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ノンデッド・サクセスライフ  作者: 斗樹 稼多利
10/12

実証からの調査開始


 皇都を旅立って数日。

 数回ほど獣系の邪魔物から襲撃を受けたものの、調査隊は滞りなく目的地へ到着した。

 活動拠点とするため陣を組むその地は、数キロ手前から雑草が少なく硬い土ばかりの痩せた土地が広がっているが、魔域を中心とした半径数キロはどこも同じような状態になっている。

 長期間滞在しても特に人体に影響が出たという報告は無いが、魔域が領域を広げるために大地の力を失わせているのではないかと言われている。

 やがて陣を組み終えると、数百メートル離れているのにハッキリ見える魔域を調査隊が見つめる。


「あれが、魔域……」


 立ち込める黒い霧に覆われた範囲は端が見えないほど広大で、奥行はどこまであるか分からず、高度は小山程度なら飲み込めそうなほど。

 内部の様子は全く見えず、どれだけ風が吹こうとも散りはせず、その場に留まって漂い続けている。


「初めて見ましたけど、黒い霧って不気味なんですね」

「私は何度か見たことがありますが、何度見ても嫌な感じがします」


 初めて見る魔域の感想を口にするロンレンの隣で喋る四十代くらいの女性。彼女は今回の調査隊の責任者を務めるユイフェン。

 国土管理庁に勤めており、あらゆる土地の情報に精通しているベテラン職員。

 他にも各庁から派遣された職員がその場で魔域を確認し、初めて見た者は不安を露わにして、職務上の関係で何度か見たことがある者は国の悩みの種に不快な表情を浮かべる。


「あれが発生して広がったから、ご先祖様はあの地を追われたのね……」


 そんな中で一人、忌々しそうに魔域を眺める女性がいる。

 彼女は何代も前にこの地を治めていた、中位豪族イ家の現当主代理を務めているイ・スイレイ。婿養子で当主だった夫を病で亡くし、跡継ぎの長男がまだ幼いため当主代理に就いている。

 魔域の拡大により領地を捨てるしかなかった先祖の無念を語り継いでいる彼女は、調査対象の地をかつて治めていた家系の子孫ということで招集されたため、並々ならぬ気合いが入っていた。


「ロンレンさん、本当にあそこへ入れるんですか?」

「それをこれから確認するんでしょう?」


 ここまで来た一番の理由を告げられたユイフェンは、小さく頷く。


「そうでしたね。しかしまさか、内部への潜入を試みる日が訪れるとは思いもしませんでしたよ」


 遠い昔に魔域内部へ潜入しては死者や行方不明者を多く出したことから、現在では内部への潜入は禁止され、調査内容は可能な限り接近して観察したり領域の広がり具合を調査したり、周辺の様子を確認したりする程度にまで縮小されている。

 今回の潜入は公式記録によると約八十七年ぶりとなる。


「それでは皆さん、これより魔域への潜入の実証実験に入ります」

『了解!』


 ユイフィンの指示で調査隊は魔域へ接近し、十メートルほど距離を取った位置まで移動した。

 潜入するロンレンは数十メートルはある縄を腰に巻いてしっかりと縛り、反対側を兵士達が握る。


「いいですかロンレンさん。あなたにはこの縄が完全に伸びきるまで、魔域の中を進んでもらいます。伸びきったらしばらく中で待機して、こちらが合図をしたら合図を返して戻ってきてください。もしも伸びきる前に縄が止まってしばらく反応が無かったり、合図が返ってこなかったりしたら兵士の方々が縄を引いてあなたを救助します」

