マジックアローしか使えない落ちこぼれ、追放される
「マジックアロー」
言うと同時、斜め上に向けた俺の手から白い矢が放たれる。それは一直線に空を走り、遠くを飛ぶ鳥に命中した。
鳥は悲鳴を上げるような仕草をした後、そのままバランスを崩して真下へと落下していく。
どうやら今日の夕食にはありつけたらしい。
俺は鳥の落ちた方角へと歩き始めた。
マジックアロー。
それは差し出した手から魔力の矢を打ち出す魔術だ。
幼子ですら知っている魔術の定番であり初歩の初歩。すべての魔術師見習いが最初に覚えると言っても過言ではない魔術。
そう、俺もまた例外ではない。
俺が最初に覚えた魔術であり――
俺が最後に覚えた魔術である。
今の言葉は俺の二六年の人生をそのまま表している。たった二行。それが俺の人生のすべてだ。
俺は貴族である侯爵家に生まれた。
長男として産まれた俺だが、あまりできのいい人間ではなかった。優秀な弟とよく比較され、さんざん陰口をたたかれた。
「アルベルトさまの残念なことよ。まさに愚鈍を絵に描いたような人物だ。弟さまと比べると本当に憐れな! ご両親の気持ちを想うと胸が痛む。産まれる順番が逆であれば悩むこともなかろうに!」
悔しかったが――
何も言い返せなかった。それは事実だから。俺を見つめる両親の目すらそれを事実だと認めていたから。
だが、そんな俺にもひとつだけ才能があった――いや、才能があると信じられたものが。
それが魔術だ。
俺は特に何の訓練もしないまま、マジックアローが使えたのだ。
当時の俺はまだ一〇歳。
それは本当にみんなを驚かせた。
「あの愚鈍の兄に魔術の才能が!」
俺を見る両親の目に初めて喜びと自慢の光が浮かんだ瞬間だった。
それから俺は魔術の勉強に没頭した。
結局、マジックアロー以外に使える魔術は増えなかったが、両親は俺を見守ってくれた。
「アルベルト、魔術師とは幼年の頃から厳しい訓練を受けたものだけがなれる職業だ。まだ焦ることはない」
俺もまた自分の才能を信じていた。
俺はできる、きっと何者かになれる。この才能があるからこそ俺は他のすべての才能に恵まれなかったのだと。
一五歳になった俺はそれを証明するため、王都の魔術学校へと進学した。
そして――
そこで挫折した。
周りのレベルの高さに圧倒されたからではない。それ以前の問題、俺自身のレベルの低さを克服できなかった。
俺はマジックアロー以外の魔術を覚えられなかったのだ。
魔術学校だけあって、すでに一〇程度の魔術を扱える生徒はごろごろいた。
俺は思った。いつか追いつくと。
だが、俺は何ひとつ新しい魔術が覚えられなかった。その差はどこまでも開くだけ。
それどころか俺は俺と同じレベルだった学生たちからも差をつけられ始めた。俺がマジックアローだけで止まっている間に、他の生徒たちはぐんぐんと新しい魔術を覚えていく。
俺だけが取り残されていた。
魔術師の格は使える魔術の数で決まる。
いつの間にか俺は『神童』から『劣等生』となっていたのだ。
結局、俺は一年と経たずに魔術学院から逃げ出した。自主退学ではない。文字通り逃げたのだ。寮から荷物を持ち出して誰にも何も言わずに逃げた。
俺があると信じて疑わなかったもの、それがなかった事実。俺が愚鈍以外の何物でもなかった現実。
それらに打ちのめされて――
追い詰められていたのだ。逃げるしかできないほどに。
親から生活費として渡された金があったので、それでしばらく放浪した。家に帰りたくなかったからだ。両親の冷たい目――それを見るのが怖かった。
だが、金が尽きた。
当時の俺は世間を知らない貴族の子供。ひとりで生きていけるほどの器量もない。
食うに困った俺は実家の門を叩いた。
