Chapter 9 「フィラデルフィア」
ウエストバージニア州とワシントンDCとの州境であるポトマック川を渡河したところでこの日の移動は終了となった。
ちなみにゾス=オムモグが超再生で復活していたということはなかったので安心だ。
まああれだけ念入りにとどめを刺したのだから、そう簡単に復活などされたら困る。
「明日のルートの相談なんですけど、聞いてもらって良いですか?」
夕食の準備を始めようとしたタイミングでモリ君に声をかけられた。
「地図を見るとまた途中にサスクエハナ川という大きな川があるんですが」
モリ君が地図をモニター上に表示させる。
明日の予定ルート上にはかなり広い川が表示されていた。
位置はフィラデルフィアとボルチモアの間。
橋がないこの世界では簡単には渡河出来ないだろう。
「これは一度内陸の方へ抜けて、また渡れそうな浅瀬を探した方が良いですかね?」
「そうだな。フィラデルフィアまであと1日で着く予定だったけど半日ほどずらすか。川を渡ったところで無理せず一泊しよう」
「そうですね。川を渡るのにどれくらいかかるか分からないので」
当初はまっすぐ直線ルートを通り、フィラデルフィアには1日で到着予定だったが、それを2日に分ける。
そうすれば2日目午前中にはフィラデルフィアに到着。
夕方には一気にニューヨークだ。
「フィラデルフィアの話題ばっかりだけど、ニューヨークの方には何かないのか? せめてビールだけでも」
「お前はビールばっかりだな」
モリ君が地図を操作して、フィラデルフィアの少し先、ニューヨークを中心に表示させる。
地図上に表示されているのは自由の女神を初めとして、メトロポリタン美術館、タイムズストリート、エンパイアステートビル……。
有名な名所だらけで、つい行きたくなる気持ちは分かる。
「アデレイドの話を信じるならば、この位置にセレファイスって町があるはずだけど、どんな町かはわからない。ニューヨークと一切関係ない町なのか、それともニューヨークの名前違いなのか」
「ブロードウェイはないかな? ミュージカルをやってるなら見たいかなって思うんだけど」
「それもある方がビックリかな」
エリちゃんがブロードウェイ劇場に興味があること自体が驚きだが、もしブロードウェイ劇場が本当に有ってミュージカルが公演中なら困惑なんてレベルではないだろう。
「まあ、フィラデルフィアにしろ、ニューヨークにしろ、現地に着いてからのお楽しみかな。何も情報がないし」
「なんか適当だな」
「だって仕方ないだろう。人跡未踏の場所を探検してるようなものなんだから」
「そんなことよりも晩飯の支度は?」
「そうだ、忘れてた」
カーターに言われてようやく夕食の準備をしようとしていたことを思い出した。
慌てて車の外に出て食事の準備を開始する。
集落の人から貰った魚は事前に塩とハーブに漬け込んで臭みを抜いている。
これを一人分サイズに切り分け、小麦粉をまぶし、ココナッツから取ったココナッツオイルでソテーしていく。
甘い香りがなかなか良い感じだ。
「この匂いって何ですか?」
匂いに誘われたのか早くも人が集まってきた。
「ココナッツオイルだよ。フロリダで集めたココナッツの実だけど、あまり長く置くと臭くなるらしいから早めに使い切らないと」
火が通ったところで別途炒めた野菜と一緒に皿へ盛り、そこら辺に生えていたクレソンを刻み、火にかけてアルコール分を飛ばした白ワインで仕上げたソースをかければ完成。
「長い間、レストラン料理とはご無沙汰だったので、それっぽい料理を作ってみました。白ワインソース仕立てのブダイのムニエルです」
「待って、オレが大事に残していた白ワインを使った?」
「共有財産だから諦めろ」
「クッソー!」
カーターが何やら嘆いているが、7人分で100cc程度しか使っていないので、それくらいは我慢してほしい。
「脱脂粉乳とココナッツオイルでそれっぽく仕上げたクリームパスタと缶詰のほうれん草も添えて。レストランっぽくナイフとフォークでお召し上がりください」
時間があればこんなものだが、やはりちゃんとした食堂で食事を取りたいものだ。
この先に人が住んでいる町があれば良いのだが。
「レルム君もドロシーちゃんもテーブルマナーは覚えているかな?」
「はい、大丈夫です」
「これくらいちゃんと出来るから」
子供達2人はきちんとマナーが出来ているようだ。
モリ君とエリちゃんも育ちが良いのかきちんと食事のマナーを守れている。大変よろしい。
モリ君は横浜の……なんだっけ? 関東の地理に疎いので詳細不明だが、何とか台とかいうところの一軒家。
エリちゃんも家の中で土佐犬を飼えるくらいのやはり一軒家住まいなので、それなりに良い家のお坊ちゃん、お嬢様なのだろう。多分。
タルタロスさんもきちんと出来ている。子供達の規範になるのでありがたい。
その点、問題なのが約一名。
「カーターは子供達に悪影響だから、ちゃんとナイフを使え! フォークで串刺しにして食うな! 箸を持ち出すな! 一瞬の隙をついて缶ビールを開けようとするな!」
