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序
何を以って人を大人と呼ぶのだろうか。
何が大人と子どもを分かつのだろう。
種々雑多の基準があろう。
しかし、俺が思う指標はただの一つだ。
路傍にうち捨てられたエロ本を見て心が躍るか、否か――
その一点に尽きる。
それだけ、なのだ――
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第 1 話
激しく貧乏揺すりをしながら俺は日付が変わるのを待っていた。パソコンのディスプレ
イには何度更新を繰り返したかわからない画面が表示されている。
無駄と知りつつ、苛立ち紛れに F5 キーをもう一度押した。
一旦ディスプレイは白く染まり、そしてまた、代わり映えのない表示が返ってくる。
画面には「流れ星信二のショートショートコンテスト」とある。
日付が変わればコンテストの一次通過者の一覧がここに掲載されるのだ。
そしてもし、上位入賞となれば、このコンテストを主催する出版社の雑誌に作品が掲載
されることになる。
『流れ星信二』という、ショートショートの帝王にして日本 SF のビッグネームの名を
冠してはいたが、まだコンテストの歴史は浅い。この賞がきっかけになって、商業作家に
なった人というのは耳にしていない。
だが、俺にとって商業雑誌に作品が載るというのは大きな一歩になる筈だ。商業作家デ
ビューに向けての。
俺はレシートの裏に走り書きした 9 桁の数字に目をやる。この数字が俺のいわば受験者
番号だ。もし一次通過していれば 0 時の更新でこの番号が画面に現れるわけだ。コンテス
トにぶち込んだショートショートは十本。知人友人に見せたところ手ごたえはあった。自
信はある。自信はあるのだが。
ディスプレイ隅の時計が 0 時を告げた。俺は人差し指を F5 キーに叩きつけた。
「駄目かァー」
30 分ばかり数字の列を往復したが、俺の番号と一致しなかった。
「ホントに駄目か?」
未練がましく。もう一周確認してみる。
「やっぱり駄目かァー」
俺は背もたれに勢いよく体重を預ける。自信は。自信はあったのだが。
手の平で目を覆う。長いこと画面をにらみつけていたせいか、目ん玉が痛む。
痛むがしかし、滲んだ涙を隠すのがこの手の平の重要課題だ。
「まあまあ。そんなこともあります」
失意の俺に優しい声がかかる。
「慰めてくれるのはありがたいんスけどね」
俺は右手をずらして声の主を探す。「こんなことばかりだから問題なんスよ」
居た。過激な露出のビキニタイプエプロンドレスという破壊力の高い服装の美女が。俺
のすぐ後ろ。美女が。ベッドの上に腰掛け。自らのロングポニーを弄びながら自愛に満ち
た微笑を俺に投げかけているではありませんか。
「そう思うのなら」
何を隠そう彼女こそ俺の妻、革命剣姫 R・D さんである。因みに想像上の生き物であ
る。
「書く書く言ってる長編に早く手をつけるといいんじゃないですか」
俺に向かってわりかし辛辣なことも言うタイプの架空の存在である。
俺と R・D さんとの馴れ初めは 1 年前に遡る。
生き生きとした人物描写に圧倒的な力量不足を感じていた俺はふと思いつき、二次創作
に手を染めることにした。ある程度設定が固まっており、台詞や行動に模範解答が既に存
在しているキャラクターであれば、一貫性とリアリティのある描写が出来るのでは、とい
う浅はかな考えからである。
それにそもそも好きなキャラだったら書いてて楽しいに決まっているから!
そこで俺は、当時ドはまりしていた。戦うビジュアルゲームブックで、購入者に漏れな
く嫁いでくれる(というアブナイ設定)の革命剣姫 R・D さんに白羽の矢を立てた。
だって俺のカミさんを書くのが一番楽しいに決まってますもんね! ワオ! ナイスア
イデア!
そして、革命剣姫 R・D さんにはプロフィールの多くが欠如していた。これは製作側の
手抜き、手抜かりの類ではなく、「あなたの想像力であなただけの奥さんにしてあげて下
さい!」(原文ママ)という運営側の(またしても危ない)親切心である。つまり、革命
剣姫 R・D さんのビジュアルゲームブックが仮に 1000 万冊売れたとするとオリジナルの革
命剣姫 R・D さんから枝分かれした分身的存在の「俺」革命剣姫 R・D さんが 1000 万人居
ることになる。
先ほど、ある程度設定は固まっていて云々と言ったが、面倒なところは避けて通りたい
が、やっぱり大事なところは自分で決めたいじゃない。いじくりまわしたいじゃない!
