不穏な事実 2
「え……? ええっ???」
屋敷の外に出たのに、部屋の中にいた。別に、ドアの外が異空間につながっていたとか、そういうわけではない。大方わたしの予想通りではあったけれど、その光景は実際に見ると、ひたすら困惑するしかない。
「大きな部屋……」
わたしたちの住んでいるお屋敷が1000個は優に入ってしまうような広大な部屋。この部屋の中を隅々まで探検するだけで、きっと丸一日かかってしまう。
「なに、これ……」
ふらふらと前に進んでいくと、崖のようになっていた。だけど、ここは部屋の中。もちろん崖ではない。下を見れば、真っ赤な海みたいにも見える絨毯がった。下を見ていると怖くて、慌てて正面を向いた。遠くにいてぼやけているのは人の姿。わたしたちとは別の生物なのではないだろうかと思ってしまうほどに大きい。
「やっぱりここは巨人のお屋敷だったんだわ……」
わたしの背筋がひんやりと冷たくなる。この光景を巨人の目線で見ると、わたしたちのお屋敷は部屋の端の棚の上ににポツンと置いてあるドールハウスにしか見えないだろう。さながらわたしはドールハウスの前で座っているドール人形というところだろうか。
遥か遠くにいるのは、とても煌びやかでふんわりとパーマがかったブロンドヘアを背中の辺りまで伸ばしているお嬢様。爽やかな水色のドレスを着て、ノートにペンを走らせていた。彼女が軽々と持っているペンは、きっと柱みたいに大きいのだと思う。彼女は時々ペンを止めては斜め上を見て、考え事をしていた。そして、またペンを走らせる。
ぱっと見は温厚そうな彼女だった。でも、その大きさのせいで、わたしは恐怖を感じた。鯨は写真で見ると可愛らしいけれど、実際に間近で見ると、その大きさに圧倒されてしまう。わたしはそれに似た恐怖を感じていた。
「嫌よ、嫌……。あんな大きな人のお世話なんて絶対にできないわ……」
それでも、遠くから無関係な人として見つめる分にはとても綺麗なアリシアお嬢様を見つめてしまう。ペンを走らせる女性として、絵画にでもありそうな、きれいな姿。そんなアリシアお嬢様に見惚れてしまっていると、ふとペンを止めたアリシアお嬢様がこちらを見た。
「え?」とわたしが言ったのとほとんで同時に、「あら?」とアリシアお嬢様が言ったのが聞こえた。
「新しい子ですの?」
目を輝かせながら立ち上がったアリシアお嬢様の姿にわたしは反射的に恐怖を覚えた。捕食者に見つかった小動物をパッと脳内に浮かべてしまう。そのサイズ差のせいで、わたしは本能的に恐怖を感じてしまう。逃げようと思ったけど、立ち上がる時に足がもつれてしまったわたしは、ふらりと、真っ赤な絨毯の海の方に体を引っ張られる。
「新入りさん!?」
不安そうに見つめていたアリシアお嬢様がとても驚いていた。急いでこっちにに来ようとしたけれど、きっとアリシアお嬢様がきた頃にはわたしは真っ赤な海に体を打ち付けているのだろう。諦めて、重力に従って落下しなければいけないと思ったけれど、その前にわたしの右手を誰かが引っ張った。
「危ないですよ」
小さな声で、冷静に言い放つのはソフィアだった。どうしてこの場にソフィアがいるのか、ということは落下しかけているわたしの脳内では、どうでもいいこととして処理された。普段、どちらかといえば冷たいような印象を持っていたけれど、そのソフィアが助けてくれた。
だけど、ソフィアが腕を引っ張ってくれたところで、小柄なソフィアにわたしのことを引きあげる力はあるのだろうか。わたしの腕を引っ張って、全体重を後ろに傾けて棚の上に戻してくれようとしたけれど、それより先に、落下していくわたしにソフィアの体も引っ張られてしまう。
「ソ、ソフィアさん! ごめんなさい! わたしのせいで……」と涙目で伝えた。ソフィアもはわたしを助けようとしたばっかりに一緒に落下していくところだった。それなのに、ソフィアは何も怖がりもしない。いつも通り、メガネの奥の瞳は冷静で、クールな無表情を貫いている。
「大丈夫ですよ。落ち着いてください」
ソフィアもわたしと一緒に逆さまになったところで、わたしの手を離した。そして、両手を彼女のメイド用のエプロンについているポケットに添えた。まるで自分の体よりも大事な何かを守ろうとするみたいに、上から優しく手を添えている。
「すいません」と小さな声でソフィアが言っているのが聞こえた。助けてくれようとしたのに謝る必要もないのに、と思いながら全てが逆さまになった景色を落ちていく。その間にも、ソフィアは縋るようにポケットを触っていた。
大事に守ったところで、このまま絨毯の海に落下したら、わたしたちは共に潰れてしまう。ソフィアが大事に守るポケットの中の高価な何かは、きっとわたしたちと一緒に壊れてしまうだろう。恐怖と罪悪感に押しつぶされそうになっていると、すぐ真上で落下中のソフィアがソッと呟いた。
「あなたを引っ張ったあの1秒に、とても大きな意味がありましたから、もう大丈夫ですよ」
そうソフィアが呟いた時には、わたしたちは柔らかい手のひらの上にいた。どうやら、ソフィアがわたしの体を引っ張って、落下を防ごうとして稼いでくれた数秒は、巨大なお嬢様がこちらに移動するには充分な時間だったようだ。