「合図は縄を二回引くんでしたね」

「その通りです。合図がしやすいよう、縄を僅かに弛ませるのを忘れないでくださいね。あと、中で何かあったらすぐに引き返して構いません。決して無理はしないように」

「分かりました。では、いってきます」


 確認をし終えて一礼したロンレンはさらに魔域へ接近し、目前の所で一旦止まって目の前を漂う霧を見つめる。

 これまでに多くの死者と行方不明者を出し、ただ一人の生還者も生存者も許さない魔境を前に、自分は寿命以外では死なないと分かっていても恐怖心が湧いてくる。

 緊張で心臓の鼓動は早くなり、体を縛り付けて動きを封じるかのような緊張感に包まれる。

 それは後方で控えている調査隊全員にも伝わり、自分が突入するわけでもないのに表情を強張らせている者もいた。


「ふぅ……。しっ! いくぞ」


 息を強く吐き両手で頬を叩いて気合い入れ、緊張と不安を無理矢理ねじ伏せ、飛び込むように魔域へ突入した。


『おぉっ……!』


 内部へ入ると後ろから調査隊の声が聞こえたが、当のロンレンはそれを気にしている余裕は無かった。


「これが魔域の中か。なんだよ、この暗さ」


 黒い霧によって光が遮られている影響か、魔域の内部は太陽が真上まで昇っている昼間にも関わらず、まるで夜中のように暗くて視界が悪い。

 徐々に目が慣れてきて数メートル先はどうにか見えるようになったものの、過去の報告通り雑草の一本も生えていない大地が広がっているようにしか見えない。

 ゆっくり歩きながら辺りを何度も見渡す表情は不安に包まれ、一歩を踏み出すのにも注意と決意が必要なほど慎重に歩を進める。


「土と石以外、何も無いじゃないか」


 見える範囲には完全に乾いた土だらけの大地しか存在せず、かつては植物があった名残も形跡も無い。

 歩いても歩いても変わらない光景に目を奪われていると、急に腰の辺りが引っ張られたような感覚に襲われる。

 何事かと振り向くと、腰に巻いていた縄が伸びきっていた。


「あっ、もう伸びきったのか」


 道中に一切の障害物が無かったため、何かに引っかかったということは無い。

 ここが調査隊と縄で繋がる限界地点なのだと理解したロンレンは、指示通りに数歩戻って縄を弛ませて合図をしやすいようにしておく。

 そのまま合図が来るまで周囲を確認するため辺りを見渡すが、やはり変わらない光景しか目に映らない。

 見上げてみても黒い霧で空どころか太陽すら見えず、見える範囲も狭いことから嫌が応にも不安が襲ってくる。


「そういえば、この中に入ってから苦しくも辛くもないな」


 不安を紛らわせるため別の事を考えようとして、ふと自身の体調に変化が無いことに気づく。

 体を斬られた時はちゃんと痛みがあったのだから、魔域に入れば毒か呪いで苦しむか不調に陥ると思っていた。

 ところが突入からここまで、ロンレンは一切の苦しさも辛さも感じていない。

 過去に潜入して死亡した者は全員胸を押さえながら死亡したため、何かしらの苦しさはあるかと思っていたのだが、それが無いことに首を傾げる。


「毒や呪いじゃないのか? 前に試した時は、治るまでの間は苦しかったはずなのに……」


 何度目かの会議の際、毒や呪いも本当に平気なのかという意見が出たため、ロンレンの許可を得て実証が行われたことがある。

 結果、首を斬られた時に痛みを感じたのと同じく一時的に毒や呪いによる苦しみに襲われたものの、十数秒で加護によって毒も呪いも浄化されて健康体に戻った。

 その時に受けた毒と呪いはかなり強力な物のため相当な苦しさだったが、魔域に入ってからはそうした苦しさを感じていないことに疑問を抱く。


「この霧は毒でも呪いでもないのか? だったらなんで死人が出るんだ」


 突入直後どころか潜入してそれなりの時間が立っているのに、違和感すら無いからこそ不思議でしかなかった。

 まったく理由が分からず首を傾げていると、腰の縄が二回引かれる。


「おっと、時間か。まずは合図をしてっと」


 指示通りに縄を二回引くと、迷わないように縄を手繰りながら来た道を戻っていく。

 気になることはあったものの、それは調査隊にいる研究者に任せようと頭を切り替え、周囲と足下に注意しながら縄を手繰って歩き続ける。

 一度は通ったとはいえ気をつけながら移動していくと、突如として視界が開けて明るさに目が眩む。


「うっ!」


