封印されし九頭龍の残滓
「九頭龍?」
俺は首をひねった。
「なんだそれは?」
「この湖に大昔から封じられている龍よ」
俺は湖を見た。
確かに……かなり広い湖なので龍くらいはいそうだが。
「だけど、封じられているんだろ? そいつにどうしていけにえが必要なんだ?」
「ごめんなさい、言葉が足りなかったわ」
話を切ってから女が言葉を続ける。
「九頭龍を封じている封印――それを維持するために若い女の命が必要なのよ――二年に一度ね」
「……ひどい話だな……」
いけにえとは――まさかそんな話があったとは。
「だけど本当にいるのか、その九頭龍とやらは? 昔の伝承か何かだけで、本当はそんなものいないんじゃないか?」
だとすれば、いけにえ自体が無駄なことだ。
女は首を振った。
「そんなことはない。この雨はもう一ヶ月近くここで降り続いている。これは九頭龍の力が漏れ出ているから」
「……ただの長雨じゃないのか?」
「いえ、違う」
そう言って女が湖中央の空を指さした。
「あれがこの雨の原因――村の人たちはそう言っていたわ」
確かに、異様な『何か』があった。
雲の向こう側にあるので何かよくわからないが――大きくて丸い影が浮かんでいる。
あんなものを俺は見たことがない。
女が話を続けた。
「このまま雨が降り続けるなら村は生活できなくなる。雨を止めるには誰か若い女がいけにえになるしかなかったの……」
最後はとても悲しそうな声だった。
「そうやって、この村は何百年も生きながらえてきた」
「そうか……」
聞いているだけでつらい話だった。
まさか、そんなことが放置されていただなんて。
俺は空を見上げた。
「雨がやめばいいんだがな」
「やまない。あれが空にある限り。そして、女が捧げられれば雨はやむ――それが村の言い伝えよ」
「そうか。あれか」
俺はじっと空に浮かぶ丸い影を見た。
「ローラ。あそこまではどれくらいの距離だろう?」
「そうですね……雨雲の高さは五〇〇メートルとか一キロとかって教えてもらった気がします」
「意外と近いんだな」
「どうするんですか?」
「マジックアローで撃ってみよう」
「え!? あんなに遠いのに!?」
「忘れたのか、ローラ。俺のマジックアローの射程距離は――」
俺は右手を雲に向けて続けた。
「13kmだ」
そして、引き金となる言葉を口にする。
「マジックアロー」
俺の手から放たれた白い矢が黒い雲へと突進する。
雲の裏にある影にマジックアローが突き刺さった。
ごがっ!
大きな音が空に響く。
次いで、まるで何かが炸裂したかのような閃光が空に広がった。そのまぶしさに俺は思わず腕で顔を覆う。
光がおさまった後――
顔を上げた俺の目に広がったのは――
抜けるような青空だった。
「え……そ、そんな……」
女が信じられないという様子で空を見る。
「すごいすごい! すごいです! アルベルトさん! あの雨雲を何とかしちゃうなんて!」
ローラがぴょんぴょんと跳ねて喜んでいた。
「雨はやんだが……これであなたはいけにえにならなくてもいいのかな?」
「は、ははは、は……」
女はすとんと腰を落とすと、全身の力が抜けたかのように両腕を地についた。
「し、死ななくていいんだ――わたし……死ななくていいんだ……」
女の目から涙があふれた。それは頬を伝い、ぼたぼたと地面へとこぼれていく。
「死ななくていいんんだああああああああああああああ!」
恐怖から解放された女が大声で叫んだ。
村のためだから仕方がない――死という恐怖を必死に押し込めて命を捨てる決心をした――
そんな彼女が自らの生を喜び涙を流す。
俺は今日この日のことを忘れたくないと思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺とローラは女とともに村へと向かった。
雨がやんだのに、いけにえの女が戻ってきた――さすがに説明をする人間がいるだろう。
村にたどり着くと、突然の晴れ空を見上げる村人たちが外に姿を現していた。
そんな村人たちが俺たちの姿を見てぎょっとなる。
その目は異邦人である俺やローラではなく――
一緒に歩いているいけにえの女に向けられていた。
「え、ど、どうして――?」
「……雨はやんだはずなのに……?」
村人たちは信じられないような顔で女を見る。
俺たちは足を止めた。
女は神妙な顔のまま前へと出る。
「みんな、聞いて! もういけにえは必要ないの!」
「どういうことだ!」
怒ったような口調で村人が言う。
女は負けずに言い返した。
「この男の人が雨雲を破壊してくれた! だから、わたしは生きているし、雨も降らなくなった!」
村人たちの視線がいっせいに俺に集まる。
……何かを言わないとダメか。
「俺の名前はアルベルト! 確かに俺が雨雲を破壊した! 彼女の言うとおりだ! だから彼女を責めないで欲しい!」
村人たちは困惑した顔でお互いを見た。
どう反応したらいいのか。その答えを互いに求めている様子だ。
そのとき――
「ならぬ!」
雷鳴のような声が村に響き渡った。
村人たちがびくりと身体を震わせて声の方角に顔を向ける。
「大村長……!」
そこには顔に深いしわを刻んだ白いあごひげの小柄な古老が立っていた。
「雨雲など、ただの前兆! 本質は九頭龍の封印が解けかけていることじゃ! 九頭龍が目覚めればこの村どころではなく――この地そのものが滅びる! いけにえを捧げよ! それは曲げられぬ!」
週2更新(水・日)ですので次回は8/9です。
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