Chapter 16 「最大のピンチ」
ニューヨークを出て2日目の夜。
東へと向かう車の先に町の灯りが見えた。
中世の町にあった松明や暖炉の灯りではない。
タウンティン以来、数ヶ月ぶりの人工……電灯の灯りだ。
モニター上には木造の古い家屋と石造りの建物、コンクリ造りの建物が混在して映っている。
いくつか大きな建物はあるものの、高層ビルなどは一つもない。
アメリカというよりも、ヨーロッパの古い小さな港町という印象を受ける。
「あれがアーカム?」
「この世界にしては新しすぎますけど、異世界から来た町なんでしょうか?」
「分からん。何も情報がないし」
今のところ分かっている情報は運営の地下で聞いたオリジナルカーターによる「センティネル丘陵の祭壇に行け」と「先にアーカムという町に行け」の2つだけである。
「まずはこの町でセンティネル丘陵とやらについて調べる。話はそれからだ」
アーカムの町を前に、まずは白地図と地形を比較する。
「何かおかしいな」
「どうかしたんですか?」
「地図と地形が全然違う」
モニターに白地図を表示させる。
そこには円形の湾から山の方へと川が伸びている地形が表示されていた。
「この地図に表示されている場所がボストン」
「現在地ですよね」
「いや違う。日が落ちるちょっと前に大きな川を渡ったと思うけど、それがこの地図に表示されているチャールズ川。ボストンの位置には町なんてなかった」
「ならあの町は何なんですか?」
白地図を閉じて前面モニターを見る。
そこには電灯による明かりが灯っている町が映っている。
「位置的にはボストンから北へ20kmくらいの位置。川の南岸がセイレム……記録に残る最後の魔女裁判があったという町だけど、その対岸にある町が、アーカム」
「セイレムって町……いや、集落もあるんですね」
川の南側には小さい木造の家が立ち並ぶ小さい集落が見える。
川の北側はそれなりに発展した町になっているのとは対象的である。
「でも、地図上には川なんてないですよ」
「それが謎。町は転移で来たとして、ならばこの川は何ってなる」
右モニター、そして後方モニターで川の流れを確認すると、はるか北西の山の方まで川は伸びているようだった。
意外と川幅が広い川だ。
小さい支流だと地図では省略されていることもあるが、川幅50mを超えた川が地図に載っていないのはおかしい。
「この運営が用意した地図もそんなにあてにならなかったし、実際に目に見えるものを信じた方が良いんじゃないですか」
「言われる通りなんだけど、なんか納得が……まるで誰かのうろ覚えの地形が再現されているみたいで怖いんだけど」
「うろ覚え?」
「『ボストンのちょっと北に町が有ったな。近くに川が流れていて』というフワっとしたイメージで、この世界の地形の方が上書きされちゃったというか」
以前から誰かのフワっとしたイメージがこの世界に反映されている疑惑はあった。
突然に出てくるダンテの神曲の一節。
あるはずのない場所に存在する町。
逆に町がある場所が荒野だったり砂漠だったりするなど。
そう考えると、南米にごく平然と棲息していた恐竜もその一部だったのだろうか?
「何にせよ、今は情報収集が先決だな。今日はそれも兼ねて、あの町に泊まるってことでいいか?」
「そうだな。正直残金は乏しいけど、一泊くらいならなんとかなるから、宿を探すか」
やはり町の中へ車は乗っていけそうにないので、適当なところに停めて歩いていくことにする。
◆ ◆ ◆
町は意外と古いという印象を受けた。
歩いている住民の服装からして20世紀初頭。
ここも1943年設定かと思ったが、もう少し時代は前のようだ。
それだけにファンタジーRPGに足を突っ込んでいる俺達は明らかに周囲から浮いている。
浮いていないのはスーツ姿のカーターくらいだ。
「まずはそこらの通行人に話を聞いてみるか」
「カーター頼めるか?」
「任せろ。宿と酒場の位置を確認してくる」
「残金はそんなに残ってないんだから酒場で金を使うなよ」
「分かってるって」
カーターは軽い雰囲気で通行人に声をかけて……すぐにダッシュで戻ってきた。
「しまった、こいつらアメリカ人だ!」
カーターは興奮しているのかやたら息を切らしていた。そのくせ顔は青ざめいてた。
「アメリカ人ってなんだよ? もう何か月もずっとアメリカだから、会う人みんなアメリカ人だよ」
「違う、英語だ。こいつらアメリカ人だから英語をしゃべるぞ。正直、何言ってるんだかを喋ってるのか全然わからん」
