄暗く太陽の光もほとんど届かない。
霧に包んで外界から遮断する攻撃には覚えがある。
思えばマインガルで空を雲が覆っていったのも、あれも結界へ隔離する前兆だったのか。
「こんな封絶や領域展開みたいな空間攻撃って本当にあるんだな」
窓から空を見ている優紀が二次元知識ですごいものをみたと関心しているが、これは残念ながらアニメじゃない。
自分達に直接危害があるかもしれない本当のことだ。
「どうするのラビちゃん?」
「車ごと攻撃をされたらシャレにならないから降りて反撃する。絶版車の部品なんて出ないんだぞ」
車内で鳥を喚び出して、まずはその1羽を肩に乗せた。
残り4羽を外に放つが、すぐに攻撃される気配はない。
見える範囲内に敵は居ないようだが、確実にどこかに存在していてこちらの様子を窺っていることは何となく理解できる。
「優紀は俺の鞄の中から装備一式を取ってくれ。短剣と外套、それに帽子だ」
後部座席に座っている優紀に頼む。
後部座席にはトランクに入らなかった俺の荷物……装備品を積んだままにしている。
もし戦闘が発生するならば武装をしておいても損はない。
「私は出なくていいのか?」
「お前は何の戦闘能力も持ってない一般人なんだから、車の後部座席に隠れてろ」
「ということは、リアル『異世界帰りのチート能力者が現実世界で無双する』を見られるわけだな」
「いいから隠れてろって。お前が車内にいると気付かれたら車ごと攻撃される可能性があるんだから」
優紀は指示通り、荷物を俺に渡した後は座席に丸まり、寒さ対策としてひざ掛け代わりに使っていたブランケットを頭から被った。
俺は短剣が入ったホルダー付きのベルトを腰に巻き、戦闘用の白い外套と三角帽を身に付けながら車外へと飛び出した。
外套や帽子は限界超越で生えてきた防具だけあって、見た目はただのコスプレだが防御力は極めて高い。
ナイアルラトホテップの攻撃を何発か受けたが、掠れもほつれもない。
下手をするとライフル銃の弾丸やトラックの直撃にも耐える防御力がある……かもしれない。
防具の性能への過信は禁物だが、回復役不在の現状だと少しでも防御力は高めておきたい。
助手席に乗っていたエリちゃんも荷物から手甲を取り出して手にはめながら俺に続いて車から飛び出した。
車から出た途端に、半透明の白い影のようなものが俺とエリちゃんに向けてそれぞれ襲い掛かってきた。
数は5体。
見た目からしてホテルマンの親戚だろう。
四方八方から襲ってきているので、まとめて処理するのは難しそうだ。
「後ろは任せた」
「任された!」
最低限の言葉を交わした上で、お互いに背を預けて立つ。
信頼関係が出来ているので、このやり取りでも立ち回りなど十分に通じる。
俺の担当分は3匹。
まあ何とかなるだろう。
「盾!」
まずは盾を形成。
盾をスライド移動させながら初手の体当たりを防いでいく。
相手の攻撃力などは不明だが、食らわないに越したことはない。
一通り弾き返した後は反撃開始だ。
「散開!」
盾を一度解除して、自由になった3羽の鳥達をそれぞれ白い影に向かって放つ。
流石に3羽同時コントロールだと精度を維持出来ないからか1体には避けられたが、他の2体は体の中心の核を貫いて倒すことが出来た。
エリちゃんの方を見ると、敵の攻撃を避け、カウンターで回し蹴りを叩き込み1体を倒していた。
やはり相手の防御力はそれほど高くない。
「残るは2体か」
「でも、近付いてこないね」
一瞬で3体がやられたからなのか、残った2体の白い影はこちらから距離を取って決して近付いて来ようとしない。
「石でも投げて落としてみる?」
「止めておこう。それよりも襲ってこないならば、今が状況確認を行うチャンスだ」
まずは鳥を1羽上空へ向かって打ち上げるように飛ばせた。
空から状況を確認するためだ。
だが、10mくらい上空に飛ばしたところでそこから全く先へ進まなくなった。
まるで見えない壁でもあるようだ。
「結界的な物で通常の空間と隔離されているのか?」
いくら頑張っても鳥をそこから上に飛ばせないので仕方なく手元に戻した。
「どうだった?」
「全然ダメだ。やっぱり俺達はこの謎空間に隔離されているみたいだ」
この攻撃を仕掛けた奴は俺達にかなり悪意を持っているようだ。
何としてもここで絶対に仕留める。
もし倒せなくとも、この結界内から出さなければ良いという意思が伝わってくる。
