魔導署名
リコルの兄、キースの述懐。
――魔法史が好きだった。
――真理に立ち向かう魔導師たちが好きだった。
――彼らは生涯をかけて、一握りの謎を解き明かす。
――一人一人の発見は小さくとも、時代を越えて、それらが集まることで
世界を豊かに変える。
――今日の暮らしは皆、かつての魔法研究の賜物だ。
――すべての魔導師に敬意を。
――魔法を使えない僕でも、彼らの偉業を称えることはできる。
――そう……思っていたんだ……
§ § §
二年前――
「……魔導署名を……?」
魔法省アンデルデズン魔法史塔にて、キースは絶望を貼り付けたような顔をした。
「規定の変更があった。魔法史論文の発表に際しては魔導署名を必須とする。魔法史学者認定試験においても今回から導入される」
役人が言った。
法衣を纏った彼も、また魔導師の一人である。
「……ですが、その、僕は魔力がなくて……魔導署名は……」
「魔導署名がないものは受理できない」
「な、なんとかなりませんかっ? 論文には自信がありますっ! 読んでさえいただければ……!!」
「キース君。魔導署名というのは指紋と同じく、一人一人異なるものだ。それはね、魔導師の魂の形なのだよ」
役人は説明する。
「魔導師の魂がない人間は嘘をつく」
キースは愕然とした。
なんの根拠もない理由だったからだ。
「……そんな理論を発表した魔導師はいません……」
「魔法史学者になってから言いたまえ。魔力無しのキース君」
§ § §
リコルの邸宅。書斎。
「魔導学院の先生や、助手の仕事をしていた魔法史研究室の室長を頼り、認定試験を受ける方法がないか探しました」
キースは淡々自らの身に起きた過去を語っていた。
「ですが、室長は僕に頭を下げて、助手をやめてくれないかと言いました」
それを聞き、アインの視線が険しくなる。
凡その事情を察したのだ。
「なぜかな?」
よくわからないといった風に、シャノンが首をかしげる。
「理由を聞いても、申し訳ないと繰り返すばかりでしたが、恐らく」
「魔導学界の圧力だろ。どでかい村社会だからな」
アインが言う。
「キースが試験を受ける年から魔導署名が必要ってのも、偶然じゃないかもな」
「ぐうぜんじゃないなら、なあに?」
シャノンが聞く。
「魔力無しでありながら、有能なキースが気に入らなかった。お偉いさんの誰かがな」
「わるいやつら! ぐるぐるにしてやる!」
シャノンが意気込み、ぐるぐると手を回してる。
隣でリコルが「ぐるぐるするとどうなるの……?」と聞いていた。
「キース。シャノンがいって、ぐるぐるにしてくる!」
それを聞き、彼は困ったように微笑んだ。
「……私も魔法史学を学ぶ一人でした。しきたりや伝統、文化を、合理的ではないという理由で壊すつもりはありません。彼らは今も私にとって」
ぐっと感情を堪えながら、キースは言う。
「敬意に値する魔導師です。ですから」
諦めたようにキースは言った。
「ただ僕に魔導師の魂がなかったことだけが、残念でなりません」
「オマエ、来週暇か?」
「……え、ええ。この時間でしたら……?」
「じゃ、つき合え。俺の研究を見せてやるよ」
含みのある笑みを覗かせ、アインはそう言った。
§ § §
ホルン鉱山。
呼び出されたアナスタシアが声を荒らげた。
「いきなり呼び出したと思ったら、高純度のプラチナラピスを採掘しろってどういうことですのっ?」
「なるべく長さがいる。10センチ以上だ」
「はあっ? 第十位階級ですわよ、第十位階! そんなに気軽に採掘できると思ってますの?」
「だから、オマエに頼んでるんだ」
そう言われると、アナスタシアは得意げな笑みを見せた。
「仕方ありませんわわね。《石姫》と呼ばれたわたくしなら、もちろん余裕ではありますけども」
「今日中な」
「はあっ!?」
「《石姫》と呼ばれたオマエでもできないのか?」
「で、できますわよっ。それぐらい、すぐにやってみせますわっ!」
ドドドドドドド、とアナスタシアが魔法での採掘を開始する。
「ついでに、高純度のブルーミスリルも頼む」
「あなた調子に……」
「《石姫》ならできる」
アナスタシアは優越感とふざけるなが鬩ぎ合うような表情をする。
「じ、児童虐待ですわーーーーーっ!!」
叫びながらも、僅かに優越感が勝ったか、アナスタシアは《削岩採掘人形》を作り出していた。
§ § §
湖の古城。