1人だけマナーガン無視なのがいるから困る。
全く油断も隙もないとはこのことだ。
「魚料理にはビールよりも白ワインだろ。ビールはまたの機会にとっておけ」
「す、すまねぇ」
仕方ないのでグラスを持ってきてワインを注いでやる。
「すまんが、ワシにもワインをいただけないかのう」
「わかりました。タルタロスさんもどうぞ」
「オレのワインの残量が減っていく……」
「だから共有財産だっての」
洋風の魚料理はなかなか好評のようだった。
もうすぐ目的地なので、こうやって自炊での食事も残り数回だろうが、最後まで美味しいものを食べてゴールしたいものだ。
◆ ◆ ◆
翌日は川を渡るだけに1日を費やした。
そして翌々日。
朝から出発して、10時頃にはペンシルバニア州、フィラデルフィアの町の近くに到着した。
そう、フィラデルフィアには町が在った。
ファンタジー風でもネイティブアメリカンの集落でもない。
近代的な建物と、アメリカ独立時点の古い建物が並んで建っているアメリカの古い都市だ。
「高層ビルはないようだから、21世紀のフィラデルフィアではないと思う」
モニターで遠くにある町の様子を確認する。
21世紀ならば電線に光ファイバーの中継ボックスがぶら下がっているはずだし、屋根の上にソーラーパネルも付いているはずだ。
高層建築物の数もあまりに少ない。
フィラデルフィア実験が行われた当時ならば1943年……建物の微妙な古さや電線の少なさから考えると、そう外れてはいないと思う
19世紀ではないが高層建築がないのとレンガ作りの建物の多さが目立つので21世紀にしては古臭い。
道路標識などの存在は確認できるので、それなりに自動車が普及した後の時代ということはわかる。
高層建築はまだないという条件をプラスすると、1930年から1960年までというところだ。
その点でも1943年という予想は妥当だと思われる。
「近くに大きな川はあるけど、あれは渡河しなくてもニューヨーク……セレファイス方面には向かえる。なので、無理に町へ近づく必要は全く無いんだけど、さて、どうする?」
「人は住んでいるんでしょうか?」
「生体センサーはこの距離からだと使えないけど、人が住んでいるようには見えない」
まだ距離はあるが、フィラデルフィアの町には人の姿が全く見えず、町は完全に静まり返っている。
かなり大きな町なので、人が住んでいるならば、何かしらの生活音が聞こえたり、車などが動くなどの生活の痕跡が見えるはずなのだが、それが全くない。
「さて決断だ。今までのパターンだと謎の敵が出現して襲われる危険がある。そして、今回は誰かに何かを頼まれているわけでもない」
「食料は足りているのか?」
「センティネル丘陵まではどんなに大回りをしてもあと1週間もあれば十分着くんだから食料の備蓄には問題ない。カーターとタルタロスさんが晩酌で飲んでいる缶ビールの残量は足りないかもしれないけど」
「でも、危険と引き換えに欲しいかと聞かれると悩むところだな」
今のところ、町は無視しで先へ進みたいというところだ。
「フィラデルフィア実験でしたっけ? それがもし行われたとなると、どこだと思いますか?」
「南の方に海軍造船所ってのがあるのでそこだろう。なので、そこだけを覗いて次元の歪みがないかを確認して引き返すというのはありだ」
モリ君に説明するために町の南の地図を拡大して表示させる。
「このデラウェア川沿いのところに造船所がある。行くとしたらここ」
「デラウェアってあのブドウの品種のデラウェアですか?」
「そのデラウェア。収穫時期は夏だから今の時期はどの道枯れ枝しかないだろうけど」
「ブドウということはワインが?」
カーターがものすごい勢いで食い付いてきた。
「まあデラウェア州は近くだから作ってるとは思うけど、アメリカワインってあんまり聞かないし有るだろうか?」
「調査ついでに店に寄ってブドウ酒を回収しよう。昨日飲んでしまった白ワインは補充しておきたい」
「お前、それでいいのか……さっき危険と引き換えなら要らないって」
「それはそれ、これはこれ」
もはや危険があるかもしれないという話が吹き飛びつつある。
「次元の壁に影響を与えているような何かがあるならば、ここで俺達が潰しておくべきだと思います」
モリ君は調査に前向きのようだ。
「もちろん、相応の危険はあるぞ」
「分かっています。でも、このフィラデルフィアは他のみんながいる場所からは遠すぎるので、もし何か起こった時に対応出来ないと思うんです」
「ハセベさん達はフロリダだから頑張れば何とかなるけど、伊原さんに至ってはサンディエゴだから、ジェット機でもない限りは無理だよな」
「なので、たまたま近くにいる俺達が今のうちに処理をしておけば、この世界のためにもなるかなって」
俺達は何も得するところはないのだが、理屈自体は通っている。
確かに解決しておいた方が良い話ではある。
「念のためにみんなの意見を聞きたい。町を調べるか、無視して先へ急ぐか」
