地獄絵図。(その2)
白銀のオオカミは、銀色の四肢を伸ばしたり、顔を振ったりして、身体をほぐしていた。
灯花は、その仕草を見ていた。
いきなり抱き着いたから、身動きできなかったのだろう。
「すみません天狼さん。私が抱き着いたから、きつかったですよね」
天狼さんは、その言葉を聞いて、紫の瞳が点となった。
そして、次第に瞼を伏せて言った。
「いや、私はきつい思いはしてはおらんよ。灯花が私に触れて落ち着くなら、それでいいと思っている。
それに、人狼は、人から触れられるのが好きな獣だ。まあ、個々によるが、少なくとも私は、嫌ではない」
心に沁みる言葉だった。
人は、触れることに敏感な生き物だ。
触れたことで、傷ついたり、傷つけたりしているのに…
天狼さんのように、触れることを許してくれる生き物は、なんて…優しいんだろう。
「天狼さん、ありがとうございます…」
「…そうか」
天狼さんは、長い尻尾を振った。
その仕草が、どこかくすぐったい。
くすりと笑いがこぼれた。
襖の世界を見渡すと、やはりここは、部屋のような所だろう。
巨大な百足の水墨画、以外、何もなかった。
ふと、私はあるものを探した。
「あ、あった」
床にごろんと転がっていた。
「また、落としちゃった…硯鬼、大丈夫かな?」
瓶を持ち上げて、確かめた。
瓶は、無事だった。
よかった…
しかし、中身の方は…
涙目でこちらを睨めつける硯鬼がいた。
「うん、大丈夫ね」
「おいこらっ!どこか大丈夫だあ!調子乗ってるんじゃあねぇえ!」
子供ミイラの姿をした硯鬼は、瓶の中で小さな手でバンバン瓶を叩いていた。
「ははっ、結構シュールね」
「なめんなあっ!このぶす!ぶ~~す!」
「ふ~ん」
「あっいえ、あの…」
また、瓶を振られるんじゃないかと硯鬼はおどおどしだした。
「硯鬼、どうやって、ここから外に手を出したの?」
「はあ?」
禁忌の箱に入る前、私達は硯鬼に襲われた。
もしかしたら、硯鬼が出られる方法がわかるかもしれない。
「ふんっこれのことかあ!」
硯鬼は、床から黒煙を出し、そこから、人一人握りつぶせる巨大な手をを出した。
紅く鋭い爪に焦げたような肌。
指一本一本、筋が入った5本の指。
それが、私の目の前に現れた。
「……っ!!」
私は、瞬時に離れようとしたが、その必要がないみたいだった。
いつのまにか、現れた硯鬼の手の後ろに、天狼さんが立っていた。
人の姿に戻ったのだろう。
銀色の長い髪が揺れ、狼の獣耳がつんと立っていた。
天狼さんは、丁度、着物を身に着けていた所だった。
片手で、着物の襟首を整え、もう片方で、硯鬼の甲に触れていた。
それ以上、指一本動かせばどうなるか。
この場にいる私ですらわかった。
「大人しくしろ」
天狼さんの、冷めた声が響いた。
「…っうぐっ…」
硯鬼は、怯みだし、その黒き手を引っ込めた。
湧き出ていた黒煙が四散した。
とりあえず、天狼さんが見張ってくれているから、これで聞き出すことができる。
だけど、さっきのこともある。
要注意しながら、硯鬼に聞いた。
「教えて、あなたはどうやって、禁忌の箱からその手を伸ばしたの?」
「……お前に答える筋はねぇよ」
「あなたも出られないのよ」
答える気がない硯鬼。
そう、こまねいていると天狼が答えた。
「灯花、硯鬼が答えたとしても、この箱からは出られまいよ」
「えっ?」
「硯鬼が箱の外に出していたのは、幻影のようなものだ。人狼に例えると尻尾を出した程度のこと。狭い道に本体が通るわけがあるまい」
「じゃあ、この方法は駄目か…」
いい考えだと思ったんだけど、そう簡単にはいかないか…
すると、硯鬼が瓶の中で暴れ出した。
「くそおぉお!てんろうがオレ様の土地を奪い、こんな狭い所に閉じ込めたせいでっ!」
「ええっ!天狼さんがあなたにそんなことしたの?」
どうりで、天狼さんに敏感だ。
「天狼さん、そう言っていますが…どうです?」
天狼は、硯鬼をじっと見ていたが、素知らぬ顔で答えた。
「…………身に覚えがないな」
「と、言っているけど……硯鬼?」
今度はさっきと様子が違って、目を見開いて、驚いていた。
「おまっ…お前、てんろうか?女じゃあ…なかったか?」
「女?見間違えじゃなくて?」
アホなことを言っている硯鬼に、天狼は言葉を返すこともせず、踵を返した。
私は何も言わない天狼さんに変わって、硯鬼に言い返した。
「失礼だよ、今の天狼さんが機嫌が悪かったら間違いなく、瓶ごと燃やされているよ」
「うぐぅうう…」
「まあ、天狼さんきれいだから、気持ちはわかるけど」
女装したら、もろで似合う人だと思うし。
私達は、鹿を貪る巨大な百足の水墨画の襖から出ると、襖の数が多くなっていることに気が付いた。
この箱の中は、ころころと世界が変わる。
油断をすると、本当に迷子になりそうだ。
そう思っていると、後ろから声をかけられた。
陽炎は、白地の襖に背にしては、腕組んで私達を待っていた。
割れたはずの鬼の面をつけているから、一層、何を考えているかわからない。
「脱出方法は考えたでござるか?」
「まだですよ、今、ちょっと考えを巡らせているんです」