 思わず手で光を遮り、閉じていた目をゆっくりと開ける。

 打って変わって明るい日差しの下では、調査隊の人々が驚きや喜びに包まれている姿が映った。

 その光景に安心感を覚えつつ、手繰っていた縄を手放して歩み寄っていく。


「ロンレンさん、どこも体に異常はありませんか? 変な感じは無いですか?」


 やや興奮気味なのを抑えているのが分かるユイフェンの問い掛けに、しっかりと頷く。


「大丈夫です。痛みも苦しみも全くありません」


 返事を聞いた調査隊の面々から大きな歓声が上がる。

 歴史上初の出来事の目撃者になれた興奮を抑えきれず、まだ実証実験が終わっただけなのに大騒ぎをしている。


「落ち着きなさい。まだ実証が終わっただけです!」


 責任者として周囲を諫めるユイフェンだが、顔色がやや赤く興奮を隠しているのが窺える。


「これより本格的な調査へ移行します。ただちに準備へ取り掛かりなさい!」

『了解!』


 救助役だった兵士達は敬礼し、競争するかのような勢いで陣へと駆け戻っていく。

 それと入れ替わるように、最後尾に控えていた研究者達が押し寄せる。


「魔域内部の様子を教えてもらえないか?」

「本当に雑草一本無かったのかね?」

「中にいる間、苦しかったかい?」

「苦しいんだとしたら、それは毒性のものか? それとも呪いによるものか!?」

「えっ、あっ、は、はい」


 腰に巻いている縄を解いて休もうとしたところへの質問の嵐に、一瞬怯みはしたが質問には答えていく。

 潜入した時間が短いため有益な情報なのかロンレンには分からないが、伝えられる範囲での情報を伝えると研究者達は早速検討だと陣へ走って行く。

 普段は全く運動などしないはずなのに、彼らの足取りは軽くて速かった。


「凄い勢いだな……」

「それだけ、あなたのやったことが大きいのです。ですがまだ始まったばかり、落ち着いて調査を願います」


 早口でそう言いながらも準備に向かった兵士達が戻るの待ちきれず、何度も陣へ視線を向けているユイフェンの方が落ち着いていない。

 若干の呆れ混じりにそう思っていると、陣の方から兵士達が荷物を運んできた。


「待たせた。既に荷物はこの背負子に固定してあるぞ」

「これが食料と水が入っている袋、こっちの袋には事前に会議で決めた道具が入っている」

「外套と防具、それと短剣だ。念のために身に着けて行け」

「別に水筒を何本か用意しておいたぞ。取りやすいよう、背負子に括りつけておけ」

「地図と方位磁針だ。これだけは絶対に失くすんじゃないぞ」

「ありがとうございます」


 受け取った薄い金属製の手甲と脛当てと胸当てを装着し、短剣を腰に差して外套を纏い、荷物を固定した背負子を担ぐ。

 別に用意された竹製の水筒数本は取りやすいよう、背負子の側面に括りつけておく。

 最後に地図を背負子の脇に差し、方位磁針で進行方向の方角を確認して準備は完了する。


「では、いってきます」

「どうか、お気をつけて」


 言葉を交わして再度魔域へと突入するロンレンへ、兵士達は敬礼で、それ以外の面々は手を大きく振って見送る。

 しかしロンレンは一度も振り返らず、再び魔域へと足を踏み入れると立ち止まり、改めて体の状態を確認する。


「うん、やっぱり苦しくも辛くもないか」


 体調が問題無いと分かると、方位磁針で方角を確認しながら慎重に歩を進めていく。

 この一月で鍛えた成果か、重い背負子を担いでいても歩みはしっかりしている。

 だからといって調子に乗って早足になることはせず、周囲と方角を注意しながら奥地へと進む。


「さぁて、何が待っていることやら」


 そう呟いて歩き続けるが、見える光景はやはり一切変化しない。

 どれだけ歩いても雑草一本生えていない、不毛の荒野が広がるだけで何も無い。

 あるのは周囲を覆う黒い霧と硬い土の地面、それと足下にたまに転がっている石ばかりで虫の一匹も存在しない。

 それでも調査の為に歩き続けるが景色が変わることはなく、土ばかりの荒れ果てた光景が続くのみ。


「こりゃあ、本当に死の大地だな」


 硬くて水気の無い土を踏みしめながら眺める景色は、茶色の地面と黒い霧ばかり。

 植物の緑、水や空の青、雲の白、太陽の明るさ。

 そういった日常にあった色合いが一切存在しない世界は、とても寂しく見える。


「この方向へ進めば一番近い農村への用水路があるはずだけど、どうなってるかな」