という俺の欲求から言っても革命剣姫 R・D さんはぴったりと言えた。
楽しい設定構築(いかにして俺と革命剣姫 R・D さんが出会ったか。いかにして革命剣
姫 R・D さんが俺に好意を向けるようになったか。俺と革命剣姫 R・D さんの婚礼の儀は如
何様のものであったか。俺と革命剣姫 R・D さんの新婚旅行はいずこであったか。その他
いろいろ)の後に待ちうけていたのは厳しい特訓であった。
夢の中でも飯の最中でも大学の講義中でも俺は革命剣姫 R・D さんの立居振る舞い、言
動、をシミュレートし、細かく書き出した。また設定表、履歴書を何度もためつすがめつ
し、足りない設定はないか吟味を重ねた。
そして、その全てに満足し、脳内で滑らかに革命戦姫 R・D さんを動かし、なんなら擬
似的に会話さえ楽しむことが出来るようになったとき、俺は満を持して当初の計画である
ところの小説に取り掛かった。
一人の男と革命剣姫 R・D さんの燃えるような愛の物語である。
主人公には俺と切り離した別の人物を立てた。俺のカミさんだの連呼し、設定の上では
冗談半分で俺との結婚までさせてしまったが、小説まで書くにあたって流石にキツいもの
を感じてしまったというか。そこまでやると人間おしまいやろ、と思ったのである。小説は存外にうまくいった。遅筆な俺が 3 週間で初めて中篇と言っていい長さのものを
仕上げられた。ストーリー的にはカス以下だったが、まあそんなことは些細な問題であっ
て、当初の目論見は成功した。
今読み返してもこの作品に於ける革命剣姫 R・D さんの可愛さはスゴイ。俺の愛が迸っ
ている。後々公式でこのビジュアルゲームブックシリーズはアニメ化されたが多分俺の革
命剣姫 R・D さんが一番カワイイ。その代償にお話はゴミ屑ではあるが。
小説を書き上げたのは、いきつけのファミレスだった。あの日のことはよく覚えてい
る。筆がノリにノッてしまって、モーニングでついてくるドリンクバーで 20 時間ほど粘
ってしまった。流石に悪いと思ったし普通に腹が減ってたんで、書き上がってからハンバ
ーグ御膳を頂いてから店を出たのだ。雨が降っていたし、怒涛の執筆で疲れていたから食
った後一休みしたかったが、店の人の顰蹙が怖くて早々に立ち上がった。会計時の店員さ
んの刺すような視線は一生忘れらんないと思う。
夜空から落ちる小雨の中を小走りで帰ること十分少々。マンションに着くと俺の部屋か
ら灯りが漏れていた。俺は電気をつけっ放しで部屋を出たであろうか。否。俺はファミレ
スにモーニングを食いに出たのだ。朝の 9 時に。起床後電気を点けることもなく外へ出
た。背筋に冷たいものを感じた。
では誰だ? サークルの悪友の悪戯か? でもそれだったら部屋に入ったところをドー
ンてやらない? 外から見た時点で俺の部屋に誰か居る!? みたいなの狙うか普通。や
る? そんなん。下手したら通報されるやつやん。
そこで俺はサークルのメンバーを思い描いてみる。
やるわ。アイツらやったら。
という具合に俺は勇気を奮いおこして自分とこのドアに向かった。
まあ大方悪戯なんだろうけどマジで泥棒だったらいかんからドアをすぐに開けることは
せず、耳を澄まして、すぐ 110 番できるようケータイを用意した。カレーの匂いが鼻をく
すぐった。お隣かな。いいな。と思った時だった。俺の部屋のドアがおもむろに開いた。
やはり俺は疲れていた。110 番することは思いついたのに、先に身を隠せる位置から室
内を伺うことはしなかったし、もしもの時身を守るような武器を持って来さえしなかっ
た。馬鹿。俺の馬鹿!
