不穏な事実 3
「あ、危なかったですの……」
アリシアお嬢様は、アヒル座りをして、手のひらの中のわたしたちを見つめていた。ただでさえ目鼻立ちがくっきりとした芸術品みたいに整ったお顔が、手のひらの上のわたしたちを影の中にすっぽりと覆うようなスケールで存在しているから、非現実的なものとして認識してしまう。見上げる先にいるアリシアお嬢様から目が離せなくなってしまう。
ぼんやりとしているわたしと、冷静に横座りをして、チラリとポケットの中を覗き込んで息を吐いたソフィア。その両方がアリシアお嬢様の手のひらの上に収まっていた。
「ねえ、ソフィア。この子は新入りさんですの? わたくし、この子のお話は何も聞いてませんわよ」
少しムッとした口調で頬を膨らませるアリシアお嬢様の様子に、わたしは戦慄してしまう。きっと同じくらいの背丈だったら少し拗ねたような可愛らしい表情なのだろうけど、わたしのことなんて簡単に握り潰せるような大きさの彼女だから、怒ったらどうしようと思うと、怯えてしまう。
そんな震えるわたしの横で、ソフィアは表情を変えずに立ち上がって、深々と頭を下げた。アリシアお嬢様の作る手のひらの地面は柔らかいから、トランポリンくらい立つのが難しそうなのに、ソフィアはとても綺麗に背筋を伸ばしていた。
「アリシアお嬢様、大変申し訳ございませんでした」
「別に謝ってほしいわけではありませんわ。でも、慣れていない子をいきなり外に出したら、今みたいに危ないですの。少しずつ、このわたくしたちのお部屋に慣らしていってあげてほしいですわ。そういう指示はしていた思いますわ」
アリシアお嬢様の大きな指先がわたしの手元にやってくる。空いた手でペンを触っている時みたいに、無意識にわたしのことを撫でていた。慣れた手つきで、器用に力加減をした指先がわたしのお腹の辺りを這っていく。
「申し訳ございませんでした。今後は勝手に外には出ないようにしっかりと言い聞かせておきますので」
ソフィアは撫でまわされているわたしの横でずっと頭を下げ続けていた。
「別にそんなに謝らなくてもいいですわ。でも、いきなり知らない子がいたらエミリアが何をしでかすかわからないから、先に教えておいてほしいですの」
アリシアお嬢様の大きな指がわたしの頬を撫でていた。力が加わったらそのまま首を折られてしまいそうな大きくて力強い指に少し恐怖を感じてしまう。アリシアお嬢様自体はとても優しそうな人なのに、その大きさと芸術品みたいな美しさのせいで、まだ緊張してしまっていた。
「ねえ、あなたお名前は何て言いますの?」
「カ、カロリーナって言います」
すぐ下から見上げると、アリシアお嬢様のよく通った鼻筋がとても強調されていた。血色の良い唇を緩ませて、優しく微笑んでくれている。わたしとソフィアをやさしく手のひらで包み込んでいるから、なんだか女神様みたいにも見えてしまった。
「カロリーナ……? カロリーナっていうお名前はどこかで聞いたことがあるような……」
不思議そうに首を傾げてから、アリシアお嬢様はわたしのことを空いている方の手で優しく摘んで持ち上げてから、ジッと見つめた。巨大な瞳がわたしだけを見つめてくる。
「……きっと気のせいですわね。わたくしはアリシアですわ。カロリーナ、今日からよろしくお願いしますの」
ソッと手のひらに戻してくれた後も、しっかりとわたしの方を見つめてくれていて、少しドキドキしてしまう。澄んだ湖みたいな大きな瞳に思わず吸い込まれそうになってしまっていて、目が離せずぼんやりとしていた。
「綺麗……」
その呟いた声は、多分同じくらいの大きさのソフィアにだけ聞こえたのだと思う。わたしは優美なアリシアお嬢様の姿に息を呑んでしまっていた。その横で、ソフィアが普段よりもほんの少しトーンの早い声を出した。
「それでは、アリシアお嬢様、わたしたちはそろそろお暇させて頂いてもよろしいでしょうか」
「随分と突然ですのね。わたくし、まだカロリーナとお話したかったですわ」
わたしももう少しアリシアお嬢様とお話がしてみたかったのに、ソフィアの提案に少しガッカリしてしまった。
「申し訳ございません。まだカロリーナはここに来たばかりでして、メイドの基本的な業務を教えなければなりませんので」
「それなら仕方がないですわね……。あまり長居しても疲れてしまいますの」
寂しそうに微笑むアリシアお嬢様。わたしは少し名残惜しくもアリシアお嬢様の手のひらの上から、わたしたちの屋敷の置いてある棚の上に戻された。
ほんの数分前までわたしはこの巨大な部屋にも、アリシアお嬢様にも恐怖していた。それなのに今は、「じゃあね」と微笑みながら手を振ってくれたアリシアお嬢様の姿にわたしは見惚れてしまっていたのだった。
地響きを立てながら元の机の位置に戻っていったアリシアお嬢様の後ろ姿を見つめていた。とても魅力的なアリシアお嬢様が去っていく姿から、目が離せずにいた。長くて柔らかなブロンドカラーの癖っ毛が、歩くたびに優しく揺れていた。