リティシア家のお嬢様 3
目を見開いたまま困惑していたわたしの手を引いて、ソフィアが楽しそうに2階に向かうから、慌てて歩幅を合わせてついていく。
どうしてソフィアがわたしの家の名前を知っているのだろうか。先日のリオナに話していた過去の話を聞かれたとかだろうか。いや、そうだとしてもわたしの家の名前はどこで言った覚えもない。
困惑しているわたしとは違って、随分とソフィアは楽しそうだった。わたしの今見ているソフィアと、リオナたちが普段見ている厳しいソフィアは別人のようだ。普段は真面目にメガネを光らせている大人びたソフィアが、今は無邪気な子どもみたいになっていた。
「なんだかソフィアさんって不思議ですね?」
「何がですか?」
「普段はしっかりしているのに、こんな無邪気な子どもみたいになることもあるんですねって……」
「そうですか?」
ソフィアがソッと繋いでる手を離してから、真面目に背筋を伸ばして歩いた。ほんの少しだけ近づいた距離をまた離してしまったみたいで勿体無いことをしてしまったような気分になる。
結局、わたしたちは少し離れた距離で歩いて、わたしの部屋の横の空室になっている場所に入った。ベッドも置かれていない殺風景な部屋だったけれど、入ってすぐにドアと逆方向の壁に、天板を床のほうに向けてひっくり返った状態で壁にくっついている机を見つけた。とても不自然な状態で置かれているけれど、今ならその理由は簡単にわかる。エミリアがアリシアお嬢様の部屋の棚を掃除する際に、屋敷を傾けた時に転がって行ったのだろう。
「この部屋は、机と椅子しかありませんので、応接室として使っているんですよ。とりあえず、机と椅子を直してから、ゆっくり座ってお話でもしましょうか。紅茶、淹れた方がよろしいですか?」
わたしは慌てて首を横に振った。
「そこまでしてもらうわけには……。わたしの方から話がしたいって呼んだわけですし……」
「そうですか」とソフィアはまた優しく微笑んだ。前にアリシアお嬢様の部屋の中を案内してもらった時にもそれなりに優しかったけれど、今日はそのときにも増して優しい。
「あの……、ソフィアさん、何か良いことあったんですか?」
「どうしてですか?」
「今日はやけにご機嫌ですから……」
「まるで、いつもは不機嫌みたいですね」
不機嫌そうな声で言われたから、慌てて首を横に大きく振る。
「まさか、そんな……」
「まあ、いいですよ。あなたがリティシア家のお嬢様ということを知りましたし、そんな些細なことはもう良いのです」
リティシア家の者だからといって何が変わるのだろうか、という疑問はあるけれど、それよりも情報源が気になってしまう。わたしの過去を知っている誰かの正体を。もしかして、その誰かがわたしのことを小さくした可能性だって十二分にあり得る。
「あの……、そのことってどこで知りました?」
「そうやって不安そうに尋ねてくるということはその情報は事実ではあるのですね?」
「えっと……、はい」
カマをかけられたみたいだった。まあ、バレて困ることでもないし、素直に認めておくことした。
「わたし、寝言でも言ってました?」
「どうやって事実を知ったか、なんてことはどうでも良いと思いますよ。大事なのは、知った方法よりも存在する事実の方です」
うまいこと言いくるめられてしまっているようで納得できないわたしのことは気にせず、ソフィアは続けた。
「そんなことよりも、パトリシアという名前に聞き覚えはありますか?」
わたしはソフィアの質問よりも、どこから情報が漏れているのかが気になって仕方がなかった。「どうでも良くないですよ……」と小さな声で答える。
「この問答、どちらかが先に答えないと埒があきませんよ? このままだと、カロリーナさんのしたがっていた相談というものまで辿り着けないと思いますけど」
「ソ、ソフィアさんの聞きたいことだって、わたしの答えを聞かないと辿り着けないと思いますけど……?」
お互いに、相手の話を聞き出すには、一応相手の質問に答えなければならない。静かに見つめ合いながら、お互いの出方を伺った。
とはいえ、ソフィアの方が有利な状況にいるのは間違いないとは思う。きっとソフィアの尋ねたいことは興味本位の範囲だろうけど、わたしが聞きたいことは元に戻れるかどうかという重要事項なわけだから、答えをもらうためには多少の譲歩も必要となる。
少し粘って、ソフィアの情報源がどこかを聞けなければ諦めようと思っていた。だけど、突如ソフィアが立ち上がって、深々と頭を下げてきた。
「え? ソ、ソフィアさん……!」
ダラリと下がるピンク色のおさげ髪。わたしはソフィアにこんなにも真剣に謝られるようなことをされたという認識はなかったから、困惑してしまう。
「すいません、カロリーナさん。言えないんです……。わたしがどうやってカロリーナさんの正体を知ったかお伝えすることは、事実を確認するまではできないんです……。ただ、そのわがままを理解していただいた上で、もう一度お願いします……。あなたはパトリシアという名前を聞いたことがあるかどうか、それをお尋ねします」
ソフィアが真剣な顔でお願いしてくるから、無碍に断ることもできなかった。ソフィアがどうやってわたしの情報を聞き出したのか、とても気にはなるけれど、真剣な表情に気圧されて、わたしは諦めて答えることにした。
「わかりましたよ……」
ソフィアがまた無邪気な笑みを浮かべた。
「きっと、わたしの質問に答えてもらえれば、カロリーナさんにとっても有益な情報が手に入りますよ」
わたしがパトリシアという人物を知っているかどうかなんて、この際どうでも良いと思うのだけれど、ソフィアは拘った。
「一応答えはしますけど、あんまりソフィアさんのお役に立てるかわかりませんよ? そもそもパトリシアっていう名前がそこまで珍しいものではないので、わたしの知っているパトリシアが、ソフィアさんの興味を持っている人と同一人物かもわかりませんし……」
「良いんです。とにかく知っているかどうかをお尋ねしたいので」
ソフィアがどうしてもと言うから、わたしは諦めて話し始めた。