己の馬鹿さ加減と同時にもう一つのことに気づいた。カレーの匂いは俺の部屋から漂っ
てきている。盗人が俺の部屋でカレー作るか? やっぱりサークルメンバーなんじゃん。
と思ったところで、ドアから顔がのぞいた。見知った顔が。
「あら、お帰りなさい。あなた」
ここ 2 ヶ月、ずっと向かい合ってきた顔だ。
細面の輪郭に切れ長の目。すっと通った鼻筋は一見して怜悧だが、その微笑はやさし
く、慈愛に満ちている。
「今夜はカレーにしました。食べて来たなんて言いませんよね?」
腰まで届こうというロングポニーは濡羽色。
間違いない。
革命剣姫 R・D さんがそこに居た。俺の部屋から顔を出していた。
俺は玄関ドア右上の表札を確認する。きったねえ字で巻島と書かれている。間違いな
い。あんなきったねえ字は俺にしか書けないし、あんなきったねえ字で書かれた表札を掲
げる勇気も俺にしかない。と、思う。
「はい?」
困惑する俺を尻目に革命剣姫 R・D さんは話を進める。
「あなたがいつも私のことを考えてくれるから」玄関から歩き出てきて革命剣姫 R・D さんはその場でくるりとターンして見せた。服の
各所にあしらわれたフリルが軽やかに揺れ、スカートがふわりと舞う。
まことにもって愛らしい。どの角度からみてもその愛らしさは損なわれるばかりか、それ
ぞれが違う輝きを放ち、コマ送りで撮影してアルバムに保存しておきたいほどだ。まさし
く由々しき均整と言う他ない。
まことにもって愛らしいがそんなことを言ってる場合ではない。
「つまりどういうこと?」
「言葉通りの意味ですわ、あなた」
「……」
駄目だ。まるで意味が解らん。あまりの出来事に俺は明らかに気が動転していた。
こんな時にすべきことは一つだ。
俺は決然と歩き出し、愛くるしい革命剣姫 R・D さんの横を素通りし、玄関を入ってす
ぐのリビングに向かい TV の電源を入れた。
「ちょっとちょっと。どうしたんですか?」
俺のすぐ後ろで革命剣姫 R・D さんの柔らかい声がしている。
「事態が飲み込めず気が動転しているので」
俺は固い声で答え、DVD のケースを手に取る。
「ひとまず劇場版仮面ファイター健の冒頭を観て落ち着こうと」
説明しよう! 特撮おたくである俺は極度の混乱に陥ったり極度のストレスにさらされ
た時、心の依り所である特撮作品に触れることで平静へ立ち返り、或いは心の傷を癒す習
性があるのだ!
「あ、私も観たい」
「かまんよ」
「?」
「伊予弁で好きにしたまえ、とかどうぞよしなに、というような意味です」
「やった」
俺がプレイヤーを準備し、ソファに座ると当然のように革命剣姫 R・D さんが既に腰掛
けていた。
えーなにこれーと思いながらもスイッチオン。再生開始。
都合 253 回程観たことのある企業ロゴの後、かれこれ 253 回くらいは観たことのある主
演俳優の姿が現れた。
主人公に対峙する親友兼ライバル。親友自身には何の悪意はない。しかし、彼の背負う
呪われた宿命と残酷な世界のシステムにより主人公は彼を斃さなければ人類を滅亡から救
う手立てはない!
覚悟を決めた二人の最後の会話。そして変身。
切なくとも燃えるシュチュエーション!
アツい劇伴!
わざとらしい金属音!
見栄えとケレン味を重視した実戦的ではない鮮やかなアクション!
十四年ものの時代を感じる CG!
尋常ではない火薬を用いた☆大☆爆☆発ゥ☆!
かぁーっ。これですわ。
いやー、生きてて良かった。人間やってて良かったですわホンマに。
よーしよしよし大分落ち着いてきたぞ。
冒頭の決戦が終わり主題歌に入った時には俺の気分はしっかりリフレッシュされ、冷静
な思考を取り戻していた。実際これはどういうことなのだろう。
俺の愛に応えて革命剣姫 R・D さんが二次元の国からはるばる俺んちにやってきた?
