魔法の練習
王都アンデルデズン。湖の古城前。
「おおぉ……!」
青い瞳を輝かせ、シャノンは感嘆の声を上げた。
目の前には湖があり、中心の島に古城が建っていた。
「おしろのいえ……!」
「安い古城を買い取った。今日からオマエの家だ」
「シャノンのいえっ? これ、ぜんぶっ?」
大きく両手を広げて、シャノンは言った。
「そうだ」
「おうさま、なれる!」
シャノンは古城へ向かって駆け出し、湖の畔でピタリと止まる。
キョロキョロと不思議そうに辺りを見渡している。あるべきはずのものがないのだ。
「橋はないぞ」
その脇を通り過ぎ、アインが湖の上を歩いていく。足は沈むことなく、水面に浮遊していた。
「シャノン、うけない……!」
「心配するな。身内は浮く」
アインがそう言うと、シャノンは湖の畔に上半身を残しながら、恐る恐るといった風に片足で水面をちょこんと突く。
水の中に足が入ってしまうことなく、魔法の力でふわりと浮かぶ。
「シャノン、うく!」
ぱっと表情を輝かせて、シャノンは水面にうつぶせになった。
まるで空を飛んでいるように、両手をピンと前に伸ばしている。
「早く来い」
城の扉を開きながら、アインが言った。
§ § §
湖の古城。エントランス。
「オレはアイン・シュベルト。オマエは今日からシャノン・シュベルトだ」
「シャノン・シャベリテ!」
シャノンが脳天気な笑顔で、堂々と間違えた。
疑うようにアインは彼女を見た。
「……。……オレの名前は?」
「ぱぱ!」
ビシィッとシャノンは得意気にアインを指さす。
「パパはアイン・シュベルト。魔法省第一魔道工房の室長です。言ってみろ」
「ぱぱはシャベル、まほうしょてんで、いちばんひつようだとおもいます!」
こいつはダメだ、といった表情でアインは引き取ったばかりの我が子を見た。
一方のシャノンは完璧に言い切ったつもりなのか、自信満々に胸を張っている。
「最初に言っておくぞ。オマエを養子にしたのは研究のためだ」
「けんきゅう?」
「うちの所長はド変人の博愛主義でな。魔力持ちの孤児を引き取って魔導師に育てろとのお達しだ。そうすれば、オレの馬鹿な研究を続けてもいいってな」
「ぱぱのけんきゅうは、ばか?」
素直にシャノンが聞く。
それが禁句だったか、途端にアインはわなわなと肩を震わせ、鬼のような形相で言った。
「……あいつらが無能すぎて理解できねえんだよ……! 言っておくがオレは天才だぞ。いや天才なんて生ぬるいもんじゃねえ。魔法史に名前を残す偉人じゃねえのっ! それが成功するかわからない? はー! わからないから研究してるんだが!」
ほえー、とシャノンは突如紛糾したアインを見上げている。
気を取り直したように、彼はしゃがみ込んで娘と視線を合わせた。
「つまり、オマエには立派な魔導師になってもらうってことだ。わかるな?」
「まじゅつしなる」
元々興味があるのか、いきなり言われたにもかかわらず、シャノンはやる気を見せる。
「魔導師だ」
と、アインは訂正した。
シャノンは疑問を両目に貼り付け、ぱちぱちと瞬きをした。
「魔術士は魔法を使うだけだろ。魔導師は魔法の産みの親、つまり研究者だ」
閃いたといったようにシャノンは表情を明るくする。
「まどうしのが、えらい」
「その偉い魔導師に必要なものがなにかわかるか?」
「かしこい?」
「そうだ。言われたことは一回で覚えろ。馬鹿な娘は不要だ」
無表情でアインは冷酷無慈悲に告げる。
「パパはアイン・シュベルト。魔法省第一魔導工房室の室長です。言ってみろ」
天真爛漫な笑みでシャノンは指を一本立てる。
「ぱぱは、すごいまどうし。おうとでいちばん」
ギロリ、とアインは鋭い視線を飛ばし、右手を上げる。
そのまま右手を前へ出し――そしてシャノンの頭を撫でた。
「よし。わかってるな。それが一番大事なことだ」
§ § §
エントランスを通り過ぎ、アインは廊下を歩いていた。
その後ろをシャノンがついていく。
「中を案内する。オマエの部屋を選べ」
まずアインは書斎にシャノンを案内した。
古い蔵書が本棚にぎっしりと詰まっている。
木造の机と椅子があった。
「ここが書斎」
本は好きに読んでいいことなどを説明した後、アインはまた別の部屋に移動した。
金の刺繍が入った絨毯が敷かれている。
数脚のソファとローテーブルがあり、天井にはシャンデリアが備えつけられていた。
「応接間だ」
一通りシャノンに部屋の中を見せた後、再び移動する。
様々な部屋をアインは案内していくが、シャノンは楽しそうに見物するばかりで、自室を決める気配はない。
やがてやってきたのは、だだっ広い一室である。
天井が高く、一〇〇名は入れそうだ。
テーブルクロスのかかった丸いテーブルがいくつも置いてあった。
「バンケットルーム」
シャノンは楽しそうに走り回っていた。
「まだ決まらないのか?」
「あっちは?」
シャノンは廊下の奥の方にある扉を指さした。
「ああ」
アインが歩き出す。
二人がやってきたのは、城の中でも一際は豪奢な造りの一室だ。
縦長の部屋の向こう側には、荘厳な玉座があった。
「玉座の間だ」
「かっこいいイス!」
駆け出したシャノンは、嬉しそうに玉座に座った。
そのときだ。
『触るな』
おどろおどろしい声とともに、シャノンの首筋になにかが触れる。
彼女は震え上がって玉座から立ち上がり、逃げるように走ってアインに抱きついた。
「へんなこえした!」
「変な声じゃない」
玉座の後ろに現れた不気味な幽霊を見ながら、彼は平然と言ってのけた。
「低級ゴーストだ」
シャノンはがたがたと肩を震わせる。
「心配いらん。古い城にはつきものだ。うちは魔法研究をやってるからな」
アインはそう説明したが、シャノンは大きく口を開き、怯えきった目で低級ゴーストを見つめている。
「害はないぞ。触ってみろ」
低級ゴーストは人間に悪影響を与えるほどの力はない。
せいぜい触れたり、呻いたりして、驚かすのがいいところである。
だが、小さな子どもにとって怖いものは怖い。
シャノンは震えながら、アインの手にぎゅっとしがみつくばかりだ。
彼はため息をつく。
そして、低級ゴーストに掌を向けた。
「《浄化》」
放射された光に包まれ、低級ゴーストが消え去った。
「浄化したぞ。これで問題ないだろ?」
シャノンはアインにくっついたまま離れようとしない。
アインは困惑した表情を見せる。
(なぜ離れん?)
と、彼は疑問に思った。
(まあ、確かにまた出ることも……)
そう考え、彼はニッと笑った。
「よし。オマエ、魔法を使ってみるか?」
僅かにシャノンは顔を上げ、上目遣いでアインを見た。
「《浄化》が使えれば、もう怖くないだろ」
すると、シャノンは期待半分、不安半分といった風に聞いた。
「……シャノン、できるかな?」
「簡単だ」
「…………」
シャノンは不安そうにしながらもきゅっと唇を引き結び、
「やる」
と、彼女は答えた。