対術距離
魔術士が戦士と戦うとき、間合いが近づくほど勝率が下がる。
戦士の対魔法装備である封剣は、魔力を断つ。
接近するほど魔法陣や魔法線を斬りやすくなり、魔法を無力化できる。
三メートル以内。
剣を抜いた一級戦士が、魔術士の力量を問わず完封できる。
この必勝の間合いを、対術距離という。
「対術距離が間違っていることを証明するですって?」
ため息交じりにリズエッタが言う。
呆れた様子が言外に伝わってきた。
「そうだ」
まるで空気を読まず、アインは断定した。
「待て。面倒なことは」
ギーチェが最後まで言い切る前に、アインが手で制する。
「大丈夫だ。証明に時間はかからない」
(そういう意味じゃない……!)
ギーチェは渋い表情を浮かべるしかない。
「そんな必要はありません。ですよね、学長」
リズエッタが言うと、呆然としていたジェロニモが慌ててうなずいた。
「う、うむ。まあ、これは面接試験であるからして、それ以上のことは……」
アインはそしらぬ顔で魔法陣を描く。
それは歯車大系のものだ。
(あれは……?)
それまで事態を静観していた六智聖、アウグストがはっとしたようにアインの手元に視線を向けていた。
アインはすぐに魔法陣を消す。
すると、
「面白そうだね。やってみてもらおうか」
「え……?」
アウグストが言うと、驚いたようにリズエッタが振り向いた。
「何事もチャレンジをしてみるというのが、当校の校風でね。ですよね、学長」
「え、あ……う、うむ。その通り。では、やってみてくれますかな?」
一瞬戸惑いを見せたものの、アウグストの言葉に流されるようにジェロニモは同意を示す。
「ディアス」
「承知しました」
アウグストが呼ぶと、ディアスは学長室の中央へ歩み出る。
アインも歩を進ませ、彼と対峙した。
「はじめに断っておきますが」
ディアスの手元がブレる。
次の瞬間にはアインの首筋に剣先が突きつけられていた。まさに目にも止まらぬ早業である。常人には抜き手すら見えなかっただろう。
「我々《鉄》は一級戦士より上です。対術距離でしたら、魔術士が三人いようと一人で制圧できます」
「……少し待て」
ディアスの言葉を聞き、アインが待ったをかける。
リズエッタが呆れてため息をついた。
「やめておきましょうか? 対術距離は各国の魔術兵団や騎士団で実践されている理論です」
彼女がそう助け舟を出す。
だがアインはまるで聞いておらず、魔法陣から取り出した羊皮紙になにやら書き込み始めた。
自ら組み立てた対術距離の理論に、魔術士三人を一人で制圧する戦士という条件を追加し、再構築しているようだった。
リズエッタやディアスはその様子を呆気にとられながら見ている。
ただ一人、アウグストだけが興味深そうに笑っていた。
「大丈夫だ」
答えが出たか、アインはさらりと言い放つ。
「手加減はいらん。証明には影響しない」
挑発するような台詞だったが、アインはただ心の底からそう思っているだけである。
それがディアスの心に火をつけたか、彼の目が据わった。
「合図は?」
短くディアスが問う。
「では、正式な手法に則り、コインで」
アウグストがコインを取り出す。
ディアスが静かに封剣を構えた。
アインは直立したままだ。
アウグストはコインを指で弾く。ゆっくりと回転しながら、それは天井近くにまで達した。
(対術距離の正しさに疑いの余地はありません)
宙に舞うコインを見つめながら、リズエッタはそう思考する。
魔術士が戦士に対して有利がとれるのは、剣で捌ききれない多角的な攻撃か、大出力の攻撃、肉体強化などができるからだ。
だが、どれだけ多角的でも、魔法を放つ魔法陣は必ず術者と魔法線でつながっている。
魔術士に接近した戦士ならば、それを封剣で切断し、魔法の発動を阻止できる。
大出力の魔法攻撃や肉体強化にはそれだけ時間を要する。
3メートルの距離では熟練した魔術士でも、剣の速度には敵わない。
必然的に魔術士は最速の第一位階魔法で戦うことになる。
だが、一級戦士の剣速はその二倍。理論上、魔術師が一回魔法を放っている間に、二回剣を振れる。
魔法を放つ前に魔法陣を斬り裂き、なおかつ魔術士を斬ることができるのだ。
なにより、実際に一級戦士試験では、この対術距離で一級魔術士の一〇〇人抜きを行うことが合格の条件とされる。
ましてや《鉄》の戦士はそれ以上だ。
(アイン・シュベルトに勝ち目はない)
リズエッタがそう確信してやまない中、コインが地面に落ちた。
目にも止まらぬ速度で前へ踏み込んだディアスは、アインの動きを視界に収める。
彼は魔法陣を展開しようとしていた。
(第八位階以上の魔法陣? そんな遅い魔法を)
ディアスの封剣が未完成の魔法陣に向かって降り下ろされる。
だが、その剣は途中で曲がり、狙いを外した。
(なにっ……!?)
