Chapter 5 「交易都市フラニス」
街道をしばらく走ると、ようやく不毛なチワワ砂漠を抜け出せたようだ。
周辺の植生が乾燥に強いサボテンや短く堅い草から、長い雑草と背の低い木に変わりつつある。
暑さも少し和らいで、ひんやりとした空気が流れてくるようになった。
時間もちょうど12時なので、一度昼休憩にする。
「うどんっ、うどんっ」
エリちゃんが早速張り切って小麦粉を練ろうとしている。
「エリス、本当にうどんの作り方を知っているんだろうな」
「もちろん。こうやって小麦粉に塩と水を入れて適当に混ぜると……」
「いや待て待て。麺と作る時は適当じゃなくて、塩分と水分をちゃんと調整しないと――」
ウィリーさんが慌てて大量の水を小麦粉に投入しようとしたエリちゃんを止めた。
材料の分量を量るところから、流れをチェックしてくれている。
このまま監修してもらえるならば、貴重な食材を無駄にして謎の物体を生成することはなさそうだ。
生地まではうまく打ち終えたようで、次の発酵の工程に突入していた。
「麺の方は大丈夫そう?」
「ああ。オレの保証付きだ」
ウィリーさんが親指を立ててサムズアップをした。
「問題はつゆだな」
「ラビちゃん、醤油ってまだあるの?」
「パナマで買った奴ならまだちょっとあるから、全部使っちゃうか。魚介の出汁多めにすれば全員分はなんとか……」
荷物の中から魚醤が入った壺の中身をチェックする。
今まで俺達の食生活を支えてきてくれた魚醤も流石に品切れだ。
フラニスで魚醤が手に入らなければ、和食っぽい味を再現するための調味料は日本までお預けになるだろう。
「酒か味醂はない?」
「味醂はないな。酒も米ベースのものと違って癖が強めだからアルコール分を飛ばしても和風じゃなくて洋風の味付けになっちゃうな」
「それならいっそ塩で食べてみる?」
エリちゃんがなかなか通なことを言い出した。
「塩でうどん!? 塩で蕎麦なら聞いたこと在るけど」
「塩で食べるうどんも美味しいよ」
「塩で食べるなら、七味ならぬ唐辛子で作る一味を足しても美味しいかもしれない」
「それは有り。採用!」
つゆなしは流石に物足りないものがあるが、ここはあえて塩で食べる通なうどんを楽しむとしよう。
発酵が完了して、倍くらいに膨れ上がった生地を細く切って麺を作り、それを茹でた後に水で冷やせば、冷やしうどんの完成だ。
味付けは塩のみ。
お好みで唐辛子を刻んだものを添える。
「ではいただきます」
早速うどんをすすってみる。
箸で適量を取って一気に口の中に入れた後に軽く咀嚼して飲み込む。
素人が曖昧な工程で作っただけあって麺の太さも均一でなくて食べにくい上にコシも足りない。
だが、十分に冷やしうどん……日本の味だ。
「これ、これだよ。これがうどんだよ!」
「うん、確かに日本の味だ」
モリ君とエリちゃんがうどんを食べながら涙を流していた。
気持ちは分かる。
この世界にやって来てから、初めて日本を感じられる故郷の味に辿り着いたのだから。
「ああ、見事にうどんだ」
「やっぱりオレ達は日本人なんだと思うよ。こんな雑なうどんでも感動できるくらいだから」
ハセベさんとウィリーさんも必死でうどんに食らいついていた。
余ったら夜に残そうと多めに作ったはずのうどんは大好評で、あっという間になくなった。
「あと少しで日本だ。だから、もうちょっとだけ頑張ろう」
◆ ◆ ◆
砂漠地帯を抜けてからは障害物も明らかに減り、急に走りやすくなった。
舗装こそされていないが、人の足で踏み固められて草もほとんど生えていない街道にたどり着いた時には安堵した。
この街道沿いに進めば、確実に集落、もしくは町に到達出来ると。
「そろそろメキシコ湾だが、ビーコンはどうなっているかね?」