硯鬼がこの世界から出たかっていたから、出方を知ってるかと思ったけど、的が外れた。
もし、出れてしても、五体満足ここから出なきゃ意味が無い。
それも、一人も欠けずに。
「そうでござるか、ならば拙者は待つとしょう」
「一緒に考えないんですね」
「他者の意見などあてにすると、どうなるか、身に染みてわかったでござらんかったか?」
……確かに。
「拙者は、灯花たんの指示に従おう」
「……普通、こういうのは大人が先導するのでは?」
「危機的状況で、誰が年長かどうかなどと関係ないでござるよ。この状況で、どう生き抜くかが肝心でござる。生き抜く者が先導しなくては、誰が導く?」
「…………」
確かに、先導者は必要だ。
だけど、私でなくても…
私は、天狼さんの意見を伺った。
「私も、陽炎と同意見だ。生き抜くすべを持っている者が先導するのがよい。私は、お前だから任せられるし、信頼もしている」
そう言われても…
「ならば、お前の後ろを任せてくれないか?私を信じて、前へと進んでくれ、灯花」
天狼さんの意志を強く感じた。
さすがにそう言われたら、引き受けないわけがない。
「わかりました。よろしくお願いします」
私は、頭を下げた。
気にして下げたわけではない。
自然と下がったのだ。
オタ面さんと天狼さんが、あまりにも大人だったから、年長として恰好よかったからだ。
一つ、幽世の理を思い出そう。
あくまで、私の考えだが。
幽世は、生と死の狭間で異界である。
こちら側に現れると歪みをもたらし、不可解な場所として私達の前に映し出される。
だが、現世と違って、完全ではない。
必ず、不安定な場所が存在する。
現世と幽世の繋いでいる場所。
それは、入り口でもあり、出口となっている。
そして、今。
禁忌の箱。
意味を持って作り出されたこの場所は、蔵として機能している。
箱の蓋として白猿を使ったと聞いたが、いまいち、よくわからない。
人の心を映し出す道具かもしれないと、とりあえず、考えている。
箱の器は、幽世。
幽世の理を当てはめると、どこかに、不安定な場所があるかもしれない。
それが、入り口でもあり、出口でもあるのだろう。
私達が入って来た時。
古い家屋だった。
きっと、それがここから出られる手がかりとなるのかもしれない。
灯花は、天井を見上げた。
白猿は、相変わらず、こちらを見下ろしていた。
見た目は白い猿。
人の二倍ある胴体に白く鋼のような毛並みに二つある尻尾。
猿の顔があるはずの顔は、鏡。
顔がない猿。
先ほど、天狼さん、オタ面さんは暴れ出した白猿と戦った。
びっくりするほどの戦闘力だった。
猿のくせに、暗器の武器まで使ってくる始末。
もう一度、戦うことになったら、マジ勘弁。
私が今、何を考えているかと言うと、白猿の鏡の方だ。
天狼さんは、あの鏡から出て来た。
もしかして、あれが出口かもしれないと候補として考える。
私は、白猿に恐る恐る声をかけて見た。
「おーい!白猿!」
すると、白猿は鏡からあるものを取り出しては、こちらに投げて来た。
「うわっちゃあぁあ!」
当たられなかったのが幸いだ。
「ばかっ!もうっ話しかけないでっ!」
「…………」
私は、投げられたものを拾った。
また、渋柿だった。
「そ、れ、は、せんべつだよ☆つぎは、絶対、当てるから~!きゃあ☆」
私は、オタ面さんに渋柿を投げつけた。
「ぶっつほうおっ!」
裏声がうざい。
「これっ灯花、食べ物を粗末に扱うな」
「ちっ」
天狼さんに言われてこの場を鎮めた。
「白猿に用があるのか?」
天狼さんの問いに私は素直に答えた。
「白猿の鏡が気になって…天狼さん、あの鏡から出て来たんですよ?」
「そうか…」
その反応は、何か知っている?
「天狼さん、白猿のあの鏡の中に入ることは出来ますか?」
「白猿の中か?それは、出来ぬことはないが、やめたほうがいい」
「何か、あるんですか?」
「白猿は、顔だ」
「顔?」
「顔は、他者が見れば顔となり、写すことで己を自覚できる。だが、内から見ると?己の顔を己の目で見る事は出来ぬ」
「……すみません、言っていることが、よく、わからないです」
「つまり、己の認識が出来ないと言う事だ」
「自身がわからなくなるんですか!?」
「そうだ。顔の中に入るのはいいかもしれない、だが、入ってここから出られても、自我が持てるかどうか…白猿のように顔無しになるか、はたまた別人となるか…」
血の気がさぁーと下がった。
「し、白猿の鏡は、やめておきましょう…」
「そうだな、そのほうがいい」
出戻りは出来ないようだ。
蔵の中に易々と入れるけれど、閉じ込められる仕掛け。
セキュリティーとしては、さすがだ。
盗人が入っても、盗人ごと閉じ込める。
もし、出れたとしても、廃人となっている。
さすがの大泥棒も、お手上げかな?
灯花は、襖の空間の先を見た。
襖の数が多くなっている。
先ほどの、百足の水墨画といい、他にも水墨画が存在していた。
それは、見ていて、ぞっとするような絵ばかりだった。
地獄蟲の水墨画。
本当に趣味が悪い。
だけど、陽炎さんのヒントってこれの事だと思う。
わざわざ、白猿と戦って、この世界にしたんだし。
この襖の向こうに、必ず、出口はある。




