400倍の想い人 6
わたしは小さく息を吐いてから、ソフィアの手のひらの上からアリシアお嬢様の耳たぶに触れる。柔らかくてサラサラしていて気持ちが良かった。普通なら見えないような産毛を優しく撫でてみたりもした。
「絶対にカロリーナが怪我をしないように見ていて欲しいですの……」
「もちろんですよ」とソフィアが普通サイズの声で答えた。アリシアお嬢様の耳元にいるから、声のボリュームを落として調整するあたり、本当に気遣いのできるメイドなのだろう。
前にお風呂場で入った時以来の、アリシアお嬢様の耳の中に入るために、ソフィアにソッと耳の中に入れてもらった。あの時は、顔くらいしか入らなかったけれど、今は全身がアリシアお嬢様の耳の中に入っていた。アリシアお嬢様にとっての1センチがわたしにとっての4メートルになるわけだから、当然と言えば当然だ。アリシアお嬢様の耳の中が、洞窟みたいに感じられた。
前に見た時にはとても綺麗に掃除されていると感じられた耳の中だけれど、さすがにわたし自身がアリシアお嬢様の中にある小さな耳垢と同じくらいの大きさになっているせいで、いくつか落ちていることには気づいてしまった。それが岩のように見えて、奥に進むにつれて光が入りにくくなり、周囲がしっかりと見えなくなってくると、よりリアルな洞窟みたいになっていた。あまり奥に入りすぎてアリシアお嬢様の鼓膜に触ってしまったらいけないから、わたしはほどほどのところで立ち止まった。
「カロリーナ、どうですの? もう何か喋りましたの?」
アリシアお嬢様が喋った声が、鼓膜のさらに奥の体の内側から反響してやってくるのと、耳の外からやってくる音とがほんの少しだけ時間差でやってきて、二重に聞こえてくる。
「ア、アリシアお嬢様! 聞こえますか?」
わたしは目一杯大きな声で叫ぶとアリシアお嬢様の頭が揺れて、立っていられなくなってしまい、尻餅をついてしまった。多分アリシアお嬢様はほんの少し動いただけなのだろうけれど、中にいるわたしにとっては地面が大きく揺れたわけだから影響は大きい。
バランスを保つために、慌ててその場に座った。きっと立っていても何度も揺らされて座らされることになるから。そんなわたしのことは知らずに、アリシアお嬢様が返答する。
「カロリーナの声、聞こえてますわ。嬉しいですの……」
「わたしも嬉しいですよ、アリシアお嬢様! こうやってちゃんとお話ができるのが!」
今のサイズ差で直接意思疎通が図れるなんて思わなかった。ちゃんと自分の声がアリシアお嬢様に届いているということに安心して、知らない間に涙を流してしまっていた。それを悟られないようにできるだけ涙声にならないように続けた。
「わたし、早くアリシアお嬢様と同じ大きさに戻りたいです……」
「わたくしにできることがもしあれば、なんでも手伝いますの。どんなことでも良いから、手伝ってほしいことがあれば言って欲しいですわ」
真剣にわたしのことを心配してくれているアリシアお嬢様の気持ちが嬉しかった。これだけサイズ差があっても、アリシアお嬢様はわたしのことを安心させてくれる。アリシアお嬢様の中にいるという、本来ならもっと不安を抱かなければならない状況のはずなのに、何も怖くなかった。そっとアリシアお嬢様の耳の肌に体をもたれ掛けさせて、全身でアリシアお嬢様の温かみに触れてみる。
アリシアお嬢様の耳の中で温もりに包まれていた。もはや今までのメイド屋敷すら警戒しながら生活していかなければならなくなったわたしにとって、久しぶりに得られた安らぎの時間かもしれない。
「アリシアお嬢様、愛してますよ……」
思わず口に出してしまって、慌てて両手で口を塞ぐ。幸い、小さな体で注意して発した小声は、アリシアお嬢様には届いていなかったようで、何も反応はなくて、ホッとした。
それからも、少しの間お話をした。エミリアがいなくなってしまったから新しくメイドが来たけれど、エミリア以上にとても冷たいこととか、400分の1になった世界が何もかも怖いこととか、エミリアの代わりのメイドのベッドメイクや掃除があまり上手くないことや、キャンディやメロディの泣き叫ぶ声にすら気を失わされてしまったこととか。
お互いにネガティブな話ばかりの近況報告になったけれど、それでもお互いの辛いことをぶつけ合うことができて、2人ともほんの少しだけだけれど、前を向けてきた頃合いを見計らって、ソフィアがわたしに外に出るように促した。わたしはまた落ちたり吹き飛ばされたりしないように気を付けながら、アリシアお嬢様の手に握られた、小さなソフィアのポケットの中でじっと待っていた。




