魔法史に載らない偉人
メリルの邸宅。リビング。
置かれていた観葉植物をシャノンは物珍しそうにつついている。
「数日後に役所の担当が審査に来るが形式的なものだ。規則では、一週間の仮同居の後に、里親側に異論がなければ養子縁組が成立する。いいんだな?」
ギーチェが含みを持たせて言う。
「問題ない。あー……と、メリルさん」
アインが老婦人に話しかける。
「シャノンは感情的で、理路整然としていない部分が多々ありますが、嘘はつきません。やるなと言ったことをやりますが、挑戦する気概がある。すぐ疲れて歩かなくなるんですが、体重は軽いのでどうにか。泣き虫ですが、しばらく立てばケロッとしてます。それから……」
「それぐらいにしておけ。きりがない」
ギーチェが呆れたように言う。
「いいのよ。それから?」
アインはこれだけは言わなければといった風に切り出した。
「一級魔導師以上の魔力があります。魔法が好きで、魔導師にも憧れている。才能がある!」
アインは拳を握り、そう力説する。
「できれば、幼等部から魔導学院を視野に」
「約束するわ」
と、メリルは笑顔で答えた。
「あと、ホットケーキが好きです。たまに焼いてあげてください。できれば、三段」
「三段ね、わかったわ。他には?」
アインは僅かに考え、そして頭を下げた。
「以上で、問題ありません。面倒をかける奴ですが、よろしくお願いします」
室内を物珍しそうに見物しているシャノンに、アインは視線を向ける。
「シャノン」
彼女は振り向く。
「じゃあな。いい魔導師になれよ」
「あい!」
魔導師のポーズをとり、シャノンは笑顔で返事をした。
§ § §
メリルの邸宅。廊下。
閉めたドアに背を向け、アインは考える。
(ふう。うちにいたときより素直だ。念願の母親だからな。一週間の仮同居はあるがメリルさんの感触もよさそうだ。他を探す必要はないだろう)
もう役目は済んだ。帰るだけだ。
だが、なぜか、アインは胸のつかえがとれないような気がしていた。
奇妙な感覚を振り切り、そのまま帰ろうとすると、ドアの向こうから声が聞こえた。
「――どうしたの、シャノンちゃん?」
アインは立ち止まり、振り返る。
そして、静かにドアを開けて、僅かな隙間から中を覗く。
シャノンは食卓についている。
出された皿には、美味しそうなマフィンが並んでいた。
彼女は唇を引き結び、それをじっと睨んでいる。
「食べていいのよ? 今朝ね、シャノンちゃんが来るから、はりきって焼いておいたの」
「シャノン、たべないっ!」
これまで大人しくしていたシャノンが、ツンとした顔で横を向いてそう言い放った。
(馬鹿者、オレの苦労を台無しに……)
「ひえたほっとけーきはきらいっ。ざんぱんだよっ」
その言葉に、アインは僅かに目を見開く。
「……大丈夫よ。これはホットケーキじゃなくて……」
「やあっ、じごくいくぅっ」
メリルがマフィンの皿を差し出すと、シャノンが怯えたように体を捻った。その表紙に手が更に当たり、マフィンが床に落ちる。
シャノンは悲しげな顔をした。
メリルはそっと床にしゃがみ込む。
彼女は笑顔で言った。
「あらあら、落ちちゃった。ねえ、シャノンちゃん、一緒にお片付け手伝ってくれるかしら?」
「めんどくさいからだめっ」
シャノンがそう言い放つと、メリルは驚いたような表情になった。
「でも、シャノンちゃんが手伝ってくれるとすごく助かるのよ。わたしも嬉しくなっちゃうわ」
すると、シャノンはうつむく。
見れば、泣き出しそうな顔だった。
それにはっと気がつき、メリルは彼女のそばへ行く。
「ごめんね。怒ってるわけじゃないのよ。どうしてだめなのか、わたしに教えてくれる?」
「……だって……」
ぐす、とシャノンはべそをかく。
「……ままは、とおくにいっちゃった。シャノンはいらないこなの。いつもじゃまだっていってた……」
実の母親のことを言っているのだろう。
悲しそうに彼女は訴える。
「でもね、いいこにしてたら、ぱぱがむかえにくるって、こじいんのせんせがいったよ。ほんとにきたよ! はなびをみせてくれたの!」
シャノンは、アインが迎えに来てくれたことを思い出しながら言った。
「けんきゅうおわったら、ぱぱむかえにくる。だって、ぱぱね、おてがらだっていったよ。いらないこじゃなくなったの」
なにも知らない無垢な笑みを見せながら、彼女は父親を信じ切って言うのだ。
「シャノン、いいこでまってる。ぱぱとやくそくした」
なんのてらいもない言葉を耳にして、アインは過去を思い出していた。
――残飯を食べるような子は、うちの子じゃない。
――オレの子なら、面倒くさいことを楽にする方法を考えろ。
――いいか、挨拶はしっかりしろ。それから、いい子にするんだ。約束できるな?
(ずっと、オレの言いつけを守ってたのか。オレが迎えに来ることを疑いもせずに)
「パパの研究はいつ終わるの?」
メリルが優しく聞く。
「えっとね、なんびゃくねんかかるかわからないっていってた」
嬉しそうにシャノンが言った。
「……それ、意味は知ってるの?」
メリルが不思議そうに聞く。
すると、シャノンは満面の笑みを浮かべた。
その言葉にアインは、息を呑む。
「ぱぱは、まほうしにのらないいじん! すぐおわる!」
気がつけば、いてもたってもいられなくなって、アインはその手をドアのノブに伸ばしていた。
バタン、とドアが開く。
二人が振り向けば、アインがそこにいた。
「ぱぱだ! もうおわった!」
嬉しそうにシャノンが駆け寄っていき、アインの足にしがみついた。彼は娘の頭をそっと撫でると、メリルの前に出て、深く頭を下げた。
「今更ですが……オレの魔法の権利を譲るので……」
「いいのよ」
アインが頭を上げると、優しくメリルは微笑んだ。
「なんだかね、最初にお話しした日から、こうなるんじゃないかなって思ってたわ」
驚いたようにアインが目を丸くする。
「だって、あなた、ずっとあの子の心配ばかりしていたんだもの」
驚いたように目を丸くした後、アインは改めて頭を下げたのだった。
§ § §
メリルの邸宅前。
「また遊びに来てね」
手を振るメリルとギーチェ。シャノンは大きく手を振り返し、「いーくー」と声を上げている。
庭園を帰っていきながら、ふとアインは疑問を口にした。
「なあ。オマエ、ゲズワーズに閉じ込められたとき、怖くなかったか?」
シャノンはすぐに、ゲズワーズポーズをとった。
「ゲズワーズかっこいいから、なみだでたよ!」
ゲゲゲゲー、とシャノンは楽しげに言う。
ポン、とアインは娘の頭を撫でる。
晴れやかな顔で彼は言った。
「さすがオレの子だ」
そうして、魔導師の親子は笑顔を浮かべながら、長い帰路についたのだった。
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