歯車大系①
アインは研究に没頭した。
シャノンの世話をする以外は、一日中工房にこもりきりになり、歯車体系の開発を行う。
ジョージ所長に啖呵を切った通り、研究は九割終わっている。歯車大系の特色は魔力のない人間が魔法陣を起動できること。
つまり、自律回転する歯車を術式化する。
必要なのはその最後の閃きだけだ、とアインは考えていた。
だが――
何度失敗しても、どれだけ考えても、どうしてもわからない。
自律回転する歯車。
自ら動く歯車。
(それはなんだ?)
頭の中で歯車のようにぐるぐると疑問が回転する。
ぐるぐると、ぐるぐると。
ひたすらに回り続け、決して他の歯車と噛み合うことはない。
いつしか十年の歳月をかけくみ上げた歯車大系が、ただがらくたを積み重ねてきたように見え始めた。
十二賢聖偉人の一人、アゼニア・バビロン曰く――
最後の閃きがなければ、生涯を水泡に帰す。
凡人と天才を隔てる地獄の壁こそ、基幹魔法の研究だ。
歴史上、アインと同じところまで開発を進めた魔導師はごまんといる。それでも、最後の一歩が届かないのだ。
どれだけ完璧な理論を構築しようと、たった一つのアイディアが浮かばなければ、すべてが無に帰す。
それこそが魔法研究であり、とりわけ基幹魔法を開発する難しさだった。
アインは新たな魔法陣を構築してはそれを破壊することを、ただひたすらに繰り返した。
日に日にやつれていく彼の耳に、ある言葉が嘲るように響き渡った。
――学位があってこその論文だ。君の研究は無益だよ。
「くそっ!!」
リフレインする幻聴を振り切るように、アインは机に拳を思いきり叩きつけた。
じわりと血が滲み、手にした歯車に染みをつける。
(歯車を回転させる。風車、水車、車輪、どれもだめだった)
彼は魔導工房を出る。
すでに時刻は真夜中だ。通路を歩くアインは、ふと厨房から明かりが漏れているのを見つけた。
(それでは歯車が自ら回転していることにはならない。流れる水や風を歯車と見なす。発想はいいが魔法律に合致しない。それとも)
ドアを開ければ、シャノンがテーブルに突っ伏して眠っていた。
(歯車大系自体が魔法の理に反しているのか)
シャノンのもとまで、アインは歩いて行く。
「おい。起きろ。なぜこんなところで寝ている?」
シャノンの肩を軽く揺さぶると、ぱち、と彼女は目を開いた。アインを見るなり、がばっと飛び起きた。
「けんきゅう、おわり?」
「今日はな」
「いっしょにたべよ! ぱぱのぶん、わけたげる!」
青い瞳を爛々と輝かせて、シャノンは嬉しそうに言った。
彼女は一口も食べていないホットケーキに、フォークを刺して、切り分けようとしている。
アインは魔法研究用に使った歯車をテーブルに置き、尋ねた。
「どうして食べなかったんだ?」
「ぱぱ、まいにち、けんきゅーで、つかれてるでしょ。ごはんもたべないでしょ」
にっこりとシャノンは笑い、切り分けたホットケーキを皿ごと差し出した。
「だから、シャノンのとっておいたの!」
(腹が減っただろうに、オレのために我慢したのか)
そう考えながら、アインはホットケーキを食べた。
瞬間、う……と彼は呻く。
「クソ不味い」
不思議そうな顔をしたシャノンは、ホットケーキをもう一口食べる。
「おいしな」
「馬鹿なっ!?」
信じられないといった風に、アインは声を上げた。
「これだけは教えておくぞ。確かに焼きたてのホットケーキは天上のスイーツだが、冷めれば地獄の残飯だ。これが真理だ」
大真面目にアインはホットケーキの真理を語る。
いまいちよくわからないといった顔をしながら、シャノンは冷えたホットケーキに視線を向けた。
「ざんぱん、いくない?」
「残飯を食べるような子は、うちの子じゃない」
立ち上がり、真剣そのものの顔でアインはそう諭した。
その瞬間だった
「シャノン、ざんぱんやだ!!」
勢いよく彼女はホットケーキの皿をアインに向かって滑らせた。
アインはそれを指ですっと受け止める。
「よし。今もっとちゃんとしたものを……」
「まほうでやきたてにして!」
アインは新しく料理を作ろうとしたが、シャノンがそう主張する。
「マナがもったいないからだめだ」
「マナってなに?」
とシャノンが聞く。
「魔力の源だ。足りなくなれば、魔法研究ができない」
マナは魔法を使うための燃料で、体内で生成される他、魔石などの鉱物からも得ることができる。
魔導師はマナを魔力に変換し、魔法を使う。当然、魔法研究にも欠かせないものとなるが、有限だ。
「いちだいじ! シャノン、もったいないしない!」
シャノンはそう言った後、思いついたように手を上げた。
「じゃ、こんどから、シャノンのごはん、ぱぱがたべるときにする! そしたら、ひえないよ!」
「オレは食べない日もある。お腹空くぞ」
実際、研究に没頭する余り、アインの食事の回数は減っている。
そう指摘をすると、
「だって、ぱぱ、いそがしいから、シャノンのごはん、つくるのたいへんでしょ」
アインは僅かに目を丸くする。
「ぱぱ、けんきゅーがんばってるから、シャノンもいっしょにがんばる!」
彼女は両拳を握って、屈託のない笑顔を見せた。
父親が頑張っているのだから、それが当たり前だと言わんばかりに。
彼の脳裏をよぎるのは、ギーチェの言葉だ。
――アイン。貴様、研究とその子とどちらが大事だ?
(歯車大系が完成すれば、養子申請を通るだろう。だがオレはこの二週間、シャノンのことを一瞬でも考えたか? オレにコイツの親でいる資格があるか?)
ミルクをごくごくと飲み腹を満たそうとするシャノンを見て、アインは自らに問いかける。
そして、それに答えるように、彼はホットケーキに魔法陣を描いた。
「《温熱》」
ホットケーキが温められ、湯気がふわっと立ち上る。
シャノンがキラキラした瞳でそれを見た。
「あたかくなった!」
「食べていいぞ」
「やった」
嬉しそうに、シャノンはそれを頬張った。
「シャノン、話がある……」
神妙な顔でアインは言う。
ホットケーキを口にしながら、シャノンは彼の顔を見た。
「――オレは魔法省を解雇された。明日オマエを孤児院に戻す」
ホットケーキを食べる手を止めて、シャノンはきょとんとした。
「ぱぱもいっしょ?」
「……オレは研究がある」
「シャノン、けんきゅうてつだう」
「それは無理だ」
「じゃ、シャノンもむり!」
意味のわからない返事に、今度はアインは疑問を覚えた。
「……? わがままを言うな。無職で子供一人養えると思ってんのか?」
すると、シャノンはうつむく。
ぎゅっとフォークを握りしめ、彼女は言った。
「……ぱぱは、シャノンがいらない……?」
泣き出しそうなその子を、彼は唇を引き結び、じっと見つめた。
「オマエは悪くない。オレのせいだ。オレが……魔法研究しかできないんだ」
そう寂しそうに、彼は言った。
§ § §
真夜中。
古城の厨房に小さな人影が忍び込む。
そろりそろりと歩いてきた小さな人影は、テーブルの上に置かれていた小さな歯車を手にした――
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