提案からの実証
会議室での夕礼は、つつがなく進んでいく。
朝礼から夕礼の間までに起きたことで重要な案件、又は共有すべき情報を各部署の長官が報告する。
その中にはリ家が長男のロンレンを除籍し、学校も退学させたという報告もあり、ロンレンとハクトの仲を知る長官達の反応は二つに分かれた。
皇子という身分にも関わらず本当の友人を得たことを喜ばしく思い、二人の仲を快く思っている面々は驚いて顔を見合わせ、友人だからといって身分を気にせず皇子と付き合う様子を快く思わず、ロンレンを野蛮な無礼者と見ている面々はいい気味だとほくそ笑む。
既に追放された件を聞いており、除籍を予想していたホウセイはさほど動揺した様子も見せずに頷く。
「分かった。次」
「はっ!」
その後はさほど大した案件も出ずに各部署からの報告は終わり、いつも通りなら最後にホウセイが言葉を述べて夕礼が終わる。
ところが、この日は違った。
各部署の長官の視線が向けられる中、ホウセイが口を開く。
「皆、今日もご苦労。だが最後に、わしから一つ案件を出させてもらう」
いつもと違う。何かあったのか。どんな案件なんだ。
ちょっとしたざわめきが起きているが、構わずホウセイはそれを口にした。
「その案件とは、魔域内部の調査についてだ」
ざわめきがどよめきに変わった。
長らく話題にすら挙がらなかった案件が、突如として挙がったことに誰もが動揺している。
「へ、陛下。魔域とは、あの魔域でしょうか?」
長官の一人が思わずといった様子で尋ねる。
「そうだ」
迷わず肯定したことで、再び室内がどよめきだす。
このままでは話が進まないと思ったホウセイは、後ろに控えるエンショウへ目配せをした。
頷いたエンショウは進み出て、声を張り上げる。
「ご静粛に! 陛下のお話はまだ終わっておりません!」
室内に響く声にどよめきは治まり、長官達の視線は再びホウセイへ集中する。
注目が集まる中、ここからが勝負だとホウセイは気を引き締め直す。
「まず、どうして私が魔域内部の調査を提言したかについてだが、それができる可能性のある人材がいたからだ」
長官達は僅かにざわめき、その中の一人が挙手をする。
「陛下。それは即ち、魔域の中へ入れるかもしれない者がいるということでしょうか?」
「そうだ」
『おぉぉぉぉぉっ!』
肯定の言葉に長官達は驚きと感嘆が混ざった声を漏らす。
「既にその者には来てもらっている。気になることは多々あるだろうが、まずはその者を紹介しよう。エンショウ、連れて来てくれ」
「はっ」
指示を受けたエンショウは一度退室し、別室で待機しているロンレン達の下へ向かう。
「待たせたな。行こうか」
「はい」
迎えに来たエンショウに返事をしたロンレンは、自分の人生の岐路に立つとあって表情が硬い。
席を立って歩く動作もぎこちなく、緊張から手足が同時に出そうになっている。
明らかに緊張しすぎなのが見て取れる様子に、大丈夫かとショウライとランカが不安になる一方で、背中をハクトが叩いた。
「落ち着け。私もいるんだ、何かあったらフォローする」
長年の友人が一緒にいる。
それだけで何でもできるような気分になり、幾分か緊張が解けて表情が和らぐ。
「頼りにしてるぜ、ハク」
「勿論だ、ロン」
互いに笑みを浮かべ、拳を軽く合わせるいつものやり取り。
それが自然にできたなら大丈夫だとショウライとランカの表情も和らぎ、横目で様子を見ていたエンショウも小さく笑みを零す。
「よろしいかな」
「はい。行きましょう」
全員が表情を引き締め直し、会議室へと向かう。
「陛下、連れて参りました」
「入れ」
魔域へ入れる人物とは、どんな人物なのか。
期待や不安や好奇心が見て取れる長官達の前にロンレンが現れると、先の報告でリ家を除籍されたと知らされた少年が、何故ここにいるのかと数人が首を傾げる。
それと同時に、まさかという思いがこみ上げてくる。
「皆も知っていると思うが、我が息子ハクトの友人であるロンレンだ。彼こそが、魔域内部の調査をできる可能性のある人材だ」
長官達のまさかが現実になった。
高位豪族からの追放から一転。魔域内部へ調査に行ける可能性を秘めた唯一の人材という、国にとって掛け替えの無い存在になりかねない少年に、様々な視線がロンレンへ向けられる。
「陛下、よろしいでしょうか!」
ロンレンを快く思っていない長官の一人が挙手をして、発言を求める。
「なんだ」
「彼が魔域内部へ入れる可能性があるという、明確な理由はなんですか」
この問いかけに、同じくロンレンを良く思わない長官達が自分も聞きたいと、次々に挙手して尋ねる。