「言ってることが分からんのはお前だよ。今まで言語の壁なんて問題はなかっただろ。いいから少し落ち着けって」
俺はカーターに代わって通行人へ駆け寄って少しだけ簡単な会話を交わした後に……すぐに仲間のところへ走って戻ってきた。
「しまった、ここの住民みんなアメリカ人だ!」
「いやいや待って……待って待って待って!」
モリ君が両手を前に出しながら近寄ってきた。
「落ち着いて2人とも。アメリカ大陸に居るんだからみんなアメリカ人なのは当然ですよ」
「でもアメリカ人だぞ。英語を話すんだぞ。華氏やヤードポンド法みたいな意味不明なローカル単位を押しつけてくるぞ」
「状況を整理しましょう。英語はともかくとして、ここの人達が俺達の知らない言葉を喋っているってのは間違いないですか?」
「知らない言語じゃないんだ。英語だから。ただネイティブの発音と速度で喋られると、所詮は受験英語レベルの知識で止まっている俺じゃ全く聞き取れないってだけで」
「えっと……今までずっと俺達は普通に会話してきましたよね。ペルーからメキシコからサンディエゴ、異世界の町。そしてフロリダ。ずっと言葉は通じたじゃないですか。あのイモリ人間ですら通じたんですよ」
どうやらモリ君は大きな勘違いをしているようだ。
「モリ君は、俺達が今何語で話していると思ってる?」
「そりゃ、異世界に来たんだから異世界語で、謎の力で翻訳されているんですよね」
やはり勘違いをしていたようだ。
俺はカードを取り出して見せ……ようとして、自分のカードは文字化けで何一つ読み取れなかったのを思い出した。
「モリ君、カードは持っているよね」
「もちろん肌身離さず」
モリ君が懐の内ポケットからカードを取り出した。
「そこに書いてある文字は?」
「日本語ですよね」
「今喋っている言葉は?」
「異世界語?」
「日本語だよ!」
適当に通りにある商店の看板を指差す。
「あの看板の文字は?」
「英語ですね」
「読める?」
少し置いて返答が返ってきた。
「食料品店……ですか?」
「それって何語だった? 異世界語?」
「英語……ですね」
「そこらの通行人の雑談に耳を傾けてみて。何語で喋ってる?」
今回は更に間を開けて答えが返ってきた。全く自信がなさそうだ。
「異世界語?」
「大学入試には英語のヒアリング試験もあるけど大丈夫そう?」
「数学と国語はまあまあ自信ありますけど、英語はまあ、その……」
「よし、モリ君も日本へ帰ったらエリちゃんと一緒に受験対策の勉強な」
俺達に最大の危機が訪れていた。
かつてない程の強敵であり、最大のピンチだ。
何をどうすれば、この危機を乗り越えられるのかは分からない。
だが、一つだけは確実に言える。
「一度この町を出よう。車に戻って作戦会議だ」
◆ ◆ ◆
「俺達はかつてない程のピンチに見舞われている」
「ああ……この敵はまるで攻略出来る気がしねぇ……」
予想外の事態だ。
何をどうしたら、言語の壁という状況を打破出来るのか検討すら付かない。
「あの……ラビさんもカーターさんも大卒ですよね」
「そうだけど」
「大学入試でも英語をやるし、大学の基礎教養でも英語をやりますよね。そこまでやっても英会話は出来ないんですか?」
「読み書きは出来るよ。受験対策で徹底的にやったのはまだ頭の中に残ってるし、うちの会社は海外に支社がいくつもある関係でアメリカからのメールも頻繁に飛んでくるけど、だいたい読める」
「オレも読み書きならまあ……」
おそらくモリ君も単純な単語で構成された英字文章ならば、それなりに読めるはずだ。
日本の学校教育はリーディング特化なので読み書きは意外と出来る。
そこは間違いないはずだ。
エリちゃんは少し怪しいところだが。
「会話は? ヒヤリングの試験はありますよね?」
「イギリス式の綺麗なキングスイングリッシュでかつアナウンサーみたいなハッキリした発音での大学入試のヒヤリング問題なら解けるけど、訛りがあるアメリカ人の日常会話を聞き取れるかは全く別の話だ」
「ということは話せない?」
「スマホの翻訳アプリがあれば……」
「同じく」
やはり俺達は日本人だ。
この世界と付き合っていける気がまるでしない。
俺達は排除されるべき存在なのだ。
「タウンティンは普通に日本語が通じましたよね」
「何百年も日本人を大量に喚びまくるってのを続けたからだろうな。マヤもインカも文字を持たない民族だったらしいから、普通に俺達のような異世界人が持ち込んだ日本語が公用語として入り込んじゃったのかと」
「フォルテ達異世界人にはなんで日本語が通じたんですか?」
「異世界だからとしか……」