アインは魔導工房にこもり、アナスタシアが採掘した魔石とミスリルを用いて、器工魔法陣を作っている。
その表情は真剣そのもので、寝食も忘れ、彼は研究に没頭した。
§ § §
そして、約束の一週間後――
キースは目の前の建物を見上げ、半ば呆然としていた。
アンデルデズン魔法史塔である。
「行くぞ」
アインは迷わず魔法史塔の中へ入る。
「アイン、こんなところでいったいなにを……?」
彼を追いかけながらキースは戸惑った様子で聞いてくる。
「魔法史塔ですることは一つだろ。魔法史論文の提出だ」
アインは魔法陣から、数枚の羊皮紙を取り出す。
「それは……?」
「オマエの研究論文だ。アゼニア・バビロンは四つ目の基幹魔法を研究していた」
受付のカウンターに、アインはその羊皮紙を置く。
「事前申請したキース・コートリーズだ」
「魔法史学者試験の論文だね。こちらに魔導署名をして、しばらくお待ちなさい」
受付の役人は申請書を差し出した後、論文を手にして奥へ向かった。
「アイン、なにを考えて……?」
キースの目の前に、アインは万年筆を差し出した。
「これで署名しろ」
「ですが……」
「魔力がない人間にだけ不自由があるなら、それは魔法技術の敗北だ」
それは学生時代の彼が口にしたのと同じ言葉だ。
「魔法はもっと公平だぜ」
半信半疑ながらもキースは促されるままに万年筆を手にして、申請書に署名した。
書かれた文字が、うっすらと光り輝いている。
「魔導署名が魂の形とするなら、魔力のない人間に魔導師の魂はないというのが定説だった。署名できないんだからな」
アインは説明する。
「だが、歯車大系の器工魔法陣を組み込んだ、この嚙合魔導筆は、魔力を必要としない。にもかかわらず、魔導署名は使い手によって波長の違う独自の光を放つ。定説は誤りだった」
信じられないといった顔でキースは自らの魔導署名を見つめた。
「それがオマエの魂の形だ」
キースは息を飲む。
その瞳には、じわりと涙が滲んでいた。
役員が戻ってきて、申請書を魔眼で確認する。
「はい。確かに。合否は追って通達する」
申請書を手にして、役員がまた奥へ去っていく。
感極まったように、キースはその場から動けなかった。
かつて誰に頼んでも申請できなかったその書類が、あまりにも呆気なく受理されたのだ。
「論文も資料も埃をかぶっていなかった。研究を続けていた人間の工房だ」
アインは腕を回し、キースと肩を組んだ。
「魔導学界の動きは早いぜ。三日後には、アゼニア・バビロンが研究していた基幹魔法が三大系から四大系にひっくり返る。どんな気分だ?」
アインがそう尋ねるも、キースは涙をこぼすばかりで返事をすることができなかった。
§ § §
アンデルデズン魔導学院幼等部。教室。
「今日は魔法史の新説を発表した魔法史学者のキースさんに、特別に来てもらったわ」
教壇に立つセシルが、キースを紹介する。
簡単な挨拶を終えた後、キースは授業を始めた。
「アゼニア・バビロンが開発していた基幹魔法が四大系であることがわかりました。それも、四つ目の基幹魔法はこの時代にも開発されていません。謎が多いこの四つ目の基幹魔法を、仮に『十四番大系』と呼ぶことにしています」
授業をしながら、キースは学生たちの席に目を向ける。
シャノンやリコルの姿があった。
二人は嬉しそうに、授業に耳を傾けている。
キースは思う。
――魔法史が好きだった。
――真理に立ち向かう魔導師たちが好きだった。
――彼らは生涯をかけて、一握りの謎を解き明かす。
――一人一人の発見は小さくとも、時代を越えて、それらが集まることで世界を豊かに変える。
――だけど、ときに、
――偉大な魔導師は、一握りでとても大きな真理をつかむ。
『――なれるだろ』
――彼がそう言ってくれなければ、今の僕はなかった。
――彼がこの魔導具を渡してくれなかったら、僕はここに立っていなかった。
――魔法史に名を残すことのない彼の言葉を、それでも僕は刻みたい。
「ある魔導師が言いました」
生徒たちに、キースは語る。
魔法史学者として、確かな歴史を。
「魔力がない人間にだけ不自由があるなら、それは魔法技術の敗北だ」
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二章完結です!
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