ありえない。それは。
作家とは最強のロマンチストであると同時に最高のリアリストでなければならぬ筈。そ
の作家を目指すこの俺がそんな可能性を真剣に検討するようなら今すぐこの部屋の窓から
飛び降りるかさもなければ公務員試験にむけてお勉強を開始したほうが良い。※
では何なのか。この娘は何者なのか。俺にストーカーが居て、そのストーカーがたまた
ま革命剣姫 R・D さんにクリソツの超絶美少女コスプレイヤー説というのはどうか。
駄目だな。最初の説よりはリアリティがあるがまだファンタジーの領域である。
もう夢オチとかでいいんじゃないかな……。
そう思って頬をつねるとまあまあ痛かった。
しかし夢というのはイイ線を言っているのではないか。何せ 20 時間ほどジョイフ〇に
篭って小説を書いていたのだ。ドリンクバーでおそろしく過剰なカフェインを摂取しまく
りながら。とんでもなくハイってやつだ。今の俺の脳内麻薬はどんなことになっているの
か想像もつかない。
そんなイカレた俺の脳が俺自身に見せる幻覚という説。
ありそうじゃね?
と、ここまで考えたあたりで折りよく主題歌が終わった。TV 及びレコーダーのスイッ
チを切ろうとすると、革命剣姫 R・D さんが何かを訴えるような眼差しで、俺を見た。
「……観たいん?]
「駄目、ですか?」
「ええんよ。観よりや」
俺は画面を見つめる革命剣姫 R・D さんをソファに残して PC を立ち上げた。
※この文章には現役公務員の皆様、ひいては公務員試験の勉強に勤しむ皆さまを揶揄する
意図はございません。信じてくれよ。Trust me.
ネットに繋いで妄想や幻覚の情報を集める。目ぼしい情報はないか、流し読みし、見込
み薄と判断すると次のページに移る。ほどなくして「イマジナリーフレンド」とか「トゥ
ルパ」とかの情報に行き着いた。
どうもこれっぽい。有志というか愛好家というかとにかくもの好きなヒトが、「トゥル
パの作り方」なるものを詳しく書いていて、俺が革命剣姫 R・D さんを煮詰める際に行っ
たことが結構該当しているな、と解ったあたりで読むのをやめた。
出来心でこれ以上深みに嵌ってはたまらないからだ。
まあまだ完全に裏付けが出来たわけではない。TV からはエンディングテーマが流れて
いる。スタッフロールが始まったらしい。丁度いいといえなくはない。
「革命剣姫 R・D さん?」
「はい?」
こちらに振り向く革命剣姫 R・D さんに俺はスマホのカメラを向ける。
「はいチーズ」
「あ、はい」
革命剣姫 R・D さんが場都悪げに笑ってピースを作る。シャッターを押して画面を確認すると、そこには誰も写っていなかった。
俺は溜息をつく。
しかしカレーはどうだろう。匂いも幻覚なのだろうか。
俺はふと思いついてポッケから財布を取り出した。それに気づくと革命剣姫 R・D さん
の笑顔はさらにひきつったものになった。
俺はもらったレシートを財布に入れておく癖がある。それを確認してみると、買った覚
えのないカレーの材料のレシートが出てきた。今日の日付。ついさっきの時刻。ファミレ
スと俺んちの間にあるスーパーのものだ。
買った覚えがない? いや。ようく思い出してみると、たしかに、買い物を、したよう
な。
……これは。俺が、俺自身の記憶の革命剣姫 R・D さんが存在するに当たって不都合な
記憶を改ざんしようとしているのでは?
俺はつかつかと革命剣姫 R・D さんに歩み寄る。革命剣姫 R・D さんは一瞬びくっとなる
が、座ったままだ。
「革命剣姫 R・D さん?」
「はい?」
「お近づきのしるしに握手をしてはもらえまいか」
革命剣姫 R・D さんはしぶしぶと言った様子で右手を差し出した。その手は震えてい
た。
その手を掴もうと伸ばした俺の手も震えていた。
そして。
俺の手は革命剣姫 R・D さんの手に触れることはなかった。
「革命剣姫 R・D さん?」
「はい?」
「おたく、ひょっとして、幻覚のヒト?」
「まあ、そう、なっちゃいますよねえ」
はは、と観念したように乾いた笑いを上げる革命剣姫 R・D さん。俺は先ほどより 2 割
り増し深い溜息をついた。
俺はへたり込んだ。
罰があたったのか!?