そこまで原理の解明が進んでいるわけではない。
フォルテ達がたまたま日本語と同じような言語を使っていた。
異世界転移の際に何かの特典として異世界語をマスターするなどしたなどの推論はあるが、不明のままだ。
全員の表情に絶望の色が浮かび始めた。
ここに来て完全に詰んだことが確信出来てしまった。
「タルタロスさんは英語は?」
「すまん。ワシにはさっぱり分からん」
もはや最後の望みとレルム君とドロシーちゃんに声をかけようとして、カーターに制止された。
「止めろ。子供に頼ったら精神が死ぬぞ。もし、ちびっ子達が英語を話せるとなれば、お前はもう立ち直れない」
「それでも、もうこれしか手はないんだ」
子供達が英会話を出来なければ、俺達は住民から何も聞き出せずに終わってしまう。
意を決して子供達に英語が話せるかをどうかを確認する。
「師匠が分からないのに僕には無理ですよ」
「うちは勉強嫌い!」
やはりダメだった。
こうなれば頼れるのはもう1人だけだ。
(魔女さん、この声が聞こえていたらお願いします。英会話の翻訳をお願いします)
俺は脳内で魔女に呼びかける。
ここが最後の綱だ。
魔女がダメならもう俺達に出来ることはない。
《きゃんとすぴーくいんぐりっしゅ》
ものすごく日本語発音で返ってきた。
この時点でダメだと分かる。
《僕は俺さんの知識を使っているだけなので、俺さんに出来ないことは出来ません。僕に出来るのはスキルのサポートだけです》
詰んだ。
今度こそ完全に詰んだ。
せっかく長い旅を続けてきたというのに、俺達の旅は「英語を話せない」というだけで終わってしまうというのか。
「オレ、日本へ帰ったら英会話教室に通うよ。駅前留学するんだ。だからラビ助も一緒に通おうぜ」
「落ち着け、日本へ帰るために英語が必要なんだから因果が逆転してる上になんだか死亡フラグっぽい」
脳裏にはフロリダまで戻って商社勤めだったらしいハセベさんを連れてくるなどの案が思い浮かんだが、流石に現実的ではない。
ここからどうしたら良いのかと悩んでいたところ、エリちゃんが俺に一冊のスケッチブックと鉛筆を手渡してきた。
スケッチブックは何も書かれていない新品だ。
こんなものをどこで入手したのだろう。
「これは?」
「要るみたいなのでそこの店で買ってきたよ。普通に買えたので」
エリちゃんは近くにある商店を指差した。
商店の中からおばちゃんがエリちゃんに手を振っている。
「えっ、でも言葉の壁は?」
「強引に日本語でゴリ押した」
エリちゃんの力強い発言がとても頼りになる。
俺達に必要だったのはフレンドリーさではなく、こういう勢いでのゴリ押しだったのかもしれない。
「ラビちゃんは英語は話せないけど書けるって話だったので、これで何とかなるかなって」
「ありがとう。確かにこれで何とかなると思う。これで何とかしてみるよ」
◆ ◆ ◆
あまり大人数で聞き込みするのも怪しいということで、町の外に戻ってキャンプで1泊。
翌朝から俺とカーターの2人で町へ再潜入することになった。
カーターも流石にライフル銃を背負ったままなのは怪しいにも程があるので非武装。
俺もローブを脱いでブラウスとスカートという、ごく普通の町娘スタイルに着替えることにした。
ニューヨークで魔女の呪いを使った後に浮き出る紋様や光も消えたので、これならば普通に入り込める……はず?
箒も置いていくが、念のためにバルザイの偃月刀だけはスカートの内側に隠し持っておくことにする。
「ラビちゃん、ずっとその格好でいいのに」
「断固拒否する」
「そうですよ。師匠はずっとそれで良いと思います」
一部からはこの普通の町娘スタイルは好評なようだが、個人的には不満しかない。
もう1人、別の意味で俺の服装に不満な人物がいたようだ。
ドロシーちゃんが小走りで走ってきて、俺を見つめているレルム君に向けて強烈なローキックを入れて逃げていった。
それを物凄い勢いで追いかけるレルム君。
仲睦まじくて、実に微笑ましい光景だ。
「暴力ヒロインは今の時代だともう流行らないぞ」
ドロシーちゃんに声をかけるが、聞いていないようだった。
◆ ◆ ◆
そういうわけで筆談を使った聞き込みを開始した。
道行く人に「センティネル丘陵はどこですか?」と書いたスケッチブックを見せまくるだけという、簡単なようで難しい仕事だ。
商店街らしい人通りの多い場所から聞き込みを始めるが、ほとんどの人間は無視するか、手を振って無言のままに立ち去っていく。
やはり言葉を話せない怪しげな旅人というのが怪しまれているのだろうか?