ハセベさんから確認されたので地図が表示されたモニターを見せる。
「最寄りの信号の発信源は進路上。フラニスの近郊……もしくは町そのものに仕掛けられている可能性が高いですね」
モンスター召喚の魔法陣は人が住む町や村の近くに設置されるという理屈は分かる。
無人の荒野に人を襲う凶悪なモンスターが湧いたところで誰も被害を受ける者などいないのだから、余程の戦闘マニアかメダル狙いという目的でもなければさっさと何処か別の場所へ移動してしまうだろう。
ただ、それが人の住む町や村の近くならば話は変わってくる。
住民達が襲われて傷付いているのを放置して逃げることが出来るかという話だ。
「他の信号は?」
「北東に1つと、更に昨日までは検知できなかった微弱な信号が東にもう1つ出てきました」
地図を見てだいたいの位置を考える。
「フラニスは地球で言うところのマタモロスの位置にあります。北東の信号は位置から考えてヒューストンかニューオーリンズ。東はフロリダでしょうか?」
「また信号の場所が増えたのか。残り日数は?」
「11日。距離は約1500kmです。余裕とは言えませんが、1日に約300kmは走るつもりなので若干ゆとりは有りますね」
「距離的には余裕に見えるが」
俺はニューオーリンズ周辺の地図を拡大した。
そこには複雑に枝分かれした川が描かれている。
「問題はこのミシシッピ川ですね。この時代は橋なんてないので、どうやってここを渡河するかが問題です」
「ミシシッピってアカミミガメの?」
ウィリーさんがひょっこり顔を出した。
「ワニもいますよ。河川の広さと急流でスペインの征服者やアメリカ東海岸に到達したイギリスとフランスの入植者を跳ね返し続けたアメリカを東部と西部に分断する壁です」
「そんなに大きな川なのか。せいぜい木曽川レベルかと」
「木曽川も大概ですけどね。比較的浅瀬を探して渡るつもりではありますが、最悪は川が細くなる上流まで上っていく必要があるかもしれません」
まあ、先のことは明日の俺達が考えてくれるだろう。
時計を見ると時間は17時。
さすがに1月だと陽が落ちるのも早い。
だが、陽が落ちて暗くなったことが助けになることもなる。
真っ暗なメキシコ湾の海沿いに煌々と輝く光が見えた。
町の灯り……人が住んでいる証だ。
最初はただの光でしかなかったが、それに近付くにつれて町の形がはっきりと分かるようになってきた。
「ヨーロッパの城のような建物も見えるが、その横にはモスクのような建造物。どういう文化なんだここは?」
ハセベさんの疑問も尤もだ。
どういう歴史を辿れば、このような文化になるのかがさっぱり分からない。
寒帯のヨーロッパと乾燥して暑い中東の建物が1つの町に両立しているのは流石におかしい。
どちらかの建物は気候に適応出来ていないだろうし、使われている建材の種類が違うので建物の建築や補修で無駄が出る。
普通に住んでいくには不便すぎるので、気候に合わせた建物へと変化していくはずだ。
だが、この町ではそうなっていない。
「異世界から転移してきた町は全体的にヨーロッパベースにアラブやトルコが混じっている傾向があるみたいですね。転移前は元々そういう世界なんでしょう」
「地球とは全く文化が違うということか」
「距離もメートルでもヤードポンド法でもない謎の単位なのも困りますね。そのくせ日本語が通じたり、数字だけはアラビア数字だったりと意味が分かりません。あとラテン語で地獄の名前が書かれていたり」
「ファンタジー世界というより、何か悪い夢のようだな」
「夢の世界……ドリームランドというところですか」
夢と言えば伊原が西の魔女ではなく、夢の魔女を名乗っていたのを思い出した。
自称邪神の化身ということだったが、そもそも夢の魔女とは何だったのだろうか?