「理由か。それは彼が授かった加護にある。ロンレン、教えてやれ」
「はい。私は本日、生命神より天寿の加護を授かりました。これは、寿命以外では死なないという加護です」
説明をした瞬間、この日二度目の大きなどよめきが起きた。
仮にも各部署の長官を務める面々が、その意味を理解しないはずがない。
「その場には社の方々と私、さらに後ろにいるショウライとランカも立ち会いました。間違いありません」
証人としてこの場に来たハクトの宣言により、一気に信憑性は高まった。
「では、彼は魔域に入っても死亡しないと?」
「実際に入ってもらっての検証は必要だろうが、その可能性は高いと踏んでいる」
「おぉぉぉぉぉっ!」
興奮した様子で誰かが椅子から立ち上がり、歓喜の声を上げる。
それを皮切りに、あっちこっちで興奮を抑えきれずに歓喜の声が上がる。
魔域内部の調査はリュウ皇国だけでなく、あらゆる国でも全く進んでいない難題。
これの解明に繋がる可能性が浮上してきたことに、多くの長官達は喜び合う。
一方のロンレンを快く思っていない面々は、豪族から追放された無礼な野蛮人が国の重要人物になりかねないという現実に、表情こそ取り繕っていても内心悔しがっている。
それ以外の長官達は、歴史が変わる瞬間に立ち会えるかもしれない、可能ならば学術的にも大きな進歩に繋がる、内部へ入れるだけでも魔域がある他国との外交に使えると色めき立つ。
「静まれ」
ホウセイの一言で長官達は静まり返り、立ち上がっていた面々は慌てて椅子に座る。
「気持ちは分かるが、冷静になれ。まだ彼が魔域に入れると確定していないのだ」
「ですが、検証の実施に値する案件です!」
長官の一人が興奮冷めやらぬ様子で発言する。
「ならば問おう。彼が魔域内部へ潜入できるかどうか検証し、潜入が可能ならば国の支援下で調査に当たってもらうべきだと思う者は挙手を」
躊躇無く次々に手が挙がっていき、ロンレンを快く思っていない者達も渋々ながら挙手する。
反対しようにも反対しうる材料を見つけられず、国益に繋がる可能性が高いのを否定できないため、そうせざるを得なかった。
だが、一人だけ挙手せずに足掻こうとする長官がいた。
「ダイゲン法務長官以外は賛成か。ダイゲン、何か気になることがあるのか?」
「一点だけ。彼が本当に寿命以外で死なないのか、証拠がないと信じられません」
決して的を射ていない訳ではない意見に、言われてみればという空気になる。
内容確認の場に立ち会ったハクトが証言しているものの、本当に不死身だという証拠は提示されていない。
唯一不透明だったその一点を突いたことで流れが変化したことに、発言したダイゲンはほくそ笑む。
だが、この展開はロンレン達にとっては想定内だった。
打ち合わせ中でこうなった場合を想定し、反対するハクトを押しきって渋々承諾させた手段へ移る。
「ダイゲンの指摘も一理ある。となると、確認が必要だな。ロンレン、構わないかね?」
「……分かりました」
ロンレンが肯定の意思を示すと、多くの長官達の顔色が変わる。
証拠が欲しいとは言ったが、それは即ち自分達の目の前で彼を殺すことになるのだから。
発言したダイゲンも、まさかこうなるとは思っていなかったのか困惑している。
荒事に慣れている軍務庁と警備庁の長官は落ち着いているが、慣れていない長官達は確認したいのと、殺される光景を見たくない気持ちで葛藤する。
「ただ、怖くなって避けないように押さえつけてもらえますか?」
「良かろう。エンショウ、この場を汚す許可を出すから、やれ」
「はっ! お前達、彼を押さえろ」
「「はっ!」」
彼らが葛藤している間にも状況は変化していき、近衛二人によってロンレンは座らされて首を晒した状態で押さえつけられ、剣を抜いたエンショウが傍らに立って上段に構える。
一部を除き、本当にやるのかと戸惑う長官達が横槍を入れる前に、ホウセイは命令した。
「やれ」
その一言でエンショウは剣を振り下ろした。
恐怖で避けそうになるが、押さえつけられたロンレンは動くことができずに首を切り落とされる。
『ひっ!』
多くの長官達とショウライが思わず小さな悲鳴を上げた。
頭部は床を転がり、頭部を失った体は近衛が手を離すと倒れ、首からは血が噴き出す。
不死身の確認のためには必要なことと理解しつつも、実行を決めたハクトとホウセイも大丈夫なのかと不安になる。
そんな彼らの目の前で、奇怪な現象は起きた。
勢いよく噴き出ていた出血が止まり、次の瞬間には渦巻きながら逆流しだす。
