魔導鍛冶屋
リコルの邸宅。書斎。
知りたいことがあり、アインはキースを訪ねていた。
「《本を開くもの》……か……」
アインの話を聞き、キースが呟く。
「シャノンの話では毎回悪魔が口にする言葉だそうだ」
「聞いたことあるよ」
シャノンと遊んでいたリコルが、兄たちの会話を耳にしてそう口にした。
「《魔義》のことだよね? 十二賢聖偉人よりもすごい魔導師の」
「似ているが、《魔義》の別名は《本を書く魔導師》だ。《本を開くもの》とは言わん」
「だけど、昔だったら、ええと」
言いながら、キースは書棚から一冊の魔導書を手にする。
「これは一八〇〇年前の魔導書だけど、たとえばこの《文字を並べる》、《炎を手繰る》、《本を読み解く》という単語。これらはすべて《魔義》を表すと言われている」
「おぼえるのたいへん! なぜにたくさんあるかな? イジワルか?」
シャノンが言った。
「まだ表現が定着していなかったと言われている。時代を経て、《本を書く魔導師》に統一された」
アインがそう説明すると、「かんたんになた!」とシャノンは言った。
「一応、この魔導書にも《本を開くもの》という単語はあったよ。文脈的には、やっぱり《魔義》っていう意味だと思うけど?」
キースが開いた魔導書の文字を指さす。
「魔導師は無駄なことはしない。今の時代に、そんな古い言い回しを使う意味はなんだ?」
すると、キースは思案するように口元に手をやった。
「……これは僕の個人的な考えだから、話半分に聞いてほしいんだけど」
そう前置きして、彼は言った。
「《本を書く魔導師》に統一されたのは、ただの表現の問題じゃないかもしれない」
アインがはっとする。
「つまり、実際に《本を書く》魔法があるってことか?」
「ほんをかくまほう?」
シャノンが首をひねった。
「アインの歯車大系は歯車魔法陣を回転させて魔力を増幅する。それと同じように、本の魔法陣に文字を書くことで、魔法律を創る」
キースがそう説明する。
「魔法律を新たに創るために、《文字を並べる》魔法や《炎を手繰る》魔法、《本を読み解く》魔法などが検討された。研究の結果、アゼニア・バビロンは《本を書く》ことが最も正しいと仮説を立て、それが定着した」
「だとすれば、《本を開くもの》というのは、一八〇〇年前の魔法に関係している?」
アインの言葉に、キースはうなずく。
「あくまで僕の仮説なんだけど……」
「いや、参考になった。ありがとう」
アインは椅子から立ち上がった。
「シャノン。これから魔眼鏡のことで、パディオのところへ顔を出す。遊んでてもいいぞ。終わったら迎えに来る」
「シャノンもいくっ!」
大急ぎでシャノンは帰り支度をして、アインのもとへ駆けてきた。
玄関まで見送りに来たキースは言った。
「さっきの件は僕も調べてみるよ。古代文字を研究している学者に心当たりがあるんだ」
「すまん。借りは返す」
アインは頭を下げる。
シャノンがリコルに手を振り、「またねー」と挨拶をしていた。
§ § §
パディオの商店『鋼鉄の宝船』。
「申し訳ございません。売れすぎました」
第一声でパディオが口にしたのはそんな台詞だった。
「うれすぎ、いくない? がっぽがっぽ!」
シャノンの頭の中では、金貨がジャラジャラと降り注いでいる。
「一日に魔眼鏡を生産できる量は三〇個だ。一〇〇人から注文が来たらどうなる?」
シャノンは指折り、数を数える。
「300にん、つかえない!」
「七〇人だ。なんで増えた?」
「いちにち、100にん。みっかで300にん!」
「生産した九〇個の魔眼鏡は?」
「ほかのひとがかわいそうだから、あげない!」
得意満面でシャノンは胸を張る。
「……今度、ギーチェに引き算を教えてもらおう」
アインはギーチェの仕事をさりげなく増やす。
「で、注文数は? 少しぐらいなら生産量も増やせるぞ」
「一万五〇二七個です」
数の暴力の前に、アインは遠い目をした。
「このペースで注文が入りますと、一日一〇〇〇個は必要になってくるかと」
「……オレ一人じゃ作れんな」
「値段を高くして、注文数を押さえましょうか?」
「いや、目的はロイヤリティマナだ。使う人間は多い方がいい。魔導鍛冶屋を当たってみる」
すると、シャノンが小首をかしげた。
「まどーかじや?」
「魔導具や器工魔法陣を造ってる店だ」
§ § §
魔導鍛冶屋『狼鉄の庭』。
魔導炉の前に、ザボットという男が立っている。
この魔導鍛冶屋の親方だ。年齢は五〇代。厳つい風貌だ。
魔導鍛冶用の前掛けとグローブをつけ、大槌杖という槌に似た杖を手にしている。
ザボッドが魔眼を光らせ、大槌杖で魔法陣を描く。
棚が開き、浮遊するミスリルと魔石が炉に投下される。
炉の金床に、ボゴンッと金属の塊が転がった。
そこへザボットは大槌杖を振り下ろす。
炎と水がそこから立ち上り、目映い光を放っていた。それは魔法陣なのだ。
やがて光が収まると、そこには魔眼鏡があった。
ザボットはそれを手にして、アインに差し出した。
「こんなもんでどうよ?」
