試験終了! マジックアローの新たなる可能性!
俺の背後から声が響いた。
「ナンバー389! 計器が鳴っているぞ! 時間切れだ。諦めて外に出ろ!」
少し遠い場所にあった俺の意識がすっと戻ってくる。
試験官の言葉の通り、計器からけたたましい音が鳴り響いていた。
ああ……呆然としすぎて音が耳に届いていなかった。
俺はのろのろと手を伸ばすと計器のスイッチを押した。音が鳴り止む。
「すいません……もう出ます」
俺はゆっくりと立ち上がり、持ち上げた壺を試験官に押しつけた。
「ん……、これは、ディスペルできているのか……?」
試験官がしげしげと壺を見る。
壺は魔力付与前の状態に戻っていた。ただの壺。
「はい。ぎりぎり間に合ったようです」
「……計器は鳴っていたが、まあ、いいだろう。通過と見なす」
俺は教室へと戻り、筆記試験に取り組み始めた。
筆記試験はそれほど問題ではなかった。受験生だった頃に死ぬほど勉強していたから。少しばかり記憶が遠いが、合格点をとるのは支障がないだろう。
だが、筆記試験などもうどうもでよかった。
俺の頭はぐるぐると第二実技試験の最後の瞬間を何度も映し続けていた。
あのとき。
俺の打ち放ったマジックアローは――
壺を打ち砕かなかった。
すっと壺の中へと吸い込まれていき、直後、きん、という小さな音ともに壺を覆っている光が霧散した。
マジックアローは俺のもくろみどおり魔力だけを打ち抜いたのだ。
俺はその光景を生涯忘れないだろう。
俺は見たのだ。
新たなる可能性を。
そんなことができるなんてまったく想像していなかった。
まだ俺には歩くべき場所がある。
俺の世界は断絶していなかった。
俺の世界には続きがあったのだ。
なんとなくで始めた二度目の魔術学院の受験にも意味があるのではないか?
魔術学院に入学して、その可能性を追求することこそが俺のやるべきことではないか?
俺の胸の奥で、魔術学院への入学を望む気持ちがむくむくと膨れあがっていた。
さっきまでは落ちてもいいと思っていた。受かっても辞退することも考えていた。
ただの暇つぶし。
そんな気持ちで俺は臨んでいた。
だが、今はもうそんな気持ちは毛頭ない。
俺は心の底から魔術学院に入ってみたいと思った。
ひょっとすると――
一度目では手に入らなかったものに手が届くかもしれない。
いや、届かせたい。
一〇年ぶりに――いや、おそらくは生まれて初めて俺の心に火が灯った瞬間だった。
「時間だ! 筆記試験を終了する。筆記具を置くように!」
試験が終わった。
「試験結果は三日後、正門のすぐ近くに掲示する。合格したものは事務室に手続き書類を取りにくるように!」
俺は教室を出てローラと合流した。
「終わりましたね、アルベルトさん!」
「ああ、そうだな」
俺たちはぶらぶらと校舎の外へと歩き出す。
「ディスペル・マジックは大丈夫でした?」
「……ああ、何とか」
「本当ですか!? よかったじゃないですか!」
「時間ぎりぎりだけどね……奇跡って起こるんだなと思ったよ」
「奇跡なんて! そんなことないですよ! アルベルトさんの頑張りが実を結んだんですよ!」
「そうだったら嬉しいな」
「絶対にそうですから!」
確かにそうであって欲しいと思った。
俺がマジックアローに捧げた一〇年間の結実であればこれほど嬉しいことはない。
「……ローラはディスペル・マジックうまくいった?」
「はい! 大丈夫です。マジックアローより得意ですから!」
「じゃあ、もう受かったも同然だね」
「……どうでしょう……自信はあるんですけど。それでも不安ばかり頭によぎります。落ちたらどうしようって」
「そういう気持ちはわかるよ」
というか、今の俺の気持ちがまさにそれだ。
やる気が出てきたぶん、落第が恐ろしい。
受かっていて欲しい。
ひょっとすると現役時代よりも強い想いで俺はそう願った。
なんてことを話しながら俺たちは正門までやってきた。
ローラがぺこりと頭を下げる。
「今日はいろいろ助けていただいてありがとうございました、アルベルトさん!」
ああ……俺は言葉と仕草の意味を理解した。
テストは終わった。
俺とローラをつないでいた小さな縁も終わったのだ。
「そんなに喜んでもらえて俺も嬉しいよ」
「はい! 本当にありがとうございます」
そこでローラが付け加えた。
「わたしは結果発表の日まで王都の宿屋に泊まろうと思います」
「なかなか豪勢だね」
「いえいえ! お金がないので安宿ですから! それでですね――」
「うん」
「よかったら発表の日、一緒に結果を見にいきませんか?」
どうやら、俺と彼女の縁はまだ途切れていないようだ。
ローラが不安げな様子で言葉を続ける。
「ちょっと胸がどきどきしていて……一緒に来てくれると嬉しいんですけど、どうでしょうか?」
「構わないよ」
「本当ですか!?」
ローラが嬉しそうに両手を組み合わせる。
「よかった! せっかくだから一緒に合格しましょうね!」
「ああ。そうだな」
待ち合わせの場所と時間を決めて俺たちはそこで別れた。
三日もある。俺は家に帰るつもりだった。別に金には困っていないので王都に泊まってもいいのだが――
知り合いにあう可能性が嫌だった。
貴族の子息だった頃の知り合いにも、魔術学院時代の知り合いにも会いたいとは思わなかった。
もう俺はアルベルト・リュミナスではない。
ただのアルベルトだから。
昔の俺を知っている人間とは会いたくなかった。
今日この日の一歩が、俺の人生における新たなる道の始まりだったらいいのに。
いや、始まって欲しい。
俺はせつにそう願った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
結果発表を翌日に迎えた日の昼。
魔術学院の教師たちが大会議室に集結していた。大きな円卓には受験生たちの登録用紙やテストの結果が所狭しと広げられている。
彼らはついさっきまで当落ラインを熱心に議論していたのだ。
試験を取り仕切っている年配の教師が立ち上がる。
「では、明日の結果発表はさっき決まったラインで判定します!」
教師たちがうなずいた。
この瞬間、結果は確定された。
円卓に広げられた『受験生ナンバー389、アルベルト』の用紙には黒い印鑑が押されていた。
『不合格』の文字が――