萌えを馬鹿にしていたつもりはない。しかし小、中、高と、模型雑誌やゲーム雑誌ある
いはホビー雑誌の傍らで微笑む美少女達をチラ見しつつも、親の目同級生の目を気にし俺
は硬派だから。熱血硬派でいくからなどとのたまい無視し、大学入りとともに、親の目が
離れたのをいいことに深夜アニメに目覚め、ネットに目覚めて手の平を返した俺への罰が
これなのか!?
あるいは俺は萌えに目覚めてはいるが、心の奥底に熱血硬派を持っているからと我知ら
ず萌えを下にみていたのか!? それへの罰か!?
などと考えていると、
「あのー」
と遠慮がちに声が掛かった。
「はい?」
顔を上げれば当然のように革命剣姫R・Dさんのお顔があった。
「難しいことは分かりませんけどもお腹へりませんか? 人間お腹減ってるとわるい方わ
るい方考えちゃうと言いますし、カレーあっためましょうか?」
「馬鹿言いたまえ君、俺今さっきファミレスで……」
ぐう、と腹が鳴った。
時計を見るともう夜更けと言っていい時間だ。そうだった。カレーも俺が作ったことになる。そんでもって映画 1 本分の時間が経って
いる。さらに言えばこのあまりと言えばあまりの事態で急激に消耗している。腹も減ろう
というものだ。
「ほしたらお願いしましょうかねえ……」
俺は力なく言って、ソファに転がった。
「はい!」
何故か楽しげに答えいそいそと温め始める。程なくして気分が乗ってきたのか鼻歌が聞
こえてきた。
よく聞いてみると仮面ファイター健の主題歌らしい。かあー。芸が細かいでやんの。
しかしあれがマボロシとはねえ。リズムに合わせてカレーをかき回す姿もかあいらしく
肩を揺すって見せるのも、俺の脳が俺に見せているかと思うとなんだか泣けてくるじゃあ
ないの。
実際にはこの後かこの前に自分で温めてその記憶を削除していることになるわけか。や
べーなー。
俺ってそこまでサビシイ人間だったのか……。友達は少ない方だと思っておったけども
こんな。こんなことになるなんてよう。
とかなんとかぐちぐち思っていると革命剣姫 R・D さんがカレーを二人前運んできた。
「できましたよー」
「ん。あんがとね」
見たところ普通のカレーだ。嗅いだところも普通のカレーだ。
作ったのは俺の筈だし、俺は革命剣姫 R・D さんに料理オンチなどという設定は付与し
ていない(むしろ料理は得意とした筈だ)から変なアレンジもしている筈がない。大体こ
こまできてやっぱり要らんという選択肢もない。革命剣姫 R・D さんもちらちらとこちら
を窺っている。
「いただきます」
おそるおそる、口に運べば。
「あらおいしい」
うまい。実にうまい。俺がいつも作ってるのとは味が段違いだ。そしてどこか懐かし
い。何故だ?
「かりんとうか!?」
「はい。入れると良いと聞きましたから」
本当に、芸が細かい。
カレーにかりんとう。オフクロがなんかのバラエティで見てからずっと隠し味に使って
いた。
俺はその味が好きだったにも関わらずずっと不精して入れていなかった。
「うまい。うまい」
うまいのだが俺はまた一つ、自分のコンプレックスをまざまざと突きつけられたようで
非常に複雑だ。
はじめはにこにことこちらを見ていた革命剣姫 R・D さんも俺の陰鬱な顔に気づいて
か、表情が曇りはじめた。気まずい。何か言わなければ。
「やー、ホントうまいっすねー。こんなに料理が上手で、オマケに美人な俺の憧れのヒト
が遊びに来てくれるなんてもー夢のようっすよー。あ、想像なんだから夢と似たようなも
んかー……」
やっべえええ。語るに落ちるとはまさにこのことなんじゃねーの?
