パトリシアⅡ 2
ソフィアの恋の感情は日に日に少しずつ大きくなっていく。恋心を隠しながら一緒にいる生活が少しずつ苦しくなっていた。
「パトリシアお嬢様、口にソースが付いていますよ」
お昼のミートスパゲッティのソースがついていたからソフィアは指摘をした。
それを聞いて、パトリシアお嬢様が、あはは、と軽やかに笑う。
「わたしったら、おっちょこちょいね。ごめんね、ソフィア。とってもらっても良い?」
いつものように快活な様子でパトリシアお嬢様が笑っていた。
だから、食事用のナプキンを持って、口元を拭き取ろうと思った。だけど、口元に近づいた時に手が止まってしまった。パトリシアお嬢様の血色の良い綺麗な唇が気になってしまって、そこに手を当てられそうになかった。緊張して震えてしまう。
「す、すいません。ちょっとふらついまして……」
よろりとわざとらしく床に尻餅をついてみた。
「ご、ごめんなさい、ベイリーさん。パトリシアお嬢様の口元を拭いていただいてもよろしいですか?」
広い部屋の端で花瓶の水を入れ替えようとしていたベイリーを慌てて呼んだ。
「えぇっ、そこまでしなくてもいいよ。ソフィアができないんだったら、自分で拭くから」
そう言っている間にも、そそくさとベイリーがやってきた。いつもの糸目の笑顔だけれど、普段よりも楽しそうにも感じられた。
「パトリシアお嬢様の口元、とっても綺麗ですね」
拭いながら、ベイリーはそんなことを言っていた。何も気にせずパトリシアお嬢様に接することのできるベイリーが羨ましかった。
(わたしはベイリーさんとは違って、恋心があるから、迂闊に触れるわけにはいきませんので……)
その日から、着替えやお風呂の準備など、直接パトリシアお嬢様に触れるような仕事は全てベイリーに任せたのだった。ベイリーには当然恋心なんて無いものだと思って、信頼して任せていた。だから、徐々にベイリーがパトリシアお嬢様のことを独占しようとしていっていることにも気づいてはいたけれど、強くは咎めなかった。
初めはパトリシアお嬢様の近くで仕事をしていたのはソフィアだったけれど、いつしかベイリーがパトリシアお嬢様の近くに常にいるようになっていた。ソフィアはあえて距離を取るようにしていた。でないと恋心が爆発してしまいそうだった。
「ねえ、ソフィア。最近冷たいんだね」
「え?」
パトリシアお嬢様から拗ねたように尋ねられた。
「体調が優れないの?」
「いえ、元気ですよ。ご心配なく」
そんな普通の会話をしている間にも、ソフィアは丸いレンズのメガネの奥の瞳の中にはきっとハートマークが浮かんでいるに違いないという自覚があった。そう思うと、迂闊に目を合わせるのも恥ずかしくて俯いてしまっていた。
「わたし、何か悪いことしちゃったかな?」
咎めるような言い方ではなく純粋に心配してくれているような言い方をされてしまっているので申し訳なくなってしまう。
「まさか……。パトリシアお嬢様はいつも優しいですよ……」
「それなのに、わたしから距離を置いているの?」
「距離を置いたりなんてしていません」
「そっか……」と一応不思議そうに納得はしてくれた。
「もし何か心配事でもあるんだったら、いつでも言ってね。わたし、ベイリーとソフィアの両方に近くにいて欲しいから。……わがままかな?」
えへへ、と照れくさそうに笑うパトリシアお嬢様の笑顔はとても可愛らしかった。やっぱりとても優しい人だ。
パトリシアお嬢様が気遣ってくれたことも、近くにいて欲しいと言ってくれたこともとても嬉しかった。だけど、嬉しいからこそ、迂闊に愛してはいけないと思った。メイドと主人の関係を見誤って不具合のある恋をした結果、パトリシアお嬢様から失望されてしまうことが怖かった。
今は距離を置きつつも身の回りの世話をしているけれど、恋がバレてしまったらそれすらできなくなってしまうかもしれない。そう思って、今は静かにベイリーに世話を任せながら大人しくしていた。それなのに、ベイリーはソフィアにとんでもないことを言い出したのだった。
「ねえ、ソフィア。わたしパトリシアお嬢様のこと好きになっちゃったわ。もちろん恋としてね」
「嘘でしょ……」
ソフィアが顔を歪めてベイリーを睨んだ。