「それでこれからどうする?」
「まずは、この時間から宿が開いているかの確認ですね。閉まっていたり、空きがなければ町の外でキャンプです」
「飯は? あと酒!」
町が近付いてきた途端に今まで静かだったカーターが急に食いついてきた。
「無限に資金があるわけじゃないから、酒は我慢しろ」
いつものことだが、装甲車は場所と比べて大きすぎて町には入ることは出来なさそうだし、こんな大きな町へ謎の乗り物が入っていってもパニックを起こすだけだろう。
町の少し手前に停めて歩いていくのが良さそうだ。
◆ ◆ ◆
町は交易都市のようだった。
港には数えきれないほどの帆船が停泊しており、陽が落ちているにもかかわらず、盛大に焚火が焚かれて、その灯りを頼りに積み荷の荷降ろしが行われている。
旅人や行員達が泊まるための旅籠も沿岸部に固まっているようだ。
「この中から適当に宿を探すか。さすがにこの規模の港で昼夜問わずに船が出入りしているのに、その作業員達が泊まったり休憩するための宿がないってことはないだろ」
「安宿で良いな?」
ハセベさんが俺に確認を取ってきた。
「女性陣がいるので、出来れば個室が在る宿を……」
さすがに今でも性的自認は男の俺でも、知らないオッサンとの雑魚寝には抵抗がある。
本物の思春期少女であるエリちゃんやガーネットちゃんは猶更だろう。
仲間でも一緒のベッドで寝られる異性はレルム君までが限界だ。
何もしなさそうなモリ君くらいならギリギリセーフか?
少しだけ考えたが、やはりアウトだ。
セクハラ魔人のモリ君は自覚なく何をしてくるか分からない。
「この町で一泊するとして、明日はどうします?」
モリ君が尋ねてきた。
「食材と日用品の買い足しをして午後に出発かな。サルナスで大体は補充できたけど、足りないものもあるし、出来れば魚醤とカレーの材料を確保しておきたい」
俺がモリ君と今後の予定について話していると、こちらに近寄ってくる一団がいることに気付いた。
「モーリスじゃないか! 久しぶり! ……というほど時間は経っていないか」
声をかけてきたのはサルナスの町で共闘したフォルテだった。
その後ろにはマルス、レフティ、スーリアの姿もある。
「久しぶり……じゃないな、本当に」
モリ君はフォルテと握手をする。
俺も知らない関係ではないので、帽子を取って頭を下げて挨拶をする。
「どうしてここに? サンディエゴに向かうはずじゃなかったのか?」
「その用事は片付いたので、今度は東の方に向かうつもりなんだ」
「それでもうこの町に? 僕達がここに着いたのは最近だってのに」
「まあ車があるので」
モリ君が雑に「車」と言って誤魔化した。
流石にサルナスで手に入れた馬車は速攻で売り払って、今では謎テクノロジーで動く装甲車に乗っていますとは言えない。
「そうか、馬車で街道沿いを走ってるんだから早いよな」
ただ、フォルテ達はこちらが馬車を買ったことを知っている。
それだけに「車」と省略したことで勝手に勘違いをしてくれたようだ。
「ところでアデレイドさん達は?」
「彼女達ならこの町で別れたよ。なんでもメリダの町に行ってみると船に乗っていったよ。遺跡探索に興味があるみたいでね」
「そうか、また再会できたらと思ってたんだが」
もしかしたらアデレイド達とも再会出来るかもと思ったが、向こうも旅をして一箇所に留まっていないのならば仕方がない。
ただ元気にやっていそうで何よりだ。
彼女達はこの世界で生きると決めたのだから、満足出来る生き方が出来るよう成功を祈りたい。
「ところでフォルテ達は何故この町に留まっているんだ? セレファイスってところに向かうんじゃないのか?」
「しばらくはこの町を起点に稼ごうと思ってるよ。この町の近くには最近、魚人……魚頭の亜人どもが大暴れしての被害が相次いでいるらしくて、そいつらの討伐依頼がそれなりに有るんだ」
「こういう言い方はなんだが、魚人様々だよ。他に競合相手もいないし意外と儲かるんだ。王国の兵士も防衛には来てるみたいだが」