どーして俺って人間はこう要所要所でピンポイントに要らんこと言わずにおれんのやろ
ーね、マジで。
それで革命剣姫 R・D さんも俺の悩みの種がどこにあるか察したらしい。「ま、まあ、病気っていうわけではないそうですし。悪いことはしませんから」
などと、不器用なフォローを入れてくる。どうなのこの状況。幻覚に気を使われている
よ、俺。
「うん、まあそれはそうなんですよね」
ひとまず下手くそな相槌を返す。
ネットで調べた時にイマジナリーフレンドが病気ではない、という意見は、様々な人が
名言していた。
まあ、ちょっとバランスを崩せば危険な症状に発展しかねないし、フィクションの世界
では度々サイコホラーでネタにされるせいで、今の俺にはちょっとポジティブには捕らえ
づらい。何より。
「俺はもうちょい自分を高く買ってたっつうか……。ここまで空想の人に寄っかからなく
ても生きていけると思ってたもんでね。彼女とかはまあ、半分諦めてはいたけど、こうい
うカタチになるとは……」
沈みきった俺の言葉に革命剣姫 R・D さんも沈みこむ。
悪いのは彼女ではない。俺が勝手に召喚して勝手に落ちこん
でいるのだ。
「でも、まあ。カレーありがとうね」
そういうのがせい一杯だ。
その後は二人ともしばらく口をきかなかった。重たい空気の中で、二人、もくもくと、
ちびりちびりとカレーを食った。
何か空気を換える話題はないか、と、あるいは単に革命剣姫 R・D さんがどんな顔をし
てカレーを食べているのか気になって、そっと盗み見た。
うん。カレー食っててもカワイイものはカワイイ。そうじゃなくて。
視線が頻繁に TV の方に行っているのに気づいた。
TV はあれからつけっぱなしで、仮面ファイター健のメニュー画面が表示されている。
「気になる?」
「え?」
「仮面ファイター健」
革命剣姫 R・D さんは目を白黒させる。
「いや、ごめん、チラチラ見よったけん」
「あ、ああー、そのー」
俺が落ち込んでる時に別のことに気を向けていたことに罪悪感があるのか、もじもじし
ている。
「劇場版が面白かったですし、さっきはこれで元気になったみたいですし……」
「よっしゃ、TV 版いきましょうか」
そうだ何故思いつかなかったんだ凹んだ時はこの手に限るじゃあねえかあ!
俺は特撮オタクなんだ! 気高い特ヲタだ! 自分でそれを忘れるなんて!
どうかしてたぜ!!!
俺は TV シリーズの DVD をもどかしくセットし、ちょっとびっくりするような勢いで再
生した。革命剣姫 R・D さんは引いていた。
観ると決めた時から俺のテンションはたいがい回復していたが、本編が始まるとうなぎ
登りと言って良いほど盛り上がり始めた。
中盤以降は一定の評価を得ている「仮面ファイター健」だが、正直序盤の評価は芳しく
ない。
暗く、起伏の乏しい展開と主人公の受ける理不尽な仕打ちがその要因と言われている。
と言うのも、第 1 話から主人公・健の勤める会社は倒産し、恋人は親友に盗られ、会社
を潰したのは信頼していた先輩で、失意のまま帰ってみると一族郎党皆殺しで家は焼かれ、倒れて病院に運ばれ、流石にストレスで倒れたのだろうとタカを括っていたら余命 1
年と 3 ヶ月を宣告され、そのまま病院とパイプを持つ秘密結社に連行されてどうせ残り少
ない命だからと同意もせぬまま人体実験の被験者にされてしまう、という。特撮はおろ
か、フィクション全般から見てもなかなか無いような壮絶な不幸に見舞われてしまうの
だ。
更に理由も分からず放り込まれた初戦闘では、健は一切訓練を受けたことの無い素人に
も関わらず、いきなり敵の幹部が出張ってくる。気合で善戦するかに見えるがそれは主人
公の戦力を調べる為、手加減していたからで本気を出されてからは一気に逆転。無様に一
敗地に塗れる主人公をアップで移して第 1 話は終了、どうなる次回、と言った具合であ
る。
もうこの時点で不運がカンストしてそうなものだが、第 2 話以降はさらにこれを上回る
激烈な悲劇が待っている。
まあ、目を背けたくなるのも分かる話で、日曜朝からこんな暗澹たる物語を展開するな
という批判はごもっともだ。
だが俺ァこの作品が好きだ。健のガッツが好きだ。
襲い来る悲劇に理不尽に逆境に健は一つたりとも泣き言を言わなかった。ただ粛々と立
ち向かった。
だから見ていると元気が出る。勇気が湧いてくる!