そんな中、1人の商人らしい男がペンで何か書きこんでくれた。
何かヒントになる情報かと思い、見ると、そこには一行だけ文字が書かれているだけだった。
「なんだこれ? ミスカトニック大学に行け?」
大学内にセンティネル丘陵という場所があるとはとても思えない。
これは単に、大学に行けば色々と詳しい人間がいるからそこで聞けというアドバイスなのかもしれない。
キョロキョロと見回すと、川の南側に煉瓦作りの大きな建物が見えた。
世間一般でイメージされる大学の建物と一致した外観だが、その建物がミスカトニック大学なのだろうか?
「このミスカトニック大学って部外者が勝手に入っていって良いものなんだろうか?」
「分からないが、今のところ手掛かりはそれだけだし、行かないという選択肢はない。建物の中に入ったら色々と言われそうだが、敷地に入って通行人に話を聞くくらいなら大丈夫だろ。さっさと行こうぜ」
◆ ◆ ◆
「hi carter!」
俺達が大学内に入っても特に警戒などはされなかった。
むしろ、何故かカーターは、次々とフレンドリーに挨拶を受けている。
カーターも笑顔で手を振りかえして応えているが、特に知り合いというようには見えない。
「あの人達ってお前の知り合い?」
「いや、知られているのはオリジナルの話じゃねえかな。そもそもオレって英語が分からねえし、顔見知りになりようがない」
「それもそうだ」
カーターは通りがかる人の大半から何かしらの挨拶をされている。
オリジナルのカーターは、この大学内でそれなりの有名人なのだったのだろうか?
「このフレンドリーな感じを活かして、さり気なく聞き込みを出来ないか?」
「英語を話せないと分かった時点で偽物扱いされるだろ。そっちの方がヤバいと思うので止めておく。それよりもお前1人で行った方が良いだろ」
「俺1人で?」
「ああ、あの若そうな学生に聞いてこい。ただし見た目相応の子供のフリでな」
「ああ、そういう……」
カーターの言いたいことは分かる。
たまたま迷い込んだ子供という設定で相手の警戒心を下げて、さり気なく聞き込みをしろということだろう。
見た目は子供、頭脳は大人作戦だ。
身長160cmの女児がいるかどうかは別に置いておく。
なるべく相手に媚びるような笑顔でスケッチブックを見せると、相手も警戒心を下げたのが、フレンドリーに接してくれた。
少し応対した後にグッバイと別れを告げて、カーターのところに戻ってくる。
「飴をもらった」
「おい、お前いくら何でも子供に成りきりすぎだろ。本当に迷子の子供への対応をされてるぞ」
「俺もそう思った」
どうやら何か方法を失敗したようだ。
演技のレベルを変えることを意識して、ターゲットを変更する。
今度は、白髪の老人……仕立ての良いツイードのスーツを着た、おそらく教師らしい人物へ再チャレンジだ。
「はろー」と声をかけながらなるべくフレンドリーな笑顔を作ってスケッチブックを片手に駆けていく。
最初は老人も笑顔だった。
だが、俺の顔を見た老人は、何故か目をむいて後ろに後ずさりを始めた。
何がそこまで警戒させたのだろう。
特に怪しい行動はなかったはずだが。
疑問に思いながらも、なるべく笑顔を作って近付くが、老人は怯えた表情で一歩。また一歩と後ずさるのを止めようとしない。
仕方ないので、スケッチブックに書かれたセンティネル丘陵の文字を指差して
「ぷりーずてるみー」
と言うと、老人は大声を上げた後に背を向けて走り去っていった。
何がなんだか分からない。
だが、いくらなんでも過剰反応すぎる。
これは何かを隠している反応だ。
「追跡するぞ、カーター!」
カーターに声をかけた後に全力で老人を走って追い掛ける。
「何か有るのか、あの老人?」
「分からん。でも、俺の姿を見た瞬間に、何かを思い出した風だったし、センティネル丘陵の文字を見たらあからさまに怯えて逃げ出した。何か知ってるぞあいつ」
「なら、ちゃんと走れよ!。逃げられるぞ」
「全力なんですけど!」
走っている途中に横を向いてしまったことで、バランスを崩して転倒した。
もう自分の運動能力の低さに泣きたい。
「ここは俺に任せて先へ行け!」
「何を任せるのか知らんが分かった!」
カーターが走り去っていく背中を見送った後に立ち上がって涙を拭う。
「もう女の子の身体はこりごりだ!」




