阿蘭陀商人お味噌汁恋物語
ハンスは鍋に火をかけ蓋をした。気分転換に厨房の窓を開けると、冬の冷たい空気は老齢のわりに背筋が伸びた彼でさえも体を丸めるほどであった。
廊下から足音がして、金髪の少女が顔を覗かせた。
「アンナ、どうしたんだい」
ハンスは窓を閉め、10歳になる孫娘を抱き寄せてガラス細工を扱うような丁寧さで頭を撫でてやる。
「おじいさまが外国でお仕事していた頃のお話をまた聞きたいの。この前は東の端にある島国に向かうところで終わってしまったわ」
少女は小鳥が鳴くような愛らしい声で答え、子猫のような好奇心でハンスを見上げる。
鍋が温まるまでならとハンスは回想する。
私は30代の頃に貿易会社の商館長として日本という東洋の島国で働いていた。日本は幕府が国を治めていた。幕府は外国と自由に交流できない決まりをつくり、我々のような外国人は長崎の出島という場所でしか活動ができなかった。日中は積み荷の売買や日本のことを調べ、夜は館で過ごすか遊郭という華やかな場所へ遊びに行っていた。
そこで出会ったのが玉紀だった。元々は貧しい家の生まれだが、賢く気が利く女性だ。私は玉紀が気に入り、何度も会って贈り物を渡していた。玉紀も私たちの文化に興味を持ち言葉を覚えようとした。次第に私たちは恋に落ちていた。
ある寒い日のことだ。異国暮らしの寂しさや仕事の疲れが蓄積したのだろう、私はあまり食事に口をつけていなかった。玉紀は私の様子を察して豆腐と季節の野菜を使った味噌汁を作らせて飲ませてくれた。あの時の体の内側から温まる感覚は今でも忘れない。玉紀との日々は私の癒しだった。
だが、二人の関係は長くは続かなかった。私が日本を離れる日が来たのだ。彼女を連れていくわけにもいかない。せめて日本での日々を忘れぬように、彼女の肖像画を描かせて味噌汁の作り方も教えてもらった。
再び日本に行く機会があると期待したが叶わなかった。酷く落胆したが、本国で日本の調味料を扱う商売を始めて成功した。今の恵まれた生活があるのも玉紀との出会いのおかげだ。
ぐつぐつと鍋の煮える音がした。ハンスは鍋蓋をはずし手慣れた手つきでスープに味噌を溶かしていく。
「さぁ飲みなさい。今日は冷える」
アンナが椀に口をつけると喉から胸に温かさが染み込む。アンナには恋がまだよくわからない。でも。祖父の思い出が詰まったこのお味噌汁の風味は好きだと思う。
2人はお味噌汁を一口すすり同時に白い息を吐きだした。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
「お味噌汁」というお題で江戸時代のオランダ商人と遊女の恋物語になるとは自分でも驚きです。
説明口調が多くなったという反省とハンスと玉紀のエピソードはもう少し書きたかったという思いです。
大賞締め切りまでにもう少し投稿できるように頑張ります。
感想をいただけると嬉しいです。