地獄絵図。(その3)
灯花は、襖に描かれている水墨画を見た。
鹿を貪る百足の水墨画から、順に観て行く。
描かれている絵は、ほとんどが地獄蟲だ。
牛に喰らいつく飛蝗。
羊を捕らえる蜘蛛。
蛇を引き千切る螳螂。
馬の脚を折る蝸牛。
巣の中の雛を襲う天牛などと、どれも異常な蟲の絵。
見るからに、不気味で不快な絵。
だけど、どこか惹かれる絵でもある。
見事な筆使いで、描かれていて、より臨場感を感じる。
そして、その水墨画が描かれている襖。
襖の奥には、描かれている地獄蟲がいる。
たった一部屋入っただけだが、大体のことは察しがつく。
地獄蟲が描かれている襖には、それぞれの地獄蟲が入っている。
それも、墨を纏った地獄蟲。
どういう経緯で、こんなモノがあるのかわからないが、性質が悪い。
それを言ったら、この禁忌の箱自体、悪いことになるが…
硯鬼もいたことだし…あまり考えたくないが、これ以外にももっと悪いモノがありそうだ。
灯花が水墨画を鑑賞している間。
天狼は、腰に差している刀を見ていた。
白猿との戦闘で、刀を折ってしまったからだ。
折れた刃を拾いたかったが、もう遅かった。
ここは、よく物を失くす。
一つ、ため息をこぼすと声をかけられた。
「随分と余裕でござるな、天狼坊ちゃん」
その言葉を聞いて、陽炎を一瞥した。
「お前には、私がそう見えるのか?」
鬼の面を被っていて、表情は伺えなかったが、裏で笑っているような気がした。
「挑発なら、後でいくらでも聞くが?」
「ご冗談を」
「ならば、黙っていろ」
余計な事を言われて、多少、腹が立ったがすぐに鎮める。
天狼は、陽炎の根端を気づいていた。
私一人ならば、用を済まして、ここを壊して出ていた。
壊して出た所で、箱自体が崩れるわけがあるまいし。
わざわざ、灯花を巻き込んで、ここまで足を運ばせた理由は、最奥へと進めたかったに違いない。
それに、あらかじめその準備まで用意して、ご苦労なことだ。
天狼は、天を仰いだ。
白猿がこちらを向いていた。
「…………」
禁忌の箱は、天狼が知っている箱ではなくなっていた。
己の手から離れた箱は、もう誰かの物となっている以上、下手な手は使えない。
天狼は、情けない己に苦笑した。
灯花は、水墨画を一枚一枚よく注意深く観ていた。
どれも、獣が地獄蟲に喰われる風景だった。
現実世界でも、このようなことが起きている事だろうと、改めて脅威的な存在だと認識する。
しばらくして、天狼さんが近くに来たので、今まで考えていることを伝えた。
天狼さんは、頷いて答えた。
「この襖の向こうに行くのなら、遠慮はいらん。次は、先手を打って滅する」
蟲に対して容赦はしないと言っているようだ。
ああ、なんて頼もしい人なんだ…この人が味方でよかった。
「天狼さん、この襖は一体何です?どうして、こんなものが…」
「私もどういう経緯で、この襖があるのか詳しくは知らん。だが、描かれている水墨画は、見覚えはある。以前、そのような絵を持った者がいた。その者は、地獄蟲を神だと崇めていた…」
「うげっそんな人いるんですか!」
「ああ、残念ながらな。…地獄蟲は、あらゆる生き物を喰らいつくし、どんな強者も弱者も等しく死を与える。そして、魂を繋げ繁殖の為に人を生き返らせる様は、まさに神のようだと…そういう思想を持った者がいるのだ。その者らが、地獄蟲と契りを結び、新たな悲劇を生む」
「……天狼さん、契りって何ですか」
地獄蟲との契りとは…
「契りとは、契約だ。それも、ただの契約ではない。人生や魂を縛るもの。そして、地獄蟲と契約をするという事は、地獄蟲の媒体または、死者の復活を意味をする」
私、知っている。
あの保健の先生のことだ。
自分の娘を生き返らせた。
もちろん、その娘は人ではない。
人を喰らう膿蟲として生き返った。
地獄蟲と契るということは、死んだ人を生き返らせるということ。
言葉が出ず黙っていると、天狼さんは、大丈夫だと肩を叩いた。
天狼さんは、私に、この水墨画を描いた人に、はたまた、この場に居ない誰かに言い聞かせるように言葉を出した。
「地獄蟲が導く道は、この世の地獄であり、それはあってはならないこと。地獄蟲を畏怖の念を抱くのもわかる。だが、人として生まれた以上、人の道を歩ばねばならん、人狼も然りだ」
言葉に重さを感じた。
灯花は、ただ頷くしかなかった。
灯花は、一つの水墨画に目が留まった。
この水墨画だけ、違和感があった。
猿の死骸に蛆が群がっている水墨画。
今まで観た水墨画と違って、描くものが違ったのだ。
蟲ならば、巨大化かそれに似たような異形した姿をしている。
これらを実際に見たわけではないのだが、少なくとも、一目で異常がわかる。
だが、この蟲は、ただの蛆である。
これでは、ただの自然な流れではないか。
地獄蟲を描くなら、黒毛虫を描くはず。
黒毛虫なら、死骸をもろで喰い破りって…同じか。
ともかく、見た限り、この絵は地獄蟲を描いているとは思えないわけだが。
まあ、私の目が狂っていなければの話だけどね…
あれだけ、地獄蟲に散々追い回されては、喰われそうになるわで、普通の虫が地獄蟲に見えないわけがない。
じゃあ、どうするか。
「天狼さん、天狼さん!」
聞くんだよ。
「この絵なんですけど…」
天狼さんは、すぐに聞いてくれた。
「………これは、地獄蟲ではないな…」
「そうですよね!よかったです。私の目が蟲の目じゃなくて…」
「蟲の目?おもしろい言い方をするのだな、確かにこれは、人の目を見ないと気づかないものだ」
「やったー!」
褒められたー!
