二つの選択肢
王都アンデルデズン。聖軍基地。教練場。
刀を抜き、整然と構えているのはギーチェ・バルモンド。
その視線の先には、長剣を構えた男がいた。
軍服にマントを羽織っている。
年齢は四十半ばだが、若々しさと力強さがあった。
目元には深いクマがあり、その眼光は魔剣のように鋭い。
彼に一睨みされれば、どんな屈強な協定違反者たちも足がすくみ、銅像のように身動きがとれなくなるという。
聖軍総督、アルバート・リオルである。
一歩、ギーチェが踏み込み、刀を振り下ろす。
アルバートの長剣は流れるような剣捌きでそれをいなす。二の太刀をギーチェが振ろうとした瞬間、剣先が喉元に突きつけられた。
実戦ならば、喉を貫かれていただろう。
「雑念がある」
アルバートが鋭く睨みつけた。
「死にたいのか、ギーチェ」
「……申し訳ありません」
ギーチェがそう口にすると、アルバートは剣を鞘に納めた。
「魔石病の患者は通学路付近に二名、魔導学院に一名、孤児院に一名、西地区浄水場、商店街付近で二名発見した。貴様の報告のおかげで、まだ全員初期症状だ」
「……治療魔法の研究は?」
「無論、聖軍でも人員を増やす。魔導師の選定が問題だ。アイン・シュベルトはいけそうか?」
アルバートが問う。
「専門外ですし……興味がないかと」
「興味で判断されても困る。金とマナに糸目はつけないと言え」
僅かに考え、ギーチェは答えた。
「は」
§ § §
「興味がないな」
湖の古城。
応接間にて、ギーチェの持ちかけた話を聞くなり、アインはにべもなくそう告げた。
「シャノンが感染する可能性もある」
「子どもをだしに使うな。そもそも、魔石病は10歳未満と魔力が強い人間が罹った例はない」
「最悪、王都を封印区域にすることになるんだぞ」
「無意味だろ。ディグセーヌ村落を封印区域にしても、王都で患者が出た。間にある都市を二つ、三つ飛ばしてな」
アインが言う。
「魔石病は呪毒魔法によるものか、元々呪いの因子を持っていた人間が発症する。従来の呪病とは異なるというオマエの仮説通りだ」
「私の仮説をアテにするな」
「そもそも、オレは専門外だ」
そう口にして、アインは応接間を出ていった。
ギーチェは椅子に座り、深くため息をつく。
すると、シャノンがとことことやってきて、彼の頭を撫でた。
不思議そうにギーチェが彼女を見る。
「私が無理を言ったんだ。断られるのは仕方ない」
「かわりにシャノンがおてつだいする!」
やる気をアピールするシャノン。
僅かにギーチェは笑みをこぼした。
「じゅげんたい、さがせばなおるでしょ。シャノン、それならできる」
火炎病のことを思い出し、シャノンはそう言った。
「魔石病は呪病だが、呪源体は存在しないかもしれないんだ」
「どーして?」
「ディグセーヌ村落で魔石病が流行ったとき、聖軍の防疫部隊が総出で呪源体を探した。だが動物や鳥、魚や虫にまで捜索範囲を広げたが空ぶりに終わった。それ以上は探しようもないし、そもそも呪源体自体がいないからかもしれない」
呪病は通常、呪源体に呪いの循環を作ってやればすべての患者が治る。
だが、魔石病は一筋縄ではない。
「呪源体の見つからない呪病。魔石病は、だから不治の病なんだ」
「シャノン、やくにたたない!」
がびーん、と彼女は大きく口を開けた。
だが、すぐにシャノンは閃く。
「じゃ、かわりにだでぃがやる!」
「……? どういうことだ?」
ギーチェが聞く。
「だでぃ、ませきびょうがんばるっていった!」
「……そうだな」
「せいぐんのえらいひとに、ぱぱのかわりにやりますっていえばいいでしょ」
一瞬、ギーチェは沈黙した。
「……私がアインと会ったとき、なんて傲慢な男だと思った」
「ぱぱはごうまん?」
不思議そうにシャノンが首をかしげる。
「そうだ。傲慢で偏屈な魔法バカだった。だが――」
ギーチェは過去を振り返る。
彼と出会ったときのことを……
§ § §
ギーチェの回想。学生時代。
アンデルデズン魔導学院・魔導学部校舎中庭。
絵を描くようにイーゼルに羊皮紙を広げ、私は羽根ペンを動かしていた。
大きな魔法陣があり、その中に魔法文字を描いていく。
ふと羽根ペンを止め、じっと考える。
「【灰塵】だ」
後ろから声が響く。
私が振り向くと、そこに透き通るほど美しい金の瞳があった。
声をかけてきたのは同級生、アイン・シュベルトである。
「第一七魔法文字、【灰塵】だ。それしか入らない」
私は無言で、彼を見返す。
不可解そうにアインは言う。
「イステイブルの魔導試問。図のような炎熱大系基幹魔法陣の中に、最大何文字の魔法文字を入れられるか、だろ?」
「そうだ」
私はそう回答し、魔法陣の中に文字を描いた。
