入浴と秘密と 2
「さっきから、わたくしのお顔は見てくれませんのね」
「え?」
「普段はきちんと目を合わせてくれますのに、今日はわたくしのことは見てくれてませんのね」
アリシアお嬢様がしょんぼりとした声を出す。湯気という名の濃霧に隠れて、アリシアお嬢様の顔は見たくても見られないのだけど……。
「えっと……。アリシアお嬢様からわたしの姿は見えてるんですか?」
「何を言ってますの?」
アリシアお嬢様が不思議そうに尋ねてくる。少ししてから、この違いに納得した。わたしが見ているのはお湯のすぐ近くの景色だから、濃いめの湯気が出ていて、周りを覆い尽くされている。だけど、アリシアお嬢様の見ている景色は、すでに上空で湯気が薄まっているから、普通にわたしのことは見えている。
つまり、わたしが一人でアリシアお嬢様の胸と自分の胸を見比べて、小ささに気落ちしているところまで、向こうからはしっかりと見られていたということ。
「あの、ち、ち、違うんです。わたし、別にそういうわけじゃ……」
顔が熱くなってくる。あたふたと身振り手振りで必死に否定していたけど、アリシアお嬢様は「どうしましたの?」と不思議そうに首を傾げていた。とりあえず、わたしが一人で完敗しているところは見られなくて済んだらしい。
ホッとしていると、アリシアお嬢様が、わたしのバスタブと化していた手のひらを上に持ち上げた。ザッと滝のような音を立てて、水をこぼしながらアリシアお嬢様の大きな瞳の目の前にわたしを持ってくる。そして、先ほどまでとは違いとっても小さな声で囁いた。吐き出す息に紛れてしまいそうな小さな声で。
"ねえ、エミリア。入ってきてほしいですの"
「えっ」とわたしは困惑した声を出す。当然、エミリアに入ってきて欲しく無いし、そもそもエミリアをバスルームの外に追いやったのはアリシアお嬢様なのに、どうしたのだろうか。
「あの、アリシアお嬢様……?」と困惑した声を出すと、アリシアお嬢様が慌てて"静かに"ととっても小さな声で囁いた。小さな声だけど、わたしの大きさならしっかりと聞こえる。
"エミリアには聞こえてないみたいですわね"
先ほどから変わらずアリシアお嬢様は囁き続けていた。わたしが喋ると不都合なようだったから、返答はしないでおくと、アリシアお嬢様はヒソヒソ声で続けた。
"先ほど廊下で試した通り、こちらからヒソヒソ声で話す分には、わたくしとカロリーナの間でだけでの会話は可能みたいですわ"
わたしは大きく頷いたら、また吐き出す息と変わらないくらいの声量で続けた。
"この間からカロリーナは何かを私に訴えかけようとしてましたの。でも、その度にエミリアが邪魔をしに来てましたわ。だけど、今なら小さな声で話せばエミリアには声は届きませんので、その何かを伝えられますのよ。でも、カロリーナの方からわたくしのほうにヒソヒソ声で話されては聞こえませんわ。だから、耳元で囁いてほしいですの"
アリシアお嬢様がわたしのことを肩に乗せた。肩の上はほんのり水で濡れていて、ツルツルとしている。アリシアお嬢様の陶器みたいなスベスベとした肌は滑りやすくて少し怖い。
"滑らないように髪の毛を掴んでくれたら良いですの"
「し、失礼します」
小さな声でお邪魔をする。お嬢様の肩の上に乗る時点ですでに、メイドとしては不正解の気もするのに、髪の毛を命綱代わりに使わせてもらうなんて、真面目なソフィアにバレたら間違いなく怒られてしまうだろう。
これはアリシアお嬢様の方からの指示だから、と自分を納得させて、言われた通りに作業を進める。背伸びをして、耳たぶを手すり代わりにさせてもらって、アリシアお嬢様の耳の穴に顔を近づける。
"あ、あんまりジッと見られると恥ずかしいから、さっさと終わらせてほしいですの……"
アリシアお嬢様の耳が赤くなっているのがとてもよくわかる。アリシアお嬢様はとても恥ずかしがっているけれど、耳の中は綺麗な空洞になっていて、何も恥ずかしいことなんてなかった。
とはいえ、耳の中なんて人に見られて気持ちの良いものではないと思うから、わたしはさっさと用事を済ませようとする。とりあえず、今の状況をどう伝えようかと考える。