内容は小さいけど…
「それで、どうする?」
「はい?」
天狼さんが聞いて来て、何を?と言葉に出そうになった。
まさか、この襖の中に入るとでも?
「天狼さん、私はこの襖は、はずれだと思います」
「なぜだ?」
「普通の虫だからです」
「そうか、私は当たりだと思うが?」
「はずれです。それに、そんな簡単に出口は見つからないですよ」
これまで、ややこしいくらい、迷っていたんだし。
「これも、何かの罠じゃないかと思います」
「そうか…」
「天狼さん?えっなにをして…」
「試しに入って見たらどうだ?」
「ええっちょお!」
天狼さんは、その襖に手をかけた。
その襖、自動ドアじゃないんだ…とかツッコミたかったが、それは置いておこう。
それよりも…
「天狼さん!もうちょっと慎重に考えて…あっ」
その襖は、あっさりと開いた。
「マジですか…」
襖の先は、闇を映していた。
少しばかり、その闇から冷たい風が吹いて来た。
乱れた髪が、ほほを掠めた。
「さて、行くか」
「行くか、じゃないですよ!ああー!待ってください!」
天狼さんは、何も恐れず、闇の中へと入って行った。
この先に待っているのは、蛆虫だよね…
想像しただけで、ぞわっと悪寒が走る。
でも、こんなのは今さらだ。
地獄蟲に比べて、マシだ。
「ああーもうっ!Gでも、なんでもかかって来いやあ!」
私は、天狼さんのあとを追った。
襖の中へと入った時、土のにおいがした。
田舎の田んぼのにおいに近かった。
暗闇でも、だんだんと目が慣れてきた。
そこに、銀色の長髪が視界に入った。
「天狼さん?」
意外と声が響いて、少し驚いた。
「……ああ、大丈夫だ、ゆっくりと参れ」
柔らかな口調で言葉を出され、ひとまず安堵する。
近くに蟲の気配がなかったのだ。
それでも、警戒はしつつ天狼さんの元へと向かった。
私は、天狼さんに近づくと無為意識に着物の袖を掴んだ。
近くにいることを確かめたかったかもしれない。
すると、目の前に青い光が灯った。
天狼さんの手のひらに、青い火が灯ったのだ。
これで、だいたいの把握ができる。
私達は、何かの空間の中にいることはわかった。
先を見ると、何やら明るい所があった。
私達の周りは、筒状の空間。
先ほどの空間と比べて、狭く、大人二人分は通れるぐらいであった。
壁はコンクリートで固めてあり、まるで、トンネルようだ。
「ここは、いったい…」
「さて、あの明るい所まで行ってみれば、わかるかもしれん」
私は、静かに頷いた。
私達はゆっくりと先へと進み、明るい所まで行くと風が舞った。
そして、私達の目に飛び込んできたのは、月明かりがある田んぼが広がっていた。
今の時期、稲は収穫されていて、田んぼには稲はなかった。
ただただ、寂しく風が吹きつけるだけだった。
私は、しばらく放心状態だった。
やっと出れたと思いが広がったのだ。
天狼さんが声を出すまで、たぶん口が開いていた。
「まさか、当たりを引くとはな。お手柄だな」
「いやいや、私ではありませんよ!天狼さんが、当てたんです」
「お前が道を指し、私が歩んだだけのこと。それに、外れても私は良かったのだぞ?また、別の道を歩めばよいのこと」
「かなり当てずっぽうですね…」
「そういうものであろう?通って見なければ分からぬこと。鬼が出るか蛇が出るかは、ここに入る前から決まっていることで、それを知ってどう進むかは、お前次第だ。私は、まあ…せっかちと言うものだな」
「…天狼さん、天狼さんはまだ若いですよ。そんな年寄りくさいこと言わないでください。ぐずぐずしていたのは、私ですし…」
立ち止りは厳禁な世界だ。
ぐずぐず迷っている暇はないだろう。
「なら、前へと進め。まだ、抜けたわけではないぞ」
「えっ!ここ外ですよね!?」
「外と言うより、箱の中の別の世界と言ったほうが分かりやすいか?」
「あががっ…マジですか」
喜んだ束の間だった。
でも、落ち込んでいる暇はない。
「進みましょうか…」
「そうだな」
「このこと、オタ面さんに…えっ!」
後ろを振り返って、後悔した。
「オタ面さん!なんでっ!閉まってるの!」
私達が出て来たトンネルは、コンクリートで埋まっていた。
慌てて近づいて壁を叩くが、どうしょうもできなかった。
「灯花、落ち着け。陽炎は、ここの監視者ぞ」
「ふえぇ…」
「あの面付の戯けが迷うわけがあるまい」
「今、オタ面さんのこと悪口こと言った…」
「ともかく、放ってもよい男だと言っている。そのうち、ひょっこり出てくる」
天狼さんがそう言うんだ、大丈夫だろう。
「でも、近くにいないと心配です…」
幽世に誰一人、置いて行きたくない。
置いて行って亡くした人がいるから、こればかりは天狼さんが何を言っても、この想いは消えないだろう。
私は、塞いだ壁を見上げた。
壁に一文字、大きく彫られていた。
界。
どう言う意味なのかはわからない。
だけど、この禁忌の箱は複数世界が存在しているのがわかった。
どこかで、合流できるかもしれない。
今は、信じよう…




