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しかし、ピースは今だに歪んだままだった。
いや、それもまた言い訳だ。俺は小説を書くことが怖くなっていたのだ。
俺は先日やった試みを心底後悔していた。もしクロガネセブン本来の性格で続きを書い
たらどうなるか、というアレだ。
あの実験で実証されたのは、俺が調子のいい時の筆の速さだけではない。俺が心底楽し
んで書いたものは客観的に見てどう考えても駄作だということだ。
俺は自分の感性を信じられなくなっている。これから頑張って、読者が楽しむためのも
のを自分なりに書いたとして、それが読者にとって本当に面白いものになるか一欠片の自
信もない。
ただ、やらなければ、という気持ちだけが先走っている。とにかく筆だけは進めたのだ
が。
何を書いたところで面白くなっている気がしなかった。
いや、しかしそもそも。
クロガネセブン登場編にものいいがついた時から俺の感性のズレには疑問符が付いてい
る。
あるいはもっと前から。
俺の完成はズレている。俺はゲテモノ食いだ。俺は未熟だ。
そんなヤツが、小手先でちょいちょいと弄ったところで。
本当に面白くなったりするものだろうか。
アレな小説が多少マシになる程度のものではないのか。
努めてそんな考えを振り払い、小説に集中する。
しかし、一度纏いついた疑いから、恐怖から抜け出すことは出来ない。
また書いては消しのどうどう巡りが始まった。同じ所をぐるぐる回っている内に、俺は
恐怖に完全に追いつかれてしまう。
それでも暫くは書いていたが。次第次第に手指の震えが抑えられなくなった。
そうして、また、書けなくなった。自分でも情なかったが、どうしていいかわからなかった。
「もう、もういいじゃないですか! 頑張ったろ? 俺。もう充分だろ?」
革命剣姫R・Dさんの表情は変わらない。何も感情が浮かんでこないのではない。無理
に押し殺しているのだと、解った。
「それは、本心からの言葉ですか?」
「本心だよ。だって。どうしようもないじゃないですか。書けないんだから。仕方ないじ
ゃないですか!」
「ここで辞めたら期待してくれたみんなを裏切ることになるんですよ」
「そうなるけど。いつものことですよ。やっぱりこうなったねって、それだけの話です
よ」
「愛恵に言ったの、あれは嘘? いつか海岸でしてくれた話は?」
「あの時は嘘じゃなかったけど……今は状況変わってるんですよ……」
俺はロッキーじゃない。ヒーローにもなれない。
「みんなだけじゃない。努力してきたあなた自身も……」
「クズがクズを裏切る。それだけの話です」
よくある話だ。そこらじゅうあちこちに転がっている。取り立てて言う程のことなど。
どこにも。なんにもありはしない。
「今更言うまでもないことかもしれませんが」
表情は変わらない。声にも震えひとつない。
だが、俺には彼女が感情を押し殺しているのがわかった。
「私は文字通りの意味であなたの一部です。私はどんなことがあっても決してあなたを見
捨てることはありません。しかし、あなたがそれに甘えて、このまま情けないことをうだ
うだうだうだ言うようであれば荒療治を行うことはできます」
「好きにおしや」
投げやりに俺は言った。
何を言われようが、何をされようが、書ける気はしなかった。
出て来ないものは出て来ない。
しかし、どこかで期待してもいた。してはいけない、と思いながらも、期待していた。
「どうせ。どうせ、俺は……」
俺の拗ねた台詞は最後まで言わせてはもらえなかった。
「解りました」
彼女は鋭く、短く言った。
そして、それは、確かに別れの始まりだった。
彼女は、ドアをノックし、それを合図に一人の男が部屋に入ってきた。
くたびれた衣服を纏った男。
「うわ」
暗い目をした男だった。
「うわ、うわ」
その暗い目が俺を捉える。
「うわあああああああ!」
俺は叫び声を上げて、飛び上がり、駈け出した。椅子やテーブルを蹴倒して、窓を飛び
出し、落ちる恐怖も忘れてベランダやパイプを伝って、階下に降りた。まさしく火事場の
バカぢからというほかない。
男への恐怖が、高所から滑り落ちる恐怖に勝ったのだ。
俺はぜえぜえと粗い息を上げながら、財布がポケットにあることを確かめる。よろよろ
と自販機に歩み寄り、適当なジュースを買った。
もどかしくキャップを開け口に含む。乾いた口内に水気が戻る。間違いない。あれは。あの男は、玄金十三だ。またの名をクロガネザサード。最終章―
―これから俺が書く予定の――に登場する筈の最後の総力勇者だった。
俺は小説家を志して長い。長編を書きあげたことこそなかったが、そこそこ沢山小説を
書いてきた。中編短編なら百近く。書きそこないの長編を合わせれば百を超すくらいか。
その中で登場人物を随分ひどい目にあわせてきたし、死なせてきた人間も山と居る。な
んなら死ぬより惨めな目に会った奴らもいくらでも居る。惨憺たるものだ。
その連中のどいつに会っても俺はすまなかったと言える。必然性があった。許してく
れ。と言える。
その中で唯一。たった一人。謝罪すら許されない男が居る。文字通りの意味で会わせる
顔の無い男が。
それが、クロガネザサードだった。
この物語の冒頭部で、俺は革命剣姫R・Dさんをヒロインとした中編小説に俺ではない
主人公を立てたと言った。
それが彼だ。クロガネザサード、玄金十三だ。
俺は彼から革命剣姫R・Dさんを奪った。理不尽に奪ったのだ。