アインはそれを魔眼で見つめる。
「申し分ない」
「ほかのおみせじゃ、すぐはむりっていわれたよ?」
シャノンが言うと、
「そりゃお嬢ちゃん、これの違いよ」
ザボットは右腕で力こぶを作り、そこを左手で叩く。
腕が違うと言いたいようだ。
「ま、この歯車大系ってやつは、まだどこの工房でも取り扱ってないだろうからよ。初見で作れる奴ぁ、俺ぐらいのもんよ」
ザボットはニカッと笑った。
「すーぱーかじし!」
と、シャノンが大槌を振り下ろすポーズを取る。
「嬉しいねぇ。お嬢ちゃんが可愛いから、明日までに仕上げてやるよ」
「やった!」
シャノンがばんざいをする。
「で、旦那、いくつ必要なんだ?」
「一万五〇〇〇個だ」
「一万五○○○……!?」
予想外の数に、ザボットは目を剥いた。
「その後、一日一〇〇〇個だ。上手くいけば増える」
「……いやぁ……そいつはさすがに……」
無理だと言おうとした瞬間、シャノンが大槌を振り下ろすポーズを取る。
「すーぱーかじし! うでがちがう!!」
顔を引きつらせながら、ザボットは無理矢理笑顔を作った。
親指をビシッと立てているが、その手はプルプルと震えている。
「……よ、余裕よ……!」
「無理するな」
冷静にアインは言った。
「すまねえ。さすがに一万五〇〇〇は無理ですぜ……」
意気消沈して、ザボットは頭を下げた。
「どのぐらい作れそうだ?」
ザボットは腕を組み、考え込む。
「まあ……頑張って日に五〇だな」
「一〇〇は欲しい」
「……やってはみるが、確実にできるとは言い切れないねえな」
「わかった。それで頼む」
話がまとまったそのとき、大きな声が響いた。
「親父さんっ! 大変っすっ!」
職人の一人、ロコンが切羽詰まった表情で走ってきた。
「おい、ロコン。お客さんの前だぞ!」
「す、すみません! だけど、ヨシュアたちが辞めるって……」
「ぬわにぃぃっ!?」
くわっとザボットは目を剥いた。
§ § §
工房の一角に十数人の職人が揃っていた。
辺りにある設備は魔導炉ではなく、魔力を使わない普通の炉や、金床、大槌であった。
そこへ、ザボットが大急ぎで走ってくる。
「ヨシュア。なにしてんだ、おめえら。仕事中だろ」
「すみません、親父さん。俺ら、今日限りで……」
ヨシュアたちはそう口にして頭を下げた。
「他にいい働き口が見つかったのか?」
「……はい。今日までお世話になりました。失礼します」
ヨシュアが踵を返そうとすると、
「おめえ、恩を仇で返す気か?」
ザボットが言う。
ヨシュアはピタリと足を止めた。
「やめんのはいい。やめてえならな。だが、嘘はよくねえ」
その指摘が事実だったか、ヨシュアがゆっくりと振り向いた。
「俺の目は誤魔化せねえぞ。本当のことを言ってから行きな」
「……もう……」
思い詰めた表情でヨシュアは言う。
見れば、辞めようとしている職人たちは皆似たような面持ちだ。
「……限界じゃないですか……」
絞り出したような声だった。
「うちの工房はもうこんなに人を雇う余裕はないじゃないですかっ。親父さんは人が好いから……」
「おめえらもそう思ってんのか?」
他の職人にザボットは問う。
「……ヨシュアの兄貴が言うんなら……」
「俺らが親父さんの足引っ張るわけには……」
すると、ザボットは言った。
「馬鹿、抜かせ。うちの技術は王都一よ。おめえらに心配されるようなことは、なにもねえ」
「そりゃ、魔導具製造の話でしょうっ!!」
叫ぶようにヨシュアは訴えた。
「俺ら魔力無しはそうじゃないです。知ってんですよ。俺らのために、あちこち走り回って、魔導具製造以外の仕事とってきて、買い叩かれて、毎月火の車じゃないですかっ……!」
事実なのだろう。
ザボットはそれを神妙な顔で聞いていた。
「孤児の俺らにここまでよくしてくれて、親父さんにゃ頭が上がりません。だけど、もう……これ以上甘えるわけにゃ……」
ヨシュアの目には、僅かに涙が浮かぶ。
「親父さんの腕は、世界一だ。俺らさえいなけりゃ……この工房だって……」
「うちに足手まといはいねえ。おめえらはどこに出しても恥ずかしくない自慢の弟子だ」
ザボットははっきりと断言した。
「俺は職人の首は切らねえ。儲けなんざ、水物よ。工房ってのは人なんだ。おまえらが一番の財産だ」
親方の言葉に、職人たちは涙を浮かべている。
「もう一度聞くぞ、ヨシュア。やめてえのか?」
数秒の沈黙の後、彼は口を開く。
「……恩返しがしたかったんです……俺のこの手で、親父さんの工房を……世界一に……だけど……」
彼は言った。
「魔力のない俺にゃ……どんなに腕を磨いたって、できやしない……!」
彼は知ってしまったのだ。
かつて抱いた夢が、一生叶わないという現実に。
けれども――
「できるぜ」
アインの声に、ヨシュアが振り向く。
「そのための歯車大系だ」
現実は、常に前へ進んでいる――偉大なる魔導師たちの手によって。
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