無学位の天才魔導師
新連載を始めます。よろしくお願いします。
鐘の音が鳴り響いている。
(――あくまのこえが、きこえるよ)
孤児院の一室で幼い少女が一人、怯えた瞳で虚空を見つめていた。
その青い目が、異様な輝きを放っている。
(――いつもわるいことがおこるの)
『防衛塔より全王都民へ。王都上空に魔導流星が出現。ただちに防衛エリアに避難せよ!』
外からは聖軍による避難指示が響いている。
巨大な隕石――魔導流星が迫っているのだ。
彼女はただ震えていた。
(――すごくこわくて、なみだがでる。だけど)
少女は窓の外を見上げる。
魔導流星が突っ込んできていた。
(いいこにしてれば、ぱぱがむかえにきてくれる。ずっと、そうしんじてた――)
§ § §
王都アンデルデズン。
鐘の音が鳴り響いている。警鐘だ。
城壁に囲まれた大都市に、魔導流星が降り注いでいた。
王都にそびえる巨大な塔――聖軍都市防衛塔から砲門のような三つの立体魔法陣が形成されている。
「迎撃術式展開完了」
魔法陣の砲塔から炎弾を放つ《爆砕魔炎砲》にて、魔導流星を撃ち抜き、粉々に砕く予定であった。
「でか。無理だろ」
落ちてくる巨大な魔導流星を眺めながら、その魔導師は言った。
長身で真っ白な法衣を纏い、古い木の杖を手にしている。銀の髪と金色の瞳。少年に見まがうほどに、その顔はあどけない。だが、歳は二〇をすぎている。
男の名はアイン・シュベルト。
一級魔導師である。
§ § §
聖軍都市防衛塔。
室内には、遠見の大鏡が円を描くように敷き詰められている。鏡には王都の各区域の様子や、今まさに迫り来る巨大な魔導流星が鮮明に映し出されていた。
「全砲撃着弾」
「魔導流星アンスズ健在。でかすぎます!」
魔導流星を撃ち落とさんとする魔導師たちの声が飛び交う。
「誘導術式開始」
「だめです! 効きません!」
「魔法結界第四層突破!」
「防護エリアの結界強度を上げろ!」
「しかし、着弾エリアが手薄に!」
「避難警鐘は鳴らした! 人はおらん!」
隊長の決断に、魔導師たちは息を呑む。
魔導流星が落ちるエリアは捨てて、他の結界を強めようというのだ。
そして、それは彼らが取れる最も効率的な選択だった。
§ § §
王立ハインズ孤児院。
五、六歳ほどの女の子が、ぼんやりと床に座り込んでいる。
混乱で大人の目が行き届かなかったか、彼女は事態を把握していないようだ。
風を切り裂くような轟音が鳴り響き、窓の外が光った。
彼女は窓越しに空を見上げる。
その瞳には、今まさに落ちてくる魔導流星が映っていた。
直後、無慈悲にも魔導流星が孤児院に突っ込み、爆砕した建物の破片が四方へ吹っ飛んでいく。
だが、寸前でピタリと止まった。
「《相対時間停止》」
そこに現れたのは、アイン・シュベルトである。
「魔道災害はうちの管轄じゃないぞ。魔法省じゃ人命救助のマナは経費にならないってのに」
軽く舌打ちし、彼はぼやく。
そのまま平然と歩を進め、空中に停止した破片の脇を通り過ぎていく。
展開された立体魔法陣は、孤児院の敷地一帯を球形に包み込んでいた。
爆砕した建物の破片はどれも不自然に宙に止まっており、揺らめく炎や噴煙もまるで固体のように停止していた。
アインは法衣から写真を撮り出す。
そこには小さな女の子が映っていた。
「しかし警鐘鳴ってて逃げ遅れるか? 馬鹿じゃなきゃいいんだがな」
時が止まった空間の中、爆砕した孤児院の中心へ彼は赴く。
辿り着いたのは魔導流星が大穴を開けた部屋。
その床にへたり込んだ小さな女の子がいた。
「シャノンだな?」
アインが名を呼ぶ。
すると、静かに彼女は顔を上げ、まん丸の青い瞳を向けてきた。薄桃色の長い髪がふわりと揺れる。
「迎えに来た。今日からオレが父親だ。孤児院の許可は下りている」
シャノンは目を丸くする。
じわり、とその瞳に涙が滲み、ぽたぽたと床にこぼれ落ちた。
「なぜ泣く? もう心配がないことは自明だろう」
そうアインが言ったが、シャノンはますます泣いた。
(……なぜ泣く? これだから子どもは……)
解せないといった表情を浮かべ、アインはひとしきり考える。シャノンが泣き止む気配はない。彼はしゃがみ込んだ。
「花火は好きか?」
すると、シャノンは涙を拭いながら、アインの顔を見返した。
「はなび……?」
ニヤリと笑い、アインは彼女をひょいと持ち上げた。停止している魔導流星に彼は杖を向ける。