即座にディアスは二太刀目を振るう。
(なにが起こった……!?)
閃光の如く封剣が一閃される。
だが、それより速く、アインが放った魔法の弾丸が剣を持つディアスの右手を撃った。
貫通こそしないものの、その勢いに押され、剣の軌道が変わる。またしても、その一撃は魔法陣を空ぶった。
(なぜだ? 魔法が剣よりも――)
ディアスが三太刀目を振るおうとする。
直後、彼は胸に魔法の弾丸を受け、のけぞってしまう。
(速い……!?)
足を踏ん張り、奥歯を噛む。
(だが、軽い。力づくで押し切れば――)
体ごと突進しようとしたディアスは、大きく目を見開く。
目の前には巨大な歯車の魔法陣が完成していた。
「《第十一位階歯車魔導連結」
口にしただけで、魔法は発動していない。
その代わりに、アインはディアスの額を指先で突いた。
「証明は以上だ」
すると、ディアスは息を吐き、剣を下ろす。
決着がついたのだ。
「そんな……!?」
驚愕の表情でリズエッタが思わず声を上げる。
ジェロニモ、そしてアウグストもアインの勝利に驚きを隠せないでいた。
「あり得ません。コインが落ちる前から魔法を使っていたのではないですか? それか、魔導具を隠し持っていたとか」
詰問口調でリズエッタが言う。
目の前で起きたことが信じられないといった様子だ。
「なにも不正はなかったよ」
黒眼鏡から、僅かにアウグストの魔眼が覗く。
透き通る宝石のような輝きが、強い魔力を表していた。
六智聖にそう言われては、リズエッタもそれ以上疑いをかけることはできないだろう。
「お尋ねしてもいいでしょうか?」
ディアスが問う。
「どのようにして私の剣を防がれたのですか?」
「最速の魔法より、最速の剣が速い。これが対術距離を成立させる前提だ」
アインは説明する。
「第一位階魔法の発動速度には限界があり、これより速い魔法は理論上存在しない。一週間前まではな」
すると、ディアスははっとする。
一週間前、これまでの魔法のルールを変える大事件が起きた。
歴史上、これまでに一二回起きたことだ。
だが、歴史書で学んだことはあっても、この時代の人々が体験するのは初めてのことである。
「……歯車大系……!?」
「正解だ。噛み合わせた歯車は形により回転速度と力を交換できる。歯車大系の魔法陣はその特性から、発動速度と魔力の変換ができる」
魔力を減らして発動速度を速くしたり、発動速度を遅くして魔力を増やすことができるのだ。
「それにより、実現したのが第零位階魔法《零砲》。威力は正直まるでないが」
ゆるりとアインは手のひらをディアスに向ける。
彼が身構えた瞬間、その髪が《零砲》の弾丸に撃ち抜かれた。
(速い……!? 魔法が来るのがわかっていたのに、反応すらできなかった)
ディアスは内心で舌を巻く。
《鉄》の彼が魔法に反応すらできないのは、初めての経験であった。
「第零位階魔法……そんな新魔法を無学位がどこで……?」
「驚くことではないね」
困惑するリズエッタに、アウグストが言った。
「これまでの歴史が示すように、基幹魔法が開発されれば、同時にその特性に不随した基礎魔法は簡単に開発できる」
納得がいったというようにアウグストは微笑む。
「基幹魔法の開発者ならね」
「え……!?」
「それでは、アインさんが……」
リズエッタとジェロニモがアインを振り向いた。
「歯車大系の開発者は学界で公表されていない。つまり、無学位だ。こんな偶然もないだろう」
アウグストが立ち上がり、歩いてくる。
そうして、アインに握手を求めた。
「お会いできて光栄だよ。どうして学位をとらなかったんだい?」
「総魔大臣が気に入らなくてな」
「なるほど。まあ、彼はね。ありそうな話だ」
アインはアウグストと握手をかわす。
「面接は以上だよ。ですよね、学長」
「う、うむ。そうですな。どうも、ご苦労様でした」
「では、失礼します」
アインがそう口にすると、ギーチェも立ち上がり頭を下げる。
「しつれーしまする!」
シャノンが元気よくいって、ぺこりと頭を下げた。
「アイン・シュベルト殿」
アインが立ち止まり、振り返る。
ジェロニモは言った。
「大事なお嬢様の学び舎に、当校を選んでいただき、感謝を申し上げます」
そう口にして、彼は頭を下げたのだった。
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