普通ならありえない光景に誰もが言葉を失い、ただ目の前の光景に目を奪われる。
次いで転がっていた頭部が霧散し、首から上に集まって血液と共に渦巻きながら再構築されていく。
やがて周囲に飛び散った血液は全て頭部へ戻っていき、切り落とされた頭部は元通りの状態に再生した。
「はっ!? はぁっ、はぁっ……」
跳ねるように上半身を上げ、気絶から意識を取り戻したような反応をするロンレンは右手で首に触れ、胴体と頭が繋がっているのを確認する。
「……おぉ。本当に死んでないし、元に戻ってる」
ロンレン自身も初めて経験したため驚いているが、それ以上に周囲は驚いていた。
本当に死なないのだと証明されたことに、歓声を上げる者や、若干の恐怖を覚える者、早くも何か画策して思考に耽る者。
様々な反応を見せる長官達だが、ホウセイが一つ咳払いをすると騒ぎは収まった。
「皆、その目で見たな。これで彼は寿命以外では死なない身だと証明された。ダイゲン、もう疑念は無いか」
「……はい」
目の前で首切りと再生を見たからか、震えているダイゲンは大人しく頷いた。
この間にロンレンは立ち上がり、両手で改めて首を確認している。
「では改めて問おう。彼が魔域内部へ潜入できるかどうか検証し、潜入が可能ならば国の支援下で調査に当たってもらうべきだと思う者は挙手を」
今度は全員が挙手する。
先ほどの光景の影響か、軍務庁と警備庁の長官以外の挙手に覇気が無い。
だが否定や拒絶の意思は無いため、案件は採用された。
「よろしい。ではロンレンよ、この契約書に署名と指印を頼む」
取り出した書類をエンショウへ渡し、ロンレンの下へ届けさせる。
契約書は夕礼前に大急ぎで準備した物で、内容は魔域への潜入を了承し、潜入が可能であれば国の支援下で活動することに同意すると書かれている。
他にも検証前の待遇と、検証で潜入可能となった場合の追加待遇、所属先、国に仕えることへ同意する旨といった内容が記載されている。
受け取った契約書に目を通していくロンレンだが、これの内容は夕礼前に打ち合わせして決めたもののため、国だけが一方的に得をする内容になっていないのは分かっている。
それでも、確認せずに署名と指印をしないのは不自然だろうと思い、目を通して確認していく。
「分かりました。筆と朱肉をお借りしたく思います」
「こちらをどうぞ」
近衛の一人が署名用の筆と、指印用の朱肉が乗った盆を差し出す。
先に筆を受け取ったロンレンは、リ家を除籍されているため署名欄には自身の名前だけを記入する。
次いで朱肉に右手人差し指を押し付け、契約書に指印を押す。
それを確認したエンショウは、すぐにホウセイの下へ書類を届けて確認をしてもらう。
「確かに。ではロンレンよ、お前には後日、魔域内部への潜入が可能かどうか検証をしてもらう。手配と準備が整うまでは契約書に則り、わしが皇族の名において後ろ盾となり生活の保証をしよう」
「ありがたき幸せ」
礼に則り、片膝を着いて頭を下げるロンレン。
一応は高位豪族の一員として礼節を学んでいただけあって、所作はしっかりしている。
「部屋はすぐに用意させよう。使用人向けのものになるが、構わないか?」
「恥ずかしながら実家を除籍されたこの身、部屋があるだけでも恐悦至極です」
自身の立場を弁えた言葉遣いに、彼を快く思っていない長官達からの不満は出ない。
「それと魔域へ向かうまでの間は、城内で過ごすように」
「承知しました。ですが陛下、どうかこの身を鍛える許可をいただけないでしょうか」
「訓練をしたいと?」
「はい。魔域内部がどのようになっているのか分からないので、少しでも備えておきたいのです」
この要望も、既に事前に話はついて許可を得ている。
本当に備える意味もあるのだが、それとは別に生命神から教えてもらった氣を成長させるため、鍛えておきたいという意図がある。
「よかろう。城内での訓練ならば許可する」
「ありがたき幸せ」
これで話が終わったかと思いきや、一人の厳つい大男が挙手した。
彼は軍務庁の長官を務めるドウコク。
平民出ながら叩き上げで長官にまでなった武勇の持ち主で、格闘技の達人でもある。
「よろしいでしょうか、陛下」
「なんだ、ドウコク」
「彼の訓練ですが、私に世話をさせていただけませんか?」
突然の提案に、一部の長官は抜け駆けして近づくつもりかと睨む。
「既にご存知でしょうが、私は彼とハクト殿下に格闘技の指導経験があります。それに私自身が彼を気に入っています。リ家の跡取りでなければ、部下として欲しいほどに」