こっちには交戦の意志などないというのに血の気の多さには困ったものだ。
「影を全滅させてみる? 出雲の時みたいに」
「先に結界を破ってみたい。敵さんはこの結界の維持に余程自信があるみたいだから、内側から壊してやるとどんなリアクションが返ってくるのか気になる」
まずは鳥を追加召喚。
増幅魔法陣を形成して、口にバルザイの偃月刀を咥えさせた鳥を強化。
ドリルのように高速で回転させながら、先程は移動を阻まれた上空の限界に向かって放ち、結界を破壊にかかる。
結界も魔法陣の一部ならば、これで綻びを作ってやれば崩壊させることが出来るはずだ。
これでもダメならば魔女の呪いの熱線で消し飛ばすしかない。
あれは使用する度に火力が上がっているので、なるべく使いたくはないところだが。
鳥を不可視の壁へと突撃させると、空にガラスがひび割れたような亀裂が走った。
亀裂は鳥が回転しながら進むと共に段々と大きくなっていき、ついには粉々になって完全に崩壊した。
周囲に立ち込めていた霧が冷たい冬の外気に触れて瞬く間に水滴となり、10秒ほど霧雨のように降り注いだ後に景色が晴れると……寒村などどこにもなかった。
昔は集落が有ったかもしれない開けた場所には延々と太陽光発電のソーラーパネルが広がっている。
僅かに空いたスペースも俺達が乗ってきた車が停車しているくらいで、先程まであった民家も畑も見当たらない。
「キツネにでも化かされたか」
「夢でも幻覚でもなく本当に異空間……結界に隔離されていたんだと思う。たまたま俺達は結界の破壊能力を持っていたけど、なければどうなっていたことか」
車のドアを開けてエンジンキーを差し込み、カーナビを起動させると地図が表示された。
どうやらナビに地図が表示されなったのは性能不足ではなく、変な空間に誘い込まれていたようだ。
カーナビの表示だと現在位置には集落が存在していることになっている。
カーナビの地図は5年以上昔のものなので、その頃には先程見たような集落が残っていたのかもしれない。
寒村は過去の残滓か、それとも何か別の場所を再現したものか。
もしかすると例の都市伝説……マウンテンバイクを語ったスレ主も俺達と同じものを見たことを仔細に語った実話だったのかもしれない。
「これからどうするの?」
「鳥を八千代さんのところに先行させて空から誘導させることにする。それならば、また結界に飲まれてたとしてもすぐに感知と破壊が出来る」
幸いにも山の中なので景気良く使い魔の鳥を飛ばしても見られることはないだろう。
鳥を上空に放って空から俯瞰で周辺の状況を確認する。
かなり山の深い場所ではあるが、ツリーハウスでもなければ家が木々に隠れているようなことはないだろう。
空から見ると直線距離で1Kmほど、の場所に屋根の上にソーラーパネルとBSアンテナが付いたポツンと一軒家を見つけた。
電話会社のエリア外だからなのか光ファイバーケーブルは接続されていないようだが、代わりに衛星通信用のアンテナが立っている。
屋敷手前には粗末な建物が2棟建っているが、構造からして、そちらはおそらく農具小屋とガレージだ。
位置関係からしてもそちらが八千代さんの家で間違いないだろう。
「見つけた。攻撃が再開する前に行こう」
「この攻撃をしてきているのが八千代さんだったら?」
「その時もまずは話し合いだな。現代日本で敵対してもお互い良いことなんてないんだし」
少なくとも俺達は今のところ正当防衛しかやっていない。
まだ話し合いで解決出来る余地はあるはずだ。
◆ ◆ ◆
幸いにも新たな攻撃が来ることはなく、八千代さんの自宅らしい家屋の前に来ることが出来た。
空きスペースに車を駐車させて玄関の前に歩いていく。
インターホンはないようなので、大きく深呼吸して冷たい冬の山の空気を肺いっぱいに吸い込んでなるべく大きな声で呼び掛ける。
「メールで連絡した者です。八千代さんにお話があります!」
何度か同じ内容で呼び掛けた時、民家玄関の横開き扉がガラガラと開かれる音が聞こえてきた。
ザッザと土を蹴る音を立てながら、白い髪を後ろでまとめた老婆がゆっくりと姿を現した。
鈴懸?だったか。
白い上着と袴にぼんぼりのような紐の付いた結袈裟という修行者だか山伏だかのような出で立ちの老婆はこちらへゆっくりと歩いてきた。