なにウジウジ悩んでんだろ俺。幻覚見たからっつって死ぬ訳じゃねーしな!
全くどうかしてたぜ!
「良かった……。元気になったみたいですね」
革命剣姫 R・D さんは俺の背筋がしゃんとなったことに安心したらしい。
だが、今はそういう話をする時ではない。
「俺のことはいい」
画面では、健が今まさに変身しようとしている。
「え」
「健を。健を応援してやって下さい!」
「え、でもこれ DVD……」
「気の持ちようです。結果の分かっている勝負でも全身全霊で応援しながら観た方が楽し
い」
「え、ええ」
「ではご一緒にファイトだ! 健!」
「ふぁ、ふぁいとだ、健!」
「もっと声上げて!」
「ファイトだ!」
「まだ照れが残ってる! もっと全力で!」
「ファイトだ健! 頑張って! あ! 後ろ! 危ない!」
「そう! その調子です!」
なんだこれ。
「仮面ファイター健」上映会(と言っても実際は一人なのだが)は盛り上がった(くど
いようだが実際は一人だ)。あまりの盛り上がりっぷりに、クライマックスでは隣人から
壁ドンされる始末だ。
とにかくまあ、元気は出た。実際のところ問題は何も解決していないような気もする
が、多分気のせいだろう。
一緒に仮面ファイター健を楽しむことによって革命剣姫 R・D さんとの親睦も深まった
し、事態は良い方に向かっている筈だ。今日は色々なことがあってかなり疲れた。
スムーズに交代で風呂に入り、俺が床に布団敷いて、革命剣姫 R・D さんがベッドを使
う流れになったのはありがたかった。
いくら気力が回復したとは言え、一緒にお風呂~とか、添い寝~とかの嬉し恥ずかしラ
ブコメ要素をこなす体力は俺にはない。
革命剣姫 R・D さんの性格を常識人に設定しておいて心底良かったと思う。
今の所凄く疲れているだけで、吐き気、眩暈、頭痛、悪寒その他の症状はないし、怪し
い E メールや請求書の類も来ていない。
本人も悪さはしないと言ってるし(悪い奴でもそう言うんだろうが)、何か悪いことが
起こったらその時対処すればいいと思うことにする。当面はそうならないのを祈るばかり
だ。
しかし、幻覚とは言え初対面の男の部屋のベッドで健やかに寝息を立てている辺り、ど
うも悪いものだとは思えない。
見を乗り出して寝顔を確認する。うん。天使。
俺はそっと、めくれた布団を掛けなおす。しかしこの安心しきった寝顔ときたら。俺が
変な気を起こさんとも限らんというのに。
ん?
変な気を起こしても仕方ないのか。
変な気を起こしても仕方ないんだ!
現状俺は俺自身の触覚までは騙せていない。触れられないワケだ。革命剣姫 R・D さん
の体重でベッドがやや沈んで見えたり、革命剣姫 R・D さんの体で死角になっている物は
しっかり見えなくなったりするものの、俺は自分の手で革命剣姫 R・D さんに触れること
は出来ないのである。
え、ちょっと待って。俺性欲処理どうすればいいの?
一人暮らしを始めてからというもの、人目を気にせずのびのびと勤しんでいたわけだけ
ど、このせまい部屋で二人暮らすとなると、片方がもう片方からプライバシースペースを
確保することなど不可能なんじゃないの?
いやさ、革命剣姫 R・D さんは俺の妄想の産物だから気にしないでいいんだろうけども
うそういう理屈関係ないよねこれ。
第一俺は一人暮らし以降、ゆっくり一人で勤しんでる時でさえ、こんな姿親が見てたら
どう思うだろーか、とか、そういえば実家で勤しんでた時、このオカズ使いよった時見つ
かりそうになったなーとか思う度にシナシナの萎え萎えになるほど繊細な感覚とムスコの
持ち主なのだ。実在しないから、とか言う意味不明な理屈で同居人を気にせず勤しむ自信
がまるでない。
どうなるの俺の性生活。