その魔術書の名は――(上)
まだ夏休みの中頃――
依頼書の六割くらいを消化しただろうか。
俺たちはリュミナス領の街グレハラに立ち寄った。
「アルベルトさん、ここも大きな街ですね!」
きょろきょろと周りの風景を見ながらローラが言う。
「このグレハラはリュミナス第二の都市と言われているからね」
「へー……でも雰囲気が違いますね。リュミナスはもっと快活だった気がしますけど、こっちは落ち着いているというか」
「住民の気質だろうね――」
俺は街を行き交う人たちの服装に視線を向ける。リュミナスの人々に比べて服装がフォーマルというか、堅い感じのものが多い。
「ここはね、学術都市なんだ」
「学術都市?」
「領都リュミナスは商業の中心地、グレハラは学問の中心地なんだ」
「あー、そういうことですか……あれ? この街の依頼書ってありましたっけ?」
「いや、ここにはそういう理由で来たんじゃないんだよ」
「え?」
「ローラを連れていきたい場所があってね」
リュミナス領にローラと一緒に戻ると決まったとき、時間があれば寄りたいと思っていたのがここだ。
「わ、連れていきたい場所がある!? 嬉しい! どこですか!?」
「もう少しだよ――ほら、あそこ」
ここはグレハラの中心地。新しくて綺麗な建物が多いなか、歴史を感じさせる大きな建物がそこにあった。
入り口へと向かいながら俺はローラに話をする。
「ここはね、リュミナス家の倉庫なんだよ」
「倉庫!? 街の中心に! 倉庫!?」
ローラがのけぞる。
「しかも、ちょっと大きすぎじゃないですか!?」
「あー……一部は美術館として解放しているから――街の人たちにとっては美術館かもしれない」
……リュミナス家からすると倉庫なので、うっかりそう呼んでしまった……。
俺は美術館の受付にリュミナスの紋章板を見せた。これまた丁寧な扱いを受けて専用口から奧へと通される。
俺たちが案内されたのは奧の奥にある最奥の部屋だった。
「こちらでございます。アルベルトさま」
対応してくれた女性の主任が俺に鍵を渡す。
「ありがとう。……あとでこの子に鍵を渡すけどいいかな?」
女性主任はちらりとローラを見てからこう答えた。
「アルベルトさまがご信頼されている方でしたら構いません……ただ、何か起こりました場合は――」
「もちろん、俺の責任でいい」
「でありましたら問題ありません」
女性主任は俺に一礼すると廊下を戻っていった。
「な、ななな、何かすごいものでもあるんですか、ここ!?」
ローラが肩をふるわせながら言う。
「ローラならきっと喜んでくれるものがあるよ」
俺は鍵でドアを開き、なかへと入っていった。
そこには無数の本棚が並んでいた。そのどれにもみっしりと本が敷き詰められている。
「すごい本の数……!」
ローラは部屋に入って周りを見回す。本棚に近付いて、その背表紙をじっと見た。
「これ、魔術書ですか?」
「ああ。魔術書というか、魔術に関係する本が収められている。何代か前のリュミナス当主が集めたものらしい」
本人には魔術の才能がなかったが、なぜか魔術の魅力に取り憑かれて偏執的に関係する本を集めていたらしい。
子供の頃、俺もここに来て勉強したものだ。
……まったく身につかなかったが……。
だが、ローラなら役に立ててくれると思うのだ。
「学院にも大きな図書館があるけど、ここは個人の所有物だから、ここにしかない本もたくさんある。ローラ、自由に出入りしていいから一週間ほど勉強してみないか? きっとローラのためになると思うんだ」
「そ、そんなことを――させてもらえるんですか!?」
ローラは嬉しそうな顔をしたが、すぐその顔に困惑が映る。
「でもさっき、わたしが鍵を受け取るみたいな話でしたね。……アルベルトさんはどうするんですか?」
「俺は依頼書の処理を頑張るよ。また一週間後に会おう」
……ここで成長がないのは実証済みだしな……。
それに村でのやりとりにもだいぶ慣れてきた。ローラという橋渡しがいなくてもできるか自分を試したい気持ちもある。
「……そうですか……」
ローラは残念そうな顔をしたが、すぐに表情を切り替えた。
「アルベルトさんと一緒がよかったですけど、せっかくの機会ですから! 頑張ろうと思います!」
「うん、そうしてくれると俺も嬉しいよ」
俺はローラに鍵を渡すと部屋を出ていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから連日ローラは最奥の部屋で勉強に励んだ。
さすがにリュミナス侯爵家の書庫。学院だと一般生徒ではお目にかかれないような本がぞろぞろと並んでいる。
ローラはむさぼるように本に目を通した。
最初の何日かは夢中になって勉強していたが――
そのとき、なぜか、ふと――
集中力が途切れてしまった。
そして、思ったことはこうだった。
(今ごろアルベルトさん、どうしているかな……)
そのまま思考は勉強から逸れていってしまう。
ローラは今までのことを思い返していた。
そして、ぽつりと口からこぼれる。
「まるで夢を見ているような日々だな……」
アルベルトと出会ってからあっという間だった。
少しだけ魔術が得意な村人として変わりない日々を過ごしていたのに。
そんなローラを不思議な日常に誘った張本人。最初は普通の人だと思っていたアルベルトが――
まさか侯爵家の息子だったなんて。
「わたし、恵まれてるな」
周りを見渡してローラはそう言った。
侯爵家で歓待を受け、こんな秘蔵の書庫で勉強までさせてもらっている。
領地の旅も楽しくて仕方がない。
すべてアルベルトが与えてくれたものだ。
だけど――
少しだけ、え? と思ったことがある。
ここを紹介されたときだ。
ローラは当時の気持ちを思い出す。
――ローラを連れていきたい場所があってね。
そう言われて、ローラは無意識にこう思った。
きっとそれは二人で行くにふさわしい、何か想い出になる素敵な場所だろうと。
それが、この寒々とした書庫である。
ロマンティックさのかけらもない。
(――!?)
そこまで考えて、ローラは頭をぶんぶんと振った。
(ななな、何を考えているの、ローラ! アルベルトさんは友達じゃない! 友達なのに! そんなこと考えるほうが変!)
落ち着いてからローラは言った。
寂しげな声で。
「それに、そんなの考えちゃダメなんだよ……」
なぜなら、ローラは平民だから。
なぜなら、アルベルトは貴族だから。
そんな対象になれるはずがないのだから。
(友達でいれるだけでも充分なんだ。あれほどの方がわたしなんて――呪われた血族の人間を相手してくれているんだから)
ローラは小さく息を吐く。
ローラはそのとき、無自覚に外した指輪をもてあそんでいた。
それはローラが左手の人差し指につけている指輪だった。
村で白髪の魔術師が産まれた場合、引き継がれている指輪なのだそうだ。ローラは集中力が切れると無意識のうちにそれを外して触るのが癖だった。
そのとき――
ちりん。
「あ」
指輪が音を響かせて床に落ちた。指輪は横にならず縦のまま、ころころと床を転がっていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
ローラは慌てて立ち上がる。村に代々伝わるものだ。なくしてしまうわけにはいかない。
指輪は止まらない。
くるくる――くるくると。
奧へ奧へと転がっていく。
まるで、そう。
何かに導かれるように――
やがて、指輪が回転をやめた。とある本棚の手前で動きが止まる。
「ああ! よかった!」
慌ててローラはそれを回収して自分の指にとりつけた。
そのとき。
かがんだローラの目に一冊の本のタイトルが飛び込んできた。
それはまるで脳に焼き付いたかのようにくっきりとローラの意識に映り込む。
「こ、これは――」
ローラはそのタイトルをじっと見た。
『厄災の魔女』
そう書かれた本がそこにあった。
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