「《相対時間遡行》」
杖で時計型の魔法陣を二つ描けば、秒針が逆時計回りに進んでいく。
すると、地面にめり込んでいた魔導流星が浮かび上がり、四散した孤児院の破片が戻ってくる。
まるで孤児院と魔導流星の時間だけを逆再生するかのようにみるみる建物は修復され、魔導流星は遙か上空で停止した。
「そら」
魔導流星が光と化して四散する。
夜の空に、光の大瀑布のような鮮やかな花火が咲いた。
「たーまやー」
アインに抱えられながら、それを窓越しに見上げているシャノンの青い瞳がキラキラと輝く。
さっきまでの涙など吹き飛んでしまったかのように彼女は満面の笑みでそれを眺めていた。
§ § §
「もいっかいっ!」
地面に下ろされたシャノンは瞳を爛々とさせながら、ねだってくる。
「魔導流星を原料にした花火だ。もう一回と言われてもな」
アインが冷静に説明する。
「げんりょーいる?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、彼女が聞く。
「そうだ」
「まどーりゅうせいくればいい?」
「あれは災害だ。原因も、いつ来るかも不明だ」
「シャノン、しってる。あくまの……!」
はっとしたようにシャノンは自分の口を手で押さえる。
「なんだ?」
(あくまのことしったら、おむかえなしになる。でも、はなびみたい!)
アインが訝しむ。
シャノンは考え、はっと思いついた。
そして、アインにピースをしてみせるのだ。
「シャノン、げんりょーになる!」
「死ぬぞ」
「だいじょうぶ。シャノン、がまんつおい」
そう言いながら、シャノンは両拳を握って胸を張る。
「オマエが花火になったら、誰が見るんだ?」
ようやく気がついたか、彼女はがっかりしたような表情を浮かべた。
「……はなび、できない?」
気落ちするシャノンを見て、アインは僅かに怯んでいた。
「まあ……魔導流星はいくつか王都に落ちた。それを使えば――」
そこで言葉を切り、アインは視線を鋭くする。
足音が聞こえた。
続いて、大きく声が響く。
「孤児院内の魔術士へ告ぐ。こちらは王都アンデルデズン聖軍都市防衛隊。魔法禁止区域での魔法行使を確認した。ただちに退去し、魔法証書を開示せよ!」
「待っていろ」
そうシャノンに言うと、アインは孤児院の外へ出た。
弧を描くように都市防衛隊の魔術士が並んでいる。アインを警戒していた。
「こちらは魔法省だ。逃げ遅れた子どもがいたため保護した」
アインはそう口にすると、空中に指先で文字を描く。
魔法で羊皮紙が具現化すると、歩み出た都市防衛隊の魔術士に手渡した。魔術士の魔眼が光り、その魔法証書を確認している。
「失礼しました。一級魔導師、アイン・シュベルト殿。ご協力、感謝します」
警戒が解けたか、魔術士たちの魔法障壁が解除される。
アインが孤児院の入り口を振り向くと、シャノンが覗き込んでいた。
彼女は花火を見たとき以上に、目をキラキラと輝かせていた。
(いっきゅうまどうし、ちてき!!)
どうやら魔導師に憧れを持っているようだ。
「来い。孤児院よりはまともな暮らしを保証する」
アインがそう言うと、シャノンは慌てたように駆けてきて嬉しそうに彼の脚にくっついた。
意味がわからず、アインは怪訝そうな表情を浮かべる。
「アイン殿、失礼ですが、その子をどちらへ?」
不思議に思った都市防衛隊の魔術士が、そんなことを尋ねてきた。
「今日付でオレが引き取った。許可は出ている」
アインは再び空中に文字を書き、羊皮紙を具現化した。貴族院伯爵のサインがある。孤児院の子どもを無審査で養子にできる特別な許可証だ。
「確かに」
アインは歩き出そうとする。
だが、シャノンは足にしがみついたままだ。
「おい。自分で歩けないのか?」
「あーるーけーなーいー」
そう言いながら、シャノンはアインの足にくっついている。
「あれ? これ変じゃないか?」
魔術士の一人が、さきほど受け取ったアインの魔法証書と許可証を指さして言う。
「ほら、学位が空欄だ」
「取れなかったんだろう。その場合はそうなる」
「あの腕で? 魔導師だぞ」
「そもそも学位がなきゃ、魔法研究なんてうまくいきっこない」
アインに気がつき、魔術士は慌てて口を噤む。
すると、もう一人の魔術士は俯き、思い出すように言った。
「……前にうちの隊長が言っていた。無学位の天才魔導師が魔法省にいると」
去っていくアインに、彼らは視線を向けたのだった。