「私はモリ君に賛成。ここまで来てるのに、無視して通り過ぎるってのはないと思う」
「子供達の安全を考えると通り過ぎたいところだが、後で後悔はしたくないというのが本音だ」
エリちゃん。タルタロスさんは賛成のようだ。
「オレは白ワインを逃したくない」
カーターは1人だけ論点が何か違う気がするが、一応は賛成ということで良いだろう。
「僕も賛成です」
「うちも」
子供達も賛成派。
多数決で決めるならば、俺以外は賛成なので、これで決定だ。
「なら、反対派の俺からは一つ条件を出したいと思う。調査はするけど、もし、強力な敵が出現したら、その時点で調査を打ち切ってすぐに撤退すること。異論があればコメントが欲しい」
「強力な敵の定義は?」
「俺達のスキルを使って一撃で倒せない相手とする。いくら世界のため、みんなのためとは言え、こんなところで無理な戦闘をして怪我人を出したくはない」
意見を待つが、反論は特になかった。
「俺も命を賭ける程ではないと思うのでその条件で良いと思います。なので、安全に攻略する作戦を考えましょう」
◆ ◆ ◆
石畳の上を装甲車が走ると、流石に重量オーバーなのかメキメキと悲鳴を上げている。
道幅も馬車が前提の道なのか、装甲車は若干サイズオーバーだ。
だが、何か有った時のことを考えると、さすがに車を降りて歩きたくはないというのが心情だ。
ギリギリの場所へ車を横付けしたい。
車で走りながら案内板に書かれた文字を読む。
「ここがベンジャミン・フランクリン・パークウェイか」
「何かあるんですか?」
「遺体を奪われたジョニィ達が失意のまま到着した第7ステージのゴール。多分そこらの角から大統領とかウェカピポが出て来る」
「ラビさんってたまに意味不明なこと言いますね」
町の中は無人で静まり返っていた。
無人の自動車が停まっているのは気になるが、だからといって車から降りて詳しく調べてみようという気にはなれない。
何の罠が仕掛けられているか不明だからだ。
生体センサーで検知をしてみたが、やはり野生動物以外の生物の反応はない。
民家や商店などのガラスは割れておらず、荒らされた形跡は全く無いようだ。
もちろん、道端に人間や動物の死体が倒れているということもない。
野生の鹿や熊はいるようだが、これは人間がいなくなったから町中に入ってきただけだろう。
普通の町から人間だけがある日突然消滅してしまったような、不気味さを感じる。
「この町に何が有ったんでしょう?」
「怪物が暴れまわった……にしては、町が綺麗すぎるし、人間同士で争いがあったというわけでもない。それでいて、この町の住民が逃げ出したとか、家に引きこもっているとかそんな気配もなし」
「人間だけが消えた?」
「もしくは非生物だけがこの世界へ転送されてきて、人間は元の世界に置き去りになっているか」
何かヒントがあれば良いのだがと思いながら、装甲車を走らせて、海軍造船所の入口前に到着した。
入口は金属製のゲートで閉ざされており、そのままだと入ることが出来ない。
「エリちゃん、タルタロスさん、このゲートを開けられる?」
「多分……鍵は壊しても良いんだよね」
「まあ、壊さないと開かないと思うから。ただ、いつ敵の攻撃があるかもしれないから、それだけは十分注意して」
「分かった。注意する」
エリちゃん、タルタロスさんの2人がドアを開けて車外へ出た。
俺も一緒に車外へ出てから空の様子を見る。
マインガルの町では口だけモンスターが登場する直前は雲が湧き上がって急に大雨が降ってきたが、今回はそれはなく晴れ間が広がっている。
雲ひとつないというわけではないが、少なくとも今すぐに雨が降り出してくる様子はない。
偵察のために鳥を喚びだして、まずは船渠の方へと向かわせる。
フィラデルフィア実験は駆逐艦を使った実験だったらしいので、何か手がかりが残されているのならば船渠内だろう。
巨大な鉄骨の梁で構成された船渠は、おそらくは戦艦サイズでも整備が可能、駆逐艦サイズならば二艇以上くは入渠させられるであろう広さではあるが、中に船はなかった。
何もない空間に資材吊り下げ用のクレーンのチェーンやワイヤーなどが垂れ下がっているだけである。
(船もないしどうしたものやら)
船渠を出ると、奥の方に別の工廠があることに気付いた。
今見たところが船の整備場とすると、奥の方は装備品の工廠だろうか?
船の方は雨除けの屋根があるくらいでフルオープンなので、自由に鳥を出入りさせることが出来たが、工廠の方は密閉されているので入ることが出来ない。
何かあるとしたら工廠の方だろうか?
それとも事務所の方だろうか?
特に何もわからずじまいなので使い魔を解除する。
「こっちは終わったからゲート開けるよ」
視点を本体の方に戻すと、ちょうどタルタロスさんが重い金属のゲートを押して開けているところだった。
さすが船の造船所兼整備場だけあって、かなり車幅のある装甲車でも楽々と通過出来る道幅がありそうだ。
全員が車に乗り込み、まずは船渠から調べてみることにする。
「何もないと良いんだけど」