待っていたのは両親と弟の冷たい目だった。
父親は言った。
「家の面汚しめ」
と。
「あの学校には貴族の子弟たちもたくさんいる。おかげでわが家は笑いものだよ。学校から逃げ出した恥知らずの家だとな」
そして、こう続けた。
「やはり愚鈍は愚鈍か。何も期待せずに家に閉じ込めておくべきだった。少なくとも家名に傷はつかなかったからな」
愚鈍。
それは実の父の口から初めて聞く言葉だった。父が俺をそう思っているのは知っていたが、父には父なりの配慮があるようで、それを俺に向かって言うことは今までなかった。
その言葉を、父はついに口にした。
「ち、父上――」
俺は口を開いた。何かを言わなければと思った。
だが、父は耳を貸さなかった。俺の発言など無視するかのように言葉を発した。
「もういい。喋るな。何もするな。何も期待させるな。お前はいなくていい。私たちの前から消えてくれればいい」
そして、最後にこう付け加えた。
「お前は追放だ。二度とリュミナスの名を名乗るな」
俺は家から追い出された。
と言っても別に無一文で追い出されたわけではない。父は親としての最後の務めとばかりに俺に住処を用意し、生活費の仕送りもしてくれた。
つまりは手切れ金だ。
それから一〇年。
俺は与えられた住居で今ひとり暮らしをしている。数年前までは身の回りを世話してくれる年老いたメイドがいたが、年齢を理由に引退してしまった。
新しいメイドはいれなかった。打ち落とした鳥の解体ができる程度に生活力を身につけていたからだ。
などと考えているうちに俺は目的の場所へとたどり着いた。
「あったあった」
林から出てきた俺は草地に落ちている鳥を発見した。
俺の家は王都から少し離れた場所にある。周囲を密度の薄い林に囲まれたのどかなところだ。もともとは父の知り合いの老貴族が所有していた別荘らしく、それを父が譲り受けたらしい。
俺は事切れている鳥に近づき――
びくりとした。
王都へと続く街道、その脇の木陰に誰かが座っていたからだ。
確かに王都への街道であるのだが、ここはメインルートではないため滅多に人は通らない。
なので、人がいるとは思わなかった。
真っ白いローブを着た人物だ。すっぽりとフードをかぶり顔をうつむけているので性別もよくわからない。
俺に気づいていないのかぴくりとも動かなかった。
別に誰がいても問題ないのだが、さっきの独り言を聞かれたかと思うと少しばかり恥ずかしい。
ま、どうでもいいことだ。さっさと鳥を回収して立ち去ろう。
俺が林への道を戻りかけたとき――
どさり。
妙な物音がした。そちらに目をやると木陰で休憩していた旅人が横たわっていた。
「……?」
俺は、おや、と思った。姿勢が不自然だった。眠りにつくという様子ではなく、唐突に倒れた、という感じの――
俺は旅人に近づいた。
「おい。大丈夫か?」
返事はない。
俺は片膝をつき、旅人の肩をゆすった。反応はない。だが、おかげで旅人の顔が見えた。
女だった。
年の頃は一五歳くらいだろうか? まるで雪のように真っ白な髪を肩まで伸ばした少女だ。その顔は病的なまでに白く、呼吸も荒い。首筋に手を伸ばすと恐ろしいほどに熱くなっていた。
「……家で介抱するか……」
少しばかり迷いがあるのも事実だ。面倒は避けたい――という意味ではない。どうせ暇な身だ。これくらい構わない。
問題は俺がひとりで暮らす家に見ず知らずの、しかも意識が朦朧としている若い女を勝手に連れていくのはどうなんだろうか。
「……う、うう……」
女が苦しそうな吐息を漏らす。
俺はため息をついた。
あまり悩んでいる暇はないらしい。変な勘違いをされないことを祈りつつ、俺は女の身体を抱え上げた。