マルスは儲かって嬉しそうだが、フォルテは何ともいえない笑顔で答えた。
魚人とやらに被害を受けている現状は住民の気持ちを考えると決して良くはないが、フォルテ達のようなモンスターの討伐依頼で金を稼いでいる人間にとっては飯の種でもある。
胸中は複雑なところだろう。
「魚人ってこの辺りにも出てるのか? オレ達が最近までいたキューバでも毎日上陸してきて大騒ぎだったんだが」
魚人という単語に反応してウィリーさんが会話に入ってきた。
「キューバ島の名前はここの交易船ルートらしいので名前は聞いたことはある。船員たちに話を聞く感じではこの海域の町はどこでも魚人が湧いて出て来るみたいだな」
つまり、メキシコから北アメリカ大陸のフロリダ半島、そしてキューバ島に囲まれたエリア……メキシコ湾沿いならばどこにでも魚人は出現するのだろう。
ビーコンやドミニカ周辺で第4チームが襲われていた光景が中継されていたことからして、魚人は例の召喚魔法陣から召喚されたモンスターだろう。
「パナマで魚人の話を聞かなかったのは、単にタウンティンの勢力圏内なので既に軍隊に倒されていただけということでしょうかね?」
ここでモリ君がパナマに魚人が出なかった話を出した。
「まあそうだろうな。知事もわざわざ周辺で怪物や海賊の被害が出ていると言っていたくらいなんだから」
そりゃ運営が嫌がるはずだ。
せっかく俺達の敵として配置した敵が艦砲射撃だの近代兵器で武装した兵士達によってあっさり鎮圧されるのだから。
運営の地下で見せられたあの映像でも自信満々で出したボスキャラらしいタコが機関砲とロケット砲の攻撃で瞬殺されていた。
俺達のような召喚者が必死で怪物と戦う映像が見たいのに、謎の兵器群の前にあっさり倒されてしまえば、予定も全て崩壊するし、邪神……イソグサをぶつけて全部倒してやろうとなるはずだ。
ただ、以前にリプリィさんが「キューバ島は別の国の管轄だから情報が手に入らないし、軍隊を出すことは出来ない」と言っていた記憶がある。
つまりこの町を含むメキシコや北アメリカ大陸などには援軍はないと考えて良いだろう。
俺達が何とか解決するしかない。
「もしかして、またサルナスの時のように根本解決を考えているのか?」
フォルテが訝しげな表情でこちらに近づいてきた。
本当に察しが良いな。
「あのトカゲと違って魚人達は話の通じる相手ということはなさそうだが」
「発生原因らしきものの情報があるんです」
ここで隠し事をしても仕方がない。
むしろ俺達には時間制限があるのだから、スピード解決のためには実力者であるフォルテ達に手伝ってもらった方がありがたい。
「それはやはりモンスターを召喚する儀式がどこかで行われている……という解釈で良いのだろうか?」
こちらからどう説明しようかと思っていたが、先にフォルテの方から正解がやってきた。
「魚人の出現に不自然な点があったので少し調べてみたんだ。あいつらが海の底や近くの海から泳いでくるにしては動きがおかしいと」
「それで私が魔力のパターンを分析して、魚人は別の場所から召喚されているのではないかと推測した」
フォルテの説明をスーリアが補足した。
「発生源なんて放置しとく方がこっちも定期的な収入があって助かるんだがな」
「そうは言っても困っている人がいるんだ。早期解決する方が良いに決まっている。ゲームじゃないんだぞ、これは」
マルスをフォルテが諌めた。
フォルテは本当に凄いな。
自分達の生活がかかっているというのに、それでも住民の安全を優先しようと考えられる高潔さがある。
とてもぼくにはできない。
俺なんて「実は運営が仕組んだゲームです」という事実を言おうかどうか躊躇しているというのに。
「モンスターを召喚する魔法陣が仕掛けられた装置のようなものがこの町の近くに隠されているはずです。その捜索を手伝っていただきたいのです」