すると、アインが不可解そうな表情で、そこに顔を近づける。続きを描くことができず、私は戸惑いを覚えた。
アインはくるりと振り返る。
「なんで【熾火】を書いた? 【灰塵】しか入らないはずだ」
「その方が収まりがいいだろう」
「収まり?」
アインが首をひねる。
そして、魔法陣から羊皮紙と羽根ペンを取り出し、木製のテーブルに広げて、ものすごい勢いで書き込み始めた。
「【熾火】を入れるには燃料文字が必要だ。だが、魔法陣内の燃料文字はすでに他の魔法文字によって燃やされている。どう計算しても、一画も残らない」
描き終えた羊皮紙をアインは私の目の前に突き出した。
「……気にするな。根拠があるわけじゃない」
私はそんな風に答えた。
「……そうか」
気が済んだのか、アインは去っていく。
(理解は得られないだろう)
そう私は考えながら、羽根ペンを動かす。
子どものときからずっとそうだ。
術式のパズルを解く作業が好きだった。
理屈や正しさなどに囚われることなく、ただ壮麗さを追い求めることに没頭した。
美しく術式が解かれるとき、私の前には魔法があった。
この過程を理解した者はいない。
話せば、必ず理屈がおかしいと言われた。
それでも、いつも必ず解答に辿り着く。
これは、私だけに与えられた世界だ――
§ § §
ギーチェの回想。その三日後。
魔導学部の中庭にて、イーゼルに羊皮紙を広げ、私は日課のようにイステイブルの魔導試問を解いていた。
「わかったぞ」
振り向くと、アインがいた。
彼はイーゼルに広げた羊皮紙に羽根ペンを走らせ始める。
「燃料文字を温存するんじゃなくて一気に燃やす。つまり、【火炎】を連鎖させて爆発を起こす。そうすれば、逆に火が消えて、【樹木】が一画残る。これで【熾火】が入る。どうだ?」
書きあがった術式を見て、私は目を丸くする。
それから言った。
「収まりはよくなった……」
「不服そうだな」
「壮麗とは言い難い」
アインが魔法陣の中央を指した。
「問題はここだろ。魔法文字の量が足りない」
そいつが指さした箇所が、確かにパズルの急所だと直感した。
「……ああ、たぶん、そうだろう」
そう口にすれば、そいつは楽しそうに笑った。
まるで面白いおもちゃを見つけたといった風に。
それからというもの、私はアインと、暇があれば魔導試問を解くようになった。
嫌な予感がした。
壮麗さを追い求める術式のパズル。
私だけに与えられた世界。
だが、それは単純に術式の理解を言語化できない不完全さゆえに来るものではないか。
「この魔導試問で十二賢聖偉人イステイブルが入れた魔法文字は一〇一六文字。中央で五〇〇は入れないと、どう計算しても他の箇所で破綻する」
大胆な発想を理路整然と話すアインを見ていると、そんな風に思えてきた。
「一〇一六は、気持ち悪い」
「まあ、まったく入る気はしないな」
自分がただ突飛なことを言うだけの子どものように思えてならなかった。
それは初めて覚えた劣等感だ。
「……解法が見つかっていない試問だ。学生に解けるはずもないだろうが」
「解くしかないぜ」
アインは言った。
まるで私を見透かしたように。
「壮麗な術式を見たいんだろ」
突きつけられたのだ。
あいつは本物の天才で、私は違うということを――
§ § §
湖の古城。応接間。
「アインのような奴が新しい魔法を開発し、多くの人々を救う。だから聖軍に入った。この刀で少しでも、そんな魔導師たちを守りたかったんだ」
ギーチェが言った。
「だが、シャノンが頑張れると言ってくれた。もしも、この手で魔石病を根絶できるのなら……と。そう思う自分もいる」
彼はぐっと拳を握りしめる。
「聖軍でも魔石病の研究をする席は限られている。そこには才能のある人間が座るべきだ」
「むずかしいもんだいか?」
不思議そうにシャノンが聞く。
「……たとえば、ホットケーキとピクニックのサンドウィッチ、シャノンだったらどちらを食べる?」
「りょうほうたべる!」
シャノンが大きく手を上げ、両手でピースしている。恐らくは両方食べるの『両方』をアピールしているのだろう。
目を丸くするギーチェ。
くくく、と笑声がこぼれた。
「確かに、そうだな」
ギーチェは吹っ切れたように言った。
「魔石病の研究は一人でもできる。空席に他の魔導師を呼んできた方が、研究者が増えるだろう」
「シャノン、おてがらかっ?」
よくわかっていないだろうに、彼女はそんな風に聞いた。
「ああ。おかげで心が決まった」
「りょうほうたべる! むてきのせんたくし!」
元気よくシャノンが言ったのだった。
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