ただ、こちらを睨みつけるような鋭い眼光からは、隙あらばこちらの喉笛をかみ切ってやろうという敵意が伝わってくる。
何を勘違いされているのかは分からないが随分と嫌われたものだ。
まずは両手を挙げて降伏のポーズを取る。
「私達は異世界へ召喚された後に日本へ帰ってきた帰還者です。話を聞かせてください。こちらに交戦の意志はありません!」
「異世界? 交戦?」
老婆は「異世界」という言葉を聞いて怪訝な顔をした。
言葉の持つイメージが異なるのかもしれない。
「あなたが以前に託宣した人物の口から異世界のことを知らないと出ない固有名詞が出ました。そのことから、私達の仲間、もしくは関係者の可能性があると考えました」
「託宣なら色々な人間に伝えてるからどの件かわからないね。何の話なんだい?」
「タウンティン・スウユにある地母神の遺跡」
ここで嘘を言って駆け引きをしても仕方がないので正直に告げた。
「根の国の話か。異世界なんて言い回しをされると、まるで漫画の話かと勘違いするじゃないか」
「まあマンガみたいな話ですけどね」
マンガどころかこちとらゲームでソシャゲのキャラ、しかも季節限定イベントの配布キャラである。
俺についてはイベント終了後なので、ショップでゲーム内通貨を使用して購入することで入手が可能なのだが、その価格はなんとガチャ1回分。
安い女である。
それにしても「根の国」とは穏やかではない。
「根の国」というのは「常世」などと同じく日本神話に登場する別の世界を表す言葉だ。
ただ「常世」というのは海の向こうの国や神の住む国という意味も内包しているが、「根の国」と呼ぶ場合はほぼ「あの世」の意味である。
俺達は別に死んだわけでもサイド6の終着駅の改札の前で立ち止まっていたつもりもないのだが。
「根の国帰りだから、そんなとんでもない邪悪なものを連れているのかい? そいつらは地獄の獄卒かい?」
そう言われて思わず振り返るが後ろには優紀とエリちゃん以外は誰もいない。
連れ回していると聞いて思い当たる節と言えば魔女くらいだが、たまに体の制御を奪ってコーラを飲むくらいでそこまで邪悪という感じではない。
何か霊的なものに憑かれているのだろうか?
「そんなのに取り憑かれているのに本人に自覚なしのタイプとか流石に……」
老婆はそこで一度言葉を切って俺達を改めてなめるように見始めた。
「本当にないんだろうね。常人ならとっくに狂ってるよ。あたしもなるべくなら見たくないくらいだ」
「何が見えるんです?」
純粋な好奇心から尋ねてみた。
自分がどういう状態になってるのかは気になる。
「無数の不気味な鳥、巨石が並ぶ祭壇、それに黒い……いや黒いのに極彩色に輝く太陽。この世の光景と思えないんだが」
説明されてようやく合点がいった。
それはセンティネル丘陵の祭壇とうちの神さん、そして使い魔の鳥達だ。
魔力などない俺には全く自覚出来ていないが、うちの神さんの加護だかなんだかが異質すぎて「見える」人間にとっては驚異と感じられるのだろう。
「それなら大丈夫です。ただちに影響はありません。鳥も臭い以外は可愛い奴らです」
「常人なら狂うって言ってるんだよ。その臭いって言ってるのも死臭じゃないのか?」
「どちらかと言うと鶏小屋ですね」
「鶏……小屋……?」
確かに鳥達は死ぬかと思うほどの臭さにはなるが、それは洗ってない犬や鶏小屋の臭いに近いものであって死臭とはまた違う……と思う。
それはともかくとして、今のやり取りを交わしてからようやく老婆から敵意が消えた。
威圧や攻撃のためにうちの神さんを見せているだけではないと理解してもらえたようだ。
「なら、さっきドンパチやっていたのは何だったんだい?」
「分かりません。ここへ来る途中に不明な敵に突然に襲われ、結界内に閉じ込められました」
「閉じ込められた? 一体どんな空間なんだい?」
「人気のない廃集落のようでした。ただ手入れされた畑などがあったりと妙なリアリティはありました」
それを聞いた老婆は何かを黙考しているようだった。
「もしかして庭先には古い着物が散らばっていたかい?」
「はい、その通りです」
単にマウンテンバイクの話を知っていただけかもしれないが、あの空間について何か知っているのだろうか?
「そうだね……こんな寒々しい庭先で立話も何だ。中に入りな」
老婆はそう言うと屋敷の方を指差した。
どうやら話を聞かせていただけるようだ。