これを聞いた長官の多くが、そういえばそうだったと悔しそうにした。
本人が言うように、ドウコクは二人に格闘技を指導したことがある。
当初はハクト一人だけだったのが、誘われて来たロンレンが混ざる形で指導を受け始めた。
その頃からドウコクが、何かにつけてロンレンを部下にできればと零しているのを、長官達とホウセイは知っている。
「彼が除籍されたと聞いた時は、卑しいと思われるでしょうが部下にできる好機と思っていました」
そんなに気に入られていたのかと知ったロンレンは、もしもハクト達が追って来なければこの人の下で働いていたかもと、もしもの未来を想像していた。
「生憎と彼は魔域内部の調査という、重要な役目を受けたので私の望みは叶わないでしょう。ですが、せめて彼を鍛える手助けをしたいのです! どうかお許し願えませんでしょうか!」
鼻息荒く告げるドウコクからは、企みや悪意といった感情は見られない。
純粋にロンレンを鍛えてやりたいという気持ちで願い出ている様子に、無下にはできないと判断したホウセイはロンレンへ尋ねる。
「仕事に差し支えなければ、わしは構わない。ロンレンはどうかね?」
ここでロンレンは少し考えた。
以前からドウコクには熱心な指導をしてもらい、余計な画策とは無縁な人物であることも理解している。
だからといって、それをそのまま鵜呑みにしていいのかと。
色々考えながらドウコクを見ると、早く返事を聞きたいと目を輝かせている。
厳つい外見に似合わない目を見ていると毒気を抜かれ、余計な心配だったかと警戒を解く。
「私も異論はありません。ドウコク様、非才かつ未熟な身ですがご指導のほど、よろしくお願い致します」
「よかろう! ビシバシ鍛えてやる!」
上機嫌なドウコクからは、やはりこれっぽちも野心や邪心は見られない。
色々あったから勘繰りすぎたかなと思っていたら、歩み寄ってきたドウコクが両肩を掴んだ。
「そうと決まれば、すぐに訓練開始だ! 時間は限られているからな、僅かな時間も無駄にできん!」
早くもやる気満々でいるが、そうはいかない。
すかさずホウセイが止めに入る。
「待てドウコク。まだ夕礼は終わっておらん。それに魔域の調査について、少し打ち合わせがしたい。気持ちは分かるが、明日からにせよ」
「おぉっ、これは失礼を。では明日の早朝、訓練場で待っているぞ」
「はあ……」
呆気に取られながらも返事をすると、掴んでいた肩を手放したドウコクは意気揚々と席へ戻った。
「ロンレンとハクト達は下がってよろしい。部屋の用意が済むまでは、先ほどの部屋で待機せよ」
「「はっ」」
声を揃えて返事をした二人は、立っているだけで終わったショウライとランカを伴って退室すると、大きく息を吐いて脱力した。
「上手くいってよかったな」
「ああ。これで少なくとも、魔域内部へ入れるかの検証が済むまでは皇族が後ろ盾になってやれるぞ」
失敗したらどうしようかと心配していた二人は、成功したことに笑みを浮かべて拳を合わせた後、廊下を歩きだす。
「でも大変なのはここからだぞ」
「分かってる。世界で唯一、魔域内部へ潜入できることになったら大忙しだろうな」
「私もできる限りの手助けをする。私達が組んで、できないことは無いからな」
自慢気にハクトはそう言うが、ロンレンは首を傾げる。
「いや、できないことあるだろ」
「そうか? 何かできないことなどあったか?」
思い当たらず首を傾げるハクトへ、ロンレンは覚えていることを告げていく。
幼い頃にハクトに連れられて城へ遊びに来た時、二人でやらかした記憶の数々を。
「侵入ルートを考えて二人で厨房へつまみ食いに行ったら、料理長に見つかって大目玉」
「うっ」
「絶対俺達の仕業だと気づかれないよう手を打って、近衛隊長に仕掛けた悪戯が俺達の仕業とバレて大説教」
「ぐっ」
「城をこっそり抜け出そうとしたら、すぐに護衛の人に気づかれて呆気なく捕まって部屋を罰掃除」
「ぬぅ……」
「城内の女湯を覗く計画が、準備段階で皇妃様とレイシンに気づかれて教育的指導」
「そんなのあったかっ!? あっ、いや、あったような……?」
「お前、あれを忘れるか? あの時の皇妃様が微笑みながら放っていた、無言の圧力は忘れたくとも忘れられないぞ」
どれも二人が幼い頃にやらかしたことだが、やった内容とそれを語る二人の姿はまるで兄弟のよう。
喋っている内容こそ気になったが、そんな二人の様子にショウライとランカは思わず微笑む。
いつも通りのやり取りができている、二人の楽しそうな表情につられえうように。