 一旦立ち止まり背負子に差してある地図を広げ、方位磁針で方向に間違いがないか確認する。

 地図には魔域によって覆われてしまった地の情報が、事細かに書き込まれている。

 実は今回の調査には元々、旧イ家の領地の大きさと形状が描かれただけの地図が使われる予定だった。

 というのも、何代か前の皇帝が魔域に覆われた地の情報はもう不要だろうと、町や村の位置や街道を記した資料を全て処分させてしまっていたからだ。

 それが詳細な地図になったのは、ひとえに歴代のイ家の当主のお陰だった。

 イ家ではかつての領地で育んだ領民達の営みを忘れないようにと、歴代の当主が領地の情報を記した書物や古い地図を代々受け継ぎ守り続けていた。

 これらがスイレイによって持ち込まれた時は、国土管理庁の長官だけでなくホウセイも驚くと同時に深く感謝し、歴代のイ家の当主への礼も込めてスイレイには褒章金が与えられ、詳細な地図の作製に至った。


(とにかく、進むしかないか)


 最も近い村へ向かうための道標にするのと、水場の近くにいれば今後の調査で飲み水に困る事はないと考えて用水路を目指す。

 しかし黒い霧のせいで視界が悪いため、どれだけ歩いても水路らしきものは見えない。


(もう少しのはずなんだけど。せめてもう少し、視界が良ければな……)


 常に方角を確認しながら移動している以上、進んでいる方向に間違いはない。

 それなのに辿り着かないことを不思議に思いつつ目を凝らしていると、少し先の地面が無くなっているのに気づく。


「うわっ!」


 思わず声を上げて立ち止まる。

 注意していたお陰で落下せずに済んだものの、どうして急に地面が無くなったのかと膝を着いて下を覗き込むと、視界が悪い中でうっすら地面の存在を確認することができた。


「なんだよ、驚かせやがって」


 視界が悪くて地面が無くなっているように見えただけで、単に地面が陥没しているだけだと気づいたロンレンは一安心し、陥没している箇所を避けようする。

 ところが陥没は途切れることなく、どこまでも続いていく。


「どうなってんだ? 普通の陥没じゃないぞ」


 おかしいと思って陥没している地面を観察すると、それは陥没している訳ではないと気づいた。


「これ、誰かが作ったのか?」


 自然に出来たにしては側面が整っていて、人の手で固められたものであることに気づく。

 視界が悪くとも地面が見えたことから高さはさほどでもないと判断したロンレンは、下に降りて確認するために背負子を下ろし、荷物の中にある縄を使って先に背負子を下へ移してから自身はその場から跳んだ。

 およそ三メートルぐらいの高さから跳び下りて着地すると、対面側にも壁が見えたので慎重に近づく。

 するとそこにはたった今飛び降りたのと同じ高さの壁が立っていて、これも人の手によって固められたように形が整っていた。

 どこまでも続く人の手で作られたこの場所が何なのか、ここでようやく気づくことができた。


「これって穴とか陥没じゃなくて、溝か? あっ、ひょっとして……」


 ある結論に至ったロンレンは地図と方位磁針で向かう予定の村の方角を確かめ、溝の先がそうだと分かると背負子を担ぎ直してそちらへ向かう。

 注意はしつつも早足で溝の中を進んで行った先には、今いる溝よりもずっと深く陥没している地面があった。

 そこで溝から上がり、縄を縛っておいた背負子を持ち上げて担ぎ直して辺りを調べていくうちに、予想が当たっていたことを知る。


「やっぱり。さっきのが探していた用水路だったのか」


 周辺を調べてみて確認したのは崩壊寸前なほど朽ち果てた小屋や崩れ落ちた家屋、何も育ちそうにない硬い土だらけになってしまった畑だった形跡のある区画。

 そして用水路の先にあった、水の一滴も残っていない溜め池だった穴と排水用の水路。

 もしも視界が開けていれば一目で廃墟と化した村と分かっただろうが、視界が悪かったためそれを確認して回ったロンレンは、余計にここが廃れた地なのだと思い知らされた。


「とにかく、もう少しこの村を調べてみるか」


 だからといって調査をしない訳にはいかず、せめて活動の拠点として使える家屋はないかと、気を取り直して村内を調べに歩き出す。

 まだ魔域内部の調査は、始まったばかりである。


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