王立魔術学院へ
「え、え、ええええええええええええええええ!?」
俺の腰のあたりからローラの悲鳴が聞こえた。
今の状況を端的に説明すると、俺たちは空を飛んでいる。地表を見下ろし天高く青空を突っ切っていた。
空を飛ぶフライトの魔術というものがあるが――
もちろん、俺は使えない。
俺が使えるのはマジックアローのみ。
よって、これもマジックアローだ。
俺は射出したマジックアローをつかみ、アローに引っ張ってもらうことで空を飛んでいるのだ。
二人分の体重となると結構な重さだが、魔術の効果なのか不思議とそれも感じない。
まるで自分が翼になったような気分だ。
なぜこんなことができるようになったのか――
俺にもよくわからない。
学生の頃はこんな芸当できなかったのだが。
思い当たるふしがあるとすれば隠居してからの日々だろう。
俺は来る日も来る日も暇があればずっと魔術書を読みふけった。
そこにあるマジックアローのあるページだけを。
俺からすべてを奪ったマジックアローだったが、俺はそれを捨てることができなかった。
俺はそれしか持っていなかったからだ。
だから、この一〇年間俺はすがりつくようにマジックアローの魔術を研究し続けた。
そうすると……いつの日か俺のマジックアローは少しばかり強化されたようだ。
その成果がこれだ。
特に誇るほどのものでもないが。
なぜなら魔術師の格は使える魔術の数で決まる。
たとえば最高峰である伝説の魔術師マグナスは一〇〇〇の魔術を操り、ワン・サウザンドと称えられている。
一般的に『魔術師として一人前』と呼ばれるのが一〇〇の魔術を習得すること。
ハンドレッド。
その称号は魔術師たちの垂涎なのだ。
それほどに使える魔術の数は重要。
俺のマジックアローが少しくらい強くなったところで、ひとつの魔術しか使えない俺が落ちこぼれなのは変わらないのだ。
「――ベルトさん、アルベルトさん!」
俺の思考をローラが断ち切った。
「す、すごいです。こ、こんなの! こんなマジックアロー!? か、革命じゃないですか!?」
「……ありがとう」
俺は小さく応えた。
おそらくローラは気を遣ってくれているようだ。一〇も年下の子だというのに。
俺が俺の至らなさを一番わかっている。
……ん?
俺はつかむマジックアローの勢いが弱まっているのを感じた。
どうやら射程限界の13kmが近づいているようだ。
俺は空いている左手を前に差し出す。
「マジックアロー」
発動と同時、古いマジックアローから新しいマジックアローへと乗り換える。
速度がぐんと上がった。
「こんな魔法、見たことなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
復活した加速度に驚いたのかローラの語尾が悲鳴に変わった。
いったい何を言おうとしたのだろう?
「気をつけろよ。無駄に喋ると舌を噛むぞ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
マジックアローを何回か乗り継ぎ、ほどなくして俺たちは王都の上空へと到着した。
巨大な王城の近くに、壮麗な魔術学院の校舎が見える。
……いつもならあまり目を向けないようにしていたのだが、今日は目的地だから仕方がない。
一〇年前と変わらない姿で、何も変わっていなかったかのように――俺の入学も退学も気づいてすらいないように、それはそのままの姿でたたずんでいる。
俺の腰に抱きついたローラの腕に力がこもる。
「……あれが、王立魔術学院なんですね」
その声には熱のような憧憬がこもっていた。
懐かしい気持ちを思い出す。
そう、俺にもあったのだ。魔術学院への憧れと――それに入学できたという誇りが。
「そうだな」
今はただ苦い記憶でしかないが……。
俺たちは学院近くの人気のないところに降りた。学院の正門へと歩いていく。
正門に近づくにつれ、ローラと同年代の少年少女たちの密度が増した。どの顔にも緊張が浮かんでいる。
仕方がないだろう。
彼らもまた試験を受けに来たのだ。今日この日こそがまるで人生の分岐路のように感じ、一歩一歩を踏みしめているに違いない。
彼らがまだ外を歩いているということは――
「ついたぞ」
俺たちは正門の前に立った。
「間に合ったな」
「あ、ありがとうございます、アルベルトさん!」
興奮しすぎたのかローラが素っ頓狂な声をあげる。
学院の校舎に掲げられた大きな時計を見ると、昼までにはまだずいぶんと時間がある。
「じゃあ、頑張ってね」
そう言って俺はほほ笑みかける。きびすを返そうとして――
誰かが俺の右腕をつかんだ。
ローラだった。
俺は首を傾げた。
「……まだ俺に何か用か?」
「あ、あの! あの! アルベルトさんも、その、魔術学院を受験されてはいかがでしょうか!?」
「……俺が?」
「魔術学院に興味があるとおっしゃってましたよね? さっきのマジックアローは素晴らしいと思います! その才能を――世に示さないとダメだと思うんです!」
「……」
ローラは俺を誤解している。
……俺はマジックアローが使えるが――マジックアローしか使えない魔術師。
ワン・サウザンドのマグナスを頂点とするのなら、俺はその一〇〇〇分の一の価値しかない男なのだ。
過大評価。
少しばかりマジックアローが得意なだけの男でしかないのに。
それに一度は逃げ出した場所。人生における敗北を刻まれた場所。そんな場所に再び立つ気力など俺にあるはずがない。
だが――
なぜだろう。
俺の心は一〇〇%の拒否を示さなかった。後ろ髪引かれる想い――そんな感じの引っかかる気持ちがあった。
興味はない。
そう一刀両断し、ローラの前から消えるのはたやすい。
しかし、俺にはそれができなかった。
俺ひとりでは決してこの学院に近づかなかっただろう。入学試験を再び受けるなど考えもしなかった。
だが、それは起こったのだ。
ローラをこの日この場所に連れてきたから。
その偶然に意味はあるのか?
わからない。わかっているのは、俺の心は明らかにローラからの誘いを断ることに戸惑いを覚えていることだ。
俺は俺の心のままに答えた。
「……そうだな。せっかくだ。受けてみよう」
俺の言葉を聞き、ローラの表情が輝いた。
「はい! そうしましょう! 一緒に頑張りましょう!」
俺は正門をくぐって学院へと入り込む。
こうして――
一〇年前に止まった俺の時間は再び動き始めたのだ。