取り消し
アンデルデズン研究塔。第一魔導工房室。
一人の魔導師が気怠げに机で魔法陣を描いている。
目つきの悪い男だ。
「デイヴィット」
所長室から戻ってきたアインがその男に声をかけた。
「外部との魔法線は使い終わったらすぐに切れと言ったはずだ。逆探知されれば、悪用される」
脇に置かれていた魔法水晶をアインは指さす。
そこから外に魔法線が延びているのだ。
デイヴィットは無言でアインを見返す。
そして、反抗的な顔つきで言った。
「理論上の話でしょう? そんな魔導師はいませんよ」
アインは取り合うことなく、無言でデイヴィットを見た。
「……やればいいんでしょ」
渋々といった調子でデイヴィットが、魔法水晶のもとへ移動する。
「室長」
背中からルークが声をかけてきた。
シャノンも一緒だ。
「大丈夫でしたか?」
「クビになった」
「はいっ!?」
心底、驚いたようにルークが声を上げた。
「《永遠世界樹》は任せたぞ」
「いや、無理ですって……」
《永遠世界樹》はアインが開発中の新魔法。その制御は極めて困難であり、高度な魔法技術を要する。
第一魔導工房室ではまだ彼以外まともに取り扱うことができない。
急転直下の事態に、ルークは戸惑いを隠せなかった。
そんな二人の様子をデイヴィットは横目で見ていた。
(なんだ、あのコネ無学位? クビになりやがったのか?)
「すごいすいしょー!」
デイヴィットの背後から、ひょこっとシャノンが顔を出す。
「……っ!? おい、勝手に……」
言いかけて、デイヴィットは考える。
(……待てよ。コイツ、コネ無学位がつれてきたよな……? クビになったなら――)
ニヤリとデイヴィットはほくそ笑む。
「もっと近くで見ていいぞ」
「やった!」
シャノンが魔法水晶に両手を近づける。
デイヴィットはこっそりと魔法陣を描いた。
すると、魔法水晶から一気に魔力が溢れ出した。
「わああああああああぁぁぁっ……!!!」
シャノンの悲鳴に、アインがすぐさま駆けつける。
「ま、魔力暴走ですっ! 子どもが悪戯したみたいで――」
デイヴィッドがわざとらしく慌てて言った。
「どけ」
と、アインが彼を押しのけ、魔法陣を描いた。
(限界まで暴走させたんだ。ここまで来たら収まらない。無学位の分際でこれまでオレをコキ使った報いだ!)
デイヴィットが下劣な情動を膨らませた次の瞬間、アインは《爆砕魔炎砲》にて魔法水晶を撃ち抜いた。
「は!?」
思わずデイヴィットは声を漏らす。
(魔法水晶の魔導核だけ爆破して無理矢理止めやがった!?)
「魔力暴走を起こさないのが二流、止められて三流だ」
厳しく諭すようにアインが言う。
「オマエは素人か、デイヴィット」
うつむき、デイヴィットは歯を食いしばる。
その表情は屈辱に染まっていた。
(無学位が!)
「ぱぱ」
シャノンが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「きらきら! すごかった」
と、両手の指を振り、キラキラを表現している。
魔力暴走により危機に陥ったことなど、まるで気がついていないようだ。
「帰るぞ」
と、アインは笑った。
§ § §
湖の古城。玉座の間。
「俺はこれから研究をする。大人しくしてろよ」
「あい!」
と、シャノンは元気いっぱいに返事をした。
アインは玉座の間を出て、通路を歩く。
(無職でこの先どうする? いっそ歯車大系の研究に集中するか?)
魔導工房の扉の前で立ち止まり、そこに手をあてた。
暗号魔法陣が描かれ、重たい扉が静かに開いていく。
それを待ちながら、神妙な表情でアインは思考を続けていた。
(……なしだろうな。蓄えは三ヶ月で尽き――)
「ちてきなおへや!」
ひょこっとシャノンが背後から顔を出し、工房を覗いた。
「……オマエ、大人しくしてろと言っただろ。ここは――」
「シャノン、おとなしくみれる!」
そう言いながら、シャノンは工房の中へてくてくと歩いていく。
「だめだっ!!」
突如響いたアインの怒声に、ビクッとシャノンは肩を震わせる。
「いいか、シャノン。固有工房は魔導師にとって聖域だ。無断で入れば、殺されても文句は言えん」
青い瞳にじんわりと涙が滲んだ。
「泣いてもだめだ。オマエが魔導師になったら入れてやる」
ここで甘くしては将来、本当に命を落とす可能性もある。
そう思ってアインは厳しく諭したが、「うあああぁぁぁぁぁん!!」とシャノンは泣き出してしまった。
気まずそうな表情で、アインは我が子を見つめる。泣き続ける彼女を見ている内に、罪悪感が増していく。
「………………オマエ、好きな食べ物はなんだ?」
ご機嫌をとるように、彼はそう尋ねた。
§ § §
厨房。
たっぷりのバターとメープルシロップがかけられた三段重ねのホットケーキが、テーブルにあった。
「すごいりょうり。すーぱーほっとけーきっ!」
二本のフォークを両手で握りしめながら、シャノンは涎をこぼしそうな顔でそれを見ている。
アインに怒られたことなど、すっかり頭から飛んでしまっているようだ。彼女はフォークでホットケーキを切り分け、美味しそうに頬張っていく。
「おいしな!」
その様子を見て、アインは目を細めた。
そのとき、耳にリリリリと魔音が響く。遠隔地にいる者との通話を可能にする《魔音通話》の魔法だ。
「どうした、ギー……」
『貴様、またやらかしたな!!』
アインの言葉より早く、叱責の声が耳を貫く。
「なんの話だ、ギーチェ?」
相手は魔導学院時代の悪友だ。
聖軍に勤めており、その伝手で頼み事をすることも多い。
『養子申請の手続きで役所の担当が在籍確認をしたところ、アイン・シュベルトは魔法省にいないそうだ』
「……審査はもう済んだはずだろ」
『いつものお役所仕事だ。養子申請は取り消されるぞ』
本来なら養子にする許可を出す時点で、審査はすべて終わっている。
だが、いい加減なもので、書類が揃っていれば問題ないだろうと審査を飛ばし、先に許可を出してしまう場合があるのだ。
後日、辻褄合わせのように審査を行うのだが、それに引っかかってしまったのだ。
アインは美味しそうにホットケーキを食べているシャノンを見た。
「回避するには?」
アインは立ち上がり、シャノンに聞こえないように場所を移す。
ドアを開き、厨房の外に出た。
『口利きしたのは、貴様が魔法省の魔導師だったからだ。大抵の養父より収入も体面もいい。辞めたなら話は別だ』
「大抵の養父は魔法省勤めじゃないんなら、いいだろ」
『アイン。貴様、研究とその子とどちらが大事だ? 魔法省を辞めるとき、子どものことを一瞬でも考えたか?』
その言葉に、アインは返事に詰まった。
『どうしてもというなら、養育費800万ゼラを用意しろ。それで申請も通る』
「は? そんな大金があるか」
『では諦めるんだな。孤児院の方がまだ子どものためになる。以上だ』
「ギーチェっ! おいっ!」
《魔音通話》は切断されており、アインは舌打ちした。
「ぱぱ、だいもんだい?」
シャノンがドアを僅かに開き、そこから覗いていた。
「シャノンのせい? シャノンいると、わるいことおこる」
アインの脳裏によぎるのは、彼女の涙だ。
――シャノンわるいこだから、ままいなくなった。
そう吐露した幼い泣き顔が、彼の胸を締め付ける。
「なんの問題もない。研究するから、大人しくしてろよ」
アインは魔導工房へ移動する。
机の前に立ち、そこに研究用の羊皮紙を広げた。
(800万ゼラがどうした? 要は歯車体系を完成させればいい)
羽根ペンを手にして、アインは